移民大国アメリカを実感する(下)2000年10月16日 田中 宇この記事は「移民大国アメリカを実感する(上)」の続きです。 アルメニア系の人々が80年前の虐殺の問題に今ごろ敏感になるのは、ほかにも理由があった。このセミナーが開かれたのは9月下旬だったが、それはちょうど、アメリカ議会でアルメニア人虐殺の問題でトルコを批判する決議が審議されていた時だった。 アルメニア系アメリカ人は政治的に活発な集団で、大統領選挙がある今年は、政治家にとって無視できない。そのためアルメニア系の人々が以前から米議会に要請していたトルコ批判決議が、選挙前になって審議されていた。 一方、トルコは一貫して「アルメニア人がたくさん死んだのは一般人も反トルコ戦争に参加したためで、それは虐殺ではなく戦死である」と主張し、人権問題ではないと言い続けていた。トルコの主張を説明するため、アメリカに代表団を送り込んだりした。 トルコはアメリカにとって軍事的な同盟国で、トルコの協力がなければイランやイラク、シリアに対するアメリカのにらみが効かない。そのため議会が決議しても、大統領は拒否する可能性が高い。こうした展開の中で、アルメニア系の人々は感情的になっていた。 ▼生き別れた一族の再会 セミナーが終わった後、隣席の女性と立ち話をした。最初に講演者を非難する発言をした人である。彼女の両親は、トルコに併合された西部アルメニアの出身で、虐殺を逃れてアメリカに来た後、彼女が生まれたという。彼女が祖国アルメニアに初めて行ったのは、大学卒業後の1961年だったが、その時に非常に不思議な経験をした。 ・・・エレバン(首都)のホテルに泊まっていたある日、ホテルのロビーで見知らぬ男性が「あなたは○○という人を知っているか」と声をかけてきたんです。男性が尋ねていたのは、私の母の姉の名前でした。私が「知っている」と答えると「それなら着いてきなさい」と言われ、一緒にタクシーに乗りました。見知らぬ男についていくなんて、普通なら断るのですが、この時は別でした。トルコによる虐殺のさなかに、母は姉と分かれて逃げ、それ以来音信不通になっていたからです。 ・・・長距離タクシーに乗って着いた村の家には、母の姉が住んでいました。私に声をかけた男性も、親戚にあたる人でした。彼はホテルのロビーで私を見掛けたとき、何かを感じて声をかけたそうですが、私も同じように何かを感じて、彼にについて行ったのです。これが、一族のきずななのかもしれません。 ・・・こうして私たちの一族は再びひとつになったのですが、そのとき伯母(母の姉)は80才を越え、病気でした。私がアメリカに帰り、母を連れてもう一度アルメニアに戻った時には、すでに伯母は亡くなっていました。アメリカに住む一族の中で、私だけが伯母に会うことができたのです。 彼女は、そんな身の上話を私にした後「話を聞いてくれてありがとう」と言って笑った。 ▼アメリカ人権意識の根源 アメリカ人の中には、本人や祖先がアメリカに移民する前、母国で弾圧されたり貧しい状態に置かれていた人々が多い。トルコに弾圧されたアルメニア系の人々がその好例だろう。 アメリカ人を祖先の出身地別に分けると、多い順にドイツ(5800万人)、アイルランド(3900万)、イギリス(3300万)、アフリカ(3000万)となっている。ドイツからはクエーカー教徒、イギリスからは清教徒という、宗教上の弾圧を受けた人がアメリカ移民の先駆者だったし、アイルランドからもイギリスの支配下で苦しめられた人々が移民してきた。アフリカからの黒人は、奴隷として連れてこられた。 このように抑圧された歴史を持つ移民がアメリカを構成しているため、アメリカは「人権問題」を強調し、母国の民族意識を維持できる「ハイフネーション文化」の国になったのではないかとも思える。「アメリカでは今も差別が厳しい」という指摘を良く聞くが、その一方で公の場では、人権や差別を社会全体の問題として議論しようとする姿勢がみられる。 たとえば、大統領選挙選の一環として10月5日に行われた副大統領候補どうしの討論会(ディベート)では「あなたが黒人だったとして、歩いているか車を運転しているときに人種差別の攻撃を受けたら、どうしますか」というのが質問の一つだった(CNNの黒人キャスター、バーナード・ショーが司会をつとめていた)。2人の副大統領候補はいずれも黒人差別がアメリカに存在していることを認め、差別を減らす努力をすると約束した。 とはいえアメリカは、国内の公開討論での人々の誠実な姿勢とは対照的に、外国での「人権問題」に対しては、しばしば独善的で自己中心的な内政干渉を「正義」として相手国に押し付けている。戦後の日本のように国際問題になるべく首を突っ込まない姿勢ならまだしも、アメリカが外国のことに介入する以上は、イスラム諸国や中国など、キリスト教を中心とした自国の社会とは異なる価値観を持つ人々に対する理解を、もっと深める必要がある。 ▼民族紛争地をアメリカ型の国に変える ハーバード大学で開かれたカフカス地方に関する連続セミナーの2回目は「カフカスの人々が平和に共存するには、全体を一つの連邦国家にするのが良い」という解決案を進めようとしているベルギーの大学の先生の講演をベースに討論した。 カフカスは多民族の地域だ。たとえばグルジアは人口が500万人しかいないのに、70の民族に分かれており、分離独立を目指す勢力もいくつかある。冷戦終結以降、旧ソ連東欧地域では「あらゆる民族は独立する権利がある」という考えに基づき、新しい国が次々とできたが、グルジアでそれを許すのなら、大混乱になってしまうだろう。 多くの民族は、今よりも昔のある時期の方が領土が広かったという歴史を持っており、民族主義の行き着くところは、その過去の最大領土を回復して自分たちの国家を作る、という主張になりがちだ。 領土が最大だった時期は民族ごとにずれており、各民族の「過去の最大の領土」は幾重にも重複している。だから多くの民族が混住するカフカスやバルカン半島では、民族主義が強まるほど領土紛争が激しくなり、戦争が続くことになる。 こうした領土対立を乗り越えるため、連邦制の考え方が出てきている。講演者は、経済政策など、民族の違いがあまり現われない分野は連邦政府が行う一方で、教育や文化など民族性が色濃く出る分野では、各民族の自治が行われるようにするというプランについて説明した。 こうした体制は、すでにベルギーやスイスで実施されており、EU統合は、それを西欧全域に拡大するものだ。バルカンやカフカスで連邦制が成功すれば、EUに加盟して先進国に仲間入りすることも夢ではないというわけだ。 こうした計画は、EU統合が「ヨーロッパ合衆国」の建国であると欧米のマスコミで指摘されているのと同様に、連邦に対する忠誠心と、コミュニティに対する帰属意識とを国民があわせ持っているアメリカ流の「ハイフネーション」型の連邦国家を、カフカスやバルカンに作ろうという趣旨とも読み取れる。 ▼「歴史こそが民族生き残りの武器」 ところがこの講演者に対し、グルジアからの留学生が疑問を投げかけた。「連邦制を成功させるには、歴史を前提にして各民族が言い争うのを止める必要がある」と講演者が述べたのに対し、この留学生は「民族のアイデンティティにとっては、歴史こそが最も重要なものだ。歴史を語らずに、民族間の交渉などできない。大国は経済力や軍事力を武器にできるが、グルジアのように小さな国の場合、民族が生き残るための武器は、歴史的な正当性しかない」と反論した。 歴史的な正当性とは「先祖代々住んでいるのだから、ここは自分たちの土地だ」と主張できることである。大昔なら、そんな主張をしても武力侵略されれば弱い民族は滅びた。だが19世紀にヨーロッパで戦争を防ぐために、今につながる「国際社会」の枠組みが作られて以来、「歴史」が武力侵略に対抗できる理論となった。だが、まさにその理論が、歴史が重複しているがゆえに民族紛争の絶えない地域を生み出したのである。 留学生からの反論に対して講演者は「民族が違う人々が歴史観で合意することは非常に難しい。歴史観を議題にせずに政治交渉をしていかないと、合意することは不可能だ」と述べ、原則論ではなく現実論で問題を解決していく必要を強調した。 この討論を聞いて、なぜバルカンやパレスチナなどの民族紛争地域で、アメリカの仲介がなかなか成功しないのか、その一因が分かったような気がした。バルカンやパレスチナにアメリカ型の連邦国家を作ろうとして失敗しているのではないか、ということだ。 たとえばパレスチナ和平の頂点だった1993年のオスロ合意は、アラブ・ユダヤの対立を「経済発展」という利点で乗り越えさせ、イスラエルとパレスチナを、双方が神聖と考えるエルサレムを共同管理できる双子の国家体制にする計画だった。だが、現実論が原則論を乗り越えることはできず、パレスチナ和平は今や完全に破綻している。 またバルカンに関しても、コソボのアルバニア人に「自治と巨額の支援金をあげるから独立はあきらめろ」と納得させたかに見えたが、セルビアのミロシェビッチ大統領が政権を去ることになった今、コソボのアルバニア人はしだいに独立の意志を明確にするだろう。 移民が作った国であるアメリカは、何千年もの歴史を持つヨーロッパや中東の国とは、社会の成り立ちが異なるのに、それを深く考えずに「アメリカ型」をあてはめようとしたところに、問題があるように思われる。 アメリカにはハーバードのように国際問題を深く分析する人々がいる大学がいくつもあり、その教官が政府高官のポストに就くことも多いのに、アメリカの外交政策は意外にお粗末なものが多い。その点についてアメリカを非難するのは簡単だが、むしろそれだけ今の世界情勢は複雑だということを表しているのかもしれない。
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