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移民問題(2)アメリカをめざす中国人

2000年9月11日   田中 宇

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 中国沿岸部にある福建省は、昔から海外渡航者の多い地域であった。18世紀には、イギリス領のマレー半島やオランダ領東インド(今のインドネシア)などの植民地の労働者として福建人が渡航して行った。19世紀に入ってカリブ海地域で奴隷制が廃止されると、サトウキビ農園などの人手不足を補うために、数万人の若者が福建からキューバなどに働きに出かけた。

 1949年に国民党が共産党との内戦に敗れ、台湾に逃げる直前には、国民党軍の兵力不足を補うため、福建省の農村から、なかば強制的に無数の青年が兵隊にとられ、兵卒として台湾に渡った。彼らの中には結婚できず終生独身の人も多く、大陸の故郷に帰れないまま、年老いた今、台湾各地に点在する軍人用の老人ホームなどで寂しく生活している。

 移民のほか、13世紀のマルコポーロや、15世紀に明朝の皇帝の命令でインドや中東まで航海した鄭和の艦隊なども福建省の港から船を出しており、福州や廈門、泉州といった福建省の港町は、国際貿易都市だった歴史も持っている。

▼福建省は今も密航者の震源地

 福建省の沿岸部が多くの移民を輩出してきた歴史は、今も続いている。最近ヨーロッパに適正なパスポートやビザを持たずに入ろうとして検挙される「不正移民」のうち、8割前後は中国人であるが、そのうち7−8割は福建省の沿岸部、特に福州市の近郊に住んでいた人々だ。

(彼らの中には、中国政府による人権弾圧に耐えかねて出国したと主張する人々が多く、その主張に従えば「不正移民」ではなく、人権上国際的に認められた「亡命者」「亡命申請者」ということになるが、実態は欧米や日本への出稼ぎである場合が多いので、ここでは「不正移民」という言葉を使う)

 福州市の近郊には、不正移民で有名な町がいくつかある。このうち、福清からは日本に行く人が多く、長楽や連江からはアメリカを目指す人々が多い。そのほか、比較的入国が簡単な東欧地域の中で、経済が割と発展しているハンガリーに集中して移民者を出している町もある。その多くは、正式なパスポートやビザを持たずに出かける人々である。

 最初に渡航した人々が、渡航先で経済的に余裕が出てくると、親戚を次々と呼び寄せ、最後には町の若者のかなりの部分が渡航しているという状況になる。長楽市には、若い男性のほとんどがアメリカのニューヨークに行ってしまい、妻と幼い子供たちと老人しか残っていないため「寡婦村」と呼ばれている地域がある。その地区の家々の多くは、アメリカからの送金で立派に建て直され、プールがついている豪邸も珍しくない。祖先の墓も立派に作り直されている。

 とはいえ、せっかく豪邸を建てても、住む家族はだんだん減ってしまう。アメリカに渡った夫に経済的な余裕ができると、妻や子供たちも「蛇頭」と呼ばれる不正移民渡航業者(マフィア的な地下組織)に巨額の金を払ってアメリカに渡り、最後に残るのは年老いた老夫婦だけになってしまう。

 豪邸は、実用よりもむしろ、その一家がアメリカ渡航者であることを示すステイタスシンボルとして機能している。福州の周辺では、不正移民は後ろめたい行為ではなく、豊かになるために必要な冒険とされている。

▼豊かな人々こそが密航する

 そもそも、欧米や日本に不正移民するのは貧乏人ではない。密航するには、アメリカまで5万−6万ドル(500万-600万円以上)、西欧へは3万−4万ドル、日本へは1万−1万5000ドルもの金を蛇頭に払わねばならないからである。福建省は経済特区などもあり、中国で7番目に平均収入の多い地域で、不正移民を多く出している沿岸地域は、省内でも特に豊かな場所である。

 福州市の周辺地域の人々は、1980年代に改革開放政策が始まると、香港や台湾からの密輸入品を卸売りするビジネスで富を築いた。だがその後、輸入規制が減って密輸が儲からなくなったため、欧米や日本への出稼ぎが流行するようになった。

 密航の旅は高価なだけでなく、危険に満ちている。今年6月には、オランダからイギリスのドーバーへフェリーに乗ってきたトラックの積荷のトマトの奥から、58人の死体と2人の瀕死の男が見つかる事件があった。今年1月には、アメリカ西海岸のシアトルで、中国からの船に積まれていたコンテナの中から、3人の死体と15人の瀕死の中国人が見つかっている。いずれも、福建省の福州市周辺からやってきた不正移民であった。

 生きていくお金には困らないであろう人々がなぜ、高い金を払い、危険を冒してまで欧米に渡航しようとするのだろうか。その理由の一つは、一族の中に1人でもアメリカや西欧に渡った人がいると、一族全体の信用度が上がり、名士になれるからである。

 福建では月に5000円も稼げれば良い方だが、ニューヨークのチャイナタウンの中華料理屋で必死に働けば、月に20万円になる。欧米に親族がいれば、そこからの送金で一族中が超リッチになれる。金融機関などからのお金が借りやすくなるので商売をするにも事業資金には困らないし、娘をその一族に嫁がせたいと思う近所の人も多くなる。こうした状況なので、一族の中の誰かが欧米に密航したいと言えば、親戚中がお金を出してくれて、何万ドルもの資金調達が可能になる。

▼経由地は密航産業の大拠点バンコク

 中国からアメリカに渡った不正移民へのインタビューを元にして書かれた英語の本「Smuggled Chinese」(Ko-Lin Chin, Temple University Press 1999)によると、密航の費用の大半は成功して欧米に着いてから支払うという契約が多く、頭金は10万−20万円程度である。アメリカに向かう場合、主なルートは、まず福建から香港やミャンマー(ビルマ)に行くものだ。

 香港からはタイに飛行機で行くことが多い。最近の中国沿海地域では、東南アジアに観光旅行する人が増えており、パスポートを取れる人は、タイの観光ビザを取得できるので、それを使ってバンコクまで到達する。パスポートを取れない場合などは、鉄道とバスで中国の雲南省に行き、歩いて数日間かけて山々を越えてミャンマーに入り、次いでタイに越境する。

 ミャンマーへの山越えは、両側の国境警備兵に捕まらないようジャングルの中を何日も歩く厳しいコースだ。ミャンマー側の村人に襲撃されたり、蛇頭に雇われた案内役とはぐれ、餓死したと思われる人もいる。

 タイのバンコクは密航産業の一大拠点で、偽造パスポートなどが手に入りやすい。台湾、シンガポール、中国などのパスポートの写真を入れ替えて偽造したものを受け取り、飛行機でアメリカに飛ぶのがスムーズな渡航だが、アメリカに直行できる十分な偽造書類がそろわず、入管当局や航空会社に見破られる可能性が高い場合は、中南米や他の東南アジア諸国などにいったん飛べる偽造書類をそろえ、そこで別の書類の準備ができるのを待つ。

 バンコクからボリビア、パナマ、コロンビアなど、入国しやすい中南米の国にいったん飛んだ後、メキシコに向かい、メキシコ・アメリカ国境を歩いて越えるというのが一つの流れである。密航者が中南米で採れた麻薬を持ってアメリカ国境を越えてくれれば、渡航費を安くするという蛇頭もいる。

 世界のどこかで不正移民が捕まると、しばらくはその地を経由するルートは警戒が厳しくて使えなくなり、別のルートを探さねばならなくなる。飛行機が駄目なら船を使う。目的地に着くまでのルートは非常に多様で、途中で何週間も、下手をすると何ヶ月間も待たねばならない。蛇頭がルートを選ばずに何とか欧米の目的地まで渡航者を運ぼうとする結果、世界中で中国人の密航者が捕まるという現状になった。

 中継地点でどれだけ待つことになるか分からないので、蛇頭は渡航者の滞在費用をなるべく切り詰めようとして、農家の納屋など、ひどい場所に渡航者を押し込めて宿泊させる場合が多い。密航を見つかると困るので、宿泊先から外に出ないよう監視がつき、食事も非常にまずいし量が少ない。

 このほか、船で直接中国からアメリカやカナダ、メキシコ、グアテマラなどに行ったり、シベリア鉄道に乗ってロシアから東欧に行く場合もある。船で太平洋を渡る場合、密航者は蛇頭から「大型船に乗れるから安心だ」と聞かされて決意するが、実際は小型の中古船を使うことが多く、危険である。

▼支払いが遅れると暴行される密航者

 アメリカに入国する際、係官に見破られて捕まることが多いが、これは問題にされない。「中国で人権侵害を受けた」と難民申請をすれば、強制送還されることはまずない。収容所の生活は、中継地点で蛇頭から受ける待遇よりもずっと良いし、違法移民専門の弁護士の電話番号をあらかじめ聞いて知っているから、20万円相当ぐらいの保釈金を払えば、収容所から出られる。

 難民申請の理由は「一人っ子政策で不妊手術を強制されそうになった」「言論の自由を認められなかった」「法輪功のメンバーだ」などと自称するものだが、大体は却下される。却下されるころには、すでにニューヨークの中華街などに潜んで生活を始めており、入管当局が行方を探すことは難しい。当局は人員削減で、そんな余裕もない。

 密航者が恐れるのはむしろ、蛇頭へのお金の支払いである。アメリカに到着したら、すぐに3万−5万ドルのお金を払わねばならず、支払いが済むまで密航者は監禁される。密航者は、支払いをしてくれるアメリカか中国の親戚に、監禁先から電話をしてアメリカへの到着を知らせ、蛇頭が支払いを請求する。

 支払いが遅れると、やがて密航者に暴力がふるわれる。暴行を受けている密航者に、親戚へ電話をかけさせ「約束のお金が払われないので、ひどい目に遭っている」と言わせる。親戚は心配のどん底に落とされ、必死に金策をすることになる。アメリカに着いた密航者を、他の蛇頭が誘拐し、親族が支払う金を横取りしようとする犯罪も多発している。

 蛇頭の残酷さは、この時の暴力に象徴されることが多いが、その目的は契約金を支払わせるためであり、無目的に暴行するのではない。密航者は彼らのお客であり、58人もの客を渡航の途中で死なせてしまったドーバーのトラック事件の場合、遺族の集団が福建にある蛇頭の自宅に押しかけて賠償を求め、責任を取れない蛇頭は投石され、雲隠れしたと報じられている。

▼密航者を呼ぶアメリカの好景気

 中国からアメリカへの渡航は19世紀からの歴史があるが、密航者が急増したのは、1989年の天安門事件の後、中国で人権侵害を受けた人々をアメリカが広く受け入れるようになってからである。90−93年にかけて、太平洋を越えてくる密航船が増えたが、そのほとんどが福建省からの出稼ぎ目的で、蛇頭が仲介したものだった。

 93年には、アメリカは中国人を強制送還しないと判断した蛇頭が、夜中にサンフランシスコの港に密航者を上陸させる事件や、ニューヨークの沖合いに密航船が堂々と現れたりした。犯罪組織である蛇頭の活動を問題にするアメリカ当局の対応は、強制送還を含む厳しいものとなり、船による密航は一段落した。

 その後、アメリカ経済が未曾有の好調となり、ここ2−3年、再び密航が増えた。アメリカに直行するルートで警戒が厳しくなると、カナダの西海岸に上陸し、いったんカナダ当局に捕まった後に釈放され、その後カナダ・アメリカ国境の管理がゆるいことを利用してニューヨークを目指すコースが、昨年から注目され出した。

 これを受けてカナダ当局も、強制送還などの措置を強化したため、今年6月には、カナダ西海岸のバンクーバー近郊の収容所で、送還を恐れた中国人密航者たちが暴動を起こす騒ぎもあった。

 非常に多くの新しい移民がニューヨークの中華街に到着したため、中華街の政治状況も大きく変わった。従来は広東省出身で台湾の国民党政権を支持する人々が多かったのに、今では福建省出身で共産党政権を支持する人々の方が多くなってしまった。中華街ではかつて、中華民国の建国記念日である10月10日しか祝わなかったのだが、94年からは10月1日の中華人民共和国の建国記念日も祝賀されるようになった。ニューヨークでテイクアウトの中華料理屋を経営する中国人の多くは、福建省出身の新興勢力である。

 また最近では、経済統合の一環として西ヨーロッパ諸国が国境での人の移動を自由化したことに便乗し、西欧を目指す人々も増えている。出身地も福建だけでなく、山東省や遼寧省など北方の沿岸部からも、密航の流れが始まっている。

 昨今の「グローバリゼーション」の流れの中で欧米諸国は、商品の移動については世界中で自由化するよう、発展途上国に圧力をかけているが、人の移動については逆に、先進国は途上国からの労働者の流入を食い止めようと、規制を強化している。こうした状況自体が、先進国の身勝手なやり方だと主張する人々もいる。国際的な移民や出稼ぎの問題は、簡単には解決しそうにない。



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