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台湾選挙(3)李登輝辞任のいきさつ

2000年3月24日   田中 宇

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この記事は
「興奮高まる台湾選挙」
「台湾選挙の興奮(2)投票前夜」
の続編です。

 1998年12月に行われた台北市長選挙は、与党国民党の馬英九と、野党だった民主進歩党(民進党)の陳水扁との間で戦われ、馬英九が勝った。台湾(中華民国)の首都である台北市の市長選挙は、日本の東京都知事のようなもので、重要なポストである。

 陳水扁は先日の総統選挙で勝利した人物であるが、94-98年に台北市長をしており、98年の選挙は2期目のチャレンジだった。彼が市長になってから、役人は親切で仕事の効率も上がったと、多くの台北市民が評価しており、選挙期間中の集会でも、馬英九より陳水扁の方が、はるかに参加者が多かった。だがこの時、国民党は党を挙げて馬英九を推し、多くの組織票を動員した結果、馬英九を勝利に導いた。

(長く独裁政権を続け、動員できる下部組織が多い国民党とは対照的に、民進党は集会や街頭宣伝に力を入れるしか、人気を示威する方法がない。そのため民進党系の勢力は、弾圧をかいくぐって活動していた萌芽期の1970年代から、集会は大きいが得票はそれほどでもない状況が続いており、先日の総統選挙でも、陳水扁の集会が他候補よりはるかに多くの参加者を集めても、開票結果は次点の宋楚瑜と僅差しか開いていなかった。)

 馬英九と陳水扁は、それぞれの党が推す若手のホープである。馬英九は端正な顔立ちで、育ちの良い坊ちゃんが大きくなった感じであるのに対し、陳水扁は貧乏だけど利発な少年が大きくなったという感じで、貧しい家庭で苦学しながら超一流の台湾大学法学部をトップで卒業した経歴を持つ。

 両人とも女性の間で人気が高いが、馬英九ファンは陳水扁ファンに対して「あんなダサい男のどこがいいのかしら」と揶揄し、陳ファンは馬ファンに「あんなひ弱そうな男のどこがいいの?」と言い返すのだそうだ。

▼李登輝は陳水扁を隠れ支持?

 この台北市長選で、国民党の最高権力者だった李登輝総統(党主席)は、馬英九を支援した。国民党は党を挙げて馬を支持したのだから、李登輝が馬英九を支援するのは当然ともいえるが、「本省人」である李が「外省人」の馬を支持することに意外さを感じる市民も多かった。

 李登輝が1988年に党主席になって以来、国民党は本省人を中枢に据えようとする李登輝と、中枢から外されて反発する外省人との戦いが続いてきた。

 本省人は1945年以前に台湾に住んでいた人々で、そこに内戦に敗れた国民党勢力がやってきて外省人となり、反対派の本省人を弾圧しながら独裁政治を続けていたが、1970年代後半に当時の最高権力者だった蒋経国が民主化の方向性を打ち出し、李登輝を初の本省人総統として自分の後継者に据えた。

 李登輝は子飼いの本省人たちを国民党の要職に就け、外省人を中枢から外していった。その上で李登輝は「これからは本省人も外省人も区別なく、新台湾人として和合しよう」という方針を打ち出し、その象徴として、外省人の馬英九を台北市長選で推した。

 だが、外された外省人たちは和合の呼びかけを欺瞞だと批判し、国民党を飛び出して「新党」を結成、馬英九を「台北市長の座がほしいばかりに、李登輝に擦り寄った裏切り者」などと呼んでいた。

 李登輝に対しても「和合を呼びかけて馬英九への支持を表明しても、実は本省人である陳水扁を支持したいのではないか」という言説が飛び交った。

 98年の台北市長選の投票日に「誰に入れましたか」とテレビ記者からマイクを向けられた李登輝は「ノーコメント」と言って右手を振ったが、その右手は人差し指と親指がくっつき、残りの3本の指が数字の「3」を示しているように見えた。「3」は陳水扁の候補者番号である。李登輝はノーコメントと言いながら、実は陳水扁に投票したと暗示したのではないか・・・などという解説が、人々の間でなされたという。

▼怒りは大芝居だったのか

 それから1年半、今回の総統選挙でも、李登輝は「隠れ陳水扁支持」ではないかと思われる言動があった。選挙戦の終盤になると、李登輝は自党の候補である連戦を打ち負かしそうな陳水扁と宋楚瑜の2人の候補を口汚くこき下ろすようになり、怒りの表情を記者の前であらわにしたりした。

 それを見て「李登輝は本心から連戦を支持しているんだ」と思った人も多かったようだが、これを大芝居だと見る人もいた。陳水扁に対する非難は父親が息子を諭すような内容で、外省人である宋楚瑜を叩くためにバランス上、陳水扁も非難の対象にしている可能性があった。

 台北市のある本省人の家庭では、テレビに宋楚瑜が出てくるとチャンネルを変えた半面、陳水扁が出てくると熱狂して見ていたが、李登輝が出てくると、陳水扁の批判をしているときは別のことをしてテレビから目をそらし、宋楚瑜の批判を始めると再度テレビに目をやり、相槌を打ったりしていたという。

 また選挙戦の終盤で、ノーベル賞を取った科学者である李遠哲が、陳水扁に対する支持を表明したことが、陳に対する支持率の上昇に貢献したが、李遠哲は李登輝に近い人物で、李登輝に誘われてアメリカから台湾に戻り、中央研究院の院長という要職に就いていた。陳水扁支持を表明する前に、李登輝に相談したのではないか、という憶測が飛んだが、だとしたら李登輝は李遠哲を通じて陳を支持したことになる。

▼国民党の浄化

 もし李登輝が本当に、ひそかに陳水扁を支持していたのなら、その理由は国民党を「浄化」しようと思っていたからと考えられる。蒋経国は国民党の独裁制をゆっくりと解体して台湾の民主化を目指し、李登輝がその遺志を継いだのだが、国民党は財政的にも政治システムとしても、台湾の中では絶対的な力を持っており、自己改革は難しかった。

 たとえば国民党は従来、地方における支持を固めるため、公共事業のばらまきを続けていたが、李登輝がこれを抑制しようと考えても、台湾省長という要職にあった宋楚瑜が代わりに地方への資金ばらまきを敢行し、多くの地方の有力者を自分の味方につけてしまった。台湾の地方の人々は、有力者のアドバイスに従って選挙時の支持者を決める傾向が身についており、宋は政治的に有利な立場になった。

 李登輝は宋の人気取り行動を嫌ったが、宋は国民党を追い出されても総統選挙に立候補し、連戦を抜いて次点となる力を見せた。もし宋楚瑜が総統選に勝っていたら、彼は国民党に招かれて戻り、李登輝が進めた国民党の「台湾化」(本省人化)を逆行させ、外省人による支配を取り戻していただろう。台湾の人口の2割に満たない外省人が与党の権力を握ることは、民主化に逆行することになりかねなかった。

 そうした事態を防ぐには、いったん政権を民進党に渡して野党になることで、国民党に利権が偏っていた状態を改める必要がある。いったん民進党が与党になれば、国民党の特権は剥奪され、その後は民主的な方法で人気を再獲得するしかなくなる。

 台湾の人々は、「台湾独立派の陳水扁が勝てば中国が攻撃してくる」という不安を持っているが、実際に陳水扁が勝っても中国が攻撃してこなければ「中国が怖いので国民党を支持した方が良い」という理論も成り立たなくなる。それが台湾を民主化したい李登輝の「隠れ陳水扁支持」の理由だったのではないか、と思われる。

▼少数なのに注目された抗議行動

 総統選の結果は、陳水扁の勝利だったが、それが確定した直後から、李登輝の隠れ陳水扁支持に憤りを感じていた外省人たちが、李登輝に辞職を求め始めた。「李登輝が宋楚瑜の人気に嫉妬して総統候補にせず、子飼いの連戦を候補にするという身びいきが、国民党の敗北を招いた」と主張し始めたのである。

 彼らは台北市の国民党本部の前に集まり、投票日から4日間、抗議行動を続けたが、その数は多いときでも2000人程度だった。投票日前日、陳水扁の支持集会に集まった50万人とは比べものにならないほどの少数で、「民主主義」の原則から考えれば、大したことはない抗議行動である。

 だが、台湾のマスコミ、特に地上波テレビ局の多くは、外省人が経営権を握る国民党系の組織であり、反李登輝の動きをことさら大きく報じた。そしてこの抗議行動を背景として、国民党内では李登輝を辞任させようとする外省人勢力と、防戦する本省人勢力(李登輝派)との闘争が激しくなった。李登輝は24日に党主席を辞職し、副主席の連戦が主席代行になることが予定されている。

 外省人勢力が、李登輝に代わる総統に担ぎ出そうとしている人物の中心は、宋楚瑜と馬英九である。国民党は総統選に敗れたとはいえ、国会(立法院)の議席の過半数をおさえている。また、独裁時代に貯め込んだ総額2兆円といわれる資産を持ち、政治資金も潤沢だ。

 今回の国民党の主導権争いで本省人勢力が勝てば、陳水扁政権に協力する可能性もあるが、外省人勢力が勝ったら、新政権に全面的に抵抗するようになり、台湾の政治全体が不安定になる可能性が強い。





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