シアトルWTO会議をめぐる奇妙な騒乱1999年12月6日 田中 宇先週、アメリカ西海岸の港町シアトルで開かれたWTO(世界貿易機関)の閣僚会議をめぐり、会議に反対するために10万人もの市民団体が集まり、デモ行進が暴動にまで発展したというニュースを知ったとき、多くの読者が「何で反対運動が起きるの?」と思ったのではないだろうか。 WTOは、世界の貿易体制を維持・発展させるための国際機関だ。日本やヨーロッパ諸国の政府が、国内農家を守るため、農業市場の開放を求めるアメリカなどからの圧力と戦ったり、または逆に、アメリカが自国の製鉄業を守るため、日本や中国の鉄鋼製品が不当に安すぎると文句を言ったりする場所でもある。その意味でWTOは、アメリカの人々にとっては、自国の利益を守ってくれる機関であったはずだ。 シアトルで暴徒化した人々は、資本主義体制そのものに反対する左翼の一つ「アナキスト」(無政府主義者)たちであった。アメリカでは今、未曽有の好景気が続いている。その背景には、冷戦が終わって世界中に自由貿易や市場経済が広がる中で、資本主義の最先進国アメリカが、いち早く産業の情報化を進め、自国の基準を世界の基準にして、最もその恩恵を受けたことがある。 そんなアメリカで、資本主義の恩恵を十分に受けているであろう若者たちが、自分たちも時々は愛用していると思われるマクドナルドやスターバックスコーヒー店を「資本主義の権化」だと罵倒して打ち壊している光景は、何とも奇妙であった。 ▼冷戦終結とともに大きく変わったWTOの機能 WTOはここ数年で、大きく変身した。1986年、南米ウルグアイの静かなビーチリゾート、プンタデルエステに世界各国の貿易担当大臣らが集まり、「ウルグアイ・ラウンド」を始めた。そのころまで、この機関(WTOの前身であるGATT)は、各国の関税率や、輸入したくない製品に対する規制が公正なものかどうか協議し、貿易をめぐる国家間紛争の審判役をする、地味な存在だった。 1948年に設立されたGATTは、ウルグアイ・ラウンドの前に、7つのラウンド(会議の周期)を経験している。世界経済の変化にあわせて、あるべき貿易体制の姿も変わるので、数年に一度ずつ世界の参加各国が会議に集まり、時局に合うように国際貿易ルールを見直してきた。 1980年代後半には、アメリカを中心に情報通信産業の急激な発達し、金融などサービス産業が、工業など従来の産業を追い抜いて巨大になった。アジアでは韓国、台湾や、ASEAN諸国などが新興工業国として登場する一方、アメリカの製造業は再編成(リストラ)を余儀なくされていた。 またこの時期、ソ連の体制崩壊が始まり、冷戦後の国際経済の体制作りが必要になっていた。それまでの世界は冷戦という戦争状態にあったため、世界を二分する米ソが、自分の陣営の国々を、直接に指揮監督していた。だが冷戦が終わり、アメリカ側の一人勝ちとなると、アメリカが直接に世界中の国々とやり合うのは大変なので、国際機関に世界運営を任せることにした。 その対象となる機関がWTOやIMFだった。もちろん、運営を任せるといっても、アメリカの意に反する決定は困るので、アメリカ政府の通商代表部がWTOを牛耳り、財務省がIMFを支配する、という間接統治になった。 アメリカは、国連も自国の代理機関の一つにしたかったのだが、国連の中枢である安全保障理事会には、ロシアや中国といった、アメリカの言うことを聞かない国々が、拒否権を持ったライバルとして座っているので、使えなかった。アメリカは国連を相手にしないことにしたので、分担金も支払おうとしない。今春のユーゴ空爆では、国連を無視してNATOの看板を使って軍事攻撃を行い、停戦監視などの後始末だけ国連にさせた。 ▼「世界政府」に衣替えしたいWTO ウルグアイ・ラウンドは、世界情勢の変化を受け、8年もかけて協議が進められた。1994年に協議が終了し、GATTがWTOに変身したとき、新機関は、言うことを聞かない参加国を制裁できる権利を持つようになった。 また、自由貿易を守るために必要な分野が、大きく広げられた。環境、労働といった分野が、新たに自由貿易と関係あるとされた。「先進国の企業は、環境保護に配慮して工場を運営せねばならず、その分の費用を負担しているが、発展途上国の企業の中には、環境保護の費用をかけず、その分安い製品を作って輸出しているところが多く、不公平だ」という、先進国の主張に基づくのが、WTOと環境問題との接点だ。 環境問題は、もともと内政問題なので、外国の勢力が文句をつけても「内政干渉だ」と逆批判されてしまうが、世界の自由貿易体制の前提条件として組み込んでしまえば、先進国の言うことを聞かせることができる。 同様に「発展途上国の企業が、従業員を低賃金でこき使うことで、安い値段の製品が作れてしまうのはおかしい」というのが、WTOと労働を結ぶ理論だ。 この規制は、発展途上国の働く人々を守るという面でも、必要だと言われている。 だが実のところ、WTOと労働問題を組み合わせるという考え方は、発展途上国から安い製品が輸入されると、先進国の労働者が失業してしまうので、ヨーロッパの労働組合が政府に働きかけて出てきた構想である。発展途上国の労働者にとっては、職場環境が改善される前に、工場が閉鎖・縮小してしまうことの方が心配なのではないか。 環境保護も労働者の待遇改善も、それ自体は前向きな行動なのだが、その裏に先進国の人々の保身が見え隠れしている。こうした動きは、1980年代にアジア諸国の経済が急成長し、欧米の産業に脅威となり始めたことが、原因と思われる。(以前の記事「WTOで労働問題めぐり対立する欧州とアジア」参照) WTOの本来の機能が「通産省」であるとするなら、新しい機能は「労働省」「環境庁」にあたる。WTOはさらに、農業問題や金融問題、さらには遺伝子組み替え作物など食糧の安全性まで規定する構想を持っており、「農水省」「日銀」「厚生省」までを兼務しようとしている。 WTOは、参加各国のコンセンサスによってルールを決める団体なので、独裁的な「世界政府」だと考えるのはおかしい、という論説が欧米のメディアにも載っている。形の上からだけWTOを見ると、その見解が正しそうだが、歴史的な経緯や、WTOがニュースになる具体的な出来事について読んでいくと、それは詭弁のように思えてくる。 WTOは機能拡大によって、政府の専門家どうしが協議し、その結果も政府や貿易関係者にしか直接は関係なかった以前の状態から、一般の人々の生活に直接関係ある機能をつかさどるように変わり、市民運動の反発を食らうようになった。 こうした変化は、IMFについても同様で、アジア経済危機の被害を受けた国々では、IMFといえば悪者というイメージが定着している。 ▼奇妙な呉越同舟 とはいえ、ウルグアイラウンドでは、環境や労働と自由貿易を絡ませる新規定は、発展途上国の強い反対を受け、具体的な協議に入れなかった。欧米諸国は、今回のシアトル会議で、環境と労働の問題を議題の一つにして、この問題について協議する作業部会をWTO内部に作りたかったのだが、それも発展途上国に強く抵抗され、何も決められなかった。 一方、シアトルの会議場の外で行われていたデモ行進などの抗議行動を組織した主要メンバーは、アメリカの大手の労働組合連合である「AFL―CIO」であった。彼らの主張は「自由貿易が環境を破壊し、アメリカと世界の労働者の生活を悪化させる」ということだったが、この理論の中に先進国の人々の保身が透けて見えることは、すでに述べた。 格安製品の輸出を続けたい発展途上国の政府代表と、格安製品の輸入を止めたいアメリカの労働組合との意見が、奇しくも一致した点が「WTOに反対する」ということだった。 こうした奇妙な呉越同舟は、市民運動の中にもみられた。たとえばフランスからは、アメリカから遺伝子組み換え作物や成長ホルモンを使った牛肉が輸入されることに反対するグループがシアトルに来た。彼らはフランスを愛する反面、アメリカを嫌い、アメリカの象徴と考えられるマクドナルドを襲撃したヒーローになった人もいたのだが、彼らとアメリカの市民団体との接点もまた、「WTO許すまじ」という一点であった。
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