神々の崩壊(3):IMFは世界を救えるか

98年10月20日  田中 宇


 世界をスムーズに経済成長させるためには、完全に達成しようとすると矛盾が起きてしまう3つの条件を、どうやってクリアするか、ということが大切だとされてきた。3つの条件とは、(1)ある国から別の国へ資金を自由に移動できる資本移動の自由、(2)為替相場があまり変動しないこと、(3)各国政府が自国の事情に合わせて、金利や通貨供給量などの金融政策を決められること・・・の3つである。

 (1)のように国際的に資本が自由に移動できれば、資金は豊かだが、すでに経済発展しているため効率的な使い道を見つけにくい先進国から、資金さえあれば経済発展できる可能性が高い発展途上国に資金が流れていくことができる。

 (2)の為替レートが不安定だと、せっかく輸出用に製品を作っても、為替の変動で赤字になったりして、生産意欲が落ちてしまう。(3)は、金融政策を使って自国経済を順調にコントロールすることが、各国政府に不可欠な機能となっていることから由来している。

 だが、(1)から(3)までのうち、2つを同時に満たすことはできるが、3つとも満たすことは理論的に不可能だ。そして、3つとも満たそうして失敗したのが、昨年の東南アジア通貨危機の原因だったという。これは、ノーベル経済学賞をとったミルトン・フリードマン氏が、ウォールストリート・ジャーナルに投稿した論文「Markets to the Rescue」の中で述べていることだ。

 たとえば、日本や欧米では、(1)と(3)を実現しているため、(2)の実現が難しく、為替相場はしばしば大きく変動する。金融当局が為替市場に介入するのだが、完全に安定させることはできない。

 一方、ヨーロッパの通貨統合は、(3)を犠牲にして(1)と(2)を完全達成しようとするものだ。通貨統合に参加する国々は、国ごとの通貨や中央銀行を廃止して、代わりに統一された欧州中央銀行を機能させる。通貨を統合してしまうので、(2)で問題となっている為替相場自体がなくなってしまう。

 香港やアルゼンチンで実施されている「通貨評議会」(カレンシー・ボード)制度も、ドルと自国通貨を厳密にリンクさせることで、(3)を犠牲にして(1)(2)を達成している。

 東南アジア諸国が採用していた「通貨ペグ制度」は、通貨評議会制度とは、似て非なるものだ。(両方とも「ペグ制度」と呼ばれることが多いが) 通貨評議会制度は(3)を犠牲にしているが、東南アジア諸国は、金融政策を比較的自由に決めていた。いわば政治の力で自国通貨を米ドルとリンクさせ、(2)を維持していた。そこを投機筋に突かれ、東南アジア諸国のペグ制度は崩壊した。

 そして、その後マレーシアがとった通貨政策は、(1)を犠牲にして(2)と(3)を達成するものだった。外国通貨を売買できるのは、政府が指定した金融機関だけ、というこの方法は、中国やインドでも採用している。

●冷戦に参加していたIMF

 東南アジア諸国に通貨ペグ制度をとるよう指導したのは、IMFとアメリカであった。IMFは通貨危機が起きた後の対処方法も間違ってしまったため、今ではIMFのあり方を見直そうという動きが、アメリカを中心に進んでいる。とはいえ、IMFはもともと経済の面から見て、純粋に理の通った存在ではなかった。経済より政治情勢に基づいて動いていたからだ。

 IMFが作られたのは1945年のこと。第2次大戦後の世界の金融政策の根幹となる「ブレトンウッズ体制」の一環として、世界の国々が、アメリカの金本位制を中心とする為替の固定相場制を維持するための基金として設立された。

 だがこの体制は1971年、ベトナム戦争の戦費増大になやんだニクソン大統領が、ドルと金を一定の比率で交換するという、金本位制のベースとなっていた規則を停止したことで崩壊した。

 設立目的が失われたため、IMFはその時に廃止されるべきだったかもしれない。だが冷戦時代の当時としては、IMFが抱えていた巨額の基金は、政治的な使い道があった。金融政策が失敗した西側の国々に対して援助を行い、その国が不安定な状態に陥って社会主義陣営に近づいてしまうのを防ぐ、ということだった。

 1980年代には中南米の国々が、欧米や日本の銀行団から借りた金を返せなくなってしまう債務危機が起きた。このときIMFは、銀行側に債権取立てを延期させることで危機を乗り越えた。銀行は損失を被ったが、中南米諸国が混乱して東側から付け入られるのに比べたら、西側全体のとしての損失は少ないということで、IMFとアメリカは銀行団を従わせた。

●「カネは金持ちのためのもの」

 そんなIMFの役割が再び大きく変わったのが、1990年の冷戦終結だった。もう、西側陣営を守るという責務は必要なくなった。そのため、1994年に起きたメキシコ通貨危機では、IMFはメキシコ政府に金を貸した銀行の側に立ち、借金をすべて返済するための緊縮財政をメキシコに実行させた。

 その後現在に至るまで、メキシコの人々は生活補助金カットによる物価高や、賃金伸び悩みに苦しんでいるが、冷戦が崩壊して彼らの側に立って戦う「革命家」がいなくなったため、欧米や日本の債権者たちは、存分に借金を取り立てることができた。IMFとアメリカは、冷戦時代よりはるかに安上がりに世界を管理することができるようになった。

 アメリカ政府は、財政再建の甲斐あって、年に700億ドルもの黒字を出している。カネに余裕はあるはずなのに、アジアやロシア、中南米で困っている人々を助けるためのカネは出し惜しむ、というわけだ。「カネは金持ちのためのもの」というのが、冷戦後のアメリカの「哲学」だ。それは理屈としては正しいかもしれないが、世界の人々に好かれる存在にはなれない。

 メキシコでの成功に気を良くしたIMFとアメリカは、昨年の東南アジア通貨危機でも、同じ方法をとった。だがメキシコでは政府の負債が危機につながったのに対して、東南アジアでは民間債務が危機を招いたという違いがある。

 政府の負債は、緊縮財政によって政府の金庫にお金が戻ってくれば返せるが、民間債務の危機には、別の方法をとる必要があった。メキシコと同じではダメだったのである。

●米政府の介入で失敗したIMFのロシア救済策

 アジアからロシアへと経済危機が広がった後は、アメリカ政府がIMFの決定に介入したため、失敗が大きくなった。

 ロシアは、大企業を支配している大物実業家たちがエリツィン大統領の取り巻きとして政府を牛耳っているため、政府が大企業から税金を取りにくい、という問題を抱えていた。今年5月、ロシア市場が崩壊したとき、IMFは緊急融資をする前にロシア政府が徴税率を上げる方法を定めることが先決だ、と主張した。

 だが、アメリカ財務省がIMFに圧力をかけ、対ロシア融資を決めてしまった。アメリカ政府としては、核保有大国であるロシアが不安定になることを強く警戒したのである。

 融資を受けた後になって、エリツィン大統領は、自らの政治生命を守るため、IMFの意を受けて経済改革を進めようとしていた改革派の政府幹部たちを次々と切ってしまった。ロシア経済は出口の見えない混乱に陥っている。

 IMFは経済専門家の集団ではあるが、政治のプロではない、とされて、アメリカ政府からの政治的圧力を受けてしまう。政治に強い「武家」の大蔵省が、政治に疎い「公家」の日銀に圧力をかけて公定歩合を決めていた日本と似た構造である。

 昨年12月、韓国政府代表がIMFの融資を求めたとき、向かった先はIMF本部ではなく、アメリカ財務省であった。直接IMFに行くより効果があるということを、韓国政府は知っていたのである。

●次なる作戦「ブラジル緊急融資」

 ロシア対策が失敗したことで、いよいよIMF改革の呼び声が高まった。おりしも10月上旬には、年に一度のIMF総会が開かれ、欧米や日本の代表がIMFの改革案を持ち寄った。イギリスは、IMFから金を借りている国々に対して、自国の財政状況をもっと公開させる規則を作り、投資家が判断しやすい環境を作って、資金逃避を防ぐという案を出した。

 フランスやドイツは、欧州通貨統合のように、世界中が同一通貨を使うシステムへと移行していけば、為替の激動もなくなる、と主張した。この方法なら、経験者である欧州諸国が主導権を握れるというわけだ。

 フランスは特に、IMFに政治的な決定権を持たせるべきだと言ったが、これはIMFのカムドシュ専務理事がフランス人なので、自国出身者に権力を持たせたがっているにすぎない、と他国から批判された。

 日本は、アジアを危機から救うための300億ドルの特別基金を作る案を出した。日本は、昨年のIMF総会でも似た案を出したが、「アジア人どうしでやらせると、あいまいな解決方法になりかねない」と欧米から言われて強く反発され、引っ込めさせられた。それから1年、今では日本案に反対する声はほとんどなくなった。

 とはいえ、どの案も、これまでの政策の延長線上か、もしくは実施までの何年もの時間がかかる、根本的な改革案ばかりだった。たとえば、独仏が提唱する世界通貨統合など、欧州内で実施するだけでも、準備段階から20年以上かかっている。世界経済は、悠長に待っていられない状態にある。

 そんな中、アメリカ政府は独自に、次なる作戦を始めている。アメリカの「裏庭」と言われる中南米に通貨危機が波及しないようにするため、資本逃避が発生しているブラジルに対し、アメリカとIMFが中心となって300億ドルの資金投入を実施する作戦だった。

 これまでのIMFのやり方は、破綻した国に対して融資を行う、いわば「発病してから薬を飲ませる」ものだったが、ブラジルに対しては、資本逃避という「悪寒」がしている状態で、資金投入という予防薬を飲ませる、という方法をとることにした。

 アメリカがIMFを使った新作戦を、自国との関係が深いブラジルで試すのは、もう一つ意味があった。アメリカはIMFに対して180億ドルの追加出資を行うことになっているが、共和党が支配する米議会が反対し、出資できない状態が続いていた。アメリカが出すまではうちも出さない、という国が多くなった。

 米政府は、ロシア危機のときにも議会を説得したが、うまく行かなかった。だが、今回のブラジル危機は、アメリカ国内経済の利益にも直接影響する可能性が高いため、議会は条件付きでIMFへの出資を認めた。

●一つの時代の終焉

 1989年にベルリンの壁が崩壊してから9年。冷戦後の一つの時代が終わろうとしている。この時代は「世界自由経済」の時代とでも呼ぶべきものだろうが、正式な名前すらつかないうちに、欧米や日本から世界に広がった資金が、ものすごい速度で元の持ち主のところに戻っていくかたちで、幕が引かれつつある。

 世界の人々は、アメリカの政治家でさえ、日々起きている激変に対処するのが精一杯で、世界全体をこれからどう動かしていけばいいかを決められないでいる。激変はまだまだ続きそうだ。とりあえず、何が起きているかを把握するのが大切だろう。これからも、世界経済に対する分析を続けていきたい。





メインページへ