ディズニーランドは香港を救うか1999年11月18日 田中 宇私が初めて香港を訪れたのは、大学生のとき、1983年のことだった。そのころの中国は、外国人の個人の自由旅行を許すようになって間もないときで、私は香港から陸路で中国に入り、2カ月ほどかけて、北京や上海、シルクロードや四川省などを鉄道で一回りした。なるべく外国人だと分からないよう、市場で買った緑色の人民服を着ていた。 2カ月ぶりに再び香港に戻ってきた翌日、長旅で髪の毛が伸びていたので、床屋に行こうとした。宿の近くに床屋を見つけ、入り口で値段を訪ねると、店主は広東語で何か言いながら、私を追い払うようなしぐさをした。わけが分からないまま追い出され、別の店を探して入ると、そこでも「何しに来たの?」 という表情をされた。 私はそのとき、中国大陸でやっていたように、片言の中国語(北京語)で話していたのだが、もしかして私の中国語が通じていないのではと思い、英語に切り替えて「髪の毛を切りたい」と言ったところ、店員さんの表情が急に変わり、店の中に入れてくれた。 髪の毛を切ってもらいながら、その若い男性の店員さんと話してみると、彼は最初、私が大陸から密入国してきた人であると思ったのだという。なおも英語で問いかけると、「英語はよく分からないんです」と、恥ずかしそうに答え、笑った。彼は、北京語もほとんど話せないとのことだった。 私がこのときに感じたのは、当時の香港の人が、広東語を使って大陸の人に接するときと、英語を使って外国人と接するときの、落差の大きさだった。この落差は、当時の香港がイギリスの植民地だったのだから、当然なのかもしれないが、中国に面したときの顔と、欧米を中心とした世界に面したときの顔という、二つの表情があることが、香港の陰影であり、観光客を呼び集めるエキゾチズムではないかと感じた。 ▼香港のアイデンティティ模索の切り札 香港は長い間、中国と外の世界をつなぐ、出入口の役割を果たす町だった。 戦前は、イギリスなどの列強諸国が、中国を支配するための拠点だった。戦後、中国が閉ざされた社会主義になると、冷戦の当事者双方による情報収集の拠点となった。 賃金の安い中国大陸に、香港を経由して原材料を持ち込んで加工し、再び香港から再輸出するという独自の加工貿易も、香港を出入口として使うものだったし、香港の株式市場も、中国が世界から資金を集める手段として使ってきたという点で、出入口としての機能である。 だが、こうした出入口機能は、香港が中国に返還され、中国の一部となったことで、意味が薄れつつある。1997年7月、香港が返還されてすぐ、アジア金融危機が発生し、香港も経済難に襲われて失業が増え、観光客は激減した。 香港経済の不振は、香港の通貨の相場が米ドルにリンクしているため、米ドルに対して大きく値下がりした他の多くのアジア通貨に比べ、物価が高くなってしまったということも背景にある。だが最大の理由は、香港が特別な出入口ではなくなったことによるものだろう。 不振を乗り越えるため、香港の行政府は、新たなアイデンティティを模索してきた。そして、その一つの答えが、去る11月1日に出された。香港にディズニーランドを誘致する計画である。 ▼パリの苦戦を教訓にするディズニー この計画が異色なのは、香港の当局が、ディズニーランドの建設にかかる費用の9割近くを負担することだ。運営母体となる「香港国際テーマパーク」 (Hong Kong International Theme Park Ltd)という新会社は、香港政府が57%、 ウォルトディズニー社が43%の出資比率で作られることになっている。 純粋な民間企業が運営する東京ディズニーランドとは異なり、香港ディズニーランドは、香港当局による運営という色彩が強い。当局は、2005年に開園予定のディズニーランドを、新しい香港の象徴にして、中国各地や東南アジアから人々が集まる国際都市というアイデンティティを再び確立したいと目論んでいる。 一方、ディズニー社にとって香港進出は、中国大陸に自社製品を浸透させる足がかりという意味を持っている。中国では以前から、ミッキーマウスなどディズニーのキャラクターの人気は高い。だが2年ほど前、チベットのダライラマを主人公にしたディズニー映画「クンダン」が、中国政府の逆鱗に触れ、中国とディズニーの関係が悪化したこともあり、中国との関係改善のためにも、香港ディズニーランドは意味がある。 とはいえ、香港当局とディズニー社との交渉は、今年初めから1年近く終わらず、難航した。最初は今年6月末までを交渉期限としていたが、破談にしたくない香港側と、合弁事業の条件を悪化させたくないディズニー側との話がまとまらなかった。そのため交渉期限を10月末までに延期したものの、期限ぎりぎりの10月31日夜中になっても、交渉は妥結せず、翌日までずれこんで、ようやく決着した。 難航した理由の一つは、ディズニーが多額の資金を出したがらないことにあった。ディズニーがアメリカ本国以外の外国でディズニーランドをオープンするのは、東京、パリに続き、3カ所目なのだが、東京ディズニーランドが成功しているのに比べ、パリのディズニーランドは苦戦が続き、ディズニー社が追加出資して、何とか経営を支えた経緯があった。 フランスの人々はもともと、アメリカ文化への抵抗感が強く、ディズニーランドをすんなり受け入れる素地がなかったことが、一因だった。こうした教訓から、ディズニーは香港で多額の投資をすることに抵抗した。このところ、ディズニーの経営があまりうまくいっていないということもある。結局、香港当局が用地の提供や、交通手段となる鉄道の建設、アトラクションの建設資金の低利融資などを提供するところまで譲歩し、ようやく話がまとまった。 ▼東京ディズニーランドの成功を繰り返せるか 香港当局は、巨額の出資をしても、元は十分にとれる、と主張している。当局が出す金の総額は今のところ224億香港ドル(約3000億円)だが、開園後の40年間で、その7倍の1480億香港ドルの儲けがあるとの見通しを発表し、効率のよい投資であることを強調している。 当局の肩入れぶりの背景には、東京ディズニーランドの成功がある。テーマパークは業界全体としてみると、不景気などが原因で、世界中で不振なのだが、そんな中で東京ディズニーランドは、昨年の入場者数が過去最高を更新し、業界で世界一の来客数(年間約1700万人)を誇っている。 とはいえ、東京ディズニーランドの来訪者の95%以上が、国内からの客であるのに対して、香港は人口が約700万人しかいないため、ディズニーランドにくる客の大半は外国からの人々になるとみられ、中でも中国大陸からの来訪者が、全体の7割以上を占めると予測されている。 ここで問題となるのが、中国政府が香港への1日の入域人数を制限しているということである。現在は1日の入域者数の上限が1500人なのだが、香港当局のディズニーランドの収益予測は、この枠が4000人程度まで増え、2024年までには1万人を超えることが前提となっている。 中国から香港への訪問客の一部は、そのまま香港に不法滞在し、仕事を探すだろうと予測され、入域枠の増加は、失業者の増加につながりかねない。ディズニーランドは、2万―3万人の雇用拡大になると予測されているが、それを超える失業増になるかもしれない。 ▼中国大陸のテーマパークはすでに失敗続出 実は、テーマパークはすでに、中国各地にある。中国では、過去5年間に2000カ所前後のテーマパークがオープンしたが、その8割は、企画の練りが不十分で、人気を呼べるアトラクションがないために客の入りが悪く、赤字となっている。 たとえば上海の郊外には「アメリカンドリーム」(美国夢幻楽園)というテーマパークがあり、1日3万人の入場者を見込んで作られたが、無料券などを配ってなお、入場者はそれよりはるかに少ない水準にとどまっている。ディズニーランドは、中国自家製のテーマパークと違う「本物の魅力」を持っているから大丈夫、と言い切れるかどうか。 テーマパークの不振は中国だけでなく、日本でも指摘されている。韓国では、以前からあった「ロッテワールド」に加え、三星財閥が作った「エバーランド」という巨大パークもオープンしている。シンガポールや台湾でも、新しいテーマパークができており、国際競争は厳しくなっている。 日本では、地方自治体が手がけて失敗したテーマパークについて、事業予測の甘さが批判されているが、そもそも役人がエンターテイメントを企画するところに、無理があったともいえる。同じことは香港にも当てはまる可能性がある。 香港はこれまで、政府が民間の経済活動に関与せず、自由市場主義の政策が特色だった。中国に返還されてから、香港政府は経済への関与を強めており、ディズニーランドの直営も、その流れの中にある。政府は「ディズニーランドはインフラ(都市基盤)整備の一環であり、政府が空港や鉄道を作るのと同種の事業だ」と主張している。 だが香港では、テーマパークはインフラとはいえず、政府が手がけるべき事業ではないとの批判もあり、議論が続いている。香港のアイデンティティ模索は、まだ終わりそうにない。
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