返還から100日、香港の意外な安定97年10月14日 田中 宇 | |
7月1日、イギリスから中国に返還された香港は、10月8日に返還後100日目を迎えた。返還前、香港については、「返還後、短期間のうちに中国政府が言論の自由を奪い、抑圧された人々の怒りが爆発して、天安門事件型の混乱が起きる」とか「中国による経済統制が強まり、欧米型のビジネスルールもないがしろにされて、アジアの経済センターとしての地位が失われる」とかいう予測が飛び交っていた。 だが実際は、こうした出来事は全くおこらず、金融市場も安定している。なぜだろうか。 一つの理由は、中国政府が香港に対する統制色を強めないよう、非常に気を使っているからだ。たとえば、人民解放軍。返還とともに、それまでイギリス軍の司令部があった海沿いの基地を香港の拠点としたが、そこには今もかつてこの基地の名前だった"Prince of Wales"(イギリス皇太子)という文字が大きく書かれたままになっている。人々を刺激せぬよう、看板も外さずにいるのである。 10月1日、中国の建国記念日(国慶節)には、人民解放軍はこれらの施設を一般市民に開放し、内部では学園祭よろしく、さまざまな出し物を用意して市民サービスに努めた。イメージアップに余念がない。 9月下旬に香港で開かれたIMF(国際通貨基金)の年次総会に参加した中国の経済担当最高責任者である朱鎔基副首相は、香港に対する経済政策について尋ねられた際、香港の人々が決めることだと答えるなど、経済面でも、中国政府はつとめて香港の自由主義経済に介入するつもりはないことを強調している。中国にとって香港の経済的な繁栄は「金の卵」であり、それを損ねないようにしているのである。 ●中国批判を自粛した香港のマスコミ 香港ではまた、返還前に予測されていた、報道機関への目立った弾圧もない。これは、中国政府がマスコミの報道を大目に見ているからではなく、マスコミ側が自粛してしまっているからだ。香港のマスコミ関係者の間では、社内の自主検閲に対抗していこう、という呼びかけがなされているが、あまり効果をあげていない。香港大学が9月に実施した、香港市民を対象にしたアンケートでは、市民の約70%が「香港のメディアは中国批判を書かなくなった」と感じている。 香港では、返還後の憲法ともいえる香港特別行政区基本法で、中国からの分離独立や反逆を扇動するような記事や、国家機密の漏洩にあたる報道を禁止することができる、とうたっている。日本や欧米では「特ダネ」として賞賛される記事でも、香港では国家機密の漏洩にあたることもありうる。また、チベットや新疆ウイグル自治区、台湾など、中国政府に反逆している人々について、あまり好意的な報道をすると、反乱を扇動したとされることもありうるのである。 インターネット上で読むことができる香港発のメディアのうち、以前は星島日報(中国語big5フォントの導入が必要。中国語表示のさせかたは、こちらやこちらに書いてあります)や、蘋果日報(「蘋果」はリンゴという意味。同じく中国語big5フォント)などのサイトが比較的、中国情勢について反体制的なものを含む報道をしてきた。このうち星島日報は、いまだに新疆やチベットなどの動向をこまめに報道している。だが蘋果日報は、中国大陸での出来事に関して、オカルトものなどは活発に報道しているものの、政治に関する深い記事は減ってしまった。 香港のメディアでは、蘋果日報が中国政府から目の敵にされ、中国政府関係者の記者会見に入れてもらえない状況になっている。設立者のジミー・ライ氏が以前、李鵬首相ら中国首脳部を批判する公開書簡を出すなど、公然と反中国の姿勢を表明したことが、いまだに尾を引いているためだ。 蘋果日報はその一方で昨年、値引き攻勢をかけ、新聞業界に値引き競争を引き起こした。そのため、表向きは業界を挙げて「言論の自由を守れ」が合い言葉でも、実際は蘋果日報はずしを黙認している人も多い。中国政府が強い言論統制をしないことが、かえって新聞社に自主規制させることにつながっている。 ●民主選挙は2007年までおあずけ 返還100日目の10月8日、香港行政長官の董建華氏は、議会で2時間にわたる施政演説を行い、今後の行政方針などについて説明した。董長官が議会で本格的な演説をしたのはこれが初めてである。演説は広東語で行われたため、香港初の中国人行政長官の、初の広東語による施政演説ということで、香港では大きくとり上げられた。 長い演説の中で、董長官が政治分野について語ったのはわずか2分間。残りの時間は経済政策と、社会福祉などの行政分野に対するものだった。董長官はしかも、来年5月に議会選挙を実施すると述べたものの、香港で完全な民主主義選挙が実施されるのは10年後の2007年になる、との予定を発表した。 来年の選挙では60議席の議会のうち、直接選挙で選ばれるのは20議席だけで、残りは財界人らが中心になって作る組織による間接選挙となる。その後、完全な民主選挙を実施するためには、いろいろな手続きを進めるため、10年という長い時間がかかるという。こうしたスタンスに反発し、民主党派の議員は演説に立ち会うの嫌い、議場の外で抗議行動を行っていた。 だが、イギリス植民地時代のうち、イギリスが中国に対抗するためにあわてて制度を改定した最後の数年を除けば、植民地時代にも、香港市民には選挙権などなかった。それを考えると、董長官の演説にはむしろ、イギリス時代にはなかった、一般市民にとってはプラスといえる内容を含んでいた。住宅建設の促進、社会福祉制度の充実、教育への投資の増加などである。 こうした施策の裏には、香港の人々の不満を増やしたくないと考えている中国政府の姿勢があるようにみえる。香港市民の多くは、中国政府のやり方いかんでは、いつでもカナダやオーストラリアに移住してしまおうと考えている人々が多い。海外に出ても仕事が見つかりやすい高学歴の市民ほど、その傾向が強い。経済を支えるのは人材であり、香港を住みやすい街にする努力をせねば、中国はそれを失うことになりかねないのである。 ●シンガポール型都市を目指す香港 また経済政策として董長官は、香港特別行政区が資金を投入して、ハイテク工業団地を造成することを柱の一つにあげた。香港ではこれまで、経済政策に関しては自由放任主義であった。それが行政自らが産業の誘致に乗り出したということは、大きな変化である。 ハイテク産業の誘致はシンガポールが熱心に進めてきたやり方で、香港の経済専門家の中には、中国の一部になった香港は今後、シンガポール型の経済政策を目指すのではないかと考える人が多い。 香港のシンガポール化は、別の意味ですでに始まっているといえる。それは、外国人からみた香港の特長であった「いかがわしさ」「雑然とした喧騒」といったイメージが、中国への返還とともに失われているということだ。実際の香港が変わったのではなく、日本や欧米にいる人々の香港に対するイメージが変わったのである。 香港当局は、中国への返還から100日間を、観光振興キャンペーン期間としていたが、これは大失敗に終わった。今年8月に香港を訪れた観光客は82万人で、前年同月比24%の減少。中でも落ち込みがひどいのが日本人で、前年比52%減の9万8千人だった。地価高騰が進む香港ではホテル代も高いため、それも敬遠材料となっている。
関連サイト
●世紀末香港
●ネットと「自主規制」
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