聖戦の泥沼に沈みゆくパキスタン

1999年10月14日   田中 宇

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 戦争と平和、どちらがよいかと聞かれれば、答えは平和しかないだろう。だが、パキスタンで起きたクーデターの背景にあるものを掘り起こしてみると、必ずしもそう言えないのではないか、と思ってしまった。今回のクーデターでシャリフ首相が追い落とされたのは、インドとの地域紛争で譲歩し、和平を導いたことが一因だからである。

 パキスタンでは10月12日夕方、シャリフ首相が、軍の最高指導者であるムシャラフ参謀総長の解任を発表した。ムシャラフ氏はこの日、スリランカに出張していたが、突然の解任を聞いて、すぐにパキスタンに帰り、軍を動かしてクーデターを起こした。ムシャラフ氏の解任発表から10時間後の13日未明には、逆にシャリフ首相以下の全閣僚が、軍によって解任されてしまった。

 パキスタンでは、1947年の独立以来の52年間のうち約半分の時代は、軍事政権が統治していた。当時のなごりで、パキスタンの憲法では、政権が腐敗した場合などには、大統領が首相を解任できることになっており、この条項は、政争の道具として使われてきた。(首相も大統領も、国民による直接選挙ではなく、議会が選ぶ間接選挙制)

 今回のクーデターでは、大統領の役割は薄いが、大統領が首相を解任できるという条項は、たとえ選挙で選ばれた首相であっても、腐敗すれば、不信任決議などの民主的な手続きを経なくても、解任させられるという考え方につながり、クーデターを正当化する素地となっている。

 シャリフ氏は1997年2月の選挙で、ベール姿で有名なライバルの女性政治家、ベナジール・ブット前首相を打ち負かし、政権をとったが、このところ政権の「私物化」が目立っていた。たとえば、大蔵省や外務省に政策を任せず、首相の側近の顧問たちに決定権を持たせる傾向が強くなっていた。

 その意味では、腐敗したからクーデターで失脚、という筋書きであることは確かなのだが、背景はそれだけではない。今回の場合、インドとのカシミール紛争で、シャリフ首相が今年7月、紛争地における自国の軍事勢力を後退させ、インドに対して譲歩した、ということが、国内各層の反感をかい、首相退陣を求める世論につながった。

▼アメリカの同盟者はイスラムの敵

 交戦状態の紛争地域を抱えていない戦後の日本人にとって、実感するのは難しいのだろうが、パキスタンのように隣国との長い地域紛争を抱えている国では、敵国に対するわずかな譲歩が、国民の大きな反感をかう。

 しかもイスラム教徒であるパキスタン人にとって、カシミール紛争は、異教徒であるヒンズー教徒からの領土浸食を防ぐための戦いであり、宗教的に重要だ。シャリフ首相は「イスラムの敵」というレッテルを貼られ、力を増しつつあるイスラム聖職者たちからも、攻撃されていた。

 カシミールは、人口の過半数がイスラム教徒だが、植民地時代の地域支配者だった藩王がヒンズー教徒だった。そのため、1947年にインドとパキスタンがイギリスから独立した際、どちらの領土になるか確定できず、紛争になった。インドは、藩王の希望に基づいてインド領だと主張、一方パキスタンは、どちらの領土になるか住民投票で決めるべきだと主張し、交戦状態となった。

 今年4月、パキスタンの武装勢力(正規軍ではないが、軍とつながりの深いゲリラ組織)が、カシミールのカルギルという地区で、停戦ラインを超えてインド側に攻め込んだ。そこは周辺地域を見下ろす要衝の地を含んでいたため、インド軍は猛反撃に出て、両国の対立が激しくなった。昨年5月に、両国が相次いで核実験を行った後だっただけに、カシミールでの衝突が核戦争へと発展しかねないと懸念したアメリカが、仲介に入った。

 当時パキスタンは、昨年から続く国際金融危機の影響で、海外からの投資が減り、経済状況が悪化していた。巨額の金を借りたままになっていたIMFからは、増税して借金の返済にあてるよう求められたが、増税は首相の支持母体である都会の中産階級の失望感を募らせてしまった。

 困っているシャリフ首相に対して、クリントン政権は、経済支援をする見返りに、パキスタンが係争地できるカルギルから撤退するよう、持ちかけた。7月上旬、シャリフ首相はワシントンを訪問し、クリントン大統領と会談後、カルギルから撤退するとの声明を出した。

 ワシントンでの声明発表の時は、シャリフとクリントンが並んで立ち、クリントンにとっては、自分の外交手腕が優れていることを、内外に誇示する好機となった。

▼「アフガン化」するパキスタン

 だが、2人が並んで紛争地からの撤退を表明する姿は、パキスタン国内の人々には、別の意味を持つものだった。シャリフはアメリカの手先となり、パキスタン人が血を流して守っていたカシミールの土地を、みすみす手放してしまった、と映った。

 パキスタンは、冷戦時代を通じて、アメリカの同盟国だった。パキスタンの周辺には、社会主義のソ連と中国、独自路線をゆくインドがあり、それらを牽制したいアメリカにとって、パキスタンの存在は重要だった。パキスタン軍の幹部たちは皆、旧宗主国のイギリスか、もしくはアメリカで訓練を受け、英米に対して親近感を持つ人々だった。

 アメリカにとっては、パキスタンが社会主義化しないことが重要だった。1979年にイランでイスラム革命が起きてからは、イスラム化を防ぐことも重要になった。このためアメリカは1960-80年代のパキスタンが、人権軽視の軍事政権であっても、それはむしろ国家の安定という点で、望ましいことだと考えていた。1979年、ソ連が隣国アフガニスタンを侵攻した後、アフガンの反ソ連ゲリラ連合「ムジャヘディン」は、アメリカの支援を受け、パキスタンで訓練されていた。

 だがこうした状況は、1990年代に入ってソ連が崩壊し、ソ連撤退後のアフガニスタンの内戦を収拾するため、パキスタンがイスラム主義勢力のタリバンを秘密裏に支援するようになって、少しずつ変質していった。(アフガニスタンでは、1989年にソ連軍が撤退した後、ソ連軍と戦っていたゲリラ組織連合が内部分裂し、ゲリラ同士での戦いが続いていた)

 パキスタンがタリバンを支援したのは、アフガニスタンを自国の影響下に置こうという意図であり、アメリカの意志の反映でもあったのだろうが、タリバンは厳格なイスラム教集団であったため、そのイスラム重視の考え方が、パキスタンの軍や政治組織の中に逆輸入されるようになった。

(タリバンについては、以前の記事「終わらないアフガン内戦」を参照)

 私が何回か中東に行ったり、日本でイスラム教徒の人々と会ったりした時に感銘を受けたのは、イスラム教徒のまじめさや、清らかな精神にあこがれる気持ちだ。しかもイスラム教典には、行政のやり方も書いてあるため、イスラム教を使って国家の運営ができるようになっている。(この点が、政教分離を基本とするキリスト教や仏教とは違う)

 このため、まじめなイスラム教徒は、人々にイスラム教をきちんと信仰させることが、世の中を良くすることにつながる、と考えがちになる。そして、あらゆるふまじめなもの、堕落したものは、欧米など異教徒の文明がもたらしたものだと考えるようになり、反米意識が強くなる。

 こうした考え方は、1979年のイスラム革命後、中東全域に広がり、「イスラム原理主義」「イスラム復興運動」などと呼ばれるようになった。この流れが、タリバンを通じてパキスタンにも浸透していった。

 さらに1985年、パキスタンが核兵器を作っている可能性が強まり、アメリカがパキスタンに対する軍事支援を止めたことが、パキスタン軍の「イスラム化」に拍車をかけるとになった。アメリカは、パキスタン軍の幹部たちを自国に招いて訓練することをやめ、パキスタンの将校はアメリカで学ぶことを禁じられた。

 その結果、アメリカに親近感を持つ将校が軍内で減り、その分、反米意識の強いイスラム主義の将校が増えた。今回のクーデターで政権を握ったムシャラフ参謀総長も、対米関係冷却後の1987年に、大統領だったハク将軍に取り立てられて以来の出世だったため、アメリカで学んだ経験がなく、イスラム主義組織とのつながりが深い。

 このように、かつて親米だったパキスタン軍は、ここ10年ほどの間に、反米・親イスラムの傾向を強めており、親米派のシャリフ首相が追い落とす存在にまで、軍は変質した。結局のところ、冷戦の終わりが、アメリカとパキスタンの縁の切れ目でもあった。

(続く)

「過激化するイスラム:パキスタンに広がる殺し合い」(98年11月28日 田中宇)も、参考になると思います。


関係記事(英語)

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