過激化するイスラム:パキスタンに広がる殺し合い

1998年11月28日   田中 宇

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 1998年5月6日の夕方、パキスタン東部、西パンジャブ州のサヒワルという町で、一人の男性がピストル自殺をした。死んだのはジョン・ジョセフ(John Joseph)というキリスト教の司教。場所は、町にある裁判所の入り口だった。

 司教の自殺は、その裁判所で10日ほど前に判決が出た裁判と、関係があった。アユーブ・マシー(Ayyub Masih)という、キリスト教徒の25歳の青年に対して、死刑判決が下されていた。その罪状は、イスラム教に対する侮辱であった。

 パキスタンの刑法295条には「直接的、間接的を問わず、マホメットの名を汚す言動を行った者は、死刑または終身刑に処せられる」といった、冒とく罪の内容が、盛り込まれている。

 マシー青年はサヒワルの町から近い、ある村に住んでいた。村人のほとんどはイスラム教徒で、キリスト教徒は15家族だけであった。事件は、1996年10月14日に起きた。起訴状によると、マシー青年はこの日、村のイスラム教徒の青年に対して、マホメットは間違っている、と話し、いっしょにカラチまで出かけて、サルマン・ラシディの本を読んでみよう、と持ちかけたという。

 サルマン・ラシディは「悪魔の詩」という本を書いた作家で、その本はイスラム教とマホメットを侮辱しているとして、イランなどのイスラム聖職者を激怒させ、ラシディ氏は命を狙われつづけている。

 誘いを受けたというイスラム教徒の青年は怒り出し、すぐに警察に届け、マシー青年は逮捕された。だが逮捕後、マシー青年は一貫して容疑を否認し、事件そのものがでっち上げだと主張した。

 マシー青年の親から相談を受けたジョセフ司教は以前から、刑法の冒とく罪がキリスト教徒などパキスタンのマイノリティを抑圧しているとして、撤廃を求める運動を続けてきた。

 青年が逮捕された直後、イスラム教徒の村人たちは、青年の家を襲撃して焼き討ちし、続いて他のキリスト教徒の家にも火をつけた。結局、キリスト教徒の15家族全員が、村を追われる結果となった。

 こうした事情から、ジョセフ司教は「青年への冒とく罪適用はでっち上げであり、本当の目的はキリスト教徒の15家族を村から追い出し、彼らの土地を奪うことだった」と主張したが、効果はなかった。

 司教は、自殺することによって、欧米のキリスト教世界の人々の注目を集め、パキスタンのキリスト教徒が置かれている立場を知ってもらおうとした。欧米がパキスタン政府に圧力をかければ、事態が変わるかもしれないからであった。

これまでは欧米に気兼ねして死刑執行を控えてきたが・・・

 冒とく罪によるキリスト教徒に対する死刑判決は、これまでも何件か出ている。だが、地方裁判所で死刑判決が出ても、その後、高等裁判所では、棄却されるのが常だった。

 冒とく罪は1986年に、軍事独裁体制を敷いていたジアウル・ハク大統領によって、刑法に書き加えられた。イスラム法の強化、という形をとっているが、本当の目的は、大統領の権限を強めるための戦略だった、とされている。

 刑法に冒とく罪を書き加えるのと前後して、ハク政権と親しい地方政治家たちの息がかかった人物を、裁判官として任命していった。キリスト教徒だけでなく、政権に反対する人々にも、冒とく罪その他の罪をかぶせて厳罰を加える、という方法で、政権維持を図った。

 だが、冒とく罪で本当に次々と死刑を執行してしまうと、欧米の人権団体などからの批判が強まり、経済援助などを受けられなくなるので、地方裁判所で脅した後、高等裁判所の棄却判決で、欧米への顔を立てる、というからくりになっていた。そのため、パキスタンではこれまで、冒とく罪での死刑執行は、まだ1件もない。

 ジョセフ司教の自殺は、こうしたイスラム法と政権維持とのバランスが崩れ始めていることの象徴にも見える。11月中旬には、パキスタン北部で、9人のキリスト教徒がのどを切られて殺されているのが発見されたりしている。

 パキスタンでは、世界的な新興市場の崩壊の波及や、5月に実施した核実験で招いた経済制裁の影響により、このところ経済状態が悪化している。経済の悪化は貧しい人々を直撃し、役人や警察官など、給料は安いが権力はある、という人々を、汚職に走らせている。

 また、隣のアフガニスタンでは、イスラム原理主義組織の「タリバン」が政権を取った余波で、パキスタンでも厳格なイスラム政治を求める声が強くなっている。パキスタンは1995年ごろからタリバンを支援してきたが、一方でパキスタン自体は、形だけは以前からイスラム政治を掲げてきたものの、実際の体制は厳格ではなかった。ところが、タリバンがアフガニスタンで他のゲリラ組織を倒して政権を取ると、パキスタンにも「タリバン化」の波が逆流してきた。ミイラ取りがミイラになりつつあるというわけだ。

 しかも、仇敵である隣国インドが、今春以降、ヒンズー民族主義の傾向を強め、インド国内に住んでいるイスラム教徒が攻撃を受けていることも、パキスタンの人々のイスラム信仰を、先鋭化させることにつながっている。

 さらに今年8月、アメリカがアフガニスタンの3ヶ所の「テロリスト訓練所」をミサイル攻撃したが、このうち2ヶ所は、実はパキスタンの諜報機関(ISI)などが資金を出し、インドと軍事対立しているカシミール地方で戦うイスラム教徒ゲリラを訓練する施設だった。

 米軍の攻撃は、パキスタンの人々の反米・親イスラム感情を煽ることになり、アメリカが「テロリストの親玉」として敵視しているオサマ・ビンラーデン氏を、ヒーロー扱いする傾向すら出ている。

イスラム本来の清貧さからほど遠い凄惨な対立

 パキスタンでのイスラム教の強まりは、イスラム教が本来持っている清貧さからは、かなりかけ離れた事態を引き起こしている。先に紹介した「冒とく罪事件」が、実は土地の略奪である疑いがある、ということがその一つだ。

 また、カラチやイスラマバードといった大都市では、警察や裁判所などの治安維持力が低下する一方で、伝統的な村落の治安維持機構である、イスラム聖職者らによる「長老会」(Jirga)が進出してきている。

 パキスタンの大都市は、農村からの出稼ぎ者たちの定住によって、人口が急増しつづけてきた。人々は、同じ村の出身者同士で固まって生活しているので、大都市に住んでいても、人間関係は村にいたときと変わらない。農村社会が、そのまま大都市に持ち込まれているのである。特に、パキスタン北部から大都市に移住したアフガン系の人々に、それが目立つ。

 そのため、人々が犯罪を起こしたり、被害に遭ったりしたときは、裁判所の判決より、長老会の決定によって裁かれる傾向が強くなっている。その一つが、若い男女の駆け落ちについてだ。

 農村では、女性の結婚相手は、本人の意思ではなく、親の意志によって決められる。親が許さない相手と一緒になりたかったら、駆け落ちするしかない。だがそれは、一族の秩序に対する重大な反抗であり、村落社会では、男女とも死罪に値する行為となる。

 パキスタンを支配する人々にとっては、近代的な国家として欧米中心の「国際社会」から認めてもらうには、国民が結婚相手を自分の意思で選ぶ権利を認めねばならず、公的な裁判所では、駆け落ちに対して有罪判決を出すことができない。

 そこで、村落社会の人々は、裁判所を無視して、長老会が「判決」を下し、村人自身が「刑」を執行することになる。

 たとえば、昨年暮には、パキスタン第2の都市ハイデラバードの役所の建物の中で、駆け落ちした男女が結婚申請を認められた直後、武器を持って追ってきた女性側の親族たちに殺され、通りがかりの数百人が見守る中で切り刻まれてしまう、という惨事が発生した。

 殺人者たちは、男性だけでなく、自分たちの親戚である女性の方も殺し、長老会の「判決」に従って、切り刻んでしまった。警察官がやってきたものの、傍観するだけだったという。

 同じような事件は、今年2月にカラチでも起きている。またカラチの近くの農村では、女性側の親戚ら300人が、マシンガンやロケット砲を持って、駆け落ちした二人が隠れ住んでいた村を襲う、という事件も起きている。それらの武器は、20年近く内戦が続いた隣国アフガニスタンから流れてきたものだった。

アフガニスタン流の攻撃が増えている

 パキスタンが掲げてきた欧米風の国家システムが崩壊し、イスラム教に基づく村落社会の権威が復活してきたことはまた、村落間での対立、殺し合いを増やすことにもつながっている。

 特に、アフガニスタンの影響が強い北部の地方では、ライバルの反イスラム的な行為を暴露し、勧善懲悪的な大義名分を掲げながら、マシンガンやロケット砲でライバルを殺す、という「タリバン方式」の戦いが広がっている。中でも、イスラム教内の2大宗派であるスンニ派(パキスタン人の大部分を占める)と、マイノリティのシーア派との対立が激しい。

 9月中旬には、イスラマバード近郊で、シーア派勢力がスンニ派の聖職者を殺し、数日後にはその報復としてスンニ派がシーア派のモスクを焼き討ちした。

 今年3月には、北部の町ペシャワールの近くに住む、シーア派のイラン系の人々が、ペルシャ(イラン)暦の正月を祝う祭りの行列をしていたところ、スンニ派の村人たちが「祭りの騒ぎはイスラム教に反するからすぐに止めろ」と警告し、受け入れられないと分かるや、祭りの行列に向かって発砲し、15人が殺された。

 事件が起きた背景には、地元選出のスンニ派の国会議員が、大音響が出せるモスクのマイクを使い、村人たちに「反イスラムのシーア派に鉄槌を」などと煽ったという事情があった。この衝突は、見かけは宗教的な色彩を帯びているが、実は政治的、利権的な争いである可能性が強い。

 また10月以降、カラチのような大都市でも、武装派閥どうしの殺し合いがひどくなっている。

時流に乗って権力拡大をはかる首相

 こうした流れの中で、国民のイスラム化傾向に応えざるを得なくなったパキスタン政府は、8月末に、法律や行政システムをイスラム化する、と宣言した。従来から存在する憲法よりも、コーランなどイスラム教典を重視する政治を行い、イスラム法の厳格な施行により、増えつつある汚職を一掃する、と発表した。

 だが、これに対しては、国民や野党、さらにはイスラム聖職者の間でさえ、反発する声が出ている。というのは、パキスタンの法体系は、すでにイスラム教に基づくものになっており、いまさら「イスラム化」など必要ないとも思われるからだ。

 むしろ、政治家の都合で、法律に沿った行政運営がなされていない不正をただすべきだ、という意見が多い。イスラム聖職者の間からは「イスラム政治を目指すなら、まずシャリフ首相自身が、あごひげを蓄えよ」というメッセージが発せられている。

 イスラム教では、敬虔な男性信者は、あごひげを蓄えねばならないとされている。「あごひげを蓄えよ」という要求はまた、シャリフ首相自らが不正を改めるところから始めよ、という皮肉を込めたものでもあるようだ。(シャリフ氏には、2500万ドルの脱税疑惑がある)

 シャリフ首相が提案したイスラム化計画では、コーランに書かれていることを現代社会の出来事に当てはめて、どの政策が正しく、どれが間違っているかを判断する最終権限は、首相自身にある。つまり、「イスラム」の名の元に、首相が自らに都合のよい決定を下す可能性がある。こうした理由から、反対意見が多いのである。

 一方、キリスト教徒や女性団体、欧米流の考え方を持った中産階級の中には「イスラム化」に警戒感を抱く人も多い。パキスタンの法律では、法廷での女性の証言の効力は、男性の半分しか認められていない(男性1人の目撃証言が、女性2人の目撃証言と同じ)など、男尊女卑の色彩が強い。

 最近ではすでに、大都市でも、ベールをかぶらずに町を歩く女性が、イスラム急進派の男たちから罵声を浴びせ掛けられる、といった事態も起きている。

 パキスタンの若者の多くは、コーランの学習より、ロックを聞いたり、アメリカ映画を見たり、サッカーをしたりする方が好きなのだが、これらはいずれも、アフガニスタンではイスラム教に反するとして厳禁されている。そうした動きが、パキスタンにも広がる可能性がある。


参考にした英文記事

Pakistan Edging Toward Islamic Rule

 パキスタン政府がイスラム法の強化を打ち出した、という、クリスチャンサイエンス・モニターの記事。

How Islamic Extremism Can Dissolve Old Borders

 同じく、アフガニスタンのイスラム原理思想がパキスタンに押し寄せている、という記事。



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