沿ドニエストルへの道
2024年5月16日
田中 宇
東欧のモルドバとウクライナの間にある沿ドニエストル共和国の首都ティラスポリにきている。取材でなく旅行だ。
ウクライナ国境まで10キロほどの場所だが、人々はのんびりと生活している。ドニエストル河畔の遊歩道では、人々が犬の散歩やジョギングをしている。気候は朝晩10度、昼間20度ぐらいですがすがしく、新緑があふれ、とても美しい。レストランも夕方になるとそこそこの客の入りだ。人口13万人なので、人混みでぎゅうぎゅうということはない。街の雰囲気は、ロシアの田舎町みたいな感じだ。
ティラスポリは、8キロ離れたドニエストル西岸の隣町ベンデル(9万人)と双子都市になっていて、間をトロリーバスがつないでいる。ベンデルの西の街外れに沿ドニエストル共和国が設けた国境検問所があり、キシナウのバスターミナルから小型バス(マルシュルートカ、2時間500円)で来た乗客は、全員いったん降りて窓口に身分証を出していた。
(国境検問所のグーグルマップの場所)
モルドバは、沿ドニエストルを国家として認めていないので、モルドバ側の検問はない。沿ドニ側では、外国人も旅券にスタンプは押されず、代わりに滞在可能時間などがロシア語と英語で書かれた入国カードをくれる。ティラスポリに1泊すると言ったら48時間、2泊分の滞在許可をくれた。
モルドバとの対立が激化した時期は、モルドバ側が沿ドニエストルを経済制裁するため検問所での積み荷の検査を厳しくして物流を阻止したらしいが、私が乗ったバスは荷物検査がなかった。バスの乗客もみんな手荷物のみの軽装で、キシナウに買い出しに行った感じでなかった。
沿ドニエストルは独自通貨(ルーブル、PRB)を発行している。モルドバの通貨レウ(MDL)よりも少し高い為替になっていた(1MDL=0.9PRB=8.7円)。ティラスポリではルーブル払いのみで、街なかの両替屋で換金が必要だった(レウを受け取る店もあるとの記述を見たが、私は出会わなかった)。
銀行のATMがあったので手持ちのデビットカード(Wiseと住友オリーブ)を入れてみたが、いずれも「相手方の銀行と通信できませんでした」との返答で、出金できなかった。ロシアの銀行ATMと同じ状況だ(というより、未承認国家の銀行だからかも)。
モルドバやルーマニアでは、手持ちのカードで出金できたし、店でもデビットカードとして支払えた。
ティラスポリでは、店も現金のみ。私のカードは使えないが、地元の人はカード払いが多い。地元の銀行のデビットカードなのだろう。めずらしく英語を話せる店員は、6年前にモルドバ側から金融決済を遮断されたのだと言っていた。
携帯電話の電波は、ティラスポリ市街地で、モルドバの携帯会社オレンジやモルドセルの2Gや3Gの電波がかろうじて入るが、ほとんど通信できない。これらの電波は、10キロほど離れたモルドバ領内から飛んできている。地元の人は、沿ドニエストルの携帯会社IDCを使っている。IDCの契約が簡単かどうかは、試していない。
外来者が携帯電波で困っていることを地元の人々は知っており、食堂やホテルに入るとすぐ、尋ねていないのにWifiのパスワードを教えてくれた。公共Wifiも、公園などに存在していた。
グーグルマップとMAPS.MEで、オフライン地図をダウンロードしておけば、街の徘徊には困らない。
ホテルはbooking.comやアゴダで予約できる。沿ドニエストルの旅行は難しくない。
言葉は通じなくても、人々は親切。言葉ができれば多分もっと親切。それは、沿ドニエストルでもモルドバでもルーマニアもロシアでも同じ。
沿ドニエストルでは、英語がほとんど通じない。キシナウの方が通じる。ルーマニアでは、ブカレスト、ティミショアラ、コンスタンツァに行ったが、どこでも英語が良く通じた。セルビア人も英語がうまかった。それらの東欧から、モルドバ、沿ドニエストルと、ロシア系の領域に入ると、急に英語が通じなくなる。米英傘下からロシア傘下に移った感じ(セルビアは親ロシアで米英から制裁されているが)。
ティラスポリの街角の表記はほとんどロシア語だ。沿ドニエストルの公用語はロシア語、ウクライナ語、モルドバ語(モルダビア語)の3つで、いずれもキリル文字なので、グーグルレンズで翻訳をかけないと見分けがつかない。スーパーやレストランのレシートはすべてロシア語だった。
スーパーで買った缶ビールはウクライナ「リビウ」銘柄で、ウクライナ語のほか、モルドバ向け輸出品と題してモルドバ語の表記があった。リビウ(リボフ)はポーランド国境沿いで、ウクライナ国内でもロシアから遠いので戦禍も少なく、ビール工場で輸出品を作る余裕があるのだろう。
モルドバ語の政治状況は複雑だ。モルドバ語はもともとルーマニア語と同じものだ(それも政治目的でいろんな議論・詭弁があるが)。
モルドバは、住民の8割がルーマニア語が母語のルーマニア系だ。戦後モルダビア共和国としてソ連に併合されると、表記がアルファベットから、ロシアと同じキリル文字に変えられた(ルーマニアではアルファベット表記を継続)。
1990年前後のソ連崩壊でモルダビアは独立してモルドバになり、ルーマニアとの再併合を視野に、公用語のルーマニア語の表記をキリル文字からアルファベットに戻した。キシナウの街角の表記は今、ほとんどアルファベットだが、ときどき昔のままのキリル文字もある。
モルドバの中でも、ウクライナに近くロシア系とウクライナ系の人々が割と多かった沿ドニエストルと、トルコ系の人々が多い南方のガガウジアでは、ルーマニア民族主義を使った新生モルドバ国家のやり方に反発や違和感を感じる人が多く、ルーマニアの一部になりたがるモルドバから分離独立して別の国になるか、ソ連を継承したロシアとの併合を望む動きになった。
モルドバのルーマニア化に反対して分離独立した沿ドニエストルは、モルドバ語のアルファベット化も拒否し、今でもキリル文字のモルドバ語(モルダビア語)を公用語の一つにしている。
こうした流れは、グルジア(ジョージア)やウクライナと同じものだ。グルジアではソ連崩壊後、グルジア民族主義を使って新国家の強化を進めたが、グルジア人でないオセット人やアブハジア人らは勝手に新興の民族主義をやり出すグルジア政府に反対し、分離独立を目指して武装蜂起した。グルジア政府は、グルジア民族主義をふりかざし、分離独立を許さない動きを強め、内戦になった。グルジアはロシア敵視でもあったため、ロシア政府が分離独立を裏で支援し、南オセチアやアブハジアが未承認国家として存在する現状になった。
ウクライナでは2014年まで親露と反露がバランスしていたが、2014年に米国が反露勢力に加担して政権転覆(マイダン革命)を成功させた。ロシアを敵視するウクライナ民族主義を掲げるウクライナの米傀儡新政権を嫌ったドンバスとクリミアの住民(主にロシア系)は分離独立してロシアに併合してもらう運動と武装蜂起を起こし、今のウクライナ戦争に至る道が始まった。
ロシアやソ連は長い歴史の多民族国家であり、少数派の各民族に対する扱いに慣れている。手荒なことをするが、必要に応じて譲歩もする。これと対照的に、ソ連崩壊後に新興したグルジアやウクライナやモルドバの政府は、未経験なまま、自分たちの新しい民族主義を掲げて国家統合を推進し、民族主義に反対する国内の他民族を弾圧し、譲歩しなかった。
グルジアやウクライナやモルドバで、いきなり出てきた新生の民族主義を強要されたロシア系その他の異民族の人々は、自国の新政府を嫌って分離独立を試み、彼らの支援を頼まれたロシアが隠然・公然に助けを出し、沿ドニエストルやドンバスやクリミアやアブハジアや南オセチアの事態になっている。
悪いのは介入したロシアでなく、ソ連崩壊後に新興の民族主義を稚拙に押し出して性急に国家統合しようとしたモルドバやウクライナやグルジアの政府、それと露敵視策として便乗した米英だろう。
今後いずれウクライナ戦争が終わると、この地域でロシアの優勢が増す。ロシアは、未承認国家群を自国領に併合していくだろう。今のように宙ぶらりんのままにしておくと、米英の露敵視策の道具にされかねないので状態を確定した方が良い。
ウクライナ人は、ウクライナでは自分の民族主義を振り回して少数派のロシア系を弾圧したが、沿ドニエストルではモルドバ民族主義の押し付けを嫌い、ロシア系と一緒に分離独立をやっている。ウクライナ人も、自分たちの民族主義を信奉する右派から、ソ連のままが良かったと考える左派(?)まで多様であり、モルドバ人やロシア人も同様に多様なのだが。
対立軸は、新興の民族主義vsそれを強制されたくない人々、だ。ロシア帝国vsそこから逃れたい周辺諸国、ではない。
モルドバ政府は、先に分離独立の動きがあった沿ドニエストルに対しては強硬に接し、ロシアの介入を招き、分離独立状態が固定化する現状を生んだ。だが、後で分離独立の動きが起きたガガウジアでは、地元と交渉して自治付与などの譲歩をする柔軟策を学習・転換し、事態の悪化を防いだ。
モルドバ政府は冷戦終結直後、ルーマニアと合併する民族主義を掲げすぎ、ルーマニア民族主義をきらう国内諸勢力の反発を招き、沿ドニエストルの分離独立などの失敗につながった。
この教訓から、モルドバ政府はその後、ルーマニア語とモルドバ語は別のものであるとの主張に転換するなど、表向きルーマニアから距離を置く策をやり出した。それで、実のところモルドバ語とルーマニア語は同じものなのに、違うものだという政治的言説になっている。
などなど。泊まっているティラスポリの宿のチェックアウト時間なので、このへんでとりあえず終わりにして配信する。
今回の題名は、以前に書いた「沿ドニエストルへの回廊」から派生した。私は今回イタリアからスロベニア、クロアチア、セルビア、ルーマニアと陸路で移動してきた。セルビアやルーマニアのことを続編で書こうと思ってこの題名にした。
(沿ドニエストルへの回廊)
イタリアから発したのは、単に東京からローマ行きの航空券が片道5万円ぐらいで安く、朝に羽田を発って夕方ローマに着く便利さだったから。ジャーナリストより旅行者の方が精神的に豊かだ。
キシナウに戻るバスの中で配信作業をしていたら、外国人旅行者(東南アジア系?)が乗ってきて、英語で、途中のベンデルで降りて寄って行こうか迷っている、と英語で運転手に言った。
すると近くにいた若い女性が、ベンデルよりキシナウの方が美しいから立ち寄らなくて良い、と英語で言い、それに対して周りの男女数人が次々にロシア語で何か反論した。
旅行者は、英語を話す人がいるのが意外だったようで、なぜ英語が話せるのかと女性に尋ね、女性は、欧州各地を旅行したからだ、ローマやパリは素晴らしい、と返答した。これに対し、また数人がロシア語で次々と何か反論した。
英語ができる女性は欧米やモルドバを礼賛し、周りの数人は親露な沿ドニエストル支持なので反論嘲笑しているような感じだった。私は勝手に、なるほどね、と思った。勘違いかもしれないが。
田中宇の国際ニュース解説・メインページへ
|