日本すら参加しないイラン制裁2018年8月30日 田中 宇米トランプ政権は11月4日から、イランから石油を買う世界の企業に対し、米国との取引を禁じる制裁を発動する。トランプは5月初め、イランとの核協定を離脱し、180日間の猶予期間を経てイランからの石油の輸出を止める制裁を開始すると決めた(自動車や鉄鋼アルミ、通貨・金地金取引など石油以外の制裁は猶予期間が90日で、すでに8月6日から制裁開始)。石油取引に関して猶予期間が切れて制裁が発動されるのが11月4日だ。各国の石油会社がイランからの石油輸入をやめるなら、それを2か月前、つまり9月初めまでに決めておかねばならない。各国の政府や石油業界にとって、8月末が、イランからの石油輸入をやめるのか、やめるなら代わりにどこから買うかを決める期限だ。 (Oil buyers must cut all Iranian crude imports by November: State Dept) (US reimposes sanctions as Iran deal crumbles) 世界各国の間では、対米従属の強さや、国家戦略の方向性に応じて、トランプのイラン制裁への対応に濃淡がある。一つの極は中国だ。中国政府は、米国の制裁を無視して、11月以降もイランから石油を輸入し続けることを6月に早々と表明している。それだけでなく中国は、他の諸国がイランと取引をやめた分を自国企業に穴埋めさせ、イランとの貿易や投資関係を拡大している。中国は、イランの最大の貿易相手であり、イランの石油の最大の輸入国である。中国は、すでにトランプから貿易戦争を仕掛けられており、たとえイラン制裁に協力しても貿易戦争をやめてもらえそうもない。中国の不参加は、トランプのイラン制裁に風穴を開けている。中国と事実上の同盟関係にあるロシアも、イラン制裁に全く協力しない。最近米国から敵視される傾向のトルコも、制裁不参加を発表している。 (China set to fill vacuum left by French carmakers exiting Iran) (China's Oil Trade Retaliation Is Iran's Gain) インドやEUといった、イランとの関係を重視しつつも米国と良い関係の国々は、米国と交渉して自国の企業を米国の制裁対象から外してもらおうとしてきた。だが、トランプは強硬姿勢で、いずれの交渉も難航している。米政府は、イランの石油輸出をゼロにするのが目標だと表明しており、制裁からの除外を認めていない。インドやEUは、米国の制裁に参加せず、イランから石油を輸入し続ける方向だ。韓国も同様の傾向にある。 (Europe defies US, vows to protect firms against Iran sanctions) イランからの石油輸入を米ドル建てで決済すると、ドル建ての国際決済を監視している米政府(財務省、NY連銀)に把握され、その企業が米国との取引を禁じられる制裁を受ける。そのため中露やインドやEUなど、イランと取引を続ける国々は、ドルでなく自国通貨を使って決済する見通しだ。イタリアなどユーロ圏諸国は、金融危機で破綻し、経営規模を縮小して米国との取引をやめているイタリアの銀行の口座を使い、ユーロ建てでイランと取引し続けるなど、迂回方法をいろいろ模索している。 (Iran To Work With Italy’s Bankrupt Banks Using Euros To Avoid Sanctions) 日本は従来、これらの諸国よりもさらに対米従属の傾向が強く、米国のイラン制裁に積極的に従ってきた。従来は、米国と交渉して制裁対象から除外してもらうこともできた。だが今回は、トランプ政権の厳しい姿勢からみて、制裁対象から除外してもらえそうもない。この件で日米は8月初めに交渉したきりだ。すでに8月末なので、交渉は時間切れだ。従来の日本なら、除外してもらえないならイランとの取引をやめるだろう。だが、今回は対応が違っている。 (イラン制裁の裏の構図) 8月28日、日本の世耕経産相が、記者会見で記者団から「米国と交渉しても制裁対象から除外してもらえない場合、日本政府として石油業界に対し、イランからの石油の輸入を停止した方が良いと勧めるのか。政府として何らかの方針を出すのか」という趣旨の質問を受けて「この問題は基本的に、政府が指図するのでなく、石油各社が自分で考えて適切と思う行動をとるのが良い」という趣旨の返答をした。(この件について、私が検索した範囲では、日本語の記事がない。英語の記事しかないので、逐語的な問答内容は不明) (Japan's METI minister says up to refiners to decide on Iran oil imports) (Japan, China weigh options to retain Iran oil imports) 【追記】:この記事を配信した後、経産省が8月28日分の「世耕経済産業大臣の閣議後記者会見の概要」をウェブ発表した。問題の部分の問答は、記者の「国内の石油元売りが今月中に政府からのイラン制裁の対応に関する指示がなければ、9月以降のイラン産原油の輸入継続は困難になるかもしれないという認識を示しています。政府としては、これまで石油元売りに対して米国のイラン制裁への対応を指示されたのか、お伺いできますでしょうか」という問いに対して、世耕が「基本的には、これは民間企業がきちっと判断をされることだろうと思っております」と答えている。(世耕経済産業大臣の閣議後記者会見の概要) 今回のイラン制裁はトランプの米国が「米国の側についてイランとの取引をやめるのか、それとも敵の側についてイランと取引し続けるのか」という二者択一を世界に突きつけている。従来の日本なら、対米従属が絶対の国是である以上、一も二もなく米国の側につくことを表明したはずだ。だが今回、日本政府(世耕経産相)は、イラン制裁に国をあげて参加するかどうか表明せず、民間の個別企業の判断に任せると言っている。これは、事実上の「不参加表明」だ。日本の政府が石油業界に「イランからの石油輸入の停止が望ましい」と伝えたら、石油業界はそれに従って輸入を停止するだろう。その代わり、日本はイランの石油利権を完全に失う。 (Bolton: EU has to choose between Iran and US) 日本が輸入していたイランの石油は、中国に輸出される。米国は01年の911後、イラン敵視を強め、それまでイランと親密な関係を持っていた日本に、イランとの経済関係を切れと圧力をかけた。日本は、イランでの石油ガス田開発などの利権を手放した。日本は今、石油輸入総量の5%がイランからで、すでに多くないが、これを輸入しなくなると、日本は経済的に完全にイランと切れてしまう。エネルギー供給源の多様化や、中国との国際影響力の競争から考えて、日本はイランからの石油輸入を止めるわけにいかない。 (イランの生き残り戦略) 日本が米国の同盟国で、中国が米国の敵・ライバルなのだから、日本がイランから石油を輸入し続けること、イランにおける中国の覇権拡大に抵抗することが米国にとっても望ましいことだという「合理論」は、トランプに通用しない。この合理論は、戦後の米国覇権体制の永続が、米国と日本など同盟諸国にとって最良だという考え方だが、トランプは、そのように考えない「隠れ多極主義」を推進している。トランプは、イランの石油利権が、日本やEUなど同盟諸国から、中国など非米諸国に安値で譲渡されることをこっそり推進している。これが今回のイラン制裁の本質だ。 (米国を孤立させるトランプのイラン敵視策) (隠れ多極主義の歴史) トランプは、中国など非米諸国と、日本など同盟諸国の両方に、見境なく鉄鋼アルミ高関税などの貿易戦争をふっかけている。NAFTAの自動車現地調達率の引き上げも、日本車や欧州車が標的だ。もはや対米従属しても経済的な国益がない。マイナスだ。安保面でも、トランプは北朝鮮など「敵」と和解して、同盟諸国の足場を崩している。トランプとうまくやろうとしない中国など非米諸国の利権と覇権が拡大している。 (貿易戦争で世界を非米・多極化に押しやるトランプ) トランプは全力で米国の覇権体制を壊し、世界を多極化している。トランプが2期やると、その後の米政府が再び自国の覇権を大事にする人々になっても、もはや世界を911以前の米単独覇権体制に戻せず、多極型の新たな世界体制を容認せざるを得なくなっているだろう。米国の覇権は、トランプ政権下で不可逆的に縮小していく。日本が、米国との関係だけを重視する対米従属の国是を続けると、米国の覇権が低下するのに合わせて、日本の国力や将来性がどんどん低下する。すでに米国支援のQEによって、将来的な財政破綻が不可避になっている。 (中央銀行の仲間割れ) 従来(911やリーマン危機より前)は、対米従属が日本の国力の維持発展に貢献していた。だが今はすでに逆だ。対米従属は日本の国力を低下させる。日本が国力を維持したいなら、対米従属をあきらめざるを得ない。今回のイラン制裁への参加問題は、その象徴の一つだ。対米従属を重視してイラン制裁に参加すると、日本はイランの利権を喪失し、国力が低下する。中国にますます追い抜かれる。日本政府は、自分たちの国力を低下させるイラン制裁への参加に、すでに踏み切れなくなっている。 しかしその一方で、日本政府が中国やEUのように「トランプのイラン制裁は違法なので参加しない」と真っ向から宣言すると、日米同盟を壊したい隠れ多極主義のトランプに、日本攻撃の格好の理由を与えてしまう。中国やEUは、多極化に合わせ、自分たちが米国と並ぶ地域覇権国になる準備をしたうえで米国の違法性を指摘しているが、日本はそのような準備をほとんど(真の目的を言わずにTPP11を創設することぐらいしか)していない。イラン制裁の根拠である「イランが核兵器開発している」という指摘は無根拠な濡れ衣であり、トランプのイラン制裁は確かに違法だ。だが、日本はそれを指摘できない。 (TPP11:トランプに押されて非米化する日本) 日本政府は、イラン制裁に参加するとも、しないとも言えない。無策を標榜するしかない。だから世耕経産相は「石油各社の判断に任せる」と表明した。イランの石油を多く輸入している諸国の中で、トランプのイラン制裁に参加して輸入をゼロにすると表明した国は、私が見ている範囲では、まだ一つもない。誰も参加しないイラン制裁に、日本だけ参加してイランの利権を放棄するのは馬鹿だ。日本人お得意の横並び意識にも反する。中国が人民元建てで、EUがユーロ建てで、インドがルピー建てで、トランプの制裁を迂回してイランから石油を買い続けるのだから、日本も円建てでイランから石油を買い続けられる。 (ドル覇権を壊すトランプの経済制裁と貿易戦争) (US economic sanctions against Iran, Russia losing effect amid dollar decline: Analyst) 経産省の方針は「米国に目をつけられないよう、民間の石油各社が、勝手にやっているかたちで、こっそりとイランの石油を買い続ける。万が一、運悪く日本企業がイラン石油の輸入を米国に見つかって制裁されても、日本政府は責任をとらずにすむ」というものだろう。中国やEUの指導者たちは「米国のイラン制裁は違法なので、我が国の企業がイランとの取引を理由に米国から制裁された場合、全力でその企業を守る。間違っているのは米国の方だ」と宣言している。だが、わが国の尊敬すべき官僚独裁機構は、そのようなカッコいい宣言ができない。「民間が勝手にやったことです」と言おうとしている。 (Europe: World must hold end of bargain with Iran) (Chinese Refiner Replaces US Imports With Iranian Crude) ドイツのマース外相は最近、EUの企業が米国を迂回してイランと取引する新たな決済システムをEUが構築すべきだと表明した。ドルの国際決済は、世界的な銀行間の決済情報の送受信システムである「SWIFT」に依存しているが、米当局の監視下にあるSWIFTに代わる、米国に監視されないシステムを作ろうというのがマースの提案だ(マースは左派。右派のメルケルと立場が異なるかも)。SWIFTに代わる国際決済のシステムは、米国に制裁されているロシアがすでに作っており、中国も参加して利用している。EUが新たなシステムを作ると、それは多分、ロシア中国のシステムと結節される。こうした「非ドル決済システム」の立ち上がりは、最近まで世界的な独占状態だったドルの決済システムの「終わりの始まり」になる(定着まで、まだまだ時間はかかりそうだが)。 (EU needs payment systems independent of US to save JCPOA: Germany) (Russian banks ready to switch off SWIFT) 米国の覇権は、ドルの決済システムと並び、NATOや日米安保など米国中心の安保体制という、経済と安保の両輪によって維持されてきた。トランプのイラン制裁の再発動は、経済面でドルの決済システムを自滅させていると同時に、安保面でも欧州は対米自立を加速している。トランプに敵視された反動でドイツのメルケル首相は、訪独したロシアのプーチン大統領と会談して独露が急接近した。フランスのマクロン大統領は、米国に依存しない脱NATO的なEUの新たな集団安保戦略を作ると発表した。新戦略は、ロシアを敵視せず協調する内容になる。安保面の動きはあらためて書く。 (Is Trump Pushing Germany And Russia Together?) (Macron: EU's security must no longer depend on US)
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