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覇権放棄を加速するトランプ

2017年12月30日   田中 宇

 米国のトランプ大統領が12月6日に放ったエルサレムをイスラエルの首都と認める宣言は、米政界に強い影響力を持つイスラエル右派(ユダヤロビー)をトランプの味方につけ、軍産複合体がトランプを潰せないようにした。軍産とトランプの戦いは、トランプが優勢になり、大統領に再選される可能性が増している。来年はトランプが、政敵である米諜報界(CIA、FBI)やクリントン陣営(米民主党)を潰しにかかる逆スキャンダルが起きそうだ。 (As Good as it Gets - What a difference eleven months make

 同時に、あのトランプの宣言は、発展途上諸国や新興諸国を中心に、世界中の国々が米国を世界の主導役(覇権国)と認めなくなる傾向を誘発している。これに呼応してトランプは、途上諸国にわたしてきた支援金を打ち切るそぶりを見せている。米国が支援金を出さなくなった空白を喜んで埋めるのが中国だ。ロシアの影響力拡大にも拍車がかかる。米国覇権が崩れ、多極化が進む。エルサレム首都宣言は、トランプの基本戦略である米国の覇権放棄に拍車をかける策略となっている。 (Afghanistan Pakistan! Cnimp2 Countries disgruntled with US interference, seek regional dispute settlement) (トランプのエルサレム首都宣言の意図

▼米政界を牛耳るイスラエル右派を喜ばせ、自分の再選可能性を高めたトランプ

 トランプのエルサレム宣言は、ネタニヤフ政権や在米のイスラエルの右派にとって大きな利得があった。イスラエル中枢では、中東和平を拒絶する右派と、和平を進めたい中道派の間で政治暗闘があるらしく、ネタニヤフ首相は今夏以来、スキャンダルが問題視され訴追されていく傾向で、支持率も低下していた。そのまま放置されていたら、今ごろネタニヤフは訴追され、来年前半に総選挙になって政権交代が起こり、中道派の政権ができてパレスチナ側との和平交渉が再構築されていたかもしれない。トランプの宣言直前、ネタニヤフの右派政党リクードは、中道派のイエシュアティド(未来党)に世論調査の人気投票で追いつかれていた。 (Likud losing ground, poll shows dead tie with Yesh Atid

 こうしたネタニヤフとイスラエル右派の不振を見事に打ち破ったのが、12月6日のトランプの宣言だった。宣言は、イスラエル時間の午後8時(米国東部時間午後1時)という、イスラエルの多くの人々がちょうどテレビの前にいる時間帯を選んで発表され、テレビ中継された。宣言後、イスラエルにおけるトランプの人気は、以前の60%程度から76%へと急騰した。ネタニヤフや右派の人気も挽回した。トランプの宣言後、イスラエルの世論の右傾化に拍車がかかり、中道派の政治家たちまでが、人気保持のため中東和平に対して否定的なことを言い出すようになった。 (Israel's Jerusalem victory looks increasingly hollow) (JPost Poll: Skyrocketing support for Trump among Israelis

 ネタニヤフとイスラエル右派にとって、トランプは自分たちの不振を救ってくれた大恩人となった。イスラエル右派は、米政界で強い影響力を持っており、彼らが来秋の米議会の中間選挙や、2020年の次期米大統領選挙でトランプや共和党を応援してくれる可能性が強まった。 (For Trump, an Embassy in Jerusalem Is a Political Decision, Not a Diplomatic One) (Some on Israeli Left Slant Right Amid Changing Political Map

 イスラエル右派は従来、米国の軍産複合体(CIA、国務省、マスコミ、学界)の一部であり、軍産とイスラエルが一緒になって、ISアルカイダを敵として涵養し、米軍が(イスラエルに代わって)中東を恒久支配するテロ戦争の構図を維持したり、イスラエルにとって脅威であるイラクやイラン、シリアの政権に濡れ衣をかけて敵視する策を展開してきた。だがトランプは、米政界の軍産支配を打破することを目指して軍産と対立する一方、イスラエル右派に味方し続け、軍産とイスラエル右派を分裂させる(軍産がトランプを敵視できないようにする)ことに成功している。 (Unlike Nixon, Trump Will Not Go Quietly) (Israel to name train station after Trump over al-Quds move

 軍産の一部であるマスコミはいまだに、トランプが米国民にほとんど支持されていないかのような記事や世論調査結果を出している。だが、英国で政府の対米戦略の立案を担当している大物の外交官たちは、トランプのエルサレム宣言後、2020年の大統領選挙でトランプが勝って再選されるだろうと予測し始めている。米マスコミが出すトランプの支持率は低迷しているが、その数字は実際より低めであり、16年秋の大統領選挙での予測違いが繰り返されそうだと、英国の大物外交官たちは考えている。 (Donald Trump on track to win in 2020, British diplomats believe

 トランプは、エルサレム首都宣言によって、自分の大統領の再選の可能性を高め、米政界でのイスラエルと軍産との結束に亀裂を入れ、軍産潰しの策動を進めた。これにより、中東和平が実現していく可能性は大きく低下し、少なくとも短中期的に、ほぼゼロになった。今後、ロシアや中国、EUが、米国に代わって中東和平の仲裁を試みるかもしれないが、イスラエルは今の右派政権である限り、米国以外の仲裁役を受け入れにくい。イスラエルは世界中から経済制裁されても、米国からの経済・軍事の支援だけで、今の経済力と軍事力を維持していける。 (Year in Review: Will 2018 Usher in a New Palestinian Strategy?) (中東和平の終わり。長期化する絶望

 イスラエルが今後、米国以外の国を和平の仲裁役として受け入れるとしたら、それはロシアに対してだ。シリアに軍事駐留するロシアが、シリアとレバノンのイスラエル国境沿いに展開し始めたイラン民兵団やヒズボラを国境から遠ざけてくれるなら、その見返りに、イスラエルは、ロシアを中東和平の仲裁役と見なすことに同意するかもしれない。イランやヒズボラが、イスラエル国境に近づかないと約束したら、イスラエルはその見返りに、パレスチナ人に対する弾圧を弱めるかもしれない。この流れは、サウジアラビアに代わってイランが、パレスチナ人の守護役になることを意味する。サウジは馬鹿だ。 (In a New Challenge to Israel, Syria's Assad Sets His Sights on Golan Border Area) (Israeli Military Capabilities - Scenarios For The Third Lebanon War

 イスラエルがロシアを中東和平の仲介役として認めたとしても、それ以上の和平の進展には至らない。イスラエルは、今の右派政権が続く限り、エルサレム分割にも西岸入植地の一部撤収にも応じない。トランプの米国が、これらをやらなくてもイスラエルを全面支援すると言っている以上、イスラエルは譲歩しない。これらの譲歩が含まれていない和平案は、パレスチナ人が認めない。ロシアは、イランとイスラエルを和解させて中東を安定化したいだろうが、イスラエルの唯一の支援国である米国が、イスラエルを引き連れてイランを敵視する策に固執している以上、イスラエルはイランと和解できない。トランプは、中東和平を推進不能な状況に追いやっている。 (Abbas breaks with US over Jerusalem — but for how long?) (US proposed Abu Dis as future Palestinian capital, says former Hamas chief

▼世界への援助打ち切りを言い出したトランプはたぶん本気

 トランプのエルサレム宣言は、中東和平を推進不能な状況に追い込んだ。だがその一方で、宣言は、パレスチナ人を犠牲にするかたちで、もっと大きな領域である国際政治全体における覇権の多極化を急ピッチで進める効果を生んでいる。 (Trump and the 'emperor’s new clothes'

 トランプの宣言に対し、国際社会のほとんどの国が、反対意見を表明するか、もしくは受け入れがたいという意思を示唆している。宣言から2週間後の12月18日、国連安保理がトランプに撤回を求める決議案を表決し、安保理15カ国のうち米国以外の14カ国が賛成したが、米国の反対(拒否権発動)により否決された。3日後の12月21日には国連総会で同様の決議案が表決され、国連加盟の193カ国のうち日本など128カ国が賛成し、賛成多数で可決された。反対したのは米イスラエルと、米国からの支援金で国を維持している南太平洋と中米の与太者な諸国の合計9か国だけだった。 (Four of the nine countries that stood with Trump at UN are tiny Pacific islands) (Taking Names for Israel

 トランプは、多数の国が自分に宣言撤回を求めたことに対して激怒のツイートを発信し、米国から経済支援を受けているにもかかわらず、米国に楯突くとはけしからん、宣言撤回に賛成した諸国にはもう支援を出さないぞ、支援打ち切りによって米政府の財政支出を7兆ドル減らせるので結構なことだ、と表明した。ヨルダン、エジプト、イラク、パキスタン、アフガニスタンなどが、米国からの支援金を多く受け取っているが、これらのはイスラム諸国であり、民意の怒りを考えると、トランプに宣言撤回を求めた国連決議に賛成しないわけにいかない。 (Trump Says US ‘Foolishly Spent $7 Trillion in the Middle East’) (Here are the countries that receive the most foreign aid from the US - Donald Trump's America

 米国は、発展途上諸国の多くに対し、経済援助や軍事支援(テロ対策費など)を行なってきた。気前よく援助金を出すことが、戦後の米国の覇権体制を支えてきた。途上国の多くは、ナショナリズムや左翼思想、イスラム主義の影響を受けて、国民感情の中に反米意識が強く、国を挙げての反米感情の発露も珍しくないが、それでも米国は覇権国として、批判してくる国々にも寛容に経済・軍事などの支援を出してきた。嫌われても支援することが覇権維持のために必要だった。パレスチナ支持・イスラエル非難は、途上諸国の反米感情発露の一つの象徴となってきた。 (Trump threat to cut US aid: Deterrent or hot air?) (Pakistan can't accept US unilateral decision on Al-Quds: NSC

 トランプは、このような従来の米国の、国際援助を通じた覇権戦略を放棄しようとしている。ヨルダンやエジプトは、イスラエルと隣接しており、イスラエルの安定には隣接諸国の安定が必要で、そのためにイスラエルに牛耳られてきた米国が、ヨルダンやエジプトに経済支援を出し続け、国家破綻・治安悪化による反イスラエル的なイスラム原理主義勢力の勃興を防いできた。親イスラエルであるトランプが本気でヨルダンやエジプトへの支援金を打ち切るとは考えられないと、ヨルダンなどの外交関係者は考えている。 (Arab states believe U.S. aid secure despite defying Trump Jerusalem move

 しかし私から見ると、トランプの最終目的は、イスラエルのために尽くすことでない。米国の覇権を放棄し、世界の覇権構造を多極型に転換すること(隠れ多極主義)が、トランプの最終目的だ。トランプがイスラエル右派のために尽力する理由は、彼らが米政界を牛耳っているからであり、イスラエル右派と自分を一心同体のものにして米国内での政治力を高めておいて、本来の目的を達成しようとしている。 (UN snub showed decline in US influence: Top Iran official

 トランプは今のところ、ヨルダンやエジプトなどイスラム諸国、途上諸国への支援金を打ち切るとツイートしただけで、実際の打ち切りを政策として実施していない。だが今後、国際社会が中東和平に固執し、米国を批判し続けると、いずれトランプは、ヨルダンやエジプト、イラク、パキスタン、アフガニスタンなどへの援助の減額を実施していく可能性が高い。とくにパレスチナ自治政府(PA)に対して米政府は、PAのアッバース大統領が、もう米国を中東和平の仲裁役と見なさないと何度も宣言しているため、すでにPAに対する米国の支援金の打ち切りを決めている。 (US Slashes United Nations' Budget By $285 Million Following "Stunning" Jerusalem Rebuke) (Trump administration to snap ties with Palestinians, no peace plan, no more monetary aid

 これらの国々に対し、米国が援助の減額や打ち切りをやっていくと、その穴を埋める最大の勢力は、おそらく中国である。中国は、トランプがエルサレム宣言絡みでパキスタンやアフガニスタンへの援助をやめるぞと脅しを発したのと同時期の12月26日、パキスタンとアフガニスタンの外相を北京に呼び、近年仲が悪くなっていた両国間の仲裁に本腰を入れ始めた。 (China Hosts Meeting To Mediate Afghan-Pakistan Conflict

 アフガニスタンの政府は、01年の911事件後の米軍のアフガン侵攻によって、それまでのタリバン政権が倒された後に作られた米国の傀儡政権だ。政権を倒されたタリバンはゲリラに戻って米軍や政府軍と戦っているが、政府軍よりタリバンの方が優勢で、いずれ米軍が撤退したらアフガニスタンは再びタリバンの政権に戻る。そして、タリバンを昔から支援しているのがパキスタン(軍の諜報部)だ。米国はタリバン敵視一辺倒で、その関係でパキスタンも米政府に嫌われている。トランプはとくにパキスタンへの敵意が強い。 (Pakistan ‘obliged’ to help US, says Trump) (US must accept military defeat in Afghanistan: Pakistan FM

 そんななかで中国はかなり前から、米国からしだいに強い敵意を受けてしょげるパキスタンを励まし、米国が減額した分の支援金の穴埋めをしてやっている。すでにパキスタンは中国の属国になっている。そして最近の中国は、もともと米国の傀儡だったアフガン政府にも接近し、パキスタンとアフガニスタンの関係を修復し、アフガン現政権とタリバンを和解させて連立政権を作らせようと動いている。アフガニスタンでは近年、アルカイダから分派してISISが蔓延している。ISは、タリバンとアフガン政府、パキスタン、中国というすべての関係者にとって敵なので、中国はIS退治、テロ対策の名目で、アフガンとパキスタンの政府を仲裁している。もともと軍産が養育したISを退治することは、トランプの目標でもある。 (Pakistan Plans Replacing Dollar With Yuan In Trade With China

 トランプのエルサレム宣言後、米国とイスラム諸国が反目を激化している状態は、アフガンとパキスタンの政府(アフ・パク)を仲裁し、いずれ米軍が撤退した後のアフガニスタンを安定化して自国の影響圏(一帯一路)にとり込もうとしている中国にとって、まさに渡りに船の、漁夫の利を得られるものだ。中国はアフパクのほか、パレスチナ自治政府やヨルダン、エジプトやイラクなどに対する援助の増加も、中東における自国の影響力拡大のため、喜んでやるだろう。トランプはまさに、中国の覇権を拡大してやる覇権多極化のために、イスラム諸国との関係を意図的に悪化させるイスラエルべったりのエルサレム首都宣言をした、ともいえる。 (中国のアジア覇権と日豪の未来) (Hoping to extend maritime reach, China lavishes aid on Pakistan town

 米国内では、従来から米国の覇権運営を担当する軍産の一部である国務省が、トランプの覇権放棄策に反対する姿勢をとっている。トランプが覇権放棄的な策をやったり宣言したりするたびに、ティラーソン国務長官がそれを打ち消すようなことを言ったり、トランプの表明は覇権放棄的だが実際の政策覇権維持であると国務省高官が匿名でマスコミにリークして記事を書かせたりといった流れだった。今回のエルサレム宣言に関しても同様だ。 (US Ambassador Friedman tells State Dept. to stop using word 'occupation'

 このような傾向は、実のところ米国の覇権がどんどん低下して多極化が進んでいるのに、世界の多くの人々がそれに気づかない状態を生んでいる。とくに日本は権力機構(官僚)が対米(対軍産)従属なので、ほとんどの日本人は多極化に気づいていない。「トランプは馬鹿なだけだ。今の米国は異常であり、そのうち元の覇権国に戻る」「中国やロシアはいい気になっているが、そのうち自滅するか、米国にガツンとやられて終わる」など、お門違いな見方が席巻している。世界の多くの人に実体を気づかれないまま、トランプはやりたい放題に覇権放棄を加速している。 (中国の覇権拡大の現状) (From the Caucasus to the Balkans, China’s Silk Roads are rising

 トランプがエルサレム宣言に固執することは、短期的にイスラエル(右派)の得になっているが、イスラム世界の対米自立して中露イランと同じ多極側に転じていき、いずれ米国が巨大な金融バブルの崩壊によって国力を低下させると、イスラエルは多極化した世界の中で「負け組」の側から足を洗えない状態になる。イスラエルの中でも、左派系の言論人(元記者)であるアキバ・エルダー(Akiva Eldar)は、このあたりのことを洞察し「トランプのエルサレム首都宣言は、米国がイスラエルに仕掛けた甘言の罠(ハニートラップ)でないか」と分析する文章を書いている。 (Was Trump's Jerusalem declaration a honey trap?

 最近の記事に書いたように、トランプは中東政策においてイスラエルのネタニヤフの言いなりになってみせる一方、アジア政策において日本の安倍晋三の言いなりになってみせている。トランプにハニートラップを仕掛けられているのはネタニヤフだけでなく、安倍も同様だ。イスラエルではエルダーの警告が発せられているものの、右派が席巻するイスラエルにおいて、左派のエルダーは主流といいがたい。日本でもトランプに対する警戒感が存在するものの、トランプの策略に巻き込まれていく流れの方がはるかに強い。多極化が次の段階に入ると、イスラエルや日本は苦境に立たされることになる。 (安倍とネタニヤフの傀儡を演じたトランプの覇権放棄策



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