独立しそうでしないイラクのクルド2017年7月26日 田中 宇9月25日に、イラクのクルド自治区で、イラクからの分離独立を問う住民投票が行われる。分離独立は百年前からの民族の悲願で、住民投票はこれが初めてだ。クルド自治区に隣接するイラク第2の大都市だったモスルを占領していたIS(イスラム国)が駆逐され、モスルの奪還に最も貢献したのがクルド自治区の民兵団(ペシュメガ、クルド軍)だった。14年にISがモスルを占領した時、シーア派が大半のイラク政府軍が戦わず逃げ出したが、対照的にクルド軍はISを包囲し続け、勝利に結びつけた。この貢献への見返りとして、クルド自治政府は、モスル奪還とともに、イラク政府の反対を無視し、独立への住民投票を実施することにした。 (The Defeat of ISIS Must Mean an Independent Kurdistan) ・・・上記の説明は、最近、欧米などのメディアによく書かれているものだ。この説明は、間違いでない。だが、クルド内部の政治状況を読んでいくと、違う説明が見えてくる。 (Kurds see chance to advance their cause in ruins of Islamic State) イラク戦争後、クルド自治区では4年ごとに議会と大統領の選挙を行う決まりで、大統領は2期8年までしか続投できないことになっている。だが、05年に当選したマスード・バルザニ大統領は、13年の任期切れ後も辞めたがらず、バルザニの与党KDP(クルド民主党)は、第2政党である改革運動(ゴラン党)を垂らし込んで連立を組み、自分の大統領任期を2年延長する規定を勝手に作って続投した。2年後の15年は、ISとクルド軍の戦いが続いていた時で、ハルザニは「有事」を理由に、さらに2年の続投を宣言した。ゴラン党がこれに反対すると、バルザニはゴランとの連立を解消し、ゴランの党首脳に濡れ衣をかけて首都アルビルへの出入りを禁止して議会を開けなくして、独裁的に大統領を続投した。15年以来、議会は開かれていない。(似たような無理矢理な続投は、パレスチナ自治政府のアッバース大統領もやっている) (Iraqi Kurds Aim to Hold Elections in November) だがその後また2年たち、今年(17年)はISとの戦いも終わりが見えてきた。ゴラン、PUK、イスラム連盟といった、バルザニのKDP以外の野党群は、議会の再開と大統領選挙を要求する声を強めた。民主主義を無視して居座るバルザニへの国際批判も出てきた。これに対抗するためにバルザニが放った政策が、9月25日の住民投票だった。バルザニは、9月の住民投票の実施後、11月1日に議会と大統領の選挙を行うことも決めた。バルザニ自身は大統領選挙に出馬できないが、代わりに息子のメスルール・バルザニ(Masrour Barzani、現諜報長官)を立候補・当選させることで、バルザニ一族の支配を維持する目論見だ。バルザニは、民族の悲願である独立を問うクルド史上初の住民投票を実施することで、自分の人気を高め、その上で議会と大統領の選挙をやって、自分の政党であるKDPを多数派にするとともに、息子を大統領にしたい。 (Barzani’s referendum: Killing the dream with a hoax) (Masoud Barzani and Kurdish presidential succession) 9月の住民投票では、クルド自治区の3つの県(アルビル、ドホーク、スレイマニヤ)以外の、油田がある大都市キルクークや、ニネワ県やディヤラ県のいくつかの町など、クルド軍が占領している地域でも、投票が行われる。これらの3県以外の地域は、イラク政府がクルド人による統治を認めず、クルド自治政府とイラク政府との紛争になっている。バルザニは、あえてこれらの紛争地域を住民投票の実施地域に入れ、クルド自治区の領土を拡大する野心的な策略を打つことで、有権者からの人気を高めようとしている。 (Mosul liberated, KRG sets date for referendum, What’s next?) 今のクルド自治政府は、首相も、バルザに大統領のおいであるネチルバン・バルザニであり、バルザニ一族の独裁色が強い。クルド人の内政から見ると、9月の住民投票は、議会を閉鎖して大統領に居座る独裁者バルザニが、自分と一族の権力を維持するためのものだ。ゴラン党やイスラム連盟といった野党群は、バルザニが勝手に決めた独立投票の実施に反対し、投票より先に議会を再開し、そこで独立投票について議論して可決してからにせよと言っている。野党の支持者たちのかなりの部分が、住民投票を棄権するか、もしくは反対票を投じると予測されてる。与党KDPの支持が強いアルビルとダフークはそうでもないが、野党支持が強いスレイマニヤ(3県のうち人口最大)では、棄権と反対が多いと予測されている。イラクのクルド人の95%が分離独立を望んでいるのに、住民投票の投票率は50%前後になるかもしれないという、おかしな事態になっている。 (Have Kurds Moved Beyond Tribalism?) ▼独立を問う住民投票の目的は、独立でなく・・・ 9月の住民投票は、投票率が低くても可決されるだろう。だがその後、クルド自治政府がイラクからの分離独立を宣言する可能性は低い。バルザニは、いずれ必ず独立宣言するが、いつになるかわからないと言っている。独立宣言しない理由は、トルコとイランという、近隣の重要な国々が反対しているからだ。米国や国連、EU諸国、中国なども、イラクの国家統合が最重要だと言って、クルドの住民投票に反対している。クルド自治区は内陸にあり、とくにトルコとの貿易関係を維持しないと繁栄できない。バルザニ一族は、石油輸出など、トルコとの経済関係の利権で儲けており、トルコが反対する独立宣言をやらない方がむしろ得策だ。住民投票の目的は、バルザニの権力強化と、キルクークなどへのクルド支配地域の拡大の確定であり、独立国になることでない。 (Sweden: The last country Kurds expected to oppose their referendum) (Why America wants Kurds to postpone the referendum) トルコのエルドアン大統領は、イラク戦争の直後から、バルザニと親しい関係を維持している。バルザニはエルドアンの子分だ。分裂したままのイラクの中で、バルザニのクルド自治政府が強くなることは、トルコにとって望ましいことだ。トルコは、クルド自治政府から、格安な値段で石油を買い、国際相場に近い価格で欧州などに売って儲けている。この儲けは、トルコの諜報機関やエルドアン陣営の機密費として使われている。 (クルド独立機運の高まり) (Neverland tanker with disputed Kurdish oil reappears off Malta) イラクの法律では、クルドが出した石油をイラク政府(国営石油会社)に納入し、あとで見返りに政府予算の分担金をもらうことになっているが、相互不信が強いので、この法律は全く履行されていない。たとえクルドが馬鹿正直に石油を納入しても、イラク政府は分担金など払わない。クルドは、トルコに石油を密輸出するしかなく、トルコは安く買いたたける。儲けはエルドアンに入る。エルドアンが、バルザニの強化を望むのは当然だ。トルコ政府の、9月の住民投票への反対表明は口だけだ。 (Kurdish factions in Turkey hold workshop on Kurdistan Region independence) (クルドの独立、トルコの窮地) クルド人は、イラク、トルコ、イラン、シリアにわかれて住んでおり、イラクのクルド人が独立への住民投票を行うと、トルコのクルド人も住民投票をやりたがる。トルコ軍の仇敵である、シリアのクルド人も、独立への機運を煽られる。これらは、トルコ政府にとってマイナスだ。だが同時に、イラクのクルドは、トルコやシリアのクルドに対して影響力を持っている。トルコのクルドゲリラ(PKK)は歴史的に、イラクのクルド地域を隠れ家にしてきた。シリアのクルド民兵団(YPG)は、イラクのクルド軍(ペシュメガ)から軍事訓練を受けている。トルコのクルド政策の全体にとって、エルドアンの子分で民族自決より自分の儲けを重視するバルザニが権力を維持した方が、民族自決を優先する他の指導者がクルド自治政府の権力を握るよりも、都合が良い。 (シリアをロシアに任せる米国) ▼シーア派が世話したくないイラクのスンニ派を、クルドとトルコが拾って世話する トルコにとって、イラクのクルド地域を傘下に入れておくことは、もう一つ別の国際政治的な利得がある。それはトルコが、イラクのスンニ派地域を間接統治することだ。イラクは、シーア派が約6割、クルド人とスンニ派(スンニ派アラブ人)が約2割ずつの多民族国家だ。03年の米軍侵攻まで、ずっとスンニ派が権力を持っていたが、米国による強制民主化の後、シーア派が権力を持った。イラクは今や、シーア派の親玉国である、となりのイランの傘下に入っている。 シーア派主導になった今のイラク政府は、スンニ派をひどく冷遇し、貧困の中に放置している。その最大の理由は、イスラム教の宗教的な序列の中で、スンニ派が「正統・純粋」なものである一方、イスラム以前の文明や信仰を内包するシーア派は「異端・不純」なものとされるからだ。スンニ派は、原理主義者になるほど、シーア派を侮蔑・憎悪している。米軍侵攻後のイラクのスンニ派は、国の主導権を失っただけでなく「フセインの残党」として米軍に弾圧され、失意の中、アルカイダやISに取り込まれ、全体的に原理主義の傾向を強めた。そのため、イラクのシーア派がスンニ派を懐柔することは不可能になり、冷遇や放置がひどくなった。冷遇・放置されるほど、イラクのスンニ派は原理主義的になり、悪循環になっている。 (Sunnis in Iraq Face Marginalization, Exclusion and IS Violence) 軍事的には、イラク政府軍やクルド軍が米軍の空爆支援を受け、モスルを奪還し、ISを退治して問題を解決している。だが政策的には、モスルなどイラクのシーア派地域の問題は、全く何も解決されていない。モスル市街の多くは廃墟となり、100万人のスンニ派市民が国内避難民としてテント生活している。だが、イラクのシーア派のアバディ政権は、奪還後のモスルやスンニ派地域の復興計画を、全く何も立てていない。この無策は、イランの方針だと言われている。 (No peace yet in Iraq or Syria) 無策の理由は、シーア派が、スンニ派の世話をしたくないからだ。世話しても、信仰に深く根ざした侮蔑や敵視を解消できる見込みがなく、世話するだけ無駄だ。原理主義者たちの前では、世俗的(非宗教的)な欧米風の(キリスト教起源の)人道主義が入り込む余地がない。スンニ派の原理主義(ワッハーブ派)の元締めはサウジアラビアで、サウジは米国の軍やCIAに頼まれ、米国の世界戦略の一環として、アルカイダやISやタリバンといった原理主義のテロリストや武装勢力を支援・育成してきた。米国もサウジも、イランを敵視している。イラクのスンニ派のかつての親玉だったサダム・フセインも、イランを敵視していた。米国やサウジの傀儡勢力であるISカイダに入り込まれたイラクのスンニ派を助けるのは、イランにとって、敵を助けてしまうことにもなる。 (イラク日記:シーア派の聖地) イラク政府や、その宗主国であるイランは、口でこそ「イラク国家の統合が最優先」と言っているが、本心では、スンニ派地域を分離してしまいたい。14年6月にISがモスルを占領した時、シーア派主体のイラク政府軍は、モスル市民を守ることもせず、全く戦わずに敗走したが、その背景にあったのも、同様な事情だった。 (イラク混乱はイランの覇権策) このような状況に、自分たちの利得の機会を見出しているのが、エルドアンのトルコと、クルド自治政府だ。トルコ人もクルド人も、イスラムの信仰はほとんどがスンニ派だ。イラクのスンニ派(アラブ人)と、トルコ人とクルド人の違いは、母語がアラビア語、トルコ語、クルド語であるという言語的な違いだ。イラクのシーア派が、国内のスンニ派アラブ人の世話をできないなら、代わりにクルド自治政府と、その後見人であるトルコがお世話しましょう、という話が、少しづつ進んでいる。 シーア派のイラク政府軍がモスルを見捨てた後、市外に逃げて避難民となったモスルの男たちを集め、ISからモスルを奪還すべく軍事訓練を開始したのは、クルド軍とトルコ軍だった。トルコ政府は、数百人の部隊をイラクのモスル近郊に派兵し、クルド軍とともに、ISと戦うモスル市民の義勇兵団(ハシドワタニ)を訓練した。当時まだ、トルコの諜報機関は、アサド打倒を掲げる米国やサウジに頼まれて、シリアのISに武器や食料を支援し、ISの兵力募集にも協力していた。トルコは、シリアでISを支援する一方で、イラクでは、IS退治後のスンニ派地域への影響力行使を念頭に、ISと戦うモスル市民を支援するという、ねじれた戦略をとっていた。イラク政府は「トルコ軍は勝手に入ってきた。出て行ってくれ」と発表したが、これも口だけだった。 (イラクでも見えてきた「ISIS後」) (Army stays out of referendum dispute: Iraq defense chief) モスルを奪還し、ISが駆逐されるなか、イラクのスンニ派の国会議員ら有力者が集まり、スンニ派地域を再建するための新たな政治協力組織を作る動きがある。この動きは、イラクの首都バグダッドと、クルド自治区の首都アルビルという2つの拠点で進んでいる。アルビルが拠点になっていることからも、クルド自治政府(とその背後にいるトルコ)が、スンニ派の再建に協力し、取り込んでいこうとしていることがうかがえる。イラク政府やイランは、表向き、トルコやクルドがスンニ派地域の分離独立を煽りかねないこの事態を嫌がっているが、本音は多分違う。トルコやクルドがスンニ派地域を安定させてくれるなら、その方が良いと考えている。 (Iraqi Sunnis form new alliance for “different future”) (隠然と現れた新ペルシャ帝国) イランにとって、イラクのスンニ派地域が安定するのは、国際戦略上、都合が良い。イランは近年ロシアとともにアサド政権を助けてシリア内戦を終わらせ、内戦後のシリアや、その隣のレバノンに対して影響力を拡大している。イランからイラクを通ってシリア、レバノンまでの「シーア派の三日月」地域が、イランの傘下に入っている。イランとしては、自国からイラクを通ってシリアに至る物資補給路が重要になっているが、このルート上で、イラクのスンニ派地域は、必ず通らねばならない地域だ。イランにとって、シーア派の三日月地域をうまく統治するために、イラクのスンニ派地域が安定することが重要になっている。イランが自力でやれないイラクのスンニ派地域の安定化を、トルコやクルドがやってくれるのなら、それはむしろイランにとって良いことだ。 (Iraqi Kurdistan Leader Criticized for Using Independence Vote for Personal Gains) トルコとイランの関係は近年良好なので、トルコがイランの三日月地域の運営を邪魔することはない。イランはイラクの宗主国なので、表向き、バルザニのクルドがイラクから独立する住民投票をやることに反対している。だが、バルザニの権力が維持されないと、トルコとクルドによる、イラクのスンニ派地域の安定化戦略も行われないだろう。イラン政府は本心で、住民投票を容認していると考えられる。 (‘Kurdish independence plan weakens Iraq’) 90年の湾岸戦争後、イラクのクルド地域は、イラク軍の飛行機の進入を禁じた米軍による飛行禁止区域になり、フセイン政権から切り離され、イラクやイランの政権転覆を目指す米国のCIAやイスラエルのモサドが暗躍する地域となった。それ以来、03年のイラク戦争をはさんで最近まで、イラクのクルドは、米イスラエルの影響圏だった。従来は、トルコが米イスラエルの友好国だったので、米イスラエルとトルコは、クルド地域においても協力関係にあった。だが最近、米国トランプの策略の結果、米イスラエルはサウジと組んでイランやカタールを敵視する一方、トルコはイランやカタールに味方して米サウジとの敵対を強めている。トルコとイランが組み、イラクのクルドに影響力を行使する事態が続くと、イラクのクルドから米イスラエルやサウジの影響力が排除されていくことになる。これは、世界多極化の動きの一つだ。 (The Kurdish Connection: Israel, ISIS And U.S. Efforts To Destabilize Iran) 6月初めにバルザニが独立投票をやると発表した後、ロシアの国営石油会社ロスネフチがアルビルに来て、イラク政府とクルドとの紛争地であるキルクークの大油田を、クルド自治政府とロスネフチが合弁で開発することを交渉している。採れた石油は、パイプラインでトルコに輸出する。このロシア勢の行動は、イラクがもう二度と統一国家に戻らないことを踏まえている。イラクのクルドはまだ独立しないが、もはやイラクの一部に戻ることもない。イラク政府やイランやトルコや米国が発する「クルド独立反対」は口だけだ。それを見て取ったロシアが、堂々とクルドの石油開発に乗り込んでくる。米国がサダムを倒して奪ったはずのイラクの石油利権を、ロシアがやすやすと持っていく。単独覇権主義は、多極型世界を生んで終わる。機密費が増えるエルドアンがほくそ笑んでいる。 (Rosneft in talks to develop disputed oilfields with Iraqi Kurdistan)
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