没原稿:新たな交渉に向かうパレスチナ2017年5月10日 田中 宇5月1日、パレスチナの2大政治勢力の一つであるハマス(イスラム抵抗運動)が、1988年の創設時に作った政治要綱を上書き(補完)する、新要綱を発表した。新要綱は、イスラエルへの敵視を緩和し、パレスチナのライバル組織であるファタハとの敵対もやめて協調する姿勢を打ち出した。国際イスラム主義でなく、パレスチナ国家の創建をめざす国民運動(ナショナリズム組織、民族団体)に衣替えした。ハマスはさらに、5月8日に最高評議会を開き、20年前から指導者(政治局長)だったハレド・マシャル(60歳)が辞任し、後任にイスマイル・ハニヤ(54歳、前首相)を選出する世代交代の人事を行った。 (JC Hamas Drops Call for Israel’s Destruction) ハマスはこれまで、パレスチナをイスラエルとパレスチナ国家で分割する「2国式」の中東和平交渉に反対する建前をとってきた(ハマスは、06年にパレスチナ国家の議会選挙に参加した時から、2国式を容認する準備があると繰り返し表明しているが)。イスラエルが、1967年の中東戦争でヨルダンとエジプトから奪った西岸とガザの占領をもてあまし(87年インティファーダの抵抗運動が起きた)、米国や国連の仲裁で1988年にパレスチナ国家の創設を認める2国式の中東和平交渉が始まったとき、それに反対して作られたのがハマスだった。当時、パレスチナをイスラエルの占領から解放するための統一戦線として、エジプトの肝いりで作られたPLO(パレスチナ解放戦線)があり、その主流派としてヤセル・アラファトが率いる左翼(世俗主義)の「ファタハ」があったが、米欧イスラエルにテロリスト扱いされ、チュニジアに亡命して追い込められていた。 米国は、88年にアラファトをパレスチナ国家(PA=パレスチナ自治政府)の権力者として引っ張り出し、イスラエルと交渉させて93年のオスロ合意として結実させ、2国式の中東和平を軌道に乗せた。この過程で、アラファトやPLO、ファタハは、もともと持っていた左翼の民族解放運動としての、イスラエルを倒してパレスチナ国家を作る方針(68年要綱)を放棄し、穏健路線に転換し、米イスラエルの言いなりで武装解除した。だがその後、2国式でパレスチナが強くなることに脅威を感じた(米国の親イスラエルのふりをした反イスラエルの勢力が仕掛けた罠であると気づいた)イスラエルが、95年(ラビン首相暗殺)ごろから態度を変えてPAに治安権などの国家主権を与えず、むしろ逆に占領を強化する流れになり、2国式は頓挫した。 アラファトのファタハやPLOは、米イスラエルの傀儡になって形だけのミニ国家(PA)をもらったが、この流れに早期から反対して作られたのが、ムスリム同胞団(イスラム主義でアラブ諸国を統合しようとするエジプト発祥の国際運動)のパレスチナ支部から発展したハマスだった。ファタハは世俗主義、ハマスはイスラム主義だった。ハマスは、イスラエルとユダヤ人を敵視し、西岸とガザだけでなく、イスラエル本体も含めた全パレスチナを武力で解放してパレスチナ国家を作ることをめざす要綱を87年の創立後に打ち出した。 ハマスは、米イスラエルからテロ組織として扱われ、全くイスラエルにかなわなかったが、傀儡と化したファタハに比べ、筋を通している点が評価され、パレスチナ人の間での人気が高かった。06年にブッシュ政権が「中東民主化政策」の一環として(イスラエルが止めるのも聞かずに)パレスチナに議会選挙をやらせた時、ハマスは総議席132のうちの過半数の56%をとり、ファタハ(32%)を抜いて第一党に躍り出た(その前の96年選挙は、ハマスが不参加で、ファタハが88%をとっていた)。通常ならハマスが与党になって組閣するところだが、米イスラエルは、傀儡のファタハでなく、敵方のハマスがパレスチナ国家の権力を握ることを認めず、ファタハをそそのかしてハマスとの内紛を誘発し、07年6月から、ハマスはガザを、ファタハは西岸を統治して相互に対立する今の分裂状態になった。 (Palestinian legislative election, 2006 - Wikipedia) (ハマスを勝たせたアメリカの「故意の失策」) 分裂を理由に、パレスチナ議会は開かれず、10年に行われるはずの大統領選挙も延期されたまま、04年に死去したアラファトの後継者として05年に就任したマフムード・アッバスが、今もPAの大統領をしている。ファタハが西岸を支配し、アッバスが大統領を続けていられるのは、米イスラエルがテロ組織に指定する、イスラエルや2国式和平、PLOを敵視するハマスが、パレスチナ国家の半分であるガザを乗っ取っているからだ、という建前になっている(06年議会選挙の結果から見ると、違法に西岸を乗っ取っているのはファタハとその背後にいる米イスラエルの方なのだが)。 (パレスチナ分裂で大戦争に近づく中東) このような歴史を踏まえて今回のハマスの新要綱を見ると、その画期性が理解できる。ハマスは新要項で、ファタハやPLOと和解する姿勢を打ち出した。欧米からユダヤ人差別と非難されてきたユダヤ人敵視もやめた。パレスチナ人の大義や心情に沿って占領者としてのイスラエルを非難し、イスラエル国家への認知を拒否しつつも、西岸とガザだけでパレスチナ国家を構成することに初めて公式文書で賛成し、西岸とガザ以外のパレスチナにイスラエル国家が存在することを事実上容認した。パレスチナの国民運動を標榜し、国際的なイスラム主義から距離をおき、アルカイダやISといった国際イスラムテロ組織から一線を画した。 (Hamas softens stance on Israel, drops Muslim Brotherhood link) これらの穏健化、現実路線の新戦略により、ハマスは、ファタハやアッバスに敵視する口実を与えない団体へと変質することを目指した。ファタハがハマスを敵視できなくなれば、和解して出直しの議会選挙や大統領選挙を行うことになる。どんどん横暴になるイスラエルに抵抗できないアッバスやファタハに対するパレスチナ人の信任が低下しており、ハマスは再び第一党になる可能性が高い。ファタハのアッバスに代わって、ハマスのハニヤがパレスチナ大統領になりうる。ハマスの新要綱と指導者交代は、パレスチナ国家の政権取得をにらんだ戦略となっている。 (Ahead of Trump visit, Abbas visits Egypt and Jordan; Hamas takes ‘consensus’ position) 今回のようなハマスの穏健化、現実路線化は、方向性としてみると、目新しいものでない。マシャルらハマス幹部は、何年も前から、イスラエルやファタハがハマスの変化を正当に評価して呼応するなら、穏健化すると言っていた。今回、正式に穏健化を基本理念である要綱として打ち出したのは、イスラエルやファタハが、それを正当に評価して呼応するとハマスが予測したからなのか。イスラエル政府は、ハマスの新要綱に対し、表面的な目くらましでしかないと批判・軽視する姿勢を見せた。正当な評価には見えない。ハマスは、お門違いなことをやったのか?? (Hamas accepts Palestinian state with 1967 borders) 中東の全体像を見ると、そうでもない。ハマスが新要綱を発表した5月1日は、5月3日にパレスチナ大統領のアッバスが訪米してトランプに会う直前だった。ハマスの新要綱は、トランプとアッバスの会談に合わせて発表された。この会談でトランプは、パレスチナ和平を仲裁すると表明したが、どのようにやるか不明だ。何か月か前に彼は「当事者が喜ぶなら、2国式でも1国式でもかまわない」と、無策な感じを醸し出す発言をしている。本当にやる気なのかわからない。 (One State? Two States? The Power of Trump's Roll of the Dice) だが、トランプは5月20日から、大統領の初の外遊として、サウジアラビア、イスラエル、バチカンを訪問する。この歴訪は、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教の、それぞれの主導役の3か国を訪問することを意味する。この3つの宗教が共通の聖地として存在するのが、パレスチナ国家とイスラエルの両方の首都になる予定のエルサレムだ。パレスチナ問題が、歴訪の大きなテーマの一つに違いない。 また、アッバスの訪米に先立ち、ヨルダンとエジプトの首脳が相次いで訪米し、トランプと会っている。アッバスも、訪米する前にヨルダンとエジプトに行って打ち合わせている。イスラエルは最近、ヨルダン、エジプトとの関係を強化している。ヨルダンが西岸に、エジプトがガザに責任を持つかたちで、ヨルダンとエジプトがパレスチナの後見人の役目を果たしてイスラエルへの敵対を防止し、イスラエルは事態が安定してきたら、ヨルダン、エジプトと連絡を取りつつ西岸とガザへの締め付けを緩和し、現在は機能不全に陥っているパレスチナ国家を蘇生するかたちで中東和平を進めるシナリオと考えられる。 (Trump Seeks ‘Reboot’ in Relations With Egypt Junta) (Two states? One state? How about a federation?) すでに書いたように、ハマスはもともとムスリム同胞団のパレスチナ支部から発祥した。だがハマスは今回、新要綱で同胞団と疎遠な感じを打ち出している。これは、今のエジプトのシシ政権が、「カイロの春」で作られたムスリム同胞団のモルシー政権をクーデターで転覆して作られた、同胞団敵視の政権であることと関係している。ハマスは、自分たちが統治するガザの後見役になるエジプトのシシ政権に配慮して、ムスリム同胞団との関係断絶を新要綱に盛り込んだのだろう。 パレスチナ問題で最も解決困難な点は、イスラエル自身の内部にある。イスラエル政界で大きな力を持つ右派(入植者集団)は、西岸をイスラエル固有の領土だと言い張り、パレスチナ国家の創設を拒否して、西岸にユダヤ人用の入植住宅をどんどん作っている。入植者は、イスラエルの軍や住宅省の上層部を支配し、イスラエル全体の国益や民意と関係なく、入植地を拡大して2国式の解決方法を不可能にしている。 (Israel Announces Plan for 15,000 More Settlement Homes in East Jerusalem) オスロ合意は、西岸の主要道路のほとんどをイスラエル軍の管轄地(=C地区)に定めており、軍は治安維持を理由に、西岸の主要道路のあちこちに検問所を作り、パレスチナ人がとなりの町にすら行けないようにしている。入植地の拡大と、検問所の存在が、西岸でのパレスチナ国家の運営を不可能にしている。ガザは、域内の通行が自由なものの、ガザと外部の交通が、イスラエルとエジプトによって遮断されている。西岸もガザも、巨大な収容所と化している。 (Map of Israeli settlements, as of 2014) イスラエル政界を支配する右派が、パレスチナ国家の創設に同意しない限り、米国やアラブ諸国がいくら努力しても、事態は改善されない。だが、イスラエル政界が今後変質していく可能性はある。イスラエルによる入植地の拡大、パレスチナ国家に対する妨害策は、世界的な非難の的になっており、イスラエルの国益を明らかに阻害している。 今回のハマスの穏健化により、中東において、イスラエルを敵視する大きな勢力がなくなった。イスラエルのもうひとつの敵だったヒズボラやイランは、イスラエル北方のシリアやレバノンで支配的な、国家そのものに近い勢力となり、イスラエルが潰せる相手でなくなった。ヒズボラ・イラン・アサドの背後にはロシアがおり、もうイスラエルは彼らと戦争できない。きっかけを見つけて和解していくしかない。ISやアルカイダも退治されていく傾向だ。 イスラエルが気を許すとイスラム世界の敵にやられてしまう事態は、すでに過去のものだ。イスラエルが入植地拡大やパレスチナ人弾圧という「悪事」をやめてパレスチナ国家の蘇生を容認すれば、イスラエルは世界からの非難や敵視を激減でき、国家としての安全を確保できる。イスラエル人のかなりの部分はまだ、世界がイスラエルを潰そうとしているという懸念や恐怖にとりつかれている。だが、それは妄想になりつつある。そうした事態の変化に気づき、イスラエル政界が変質すると、入植地拡大やパレスチナ人弾圧は止まる。 すでに作られた西岸入植地のかなりの部分は、イスラエル固有の領土に編入され、代わりに同じ面積のイスラエルの土地をパレスチナ国家に編入する土地交換で解決できる。パレスチナ自治政府(PA)は、そのやり方で良いと以前から言っている。パレスチナ以外の場所(ヨルダン、レバノン、シリアなど)に住むパレスチナ難民の帰還権の問題は、かつて住んでいた今のイスラエル領内への帰還でなく、金銭的な補償で解決できる。PAは、それで良いと言っている。 (TRUMP OFFERS A RARE CHANCE FOR A PALESTINIAN PEACE DEAL) ハマスは穏健化したが、その変化を、同じガザのイスラム聖戦機構は批判・拒否している。なまくら(現実的)な問題解決を好まない強硬姿勢の勢力は、パレスチナ側にもいる。だが、パレスチナ人の多くは、最悪の状態が無限に続くより、尊厳が保てる範囲での現実的な事態の好転を望んでいる。 (Islamic Jihad: Hamas’ acceptance of 1967 borders is impractical) ・・・ここまで書いて、アッバスが5月3日にトランプと会談した際、オルメルト提案を基礎にネタニヤフと交渉したいと提言していたことを知った。そちらの話の方が大事だと気づき、全面的に書き直すことにした。
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