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集団的自衛権と米国の濡れ衣戦争

2014年7月3日   田中 宇

 7月2日、日本政府が、現行憲法に集団的自衛権が存在していると解釈することを閣議決定した。世界的に見ると、ほとんどの国が、同盟国や親密国との間で集団的自衛権を持っている。今回の私の疑問は、日本政府がこれまで政府の憲法解釈で「持っていない」ことにしていた集団的自衛権を、なぜ今の時期に「持っていること」に変更するのかについてだ。

 戦後の日本は、米国に対して「弱いふり」を続け、それによって米国に守ってもらわねばならないという対米従属の状態を続けるのが国家戦略だった。米国は1970年代に在日米軍を撤退しようとしたが、日本が「自衛隊はまだ弱い」「憲法で戦争できないことになっている」と言って引き留め続けた。対米従属は、米国が日本の「お上」であり、日本の官僚機構がその下僕として(お上の意志の解釈権を保持して)国民とお上の間に挟まって行政権力を保持し、国会を無力化して官僚隠然独裁を続けるために必要だ。日本国憲法に集団的自衛権がないとする政府の解釈は、対米従属の基盤となる「弱いふり」戦略の基本だった。

(日本の権力構造と在日米軍)

 日本は対米従属をやめることにしたのか。そんなことはない。むしろ逆だ。米国がイラク占領やテロ戦争で失敗し、米国自身の覇権意欲や財政力が減退している中で、日本政府は何とか米国に見捨てられないようにしようと必死になっている。沖縄の辺野古で米軍基地の建設を強行することにしたのが一つの例だ。日本は、対米従属を維持するために仕方なく集団的自衛権を持つことにしたと考えるのが自然だ。官僚機構と関係ない安倍首相の意志だという見方は正しくない。安倍の外交政策を決めている側近は外務省の関係者ばかりだ。官僚機構を潰そうとした民主党政権が逆に官僚機構に潰された後、官僚機構の言いなりになる前提で始まったのが安倍政権だ。おそらく安倍は、4月にオバマが訪日した際、集団的自衛権を持つことを強く要求されたのだろう。

 米国は91年の湾岸戦争以来、日本に集団的自衛権の行使を可能にして米軍が世界に侵攻する際に一緒に出てこれるようにしろと言い続けてきた。その圧力はしだいに強くなり、日米安保体制を維持するには、集団的自衛権の行使を可能にするしかないと外務省など官僚が判断し、官僚の傀儡色が強い安倍政権が続いている間にやってしまおうということなのだろう。

 世界的に、集団的自衛権の代表的なものはNATOの規約5条だ。一つの加盟国が攻撃されて反撃する場合、他の加盟国は、要請されたら参戦する義務がある。01年の911テロ事件で、米国は「アルカイダから攻撃された」と表明し、NATOに5条の発動を要請し、これに応じてアフガニスタンへの侵攻と占領がNATOによって行われた。あれから13年、NATOのアフガン占領は失敗で、タリバンやその他のイスラム過激派をほとんど弱体化できないまま、今年末までにNATO諸国の軍が撤退する。米国の傀儡のはずのカルザイ政権は、米国の言うことを全く聞いてくれなくなっている(最近選挙がおこなわれ、近く政権交代する予定だが、選挙結果でもめている。)。 (ドイツ・後悔のアフガン

 03年のイラク戦争は、米国が単独覇権主義を掲げ、国連やNATOによる侵攻を拒否し、単独での侵攻を目指したため、米国は他国に集団的自衛権の行使を求めなかったが、英国、豪州、ポーランドが、米国との関係を重視して自発的に参戦した。日本も自衛隊が戦後の占領に参加した。米国がイラクへの侵攻を世界に容認してもらうには、イラクが米国に対して脅威を与えていることを証明する必要があったが、米政府は稚拙な説明に終始し、イラクが大量破壊兵器を持っているという、後で簡単にばれてしまうウソ(ニジェールウラン問題)をついて侵攻した。集団的自衛権を行使して米国のイラク侵攻に参戦した英国はのちに、参戦は大失敗だったと結論づけている。

 ロシアの影響圏に接するポーランドは、米国から安全保障的な見返りを求めてイラクに参戦した。だが十分な見返りを得られず、今年のウクライナ危機でも米軍が小規模な巡回軍しか派遣してくれなかった。ポーランド外相が私的な場で「米国と強い同盟関係を持っても無意味だ。米国はニセの安全観を醸し出して同盟国に信じさせようとするので、むしろ危険だ」と述べたことが、最近暴露されている。 (Report: Polish minister says US ties worthless

 日本での集団的自衛権の議論は、敵国が明示的に米国を軍事攻撃して戦争になる場合のみを想定しているが、近年の米国の戦争は、そのような古典的な場合が皆無だ。昨今の戦争はもっとウソ(情報操作)に満ちている。派手なビル爆破があった911テロ事件も、米当局の自作自演性について疑いが全く消えていない。イラク戦争や、他の反米的な中東諸国に対する侵攻や威嚇も、米国が脅威を受けたことへの反撃ではない。イラク、イラン、シリアに対する侵攻や威嚇は、米国がかけた濡れ衣に基づいている。

911事件関係の記事

 イラク戦争の大失敗が確定するまで、集団的自衛権を自由に行使できる欧州や中東の親米諸国は、米国の世界支配に協力した方が国益になると考え、米国の濡れ衣やウソに見て見ぬふりして戦争行為につき合った。だが米国の戦争や占領はイラクでもアフガンでも失敗し、米国は何の利権も得ずに撤退を決めた。イランやシリア、リビアに対する威嚇も戦果につながらず、米国に協力した欧州や中東の諸国は、集団的自衛権を行使して米国に協力することに対して、大きな疑念を抱くようになっている。日本は、そんな「あとの祭り」的な状況の中に、のこのこと「うちも集団的自衛権を持ちました」と出ていくことになる。

 イラク侵攻前、米政府は「イラクが独裁体制であることが世界的な脅威だ。いずれ他の独裁諸国も全部侵攻して潰し、武力で世界を民主化する」という説明(悪の枢軸論)もしていた。今の国際法では「世界民主化」を大義にして戦争することが許されていないため、米国は、イラクが脅威だという話をでっち上げてイラクに侵攻したが、米国の「世界民主化」は世界を良くするのだから、それで良いんだと日本の外務省やマスコミも語っていた。

 日本の唯一の同盟国で、唯一の集団的自衛権の行使相手である米国はこの50年以上、自作自演性や情報歪曲のない明示的な軍事攻撃を受けて戦争をしたことがない。湾岸戦争はサダムを引っかけてクウェート侵攻させたし、朝鮮戦争時の金日成の南進も引っかてやらせた観がある。日本による真珠湾攻撃も米英による誘発だ。

 米国は紛争が多いユーラシアから遠く、外国から本土を攻撃される可能性が非常に低い。北朝鮮を含め、挑発もされていないのにいきなり米国に弾道ミサイルを撃ち込む国などない。米国が自国の防衛だけを考えて軍事計画を立てるなら、日本や韓国への軍事駐留も不要だし、今よりずっと少ない軍事力や軍事費で十分だ。しかし、米国は覇権国だ。英国やイスラエルなどが、覇権を内部から牛耳ろうとうごめいてきた。外部勢力に牛耳られなければ、米国は第二次大戦後、早々に安住できる孤立主義に戻りたがり、もっとはっきり覇権を多極化したがっていただろう。

 米国を動かして世界に軍事駐留させるには、純然たる自衛だけでは不十分で「米国が世界を民主化するんだ」「世界の人々の人権を米国が守るんだ」といった、米国人が好む思想信条に基づく戦争の論理が必要だ。戦前のナチスや日本から、ベトコンやサダム・フセインに至るまで、人道的な悪魔として描かれる必要があった。米国の戦争は構造的に、常に「悪」の誇張がつきまとう。誇張の度合いや過激さは、911で一気に強まった。世界の同盟諸国は近年、その誇張にふりまわされ、へとへとになっている。日本はこれまで「うちは例の憲法がありますから」と言って関与を最小限にしてきたが、米国はその戦法を許さなくなっている。

 イラクとアフガンの失敗以来、米国は外国への侵攻を嫌がっている。当面、米国は海外派兵をしないだろう。しかし長期的に見て、日本が対米従属できる状況が続く限り、つまり米国が覇権国である状態が続く限り、また米国が侵攻をする可能性があり、その場合、開戦事由に不可避的に濡れ衣や誇張が含まれる。

 もう一つ興味深いことは、日本の軍拡を受けて、米国で、安倍の日本が米国を引っぱり込んで中国と戦争させるのでないかという懸念が出ていることだ。そもそも日本に尖閣諸島を国有化することを扇動して日中対決を煽ったのは米国側(ヘリテージ財団)なので、米国側の懸念はマッチポンプくさいが、日本の官僚機構が、米国に捨てられて対米従属をやめねばならないぐらいなら、中国と戦争して米国を引っぱり込んだ方がましだという「日本版サムソン・オプション」を隠し持っていても不思議ではない。 (Pacifist Japan is inching towards being `normal'



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