他の記事を読む

一線を越えて危うくなる日本

2012年12月20日   田中 宇

 12月16日の総選挙で自民党が大勝し、安倍政権ができたことの意味を、投票日からの3日間で考えた。とりあえずの結論は「野田から安倍への政権交代は日本にとって、いくつかの点で、これまで越えないようにしてきた一線を越えて危ないことをやり出す転換点になる」ということだ。背景には、米国の覇権が揺らいでいることがある。戦後の日本にとって絶対的な後ろ盾だった米国の覇権が崩壊感を強めているので、日本はリスクの高いことをやらざるを得なくなっている。

 その一つは尖閣諸島をめぐる日中対立だ。日本政府が尖閣諸島の土地を国有化して中国を激怒させたのは野田政権の時だったが、国有化しても、日本政府が島に港湾など新たな建造物を造ったり、公務員を常駐させたりしなければ、日中は交渉して尖閣紛争を再び棚上げし、和解できる。建造物と公務員常駐は、中国が日本に対して「越えたら戦争だ」と言っている譲れない一線(レッドライン)だ。野田政権は尖閣の土地を国有化したものの、その後一線を越えず、裏で中国と交渉して対立を沈静化しようとした(成功しなかったが)。 (Have No Fear, Abe Is Here

 野田政権は尖閣を国有化したが、それ以上やらなかったので、中国嫌いの国民を失望させた。これをみて安倍は、島に港湾施設を建設し、公務員を常駐させることを選挙時の公約に掲げ、その結果、自民党が圧勝した。安倍政権は、中国が敷いたレッドラインを越えることについて、明確な民意の支持を得たと主張できる。投票率が最低だったという反論は弱い。この対中レッドライン越えの民意を得たことが、安倍が一線を越えたと私が考える最初の点だ。

 民意が背景にあるのだから、安倍政権は尖閣の港湾新設と公務員常駐をやろうとするだろう。中国との経済関係で儲けている財界人などは、安倍を止めようとするだろうが、安倍が躊躇して一線を越えなければ、石原慎太郎ら国会内の右翼やその支持者たちが安倍を批判する。今の日本ではリベラルより右派の方が強い。安倍は、右方向に押しやられるかたちで、尖閣に関する公約を実現する可能性が高い。中国が選挙の直前に初めて尖閣海域に当局の航空機を侵入させてきたのは、安倍が政権をとって日本が一線を越えそうなことに対する事前の警告だった。 (北朝鮮の衛星発射と中国の尖閣領空侵犯

 日本が一線越えを実施すると、中国は、尖閣への領空・領海侵犯を激化するだろう。これに対して安倍政権が一戦交えてもかまわないという「毅然とした態度」をとると、戦闘が起こりうる。石原らは、日中が戦闘することを望んでいる。 (「危険人物」石原慎太郎

 とはいえ日中の戦闘は、必ず起きるわけでない。日中が戦闘し、米軍が本格的に日本に味方して参戦した場合、それは中国と米国の戦争になり「第三次世界大戦」になりうる。ニクソン訪中で米国が中国に急に寛容になった後の1974年、中国はベトナムが実効支配していた西沙諸島(パラセル)に武力侵攻して奪取したが、あのとき中国はおそらく事前に何度も米国に「パラセルをベトナムから奪取するぞ」とシグナルを送り、米国から「黙認」の反応を得た後に侵攻を実施したはずだ。 (中国は日本と戦争する気かも

 今回、米政府は「尖閣は日米安保体制の範囲内だ」と表明している。これをもとに日本では「中国が尖閣を武力侵攻で奪取しようとしたら、米軍が出てきて防衛してくれる」という見方が流布している。しかし実際のところ米国は最近、日本に対し「自国の防衛は自国でやってくれ」と伝えている。 (Japan Is Flexing Its Military Muscle to Counter a Rising China

 沖縄駐留米軍の役割は以前から日本防衛でなく、中東など全世界的な派兵の一環だった。米軍は沖縄にいることで駐留費や騒音などのコストを日本側に出させ、軍事コストを減らせるので日本にいるだけだ。米政府が軍事費削減を必要としている最近、その傾向が特に強まっている。だから「尖閣は日米安保の範囲内」と米国が宣言しても、実際に日中が尖閣で交戦した場合、米軍がどれだけ参加するかは不明だ。米軍は情報を収集して日本側に伝えるだけで、戦闘に参加してくれない可能性も大きい。 (日本の権力構造と在日米軍

 中国は、人民解放軍が尖閣に軍事侵攻した場合に米国がどう反応するか、見極めようとしているはずだ。中国の尖閣侵攻時に米国が口で非難しても軍を出してこないと中国が判断すると、実際に侵攻してくる可能性がぐんと高くなる。逆に、米軍も出てきて応戦すると中国が判断したら、中国はたぶん攻めてこない。事前に中国が探りを入れてきた時に米当局がどう反応するかが重要だ。そのやりとりは、たぶん米中のマスコミなどに出ないし、出たとしても目くらましかもしれず、事実かどうかわからない。

 米軍が出てこないと中国が判断して尖閣を侵攻し、日本が軍事的に勝った場合、尖閣を奪えず面子が潰れた中国政府は激怒し、日本と国交断絶し、日本を明示的に経済制裁するだろう。中国は、日本から買っていたハイテク品などをドイツなどから買うようになる。日本の政官マスコミ界には「日本と取引できないと中国は困る」と高をくくる人が多いが、それは全く間違いだ。今は欧州など世界中の企業が中国と取り引きしたがっている。日本が投資しなくても世界から資金が集まる。中国は、日本と関係を断絶してもあまり困らない。困るのは日本の方だ。 (German machine tools gearing up in China) (尖閣で中国と対立するのは愚策

 韓国では、12月19日の選挙で朴槿恵が大統領になった。彼女は日本に対し、従軍慰安婦問題などの「戦争犯罪」をすべて認め、歴史教科書も中韓が求める表記に変えて、中国や韓国と仲良くしなさいと提案している。裏を返せば、日本が「戦争犯罪」を認めない限り、中国と韓国が手を組む東アジア共同体に入れてやらないということだ。 (◆日中韓協調策に乗れない日本

 安倍は、選挙に臨む前の10月に靖国神社に参拝し、5年前に首相をやったときに韓国中国との関係改善に努力した時のリベラル姿勢と全く違う右翼的な姿勢だということを前もって示している。安倍政権の日本は、おそらく韓国との敵対を強める方向に進むだろう。米国は自国の覇権が弱まることを見据え、日米と米韓の関係が別々に存在していた従来の「ハブ&スポーク」型の覇権体制から離れ、日本と韓国に2国間の安全保障協約を結ぶよう、昨年から勧めていた。だが竹島と慰安婦の問題で日韓の敵対が強まり、夏前に日韓安保協定は結ばれないことになった。 (李明博の竹島訪問と南北関係

 今後、米国の覇権がさらに弱まり、日韓安保協定の必要性が強まる一方だが、安倍政権下で日韓が協定を結ぶことはできないだろう。韓国は中国に接近し、北朝鮮との南北対話も進め、きたるべき東アジア共同体の有力な一員になろうとするが、中国と対決している日本は、孤立を深める一方だ。朴槿恵は、自国の対日優位を十分に知った上で「慰安婦問題を認めたら共同体に入れてあげるわよ」と日本に提案したのだろう。いまはまだ「竹島も尖閣もちっぽけな島じゃないか」という人は袋叩きだが、今後、中国とも韓国とも対立し孤立して経済的に窮乏した後になって、日本人は、竹島と尖閣諸島がちっぽけな島にすぎないことを再認識するだろう。

 中国が尖閣に侵攻したら、どちらが勝っても日中は国交断絶だ。多極化が進み、東アジアが中国中心の地域になっていく中で、日本は少し前の台湾のような孤立した国になる。日本が経済的に衰退していくと、沖縄県は琉球処分(1870年代)以前のように、日本から分離独立し、独自に中国との関係を強めようとするかもしれない。

 米国が中国に「中国軍が尖閣に侵攻したら米軍が出ていく」と伝えれば、中国は侵攻してこないが、2期目に入るオバマ政権は、それと逆の、世界規模で中国との協調を強める方向を模索している。オバマは、来年初めに辞任予定のパネッタ国防長官の後任に、共和党の元上院議員で今はオバマの外交顧問をしている、穏健な外交戦略を好むチャック・ヘーゲルを指名しようとしている。有力な上院議員だったヘーゲルは、ブッシュ政権に03年のイラク侵攻をやめさせようとしたことで知られ、アフガニスタンからの早期撤退も提唱している。 (Chuck Hagel, Defense Secretary Frontrunner, Has Strong Obama Ties

 パレスチナ問題でイスラエルを批判するヘーゲルは、ネオコンなど米政界のイスラエル右派系勢力から酷評され、イスラエル右派の傀儡色が強いワシントンポストなど米マスコミもヘーゲルの国防長官指名に反対している。 (Chuck Hagel is not the right choice for defense secretary

 しかし共和党の全体としては、自党のヘーゲルが民主党オバマ政権の国防長官になることに賛成しており、ヘーゲルは議会に承認され就任する可能性が高い。ヘーゲルはイスラエルの孤立化を加速するが、それ以上に日本にとって重要なのは、ヘーゲルが中国との協調に積極的なことだ。彼は現実的な中道派として、財政難の米国が世界を安定させるために中国やロシアの協力が不可欠で、覇権構造の多極化を容認した方が良いと思っている。 (Hagel for Secretary of Defense

 2期目のオバマ政権の国務長官には、民主党の上院議員であるジョン・ケリーが就任しそうだが、ケリーも国際協調主義で、ヘーゲルに近い考え方をしている。中国と協調する戦略は、オバマ自身の考えだとみなして良いだろう。オバマは2期目になって、イスラエル右派など米政界を牛耳ってきた勢力の言うことを聞かず、自分がやりたい戦略をやるだろうが、その一つが中国との協調になる可能性が高い。 (Kerry share similarities as expected Obama Cabinet nominees

 米軍は最近、南沙群島問題で中国と敵対するフィリピンに立ち寄る回数を増やすと発表し、中国を怒らせているが、こうした対中包囲網の戦略は、中国の将軍ら覇権重視派を引っ上げるためのイメージ先行戦略と考えられる。日本では「米国は中国包囲網を作りたいはずだから、尖閣で中国と対決を強めるのは日米同盟の強化になる」という考えが強いが、いずれ米国から足をすくわれるだろう。 (U.S. military to boost Philippines presence; China tells army to be prepared

 安倍政権が一線を越えるものの2番目は、日本国憲法の改定だ。安倍は、戦争禁止条項の廃止を主眼とする憲法改定や、自衛隊の「国防軍」への昇格を公約に掲げて当選しており、この民意をもとに、改憲と国防軍化を推進するだろう。改憲や国防軍化は中韓との敵対を深めるだろうが、それよりはるかに重要なことは、改憲と国防軍化をすると、米国が「日本は十分な自衛力がついた」とみなし、在日米軍の撤退傾向を強めることだ。米国は、ベトナム戦争に負け、中国と和解して冷戦を終わらせていく過程に入った1970年前後に、日本から米軍を完全撤退しようとしたが、日本政府が「自衛できる準備ができていない」と主張し、対米従属の象徴である米軍を引き留めた経緯がある。 (日本の権力構造と在日米軍

 その後40年以上、日本は「自衛できる準備ができていない」と言って米軍に思いやり予算などの金を渡して駐留してもらっているが、財政難がひどくなる最近の米国は、日本に対し「早く自衛や海外派兵ができるようにしろ」と迫っている。安倍が改憲と国防軍化をやると、米国は「日本は自衛できる準備が整った」とみなし、空軍や海兵隊を沖縄からグアム・米本土に移転する傾向を強めるだろう。これは、日本の対米従属の根幹を、一線を越えて崩してしまう。米国は日本に海外派兵の拡大を求めており、安倍は対米従属強化のために改憲をやるつもりだろうが、その結果起きることは、逆方向の、日米同盟の解消になる。 (米中は沖縄米軍グアム移転で話がついている?

 安倍が一線を越えた3点目は、日銀の独立性を剥奪することだ。これも尖閣問題と同様、野田政権がやったことと同じ方向性だが、野田政権が日銀の反対を押し切って、日銀に、米連銀に追随する自滅的な金融緩和の拡大と国債買い取りを急拡大させるところまでいかなかった。それに対して安倍は、一線を越えて日銀の独立性を剥奪する意味のことを宣言しており、選挙で民意の賛同を受けたとして、緩和策の急拡大を過激にやろうとするだろう。

 米国では、連銀が緩和策をやるほど金あまりが加速され、余った金が株式市場に入って株価が上がり、それをマスコミが「景気回復の証しだ」とはやし、実際の雇用環境が悪化しているにもかかわらず、見かけ倒しの景気回復が演じられている。日本でも、連銀と同じ過激な緩和策をやると宣言した安倍の自民党が勝った後、株価が急上昇し、マスコミがそれを景気回復だとはやしている。

 実のところ米国の緩和策は、ドルと米国債への長期的な信用を揺るがせる危険な策で、債券バブルの崩壊がささやかれ出している。日本でも、表の景気回復の期待と裏腹に、雇用環境はますます悪化するだろう。ドルと米国債より先に円と日本国債の信用失墜が起こり、米国を少し延命させるために日本が自滅することが懸念される。 (円をドルと無理心中させる

 安倍は独裁者でない。尖閣での日中戦争、日米同盟解消につながる改憲、ドルより先に円を破滅させる緩和策、いずれも安倍は選挙前から公約に掲げて民主的に選挙に勝ち、民意を背景に実行しようとしている。日本の自滅を招こうとしているのは、政治家でなく、選挙に行かなかった反右派の人々を含む国民だ。国民のほとんどは、安倍政権ができたら自国が自滅していく可能性が高まるという構図を知らずに自民党に入れたり棄権したりしたのだろう。民主主義はすばらしい。

 日本は今回、とてもタイミングの悪い選択をした。最近、米国の金融は動揺を強めており、来年中にリーマンショックのさらに大型版の債券バブルの崩壊が起きるかもしれない。日本は、まさに米国の金融が崩壊感を強め始めたタイミングで、米国と無理心中をはかる金融緩和策と、米国以後のアジアの覇権国である中国と敵対を強める外交策を掲げた安倍政権を誕生させた。1950年の朝鮮戦争から80年代まで、日本は運の良い経済成長を謳歌したが、今後は、その時の運の良さと同じぐらいに劇的な運の悪さを体験するのかもしれない。



田中宇の国際ニュース解説・メインページへ