米覇権とともに揺らぐ世界2012年10月5日 田中 宇10月1日から4日にかけて、イランの通貨リアルの対ドル為替が40%暴落した。リアルの価値は今春、米国主導でイランの原油輸出に対する制裁が始まるころから下落を続けており、今年初め1ドル=1万リヤルだったのが10月1日に2万5千を割り、4日には3万7500まで下がった。イランでは食糧、日用品、タクシー代など、あらゆる価格が日々値上がりしている。 (Iran erupts as oil embargo sends currency plunging) これを機に、テヘランのバザール商人らが、アハマディネジャド政権を批判するストライキやデモを行い、バザールは抗議の意を込めて閉店している。バザールの決起は重要だ。1978年にイランでパーレビー王朝が倒され、イスラム革命につながったときも、テヘランのバザールが政府に反旗を翻したことが王政打倒の転換点となった。トルコがシリアに戦争を仕掛けそうな動きと相まって、中東情勢は緊張が増している。イラクの世俗政党イラキーヤの顧問は「中東は破滅的な戦争のきわにいる」と指摘している。 (Iraqiya advisor: the region is on a verge of disastrous war) イランの通貨暴落は、絶妙なタイミングで仕掛けられている。イランは8月末に非同盟諸国会議を主催し、発展途上国の多くが、米欧イスラエルから核兵器開発の濡れ衣をかけられて奮闘しているイランを支持した。イランは、米欧の世界支配からの脱却を目指す途上諸国のリーダーになって国際社会で台頭しそうな流れが見え始めた。その一方で、イランの仇敵であるイスラエルは、米オバマ大統領に対し、再選に協力するからイランを空爆すると約束しろと求めて断られ、ネタニヤフ首相は国連総会でのオバマとの会談を申請したが断わられた。米イスラエル関係は9月に悪化した。これまでイランに核兵器開発の濡れ衣をかけてきた国連の原子力機関(IAEA)では、アラブなど途上諸国からの突き上げが強くなり、イランでなくイスラエルの核兵器を問題にする傾向が強まっている。イランが有利に、イスラエルが不利になる中で、反撃的にイランの通貨が暴落した。 (自立的な新秩序に向かう中東) 90年代のアジア通貨危機や昨今のユーロ危機に象徴されるように、米英金融界は、先物市場を使って敵視する国の通貨や国債を急落させる「金融兵器」の技能を持っている。米英金融界にはイスラエル支持のユダヤ人が多く、イランが台頭してイスラエルが窮地に陥るのを止めるため、リアルの相場を急落させた可能性がある。米英には反政府的な亡命イラン人も多く住む。イランは経済的に、ドバイなどペルシャ湾の対岸のアラブ側と関係が強いが、ペルシャ湾岸の産油国は、伝統的に金融を英国筋に任せている。イランの台頭は米英と親しい中東の諸国や諸派の力を弱めるので、英国もイランを敵視しており、金融兵器が発動されても不思議でない。 (A Rare Occurrence In The Saudi Currency Market Tells You That Trouble Is Brewing In The Middle East) (激化する金融世界大戦) イランは米国主導の石油制裁に対抗し、金地金や人民元など、ドル以外の決済方法で中国やインドなどに石油を売り、制裁を回避してきたが、それでもイラン経済は弱体化している。イランは最近、米欧が求めるウランの5%以上の高濃縮をやめるから、代わりに経済制裁を解除してくれと、EUなどに再三提案しており、制裁に困窮していることがうかがえる。米国はイランの提案を無視している。 (New signs of Iran nuclear flexibility) イランは今後さらに経済が窮乏し、反政府運動が激化して、イスラエルが望む政権転覆が起こるかもしれない。米国の覇権が減退する中で、イランが台頭する動きと、イランを潰そうとする動きが交錯している。米国の中枢で、イランの台頭を看過してイスラエルが潰れていくのを眺めている勢力と、その流れを止めてイランを潰し、イスラエルを延命させようとする勢力が相克している観がある。 (Iran Reaffirms Offer on Nukes By Gareth Porter) しかし、イランの政権が転覆されても、その後のイランに米イスラエルに都合の良い政権ができるとは限らない。イランではアハマディネジャド大統領の経済政策の稚拙さを批判する人が多いが、彼の任期は来年6月までで、再選が法的に許されていない。彼の上位にいる最高指導者のハメネイも反米のイスラム主義者だ。アハマディネジャドが辞めてもイランの外交姿勢は変わらない。ハメネイが握るイスラム共和国の制度自体が転覆されても、今の中東情勢から考えて、その後にできるイランの政権は、親米リベラル主義になるはずがなく、シーア派イスラム主義の国是を変えるのは不可能だ。 (Ahmadinejad pushes new world order, end to U.S. 'bullying') 今の米政府は、中東で民衆革命による政権交代があると、交代後の政権がどんなものになろうと「民主化したのだからこれで良い」と言ってその政権を支持する頓珍漢さがある。エジプトの新政権が潜在的に反米的なムスリム同胞団になることが予測できたのに、米政府は親米のムバラク前大統領に辞任を勧め、その後の同胞団政権を米政府は容認している。そのことから考えて、イランが政権転覆して再度イスラム主義政権ができたら、米政府は民主化が達成したとしてイランの新政権を容認するだろう。イスラエルにとっては、そのような展開の方が、イランで現政権が続くよりも危機的だ。 (◆イスラム革命の進行) ▼中東全体の流れは米国の影響低下 中東情勢を緊迫させているのはイランとイスラエルの対立だけでない。トルコとシリアの対立も危険だ。シリアの北隣にあるトルコは、米国がアサド政権の転覆を試みる動きに便乗し、かつてのオスマン帝国の時のような中東の盟主に再びなることを目標に、隣接するシリアの内戦に介入し、アサド政権の転覆を試みる反政府勢力を国内で活動させてきた。しかしイランや中露に支持されたアサド政権は意外に強く、シリア政府軍は各地で反政府勢力を撃破・掃討している。 (Turkey: Ankara's unexpected burden) トルコ側は焦り、10月3日にシリア軍がトルコ領内を砲撃したことを奇貨として、トルコ議会が政府にシリアと戦争する許可を出した。トルコ軍がシリアに侵攻し、内戦の泥沼化に拍車をかけるのでないかとの懸念が広がった。 (Turkish attack on Syria may play into Assad's hands) しかし翌日には、シリア政府が越境砲撃の事実を認めてトルコに正式に謝罪し、国連に対しても再発防止を約束した。トルコとシリアの緊張はとりあえず緩和された。同様の砲撃は今年6月にもあったが、その時もシリアがトルコに謝罪して緊張を解いている。 (Syria Formally Apologizes for Cross-Border Shelling into Turkey) 米オバマ政権は、シリア内戦が長引くことを嫌がるが、米軍を介入させて泥沼に陥ることも避けたい。そのため米政府は、ロシアを通じてアサド政権との連絡を再開している。米国にはしごを外されたトルコは困っている。アサド政権が謝罪したのを機に、トルコは一転してアサド敵視を和らげるかもしれない。 (Russia helps U.S., Syria establish contact, Turkey in shock) 中東の混乱は続いているが、全体的に見ると、以前に圧倒的だった米国の影響力が減退する傾向は変わっていない。たとえば、リビアの中心都市ベンガジでは、9月11日に正体不明の暴徒(テロリスト?)集団が米大使館を襲撃して大使らを殺害したが、3週間後の10月1日、米国務省は、ベンガジからすべての米政府要員を撤退させると発表した。 (US Withdraws All Personnel From Benghazi) 米政府は、大使殺害の現場検証もほとんどできず、殺害状況に関する説明が数日ごとに変わる状況下で、大使館を閉める。襲撃時に米大使館に保管されていたベンガジにおける米機関の秘密エージェントの名簿が犯人に持ち去られており、米国はベンガジの情報収集手段を失った。カダフィ政権の転覆後、リビアの中心地はベンガジに移っており、拠点を喪失した米国は、せっかくカダフィを倒して傀儡政権を作る好機なのに、政治介入が困難になる。 (15 Days In, US Still Can't Get Its Facts Straight on Benghazi) 米国に代わってリビアの権力構造を操作するのは、東隣のエジプトの政権をとったムスリム同胞団だ。リビアでは7月に議会選挙が行われ、親米欧で世俗リベラル派の国民勢力連合(NFA)が80議席中39議席をとって第一党となった。だが首相は17議席しかとっていないムスリム同胞団に近いアブーシャグールが選出されたうえ、全20席の閣僚ポストのうち9つは得ると予測されていたNFAは、一つも閣僚ポストを与えられずにいる。米国が介入できるなら、こんな結果にならないはずだ。米国の影響が弱まり、代わってエジプトのムスリム同胞団の影響が強くなっている。 (Libya's Pro-NATO Coalition Cut Out of Cabinet) 米英の傀儡だった王政が続いてきたヨルダンでも、最大政党であるムスリム同胞団が、10月末までに立憲君主制に移行しない場合、王政転覆の運動を強めると言い出している。ヨルダンでは、国民の6割を占めるパレスチナ人の多くが同胞団を支持している。同胞団はこれまで、国王の背後にいる米国の強さを見て、国王を尊重してきたが、米国の覇権が弱まる一方、エジプトで同胞団の政権ができたため自信をつけ、無遠慮な要求を国王に突きつけるようになった。 (Jordan on the brink: Muslim Brothers mobilize for King Abdullah's overthrow) アフガニスタンでも、来年の米欧NATO軍の撤退時期が迫るとともに、タリバンがNATO軍の基地に対し、しだいに大胆な攻撃を仕掛けている。タリバンは、米欧が武器を与えて訓練してきたアフガン国軍の中にも無数に入り込み、NATOの情報はタリバンに筒抜けだ。米当局は、イラク国軍がシーア派のマフディ軍に見事に入り込まれていた教訓から何も学んでいない。 (Audacious Raid on NATO Base Shows Taliban's Reach) 英国の国防相は「アフガン国軍の訓練が意外に順調に進んでいるので、英国軍を前倒しでアフガン撤退し、財政難なので防衛費を削減するのが良い」と言う。上手な言い換えをするものだ。アフガン国軍兵士がNATO軍兵士を射殺する事件が増え、NATOの戦死者の2割にもなっている。 (DM: Troops Could Withdraw From Afghanistan Sooner) 米軍が撤退傾向を強める中、反比例的にアフガン政府との関係を強めているのが中国だ。中国はタリバンの後見人であるパキスタンを支援しているので、タリバンを露骨に敵視して反撃された米国に比べ、あまりタリバンと対立せずアフガンに食い込める。米国もパキスタンを支援してきたが、イスラム敵視戦略をやりすぎて、パキスタンの世論は反米感情を強めている。中国がうまいのでなく、米国が下手すぎる。わざと下手にやってイスラム教徒の怒りを扇動していると思える。イランやロシア、インドもアフガンの利権に群がっており、NATO撤退後、アフガンはBRICSによる安定化策に切り替わるだろう。最近、パキスタンが50年ぶりにロシアとの軍事協調を強めていることも注目だ。 (Afghanistan: U.S. out, China surges in) (Moscow beckons Pakistan's Kiani) ロシアとトルコの間にあるグルジアでも大きな動きがあった。米国との関係を強めてロシアと敵対し、ロシアと戦争して破れ、自国領の北半分をロシアに占領されているサーカシビリ大統領の政党「統一国民運動」(ENM)が、10月1日の議会選挙で敗北した。ロシアと良い関係にある富豪のイワニシュビリが率いる政党連合「グルジアの夢」(KO)が議会の与党となり、イワニシュビリが首相になって、サーカシビリと対立し始めた。サーカシビリの任期は来年1月までだ。 (Georgia's Election Aftermath: Will Saakashvili Play Spoiler?) 米政府は、サーカシビリが選挙の敗北を認めたことを評価している。「民主化」を喜び、地政学的な敗北を無視するのがオバマ政権の特徴だ。グルジアの国是は対米従属から対露従属に転換していきそうで、これは地政学的な大転換になる。米国の右派は、サーカシビリを通じてロシア包囲網を強化しようとしたが、その作戦は終わりつつある。グルジアの南にあるトルコの、米国やNATOへの対し方にも影響を与えそうだ。 (米に乗せられたグルジアの惨敗) (Deflowering the `Rose Revolution') モスクワでは、プーチン政権が、米国の人権団体を追い出しにかかっている。ロシアの米国系人権団体は、人権重視のふりをして民主化運動を煽り、ロシアの政権を不安定にするのが真の目的だった。冷戦後にロシア政界を牛耳ったオリガルヒ(新興財閥。ユダヤ系が多い)には米英のエージェントのような人が多く、モスクワは米英系の「市民」団体が林立した。 (Russia Demands U.S. End Support of Democracy Groups) 2000年以降、オリガルヒを追い出して権力を握ったプーチンは、最近まで米英系団体の存在を黙認してきたが、米国の力が減退するとともに今回、米英系団体を追い出しにかかっている。米国務省は「ロシアの団体に支払っていた援助の予算が要らなくなり、財政削減に貢献するので良いことだ」と表明し、プーチンの動きを容認している。 (人権外交の終わり) ▼覇権分析であてにできないマスコミ 覇権や地政学的な動きに関しては、マスコミもあてにならないことが多い。米欧日のマスコミは軍産複合体の影響を受けているし、覇権や地政学的な動きは存在しないのが建前だからだ(戦後の日本は、対米従属の国是を守るため、地政学や覇権の存在を否定し、大学でも研究されていない)。米国の覇権が揺らいでいるのに、あたかも覇権が盤石であるかのような報道も多い。人々にどう思わせるかも、覇権をめぐる暗闘の一つだ。 たとえば、日本の原発廃止の動きに米国が反対しているという記事が、日本のマスコミに出た。戦後の日本人は「日本は米国の支配を逃れられない」と刷り込まれているので「やっぱりね」と思ってしまっている人が異様に多い。だが私から見ると、これは日本の官僚(原子力村)が、米国の軍産複合体のどれかの筋に持ちかけて、日本に圧力をかけてもらい、それを日本のマスコミにリークして書かせたのだと思われる。米政界にはいくつもの筋があるが、福島原発事故後、日本にずっと圧力をかけていたのはホワイトハウスの原子力安全委員会であり、彼らは日本に原発を廃止させようとしている。 (日本は原子力を捨てさせられた?) (日本の脱原発の意味) (福島4号機燃料プール危機を考える) 日本の民主党政権の中で、米国の意向を日本に反映させる役割を果たして権力を持っている一人として前原誠司・経済財政担当相がいる。彼は今、日銀に強力な金融緩和策をやらせるべく介入しているが、これは米国の連銀と金融界から頼まれたからだろう。そんな米国傀儡の前原が、福島事故の後間もなく、20年後までに脱原発するとFTのインタビューに答え、その後、日本政府の方針はおおむね前原が言った通りになっている。米国が日本を支配し続ける強い意志を持っていると日本人は考えがちだが、私から見ると、これは官僚機構が対米従属維持のため、マスコミを通じて続けている国内イメージ戦略の一つである。 (日本も脱原発に向かう) 米国の中枢には不断の暗闘があって一枚岩でないが、長期的にどの筋が優勢かということは分析できる。911以来の流れの中で、米国中枢では隠れ多極主義が優勢だ。軍産複合体や、米国覇権を延命させようとする筋は、過激策に流され、覇権の自滅と多極化に貢献させられることが、この10年間ほど多くなっている。米国の覇権は今後、まっすぐ崩壊していくのでなく、ぐらぐらしつつ、もしくは渦巻き状に動きつつ、時間をかけて崩れていくのだろう。カギとなる動きの一つがドルと米国債の崩壊だろうが、いつどのように起きるか予測は難しい。
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