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日本をユーラシアに手招きするプーチン

2012年3月16日   田中 宇

この記事は「多極化の申し子プーチン」(田中宇プラス)の続きです。

 前回の記事で、ロシアの大統領に復権したウラジミール・プーチンが、ソ連の復活を思わせるユーラシア同盟を設立したり、中露安保体制の上海協力機構が強くなったりして、米欧がロシアを包囲してきたユーラシアの地政学的状況が覆されていることを書いた。前回書き切れなかったのは、これから2期12年も大統領を続けるであろうプーチンが放つ強気の戦略が、日本や東アジアの国際政治に及ぼす影響についてだ。 (Putin's foreign policies likely to tilt toward Asia

 プーチンは大統領選挙の直前、日本に対し、日露間の経済関係をしだいに強化し、日露関係を好転し、相対的に領土問題が重要でない状況を作り、北方領土問題を解決していきたい、と呼びかけた。数日後、野田首相は当選直後のプーチンと電話で5分間だが話し、北方領土問題を解決していくことを相互に確認した。 (Economic Cooperation Will Solve Japan Spat - Putin

 プーチンは、日本との経済関係の強化について、具体的な構想を持っている。それは、ロシア極東のインフラ整備や、シベリアやサハリンの資源開発に対して日本に投資してもらい、日本がシベリアの石油ガスなどを得たり、極東への投資で利得を得られるようにしてやることだ。その一方でプーチンは、日本の4島返還要求について、1956年の日ソ共同宣言を逸脱していると批判しており、北方領土問題で2島返還以上の譲歩をするつもりがなさそうだ。要するにプーチンは、日本がシベリアや極東の開発に参加したら満足させてやるから、その代わり北方領土はロシアが望む2島返還で満足しろ、と日本に提案している。 (Japan hopes Putin win will help resolve dispute

▼中国に極東を席巻されるのを恐れるロシア

 プーチンがシベリア・極東開発に日本を誘う背景には、中国の存在がある。ロシアはソ連時代、巨額の国家財政を投入してシベリア・極東開発を進めていた。ロシアの人々は、政府投資でうるおうシベリアや極東に収入源を求め、冬の極寒など悪条件をいとわず移住していた。だが、ロシアの国家財政はソ連崩壊とともに破綻し、新生ロシアはシベリア・極東開発に別の財源を求めざるを得なくなった。冷戦直後の90年代、エリツィン政権は日本からの投資に期待し、日露関係を改善しようとした。

 だが日本の権力層(官僚機構)は、冷戦後の米国が、日本を傘下に入れるのをやめて、日米同盟を希薄化させて日本から離れていくことを、何よりも警戒していた。日本がロシアと関経協化すると、米国の離反を加速しかねなかった。日本政府は「北方領土が4島返還しない限り、ロシアと親しくできない」と、ロシアが譲歩できる一線を超えた要求に固執し続け、日露関係の改善を抑止して、対米従属の国是を守った。 (多極化と日本(2)北方領土と対米従属

 ロシアのシベリアや極東地域は、十分な投資が得られないまま、経済状況の悪化と人々の流出が続いた。だが、01年の911事件後、米国が単独覇権主義を振りかざしたことに脅威を感じた中国とロシアが政治的に接近すると同時に、中国が高度経済成長で大きく発展し始めた。00年から大統領になったプーチンは、シベリアや極東の開発に中国の資本を受け入れることを決めた。シベリアの石油ガスを中国に運ぶパイプラインが建設され、極東の諸都市には商的野心あふれる中国人が多数押し寄せた。 (中国の内外(3)中国に学ぶロシア

 ここで問題になったのが、シベリアや極東の経済利権を全部中国人に奪われる懸念だった。極東各地で、ソ連時代にロシア人が持っていた経済利権が中国人に奪われ、極東のロシア市民の中国人に対する感情が悪化した。ロシア政府は、シベリア・極東に押し寄せる中国人の経済力を希薄化する必要に迫られた。ユダヤ系以外の一般のロシア人は、中国人よりはるかに商才がない。ロシア人を頑張らせて中国人との競争に勝たせるのは困難だ。

 ロシア政府が考えたのは、日本や韓国、シンガポールなど、中国以外のアジア諸国の企業をシベリア極東開発に招致し、中国人と他の外国人を競わせてバランスをとることだった。ロシア政府は最近、極東地域の農地を外国企業に貸し出し、そこで大規模農業をやって食料輸出することを計画したが、その事業への投資を誘われたのは日本や韓国、シンガポールなどの企業で、中国勢は招待されなかった。 (China locked out of Russia's far east

 ロシア政府は、一方で中国と政治経済の関係を強化していこうとしている。プーチンは首相時代の昨秋に北京を訪れた際、中国政府に対し、中露共同で大型旅客機(ワイドボディ)を開発しようと提案している(中露はこれまで中型旅客機だけ共同開発してきた)。中国から新幹線技術を導入すれぱ、シベリア鉄道を高速化できる。しかしその一方でロシア政府は、国内の経済利権が、商才の薄いロシア人から、商才の濃厚な中国人に奪われることを懸念している。 (Putin Presses for Sino-Russian Widebody Alliance) (China to further improve ties with Russia

▼日本はプーチンの招きを拒否しているが・・・

 歴史的に見ると、日本にとってシベリアや極東への進出は、地政学的に重要な、ユーラシア内陸部への国際影響力の拡大である。日本が戦前の国家戦略を一部でも残していたら、冷戦後、喜んでシベリアに出ただろう。だが実際のところ、戦後の日本の国家戦略は戦前と正反対で、地政学的なことをすべて拒絶し、独自の外交戦略を持つことすら放棄して対米従属を続けている。

 09年秋からの鳩山政権で、一時は対米従属の離脱とアジア重視、官僚機構からの権力剥奪の戦略が掲げられた。あの方針が拡大していたら、北方領土と交換にシベリア極東開発に日本勢が参画する展開があり得た。だが、その後の暗闘で政界は官界に負けている。311の大震災以来「防災」の行政を握る官僚機構が焼け太りしている。間もなく首都圏で大震災が起きるかのような予測が発表され、官僚の自作自演の権限強化に拍車がかかっている。今の日本は、官僚機構の保身がすべてであり、ロシアを含むあらゆる外国との間で、日本の国是を変えかねない新規の国際的な戦略関係を締結したいと考える状態にない。 (民主化するタイ、しない日本

 米国がロシアとの関係を好転するなら、日本も追随してロシアと協調し始めるかもしれない。だが今の米政界は、ロシア敵視を弱める兆候がない。ロシアがWTOに加盟するので、米国がロシアに貿易上の最恵国待遇を恒久付与することを阻止してきたジャクソン・バニク条項を廃止する必要がある。だが米議会は、同条項を廃止する代わりに、腐敗したロシア高官の米国入国を拒否する新たな条項を作ろうとしている。検討中の新条項には、プーチンへの敵意が込められている。米政府は、東欧やトルコなどのロシア近傍に「防衛用」と称して地対空ミサイルを配備する計画も続けている。米露関係は当分好転しない。 (Russia Elevates Warning About U.S. Missile-Defense Plan in Europe

 台頭する中国に脅威を感じ、日本が経済主導でアジアに国際進出を強め、中国に対抗してバランスをとってくれることを望んでいるのは、ロシアだけでない。東南アジア諸国やインド、台湾などの国々も、日本がアジアで国際政治力を拡大し、中国の一人勝ちを抑止することを望んでいる。だがすでに述べたように、今の日本は、そうした期待に応える状況にない。

 とはいえプーチンは、これから12年間も大統領を続けそうだ。世界の多極化は進む一方の流れだ。日米同盟の最重要の象徴である沖縄の米海兵隊は、早ければ今年中にグアム島や米本土に撤退していく。思いやり予算やグアム移転費の名目で毎年、日本政府が米軍に巨額の資金を出す贈賄によって米軍を日本に引き留めておく官僚機構の対米従属策は、破綻に向かっている。 (The White House, the Marines, and Okinawa

 日本政府は、官僚主導が続こうが、もしくは政界による「真の民主化」が達成されようが、日米同盟の崩壊(空洞化)で対米従属が続かなくなったら、米国をあてにせず独自に中国の台頭と対峙せねばならなくなる。その時、プーチンが発する「中国を台頭させすぎないよう、日露で組もうよ」という提案が、対米従属の眠りからさめた日本人の目に、突如として現実味を持った話に見えてくる。その事態がいつ来るのか、日本の政局からはまだ見えてこない。だがプーチンには、あと12年も時間がある。

 日本がプーチンの招きに乗ってシベリア極東開発に参画しても、大損で終わるかもしれない。だが、対米従属と自閉的な国際姿勢をとっている現在より、対米従属のくびきから解かれて自力で世界と向き合わねばならなくなった時の方が、日本全体としての活性がはるかに大きくなる。対米従属が危機的状態なので、官僚機構はマスコミなどを使い、日本人を不明で自閉的な方向に誘導し、世界と自分自身のことを見えなくしている。今の日本人に元気がない最大の理由は、対米従属と官僚支配に拘束されていることに起因する。国民の元気を奪っておいて、国民を元気にするために役所やマスコミががんばります、という自作自演の構図だ。現状を見ると、政界や国民が自らこの構図を乗り越えるのは困難と感じられる。その代わり、米国の方が日本を出て行き、プーチンなどアジアの方から日本を招くのに誘われて再出発する受身の展開はありうる。



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