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第1章:やがて破綻するドル

2011年9月3日   田中 宇

 8月5日のS&Pによる米国債の格下げを機に、米国の財政金融がシステム的な危機を強めていき、世界的な米国の覇権体制が崩れ、リーマンショック直後に垣間見えたG20などに象徴される多極型の新しい世界体制への移行が進むのでないかという予測が、私の中に生まれた。格下げされた後も米国債の価値は下がらず、米国の(債券)金融システムの延命力が強いことが感じられるが、同時に、S&Pによる米国債の格下げが画期的な事実であることに違いはなく、バンカメ危機説など、9月以降、新たな金融危機が起きる可能性が残っている。

 米金融はしばらく延命するかもしれないが、06年以来、米債券金融システムが健全な状態に戻っていないので、いずれ危機が再燃しそうだ。新たな状況下で、いつ危機が再燃しても良いように、この問題についての私の分析をまとめて本にしておこうと考えた。PHP研究所と相談し、今年11月に単行本として刊行することを決め、本のタイトルを未定としたまま、2週間ほど前から本の原稿を書き始めた。これまでに配信したものをつなげるやり方では読み応えのあるものにならないので、新たに原稿を書き下ろしている。

 本書において私が書きたいことは、以下のとおり。まず、米経済を1980年代から支えてきた債券金融システムが、06年のサブプライム危機以来、崩壊していく過程にあること。金融債券システムの登場以後、米国の覇権が、冷戦体制を利用した軍事重視の覇権体制から、他の諸国より圧倒的に強い金融の力を使った金融覇権体制に転換したこと。それが崩壊している過程の全体像を描くこと。米国の金融財政が崩壊した後に出現しそうな、多極型の世界体制に関する予測的な分析も必要。

 覇権の起源と歴史的展開について考える。19世紀に英国の覇権が確立した後、経済発展をもたらす産業革命(工業化)と国民革命(国民国家化)を全世界に広げるにあたり、英国の覇権をできるだけ温存する戦略(帝国の論理、英米覇権主義)と、二つの革命をできる限り世界的に進めて世界経済の発展の極大化をめざす戦略(資本の論理、多極主義)が葛藤をもたらした。近現代の世界史の多くの大きな出来事の背景に、この葛藤に起因する暗闘や談合、二枚舌的状況があった。

 19世紀末に資本家がロンドンからニューヨークに拠点を移して以来、米国は資本の論理に沿って英国の覇権を壊して世界体制の多極化を試み、2度の大戦が起きた。英国は米国に覇権を委譲するといって大戦に参戦させ、2度とも米国を裏切った。2度目の裏切りは冷戦体制を構築し、英国と組んだ米軍産複合体が40年間、米国を牛耳った。ニクソンの多極主義的な逆襲を経て、80年代に覇権体制の中心が軍事から金融に移り、米英は20年の経済覇権を謳歌したが、債券バブルを拡大して潰して米英覇権を自滅させ、多極化を模索する動きが今まさに進んでいる。

 この近現代史観に基づくと、世界各地の情勢や近現代史について斬新で合理的な分析や意味づけができる。中国、欧州(EU統合)、ロシア(BRIC台頭)、中東(現在進行中の革命、イスラエル)、朝鮮半島、そして日本について、地域ごとの分析を展開したい。

 本書は全体として、以上のような展開を考えている。6章構成のうち、現在2章までできている。田中宇プラスの読者に対し、本を出す前に、書けた章から順番に、章ごとに先行配信することについて、版元の了解をとったので、まずは第1章を以下に配信する。

★第1章:やがて破綻するドル

 米国の通貨であり、世界の基軸通貨(備蓄通貨)であるドルは、破綻していく過程にある。2006年のサブプライム金融危機、08年のリーマンショックなど、ここ数年、米国の金融界は波状的に危機がひどくなっている。米金融界は、債券金融のシステムを使って市場における資金を大量に作り、金余り現象を起こして市場全般のリスクを下げる仕掛けを持っている。リーマンショックで破綻しかけたこの仕掛けが、09年以降再生されたので、今のところ米金融界もドルも延命している。

 この延命は、米政府が景気対策の名目で財政赤字を急増させつつ金融界を救済するとともに、米連銀(FRB)が金融界の不良債権を買い取って救済することで支えられてきた。しかし今、すでに米政府の財政赤字は増えすぎて、大幅な赤字削減をしないと米国債に対する信頼が落ちるところまできている。連銀も金融界の不良債権を買いすぎており、これ以上の救済策を期待しにくい。ドルの延命を支える力が衰えており、今後また金融危機が再燃したら、米金融界だけでなく、ドルや米国債に対する信用失墜が起きかねない。

 あとで詳しく説明するが、米国の中枢には、経済面、軍事面などで、米国を強化するための政策をやると言いつつ、それをやりすぎて逆に米国を弱体化してしまう勢力がいる感じだ。そうした存在もあって、米国の状況は、延命する方向性と自滅する方向性との間の相克となっている。この10年ほどを見ると、しだいに延命より自滅の方向性が強まっており、ドルが破綻していく過程にあると感じられる。

 ドルの破綻は、米国債の価値の大幅下落(国債利回りの上昇)というかたちで起きる。ユーロや円に対するドルの為替が大幅下落するかたちでは起こりにくい。ドルを発行する米国の連邦準備制度(連銀)、円を発行する日本銀行、ユーロを発行する欧州中央銀行といった先進諸国の中央銀行はネットワークを形成し、為替市場に対する協調介入や、金融界を経由した介入などによって為替相場を動かし、ドルがユーロや円に対して下落しにくい状況を作っている。米英の投機筋と債券格付け機関は、ユーロ圏内で経済基盤が弱いギリシャやアイルランド、ポルトガルといったユーロ圏周縁部の国々の国債相場を下落させ、先にユーロを潰すことでドルを延命させようとしている。11年3月の大震災と福島原発事故以来、日本経済も弱い状態が続き、ユーロも円もドルに対して値上がりしにくい。

 11年8月5日に米国の債券格付け機関スタンダード&プアーズ(S&P)が格下げされ、米国債やドルが無前提で、世界で最も安全で確実な投資先である時代は終わった。米国には著名な格付け機関が3社ある。S&Pはその中の一つしかなく、ムーディーズとフィッチという残りの2社は、米国債を格下げせず、最優良のトリプルA格に据え置いている。しかし、格付け機関が米国債を最優良格から格下げしたのは史上初めてだ。もはや米国債は「無リスク」と呼べなくなった。

 米国債が格下げされたが、今のところ(11年8月下旬)米国債の大幅下落は起きていない。米国債の利回りは上っていない。11年8月上旬、米国債の格下げは、国債の価値下落を引き起こす前に、株価の急落を引き起こし、株式市場から逃避した資金が米国債市場に向かう流れを引き起こし、米国債の価値はむしろ上った。これは金融界が傘下のヘッジファンドなどを使って意図的にやったことと思われる。

 その後、米国の政界やマスコミで、S&Pの格下げが誤判断だったという主張が流布し、S&Pに対する批判が渦巻く展開となり、他の格付け機関が米国債を格下げしない中で、格下げされた米国債が注目されるのでなく、格下げしたS&Pに批判が集中した。こうした、市場がS&Pによる米国債格下げを軽視するように仕向けられた政治劇により、格下げされても米国債の価値が下がらなかった。S&Pの会長は、政治的な圧力をかけられて11年8月末に辞任した。

 今後、オバマ大統領と米議会が11年8月に合意した米政府の財政緊縮策が予定通り行われ、米国の景気も悪化せず、財政赤字が順調に減っていけば、米国債の価値はこのまま下がらず、最終的にはS&Pが米国債の格付けをトリプルAに戻し、米国債は再び名実ともに世界最優良の資産に戻るかもしれない。この場合、ドルは破綻せず、世界の基軸通貨として生き残る。だが私が見るところ、米政府が財政赤字を減らすことはかなり難しい。この先、米国で長期的に財政赤字が最も増えていく分野は、メディケア(米政府の高齢者や障害者のための健康保険)など社会保障の部門だが、オバマの民主党は、社会保障の削減に徹底して反対している。半面、共和党は、増税に徹底して反対している。民主党は歳出削減に反対し、共和党は歳入増加に反対しているわけだ。

 この対立状態は非常に厳しく、これまでの数年間に行われた何度かの財政削減策は、見かけ上の数字だけを見ると財政緊縮だが、実質的にあまり緊縮されておらず、赤字増に歯止めがかけられない状況が続いている。財政政策をめぐる民主党と共和党の対立が解けないので、中身のある財政緊縮策ができない。米政府の財政赤字が増え続けると、特に米国外の投資家が米国債を忌避する傾向となり、最終的に米国債の価値下落(ドル崩壊)が起きる。

▼米国は財政と金融の両面が危機に

 米政府のどの部門の財政赤字が増えそうかということについて、イメージ的には、世界中で戦争ばかりしている米国のことだから、軍事費(防衛費)が増えて首が回らなくなるのだろうと、多くの人が考えるかもしれない。たしかに、2010年度の米政府の各省ごとの赤字内訳を見ると、国防総省が8892億ドル、保険社会福祉省が8577億ドル、社会保障庁が7539億ドルとなっており、国防費が目立つ。しかし今後を長期的に見ると、団塊の世代の定年、寿命の伸び、少子化、医療費の高額化などを受け、メディケアなど官制健康保険や、社会保障費の増加が赤字増の圧倒的な要因になると予測されている。

 米国の長期的な財政赤字問題に火をつけたのは、09年末に米政府が発表した年次報告書「米政府決算報告書(Financial Statement of the U.S. Government)」の付帯文書だった。そこには、官制健康保険や社会保障の支出増により、75年後の2083年には米政府の累積財政赤字がGDPの7倍にも達するとか、2083年より後のことまで考えると、最終的に累積赤字が107兆ドルに達するといった、驚くべき数字が書かれていた。(同様の指摘は2006年ごろから財政研究者の間から出ていた) (Fiscal Year 2009 Financial Report of the United States Government

 メディケアに関しては、ブッシュ前政権が、保険適用範囲を処方箋薬に拡大するなど、赤字がひどくなる構造を作り、後になるほど米政府の財政を圧迫する仕掛けを作って去っていった経緯がある。ブッシュ政権は、大規模な減税と軍事費の急拡大、メディケアの支出拡大といった、米政府の財政を長期的に自滅させる仕掛けを作って去っていった観があり、オバマはその尻拭いとしてメディケア改革をやる必要があった。

 オバマのメディケア改革は、10年3月に新しい医療保険法(Affordable Care Act)として成立した。この新法によって、75年後の累積財政赤字がGDPの7倍から3・5倍へと半減したと、米政府は昨年末に発表した10年度の米政府決算報告書に書いた。しかし、米議会の予算事務局(CBO)はオバマの医療保険法について、赤字削減の効果が少ないとする分析を発表している。メディケア改革は90年代のクリントン政権時代から何度も審議されているが、医者や製薬会社のロビー団体が政治力を発揮して法案を骨抜きにしてしまう。米民主党は福祉切り捨てだと反対する。その結果、メディケア改革は成功していない。

 米国は、財政だけでなく金融も危険だ。米金融界は、再び金融危機が起こりそうな状況になっている。米金融界は、「影の銀行システム」(シャドウ・バンキング・システム)と呼ばれる債券発行による金融システムの残高が、従来型の預金と融資の銀行システムの残高とだいたい同規模にまでふくらんでいる。債券の多くは、住宅や商業地の不動産を担保にした不動産担保債券である。ここで問題になるのが、米国の住宅や商業地の不動産の相場が下落する傾向を続けていることだ。不動産の価値が下がり続けると、担保割れが起こり、債券が元本割れしてしまう。不動産価格が下がるほど、債券の元本割れが広範囲に起こり、債券市場全体の危機になる。

 世界経済は、08年秋のリーマンブラザーズの倒産(リーマンショック)によって危機に陥ったが、危機は突然に始まったのでなく、06年夏に起きたサブプライム危機が発端だった。サブプライム危機は、返済能力がやや低い「サブプライム(優良格より低い)格」に分類された人々に対する住宅ローン債権を束ねて作ったサブプライム・ローン債券が、当時の金利上昇傾向を受けてローン返済不能者が増えたためにあちこちで元本割れを引き起こした結果、発生した。リーマンショック以後、米政府や連銀が金融界救済のために資金を注入し、09年から11年にかけて債券金融システムは延命する状態が続いている。しかし、不動産価格の下落が止まらない中で、この先も延命し続けるとは限らない。

 米国ではここ数年、失業が増加し、解雇されて収入が減り、住宅ローンを返済できない人が増えている。債務者のローン返済不能が続いた場合、債権者の銀行は、ローンの担保にとった住宅を債務者から没収し、競売にかけて売り、その代金で残っている債権を穴埋めするのが通常の手続きだ。しかし、広範な住宅価格の下落傾向と、失業増によるローン返済不能者の増加の両方が続く中、米国の各銀行がローン破綻した物件を次々に競売にかけていくと、住宅価格の下落傾向に拍車がかかり、競売の売値が下がり続け、銀行の不良債権が増えてしまう。

 米国の住宅ローンは、債務者が住宅を放棄して出て行くと、その時点でローン債務も消失し、銀行より借り手の市民が保護される規則になっている(日本では、ローン債務者が住宅を放棄しても債務が残り、借り手の市民より銀行が保護される規則になっている)。そのため米国では、住宅相場が買った時の価格より大きく下がると、自宅を放棄して引っ越し、債務を帳消しにする人が多い。これは銀行の損失を拡大させる。

 米国では05年ごろから住宅価格の下落が始まり、06年のサブプライム危機、08年のリーマンショックと、不動産担保債券の市場が崩壊して危機が拡大し、その後も住宅相場は下がり続けている。このような中、ローン債券者である米金融界は、ローン返済できなくなる人や、自宅と債務の両方を放棄して出て行く人が相次ぎ、ローン破綻が増えても、住宅相場の下落に拍車をかけることを防ぐため、ローン破綻した住宅物件を競売にかけず、塩漬け状態にしておくところが増えた。

 米当局の方も、窮地にある銀行界を救うため、ローン破綻した物件を競売にかけず塩漬けにしても、未収金としての計上を遅らせ、あたかもローン破綻が起こらずローンの返済がそのまま続いているかのように装って銀行会計を行えるよう、規則を緩和して対応した。米国では約4000万件の住宅ローンが組まれ、このうち9%にあたる360万件が、返済の滞った破綻状態にある。米銀行界は、その多くについて、競売を棚上げして塩漬け状態にしている。これらは、いずれ何らかの形で償却され、銀行の損失として計上されねばならない。米銀行界は、ローン破綻による経営危機の再燃を先送りするかたちで延命している。

 今後、米国で金融危機が再燃するとしたら、米国の最大手銀行の一つであるバンクオブアメリカ(バンカメ)が危機の引き金を引く可能性がある。バンカメが抱える不良債権の95%は、バンカメがリーマンショック前後の金融危機の際、米政府や金融界からの強い要請を受けて買収した大手不動産金融機関カントリーワイドが持っていた住宅ローン債権だ。

 当時、カントリーワイドがバンカメに救済的に買収されず倒産していたら、住宅ローン債権市場の全体が瓦解し、08年秋の米金融危機は、リーマンショックにそれが加わって、もっとひどいものになっていただろう。米金融界を救ったバンカメはその後、米財務省が公金を注入して金融界を救ったTARPや、連銀による債券買い取り(QE2)といった公的な救済策を受け、カントリーワイド買収の損失を穴埋めしていた。

 しかし、TARPもQE2もすでに終わった。米政府にも連銀にも、金融界を救済できる余力が大幅に減っている。しかも、米住宅市況は下落し続けている。06年以前の活況時、住宅ローン債券など不動産担保債を起債した時には、条件に曖昧な点があっても債券がよく売れたが、今になって起債時に法的な不備があったという訴えが起こされ、バンカメに債券を買い戻せと求める機関投資家が増えている。バンカメは不良債権との共倒れを防ぐため、カントリーワイドの部門だけを切り離して倒産させることを検討している。

 バンカメはもともと、米金融界や政府から懇願されてカントリーワイドを買収した。カントリーワイド部門が発生する不良債権の増分を、政府や金融界から十分に穴埋めしてくれなくなっているので、バンカメは、切り離して倒産させると脅しを流している。カントリーワイド部門が倒産すると、巨額の不動産担保債券が債務不履行となり、債券市場の中核をなす不動産担保債券市場の全崩壊につながるだろう。リーマンショックの再来となる。

 米国で金融危機が再燃しても、それがすぐに米国債の大幅下落やドル崩壊に至るわけではない。金融危機は株価や債券(社債、ジャンク債)の価格を急落させ、株や社債市場から逃避した投資家は、資金を米国債に流入させるので、米国債の価値がむしろ上昇する。しかし金融危機は米経済を不況に逆戻りさせる。

1990年代以降、06年の金融危機開始まで、米経済は未曾有の長期間の経済成長を続けたが、それは金融業によって支えられていた。製造業は不振のままで、雇用は伸び悩み、金融界から他の業界に少しずつ広がっていく経済波及効果の中で、米国の経済成長が続いた。また金融主導で成長が持続する米国市場は、世界から旺盛に商品を輸入し続け、金融の儲けが米国の消費の活況を持続させ、それがアジアを中心とする世界の製造業を対米輸出増のかたちで支援し、世界経済の牽引役となってきた。

 このように、米経済は金融偏重の構造になっており、金融主導の米国市場の需要増が世界経済を主導してきた。だから、米金融界が危機になると、米経済全体、そして世界経済の全体が大打撃を受ける。リーマンショックが世界不況につながったのもこのためだ。米国での金融危機の再燃は、世界不況の再発につながる。もし金融危機が起きても、一時的なものにとどまり、再び米金融界が活況を取り戻す方向に動くなら、米金融界が米国と世界の経済成長を牽引する構図は壊れず、米国が世界を主導する覇権構造は維持される。しかし、そうでなくて、もし金融危機が米金融界を不可逆的に破壊し、米金融界の儲けの中心に位置する債券金融システムが再生不可能なかたちで崩壊してしまうと、米経済は成長できなくなり、米国が世界経済を牽引することもできなくなる。

▼米経済を底上げしてきた債券金融システム

 米国で06年から断続的に続いている金融危機の本質は、債券金融システム(影の銀行システム)が肥大化しすぎ、主な担保である米国の不動産の価格下落を引き金に、バブル崩壊を起こして収縮していることだ。債券金融システムは、1980年代までほとんど存在していなかった。債券金融システムは、85年の米英同時の金融自由化によって立ち上がり、このシステムの拡大が、90年代の米経済の長期の経済成長を引き起こし、米国が世界経済を牽引していくことを可能にした。

 1971年8月に米政府が財政破綻し、当時のニクソン大統領が、それまで1オンス=35ドルで米当局が金地金と米ドルとの交換を保証していた政策を停止し、1944年のブレトンウッズ会議で確立し、戦後世界の通貨体制の基盤となっていたドルの金本位制を廃止した。金本位制を離脱し、裏づけのない通貨になったことは、当初、ドルにとって弱体化だったが、やがて弱さが強さに転換した。金本位制の時代、米連銀は、米政府が所有する金地金の価額を大きく超えてドルを大量発行することができなかった。それをやったので金本位制が潰れた。

 だが金本位制を離脱すると、その後のドルは、米政府が保有する金地金の総量でなく、ドルを受け取った人々がどれだけ米政府を信用しているかという、米政府の信用性に裏付けられることになった。当時は冷戦体制下で、欧州や日本など先進諸国はすべて「西側」だったので、政治的に米国の覇権が維持されることを望み、西側諸国の当局がドルの為替を維持するために協調介入をして米国を下支えして、ドルの価値下落や米国の信用失墜を防いだ。

 80年代から米英を皮切りに金融自由化が始まり、企業は、銀行で金を借りるより、自社の信用を使って債券を発行する方が安く資金調達できるようになり、債券市場が急拡大した。銀行が住宅ローンなどの債権を束にしたうえで証券化し、投資家に売る不動産担保債券も増加した。銀行が傘下のヘッジファンドに債券を発行させ、その金で株価をつり上げたり、どこかの国の為替市場を急落させたりして利益を出すことができるようになった。

 大手企業はかんたんに資金調達できるようになり、経営難になっても資金調達が容易なので資金繰りに詰まらず、90年代以降、米国は倒産が減り、不況に陥りにくくなって、経済成長が10年以上持続した。債券発行が全体的に増え、金余り状態になるほど、投資家は低い利回り(高い債券価格)に甘んじるようになり、ジャンク債の利回りが低下して、最高位の債券である米国債の利回りに近づく「リスク・プレミアム」の縮小が起きた。ジャンク債の利回りが低下するほど、経営難の企業でもかんたんに資金調達できるようになって倒産が減り、景気の悪化が抑止され、好景気が維持される。債券発行の総額が増えて金余りになるほど、米国の好景気が続く構図ができた。昨今のように実体経済が悪化しても、金余り状態にある資金が株式市場に入って株価だけは上がり続ける状況になった。

 債券発行が増え、米国の金融界は、預金を集めて融資する従来型の金融システムの残高が20兆ドル、債券発行による新型の金融システム(影の銀行システム)の残高が同じく20兆ドルという状態にまでなった。ドルの発行量は急増したが、この事態は、71年に金本位制が崩壊したからこそ可能になった。金本位制が続いていたら、ドルの発行に上限があり、債券金融界の急成長は妨げられていた。

 銀行にとっても、債券発行ビジネスは預金・融資のビジネスより何倍も利幅が大きく儲かるので、金融界はこぞって債券金融に傾注した。この傾向と合わせて、米英では「当局は金融界をできるだけ規制すべきでない」という自由市場主義(市場原理主義)の政策が強くなり、金融界は債券発行で作った巨額資金を、オフショア市場など全く規制のない場所の口座に入れておき、金融界の都合に合わせて使えるようになった。

 債券市場は、米国債を頂点とした債券格付けになっている。債券格付けは、債券市場の秩序を決めるものであり、債券金融システムの根幹である。米国債が常に最上位であることが必須になっている。債券金融は、90年代以降の米経済の成長と強さを下支えし、米国が世界一の国(覇権国)である世界秩序を維持し、米国が覇権国である限り、米金融界が作った債券金融が世界的なシステムとして認知される。債券金融が米国の覇権を守り、米国の覇権が債券金融システムを守るという互助体制ができた。71年に金本位制をやめた米国は、90年代から「債券金融システム本位制」になった。

 ところが、06年のサブプライムローン危機以来、米国の債券金融システムは崩れていく方向にある。今のところ、債券市場の一部が壊れても、危機が米国債そのものに波及しないようになっている。債券や株が下がるほど、資金が「危険」な株や債券から「安全」な米国債に移ってくるからだ。しかし、今後も債券金融システムが壊れていく事態が再燃して続くと、最後には米国債の価値が不可逆的に下がり、ドルは基軸通貨の地位を失い、米国は覇権を喪失することになる。

 米国債の価値が下落すると、米国債の金利が高騰する(債券の価値は利回りに反比例する)。米政府は財政赤字を増やせなくなり、世界中に米軍を配備することも、最新鋭の軍備を開発することも、大きな戦争を長く続けることも困難になる。米国債の下落は、米国が世界を軍事的に支配することを不可能にする。米国の覇権は、経済的にも軍事的にも外交的にも失われる。こうした米国覇権の失墜がいつ起きるのか、債券金融システムはいつまで延命するのか、予測は困難だ。延命するベクトルと、失墜するベクトルが交錯している。今後ずっと延命しているうちに、米国は新たな経済力の源泉を獲得し、覇権を喪失せずに再興していく可能性もないわけではない。しかし、再興の道筋は今のところ全く見えない。金融危機が再燃して破綻色が強まる可能性の方が大きい。

 債券金融システムは、06年からの金融危機によって凍結・崩壊状態になったが、09年後半ぐらいからある程度蘇生し、それと同時に「米国経済は不況から脱しつつある」といわれるようになった。だが金融関係者の中には、債券金融システムが本質的に崩壊過程にあると考えている人も多い。

 英国最大手の銀行であるHSBC(香港上海銀行)の会長だったスティーブン・グリーンは、リーマンショックが起きる3カ月前の08年6月に行った講演で「(米英の銀行が)展開したレバレッジ(債権債務)を拡大するほど儲かる(債券)金融ビジネスのモデルは、破綻した。バブル崩壊という循環的な変化ではなく、ビジネスモデル自体の破綻である」「今後は、以前のような利益率の高い時代は終わる」「銀行は(債券金融型ビジネスモデルを捨てて)顧客との信頼関係や、運用の効率化、急成長しそうな市場への参入といった(昔ながらの)基本的な経営姿勢(預金・融資型ビジネスモデル)に戻る必要がある」と述べている。

 HSBCのグリーンは、リーマンショック前に、すでに債券金融システムは不可逆的な崩壊期に入ったと認識していたことになる。このころからHSBCは債券金融ビジネスモデルを離れ、中国を中心とする新興諸国の市場に投資する融資型のビジネスモデルを重視するようになった。(ちなみに、日本では90年代のバブル崩壊後、政府が銀行にリスクの高い分野への参入を事実上禁じたため、その後の金融界の債券金融システムへの傾注が少なく、米英に比べ、金融危機になりにくい) (HSBC says excessive bank leverage model "bankrupt"

▼中産階級の没落で低下する米経済の力

 米英経済は1990年代から、債券金融システムの膨張が国全体の経済成長を底上げする構造になっていた。米英では製造業が1970年代までに弱体化し、70−80年代は(英国は60年代から)不況だったが、1985年からの米英同時の金融自由化によって債券金融システムが開花し始め、金融主導で経済成長を取り戻した。金融界に関係する人々が最も金持ちとなり、そこから流れ出る需要によって、サービス業など他の産業が成長する経済構造となった。

 製造業は不振が続き、たとえば大手の家電メーカーだったゼネラル・エレクトリック(GE)は、製造業部門が縮小して金融サービス部門が拡大することで存続した。米国の金融業の拡大は、米国での富の増大と消費力の拡大を生み、アジアなど世界から旺盛に輸入を増やして米国が世界経済を牽引することにつながった。アジアなど世界の各国が対米輸出で儲けた資金は、米金融界に投資され、米金融界のさらなる拡大をもたらし、米国の消費力をさらに押し上げて世界からの輸入が促進される循環が生まれた。

 しかし、この構図は長続きさせることが困難だった。製造業は工場などで大人数の人員を必要とするが、金融業やサービス業はそうでない。製造業によって支えられている経済は、国民の大多数が、製造業とその関連産業に雇用されて大衆的な中産階級を形成し、彼らの消費によって経済がさらに活性化する構図になっていた。だが80年代後半以降の米英は、経済が製造業主導型から金融主導型に転換していった。

 金融業は製造業に比べ、はるかに少ない人数しか雇用しない。米英金融界の内部は階層型の雇用状態になっており、金融商品を開発したり、市場を分析したり、市場の取引で巨額の利ざやを稼ぐアナリストやトレーダーといった少数の人々は賃金が非常に高いが、店頭で小口の個人顧客の対応をするリテール窓口の担当者は賃金が安い。金融界の賃金が高い人々が使ったお金が、他の産業に少しずつ移転していく経済効果はあるが、その度合いは大したものでない。

 国民の大半が製造業に雇用され、中産階級としてお金を使っていた製造業主導型の経済に比べると、金融主導型の経済は、貧富の格差が激しい。米英は、経済が金融主導型に転換して年月がたつほど、中産階級が雇用先を失って失業・半失業する傾向が強くなり、疲弊し、貧困層へと没落し、少数の金持ちと大多数の貧困層に二極化した社会構造へと変質した。中産階級は収入のほとんどが賃金であるが、金持ち層は金融投資による儲けからの収入が多く、会社からもらう報酬もストックオプションなど金融の儲けに分類されるものが多い。

 賃金には所得税が課され、金融の儲けにはキャピタルゲイン課税など投資関係の税金が課されるが、米英などでは、投資関係の税金より所得税の方が税率が高いことが多い。米政府の財政赤字が問題になった11年8月、米国有数の大金持ちである投資家のウォレン・バフェットが、自分の税率は17%だが、所得がずっと低い自分の会社の従業員の税率は36%だと指摘して、金持ちに対する減税措置をやめるよう提唱したのが象徴的だ。 (Why Buffett is wrong about soaking the rich

 90年代のクリントン政権時代は、経済成長が続き、株価も上り、中産階級の人々は給料が横ばいだったものの、個人投資家として株式投資などで副収入を得て、何とか家計を回し続けていた。だが01年以降のブッシュ政権では、金持ちを対象とした減税が行われ、貧富格差が増大した。同時に、金融危機の発生などによって経済成長が鈍化し、06年の金融危機発生後は、貸し渋りによって、中産階級の人々への住宅ローンやクレジットカード利用が制限され、中産階級は借金もできなくなる傾向が強まった。米国は、発展途上国並みの貧富格差の激しい国になり、国民の8%が生活保護(フードスタンプ)に頼る生活を強いられ、国民の15%が健康保険に入れない貧困状態にある。

 中産階級の没落・縮小と、貧富格差の増大は、国民の教育程度の低下、優秀な人材を登用する母体となる中産階級の若者層の喪失などを引き起こし、国力の低下につながる。製造業がすたれ、経済が金融主導に転換してから20年がすぎ、中産階級の没落が顕著になったことで、米国の国力が低下している。この悪影響は、金融危機と相乗効果をもたらしている。

 11年夏に英国で暴動が起きたが、これも中産階級の没落と貧富格差の拡大の影響だ。英国政府は70年代以来、製造業の衰退を受けて増え続ける失業者・貧困層に対し、儲けを増やす金融業に課税して集めた財政資金を使い、社会福祉を与えて最低限の生活を保障することで、何とか安定した社会秩序を保っていた。だがリーマンショック後、金融界の儲けが激減して英政府の税収が細り、貧困層に最低限の生活を保障してやれなくなり、貧困層の居住地域の若者が各地で暴動を起こすに至った。

 米国民の大多数を占めてきた中産階級が縮小すると、米国の消費市場の規模が小さくなる。中産階級より下の貧困層は、中産階級よりも格段に消費する額が小さい。米経済の65−70%は、消費で成り立っている(日本などでは製造業の活動が経済の大きな割合を占めるが、米国は製造業が衰退している)。

 この20年ほどの世界経済は、米国の消費力によって牽引されてきた。アジアが製造して米国が消費することで、世界経済が成長していた。米国は、旺盛に消費することで、世界経済を支える経済覇権国として機能していた。米国の中産階級が没落し、米国での消費が減ることは、この構造が崩れ、米国が世界経済を支えられなくなることを意味する。

 代わって期待されているのが、中国やインドなど新興諸国の内需の拡大だ。中国やインドでは、貧困層が職や教育を得て中産階級になっていく流れが起きている。米国の中産階級が没落し、代わりに中国やインドの中産階級が勃興している。この流れは、米国の覇権体制が崩れ、代わりに中国やインドなど新興諸国(BRIC)が各地域の大国として台頭する多極型の覇権体制へと世界が移行しつつあることを象徴している。

「第2章:米国覇権が崩れ、多極型の世界体制ができる」に続く】



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