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米国債の格下げ

2011年8月7日   田中 宇

 米国時間の8月5日夜、米国の3大格付け機関のひとつであるS&Pが、米国債の格付けを最優良のトリプルAから1段階引き下げ、ダブルA+にした。S&Pは、米政府の財政赤字上限引き上げ問題(赤字削減問題)で米政界が議論を展開していた7月中に、米政界が目標とする4兆ドルの赤字削減を達成できず、削減額が目標を大幅に下回った場合、米国債を格下げせざるを得ないと表明していた。 (United States of America Long-Term Rating Lowered To 'AA+' Due To Political Risks, Rising Debt Burden; Outlook Negative

 8月2日に政治決着した赤字削減額は2兆5千億ドル超で、目標の4兆ドルを大きく下回ったため、市場関係者の間では、S&Pが米国債を格下げする可能性があるという予測が出ていてた。しかし格付け機関は、米政界を牛耳っている金融界が自分たちの債券金融システムの都合に合わせて作った機関だ。すべての債券の頂点に立つ米国債の格下げが金融システムを破壊することを考えると、S&Pが米国債の格下げに踏み切る可能性は低いと私は考えていた。実際のところ、私の予測と裏腹に、S&Pは8月5日に米国債の格下げに踏み切った。 (◆延命した米財政

 S&Pが、ドルを守るという政治目的を無視しても米国債を格下げせねばならなかった理由の一つとして考えられるのは、S&Pがユーロ諸国の当局、特にイタリアの捜査当局から、ユーロ諸国の国債の格付けを不当に引き下げた疑いで捜査を受け始めていることだ。S&Pなど米英系の3大格付け機関が、ギリシャやイタリア、ポルトガルなどユーロ圏諸国の国債格付けを、意図的に悪い評価とタイミングで格下げしたと、独仏を含むユーロ圏諸国の当局者の多くが考えてきた。 (Italy probing rating agencies

 S&Pがユーロ圏諸国での訴追を免れ、債券格付け機関としての国際的な信用を守るには、欧州を不当に悪く格付けし、米国を不当に良く格付けしてきた現在の状態を改め、米国が悪い以上、米国債の格下げに踏み切るのが一つの対策だ。8月2日以降、S&Pには米政界や金融界から大きな圧力がかかっただろうが、8月4日に米国主導で世界的に株価が暴落し、米経済の見通しが悪化したことを受け、翌5日に米国債を格下げした。S&Pは、米経済の悪化傾向が続きそうなので、今後さらに米国債を格下げする可能性があるとして、見通しを「ネガティブ(悪い方向)」に設定している。 (S&P cuts US debt rating to double A plus

▼格下げで起きる金融バブル再崩壊

 S&Pによる米国債の格下げは、米国時間の金曜日の夜に行われた。それが世界の市場にどんな影響をもたらすか、8月8日の月曜日にならないとわからない。だが、土曜日に開いているサウジアラビアの株式市場は、8月6日に株価が5・5%暴落した。米経済が不況に逆戻りしかけていることもあり、世界的に株価の下落が続きそうだ。 (Saudi stock market first to plunge on S&P downgrade

 米国債の格下げが債券市場に与える影響について、短期的には大したことないという予測がある。米国債を格下げしたのがS&Pだけで、他の大手格付け機関は米国債の最優良格を変えていない。格下げされてもドルが基軸通貨である体制は不変で、米国債が好まれる状況は変わらず、米国債の価値はあまり下がらない(金利はあまり上がらない)と見る向きもある。 (S.& P. Downgrades Debt Rating of U.S. for the First Time) (As promised, S&P downgrades United States AAA credit rating

 しかし、S&Pは格付け機関の中でも歴史が古く、権威がある。赤字上限引き上げ問題で、共和党が増税に絶対反対、民主党が福祉支出削減に絶対反対を貫き、米政界が財政再建で合意するのが不可能なことが、世界的に顕在化した。米政府の赤字増加は放置されるだろう。 (Franck Biancheri's new comments on the consequences of the 'US debt ceiling agreement'

 しかも最近の雇用統計や不動産市況、経済成長率などから、米経済が08年のリーマンショック後の不況から立ち直れていない(米当局の救済策が金融バブルの崩壊を先送りしただけ)ことも明らかになった。米国債の格下げは妥当だと、市場関係者の多くが思っているはずだ。米国の経済や財政の状況が好転する可能性は低く、いずれ他の格付け機関がS&Pに追随して格下げする可能性の方が高い。 (Time to Say It: Double Dip Recession May Be Happening

 財政赤字増と金融バブルの残存から考えて、今回のS&Pによる格下げによって、米国債の最優良格は半永久的に失われたといえそうだ(今後いったん財政破綻し、政治体制や世界戦略を孤立主義的、多極主義的に全面的に衣替えした後の新たな米国が、今から10年以上先に、再び優良な経済大国として立ち上がってくるかもしれないが)。

 米国債は世界の債券市場の「道路元標」である。米国債の格下げは、債券市場全体の格下げを意味する。米国債が格下げされた以上、短期的に大したことが起きなくても、中長期的には、先送りされていた金融バブル(債券バブル)の崩壊が必ず起きる。短期的にも、S&Pによる格下げが唐突に具現化したので、市場の反応も混乱した荒れたものになるという予測も出ている。 (Analysis: U.S. downgrade could accelerate dollar decline

 リーマンショックの時は、まだ米政府の財政赤字が今よりずっと少なく、米政府は公金を使って金融界を救済(延命)した。だが今回は、米政府の財政赤字が急拡大した挙げ句、財政危機から米国債が格下げされ、金融危機へと発展しようとしている。もはや公金で金融界を救済することができず、金融危機が起きても放置せざるを得ず、リーマンショックよりもひどい危機になるだろう。また、米国債の格下げは、住宅ローンや社債など、ドル建てのすべての長期金利の上昇を招き、景気の足をさらに引っ張る。 (Our financial system has become a madhouse. We need radical change

▼再び語られる通貨の多極化

 米国など先進諸国の当局が金融機関に課している規則の中には、米国債が未来永劫、世界で最も安全な資産であるという前提のもと、米国債を担保や資産として使うことを金融機関に義務づけている条項がたくさんある。しかし今回、米国債が世界で最も安全な資産ではなくなった。すべての格付け機関がトリプルAと認定しているドイツや豪州、カナダなどの国債の方が、米国債よりも優良だ。

 今後、各国当局が金融監督の条項の中の「米国債」を「トリプルAの国債」に置き換え、米国債を排除し、ドイツや豪州などの国債を担保に使うように変更するとしたら、それは米国債の大量の売りを招き、米国債の価値はさらに大幅に下落し、さらなる格下げと、米国債の発行が困難になって米政府の財政難の加速を招く。半面、従来どおり各国当局が米国債を担保にすることを金融機関に義務づけるなら、それはリスクが高くなった米国債を金融界に持たせ続けることを意味し、金融界全体の健全性を損なう。米国債の格下げとともに、世界的な金融管理の体制も破綻に瀕している。 (El-Erian: downgrade heralds new era

 7月下旬、まだ米政界が赤字上限引き上げのために財政緊縮を議論していたとき、金融関係者の間で「緊縮議論がまとまらない場合、米国債がデフォルトすることよりも、格付け機関が米国債を格下げすることの方が、長期的な悪影響がはるかに大きい」という指摘が出ていた。その後、緊縮議論がまとまって米国債のデフォルトは避けられたが、米国債の格下げは挙行され、結果的に、緊縮議論がまとまらなかった場合と同様の悪い事態になっている。 (The Road to a Downgrade

 3大格付け機関がドルを延命させるためにユーロ圏諸国の国債を意図的に格下げしてきたことを考えると、今後、欧州のトリプルA格の国々のうち、攻撃しやすいフランスの国債を格下げしようと、米英系の格付け機関と投機筋が組んでユーロ圏への攻撃を再燃させるかもしれない。すでにフランス国債は狙われ、独仏間の国債の金利差が史上最大になっている。フランスを格下げし、イタリアやスペインをデフォルト格に落としこめられれば、ユーロ圏は行き詰って解体を余儀なくされ、ユーロがドルに代わる基軸通貨になることを防げる。しかしこの場合、先進諸国は米国と欧州の同士討ちとなり、中国やロシアなど新興諸国が漁夫の利を得ることになる。 (Five days from debt deal to disaster

 米国債が格下げされ、ドルが基軸通貨としての地位を失いそうになっても、ドルに代わる基軸通貨が存在しないので、ドルの基軸性が失われることはない、という見方が報じられている。今後、ユーロ潰しが成功すれば、この見方はさらに強まるだろう。 (Even With a Downgrade, dollar's Reserve Status May Not Go Away

 しかし実際には、リーマンショック直後の08年秋、G7に取って代わるかたちでG20サミットが立ち上がり、そこでドルに代わる基軸通貨体制として、ユーロやドル、円、人民元、ブラジルレアルなど、複数の地域基軸通貨を加重平均したバスケット体制を、将来的に使う方向性が決まっている。ニクソンショック後にIMFが起草した特別引出権・SDRをベースにした体制である。ドル基軸体制がすぐに失われないと予測する分析者も、5−10年後に新しい基軸通貨体制に移行すると予測している。 (「ブレトンウッズ2」の新世界秩序

 S&Pが米国債を格下げした直後、中国政府は「ドルに代わる基軸通貨体制が必要だ」と改めて発表した。中国政府は、外国勢として最大の米国債保有者であるが、その一方でドルがもうダメだということも知っている。中国政府系の債券格付け機関である大公は、昨年すでに米国債を格下げし、今回の米政界の財政騒動を受けて再度、格下げした。 (After historic downgrade, U.S. must address its chronic debt problems

 ドルに代わる基軸通貨体制には、中国人民元が入ることが必須だ。それには人民元が従来のように事実上ドルにペッグしたままではダメで、中国当局が人民元のドルペッグをやめて、対ドル為替の上昇を容認し、人民元を国際通貨として流通させる体制を作る必要がある。今後の注目点は、それがなされるまでに何年かかるかだ。FT紙は「自由化されれば、人民元は、ドルの代わりの基軸通貨として最もふさわしいものになる。そうなるまでに、あと5−10年かかる」と書いている。こうした予測を読むと、対米従属・対中嫌悪を国是とする日本の将来が不安になる。 (Dollar scepticism places spotlight on renminbi

 S&Pによる米国債格下げを受け、G7が緊急会合を開くことにした。G20も動き出すだろう。今回の米国債の格下げは、リーマン倒産以来の、覇権体制を米英中心型から多極型に変えていく歴史的転換点になるだろう。 (G-7 To Meet On Sovereign Debt Crisis; This Could Get Ugly) (World leaders confer on debt crises this weekend



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