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延命した米財政

2011年8月1日   田中 宇

 オバマ大統領は8月1日、米政府の財政赤字上限引き上げ問題で米議会と「3兆ドル(2・8兆ドル)の財政赤字削減」で合意に達し、問題が解決の方向に動きだしたと発表した。オバマは当初、現在14兆ドル強の米財政赤字のうち今後10年間で4兆ドルの赤字削減を目標にしていた。3兆ドルはそれより少ないものの、実質的な赤字削減であるとしたら、それは米政府の赤字を従来の急増から減少に転じさせることであり、オバマの政策は成功したといえる。しかし今回の合意を見ると、実質的な赤字削減の部分は少ない。 (Congressional Sources: Republicans and Democrats Reach Tentative Debt Deal

 合意されつつある赤字削減策は2段階になっている。3兆ドルのうち1兆ドルは、来年から削減を開始する。残る2兆ドル(1・8兆−2兆ドル)は、米議会そのものでなく、民主共和の2大政党から数人(一説には6人)ずつ議員を代表として出して超党派の特別委員会を作り、その委員会が削減について審議し、今年11月末までに決める。 ('Super Congress': Debt Ceiling Negotiators Aim To Create New Legislative Body

 最初の1兆ドルは、支出削減が比較的やりやすい部分だ。先週始めに米議会の上下院が別々に最初の赤字削減案を出してきた時、双方の案で共通している支出削減が1兆ドル弱だった。この中には、インフレ率(消費者物価指数、CPI)の計算方法を変更し、CPIの比率を低くすることで、CPIに連動して支出額が決まる社会保障費の支出を減らすことによる、10年間で3000億ドルの支出削減が含まれていると考えられる。 (米国でインフレと赤字総額を少なめに見積もる計算変更) (Boehner vs. Reid bills: Where they meet

 残りの2兆ドル分の削減については、米議会の民主党と共和党の間で折り合いがつかなかった。そこで、もはや議論の時間がなくなった最後の段階で、特別委員会を作って11月末まで審議を続けることを決め、結論を先送りした。この特別委員会は、以前の記事の末尾で「超法規的委員会」と紹介したのと同じものだろう。 (デフォルトに向かう米国(3)

 今回の合意には、特別委員会が合意に達せなかった場合、12月末から自動的に防衛やメディケアなどの支出が削減される「トリガー条項」が罰則的に入っている。防衛は共和党、メディケアは民主党が支出を絶対維持すると宣言している分野だ。

▼憲法加筆で丸め込まれた茶会派

 特別委員会は、百人単位で議員がいる公開が原則の両院の本議会と異なり、少人数で非公開で談合を進められる。おそらく両党のベテラン議員たちで構成され、今回の議論で赤字削減を強硬に主張した初回当選議員が多い共和党の茶会派を外した上で、両党が談合できる。統計数字の計算方法の変更による支出減や、イラクとアフガンから撤退することによる米軍経費の自然減(約1兆ドル)を赤字削減とみなすなど、本質的な赤字削減努力とは異なる小手先の削減策を集積していくだろう。 (U.S. Reaches for Solution to Debt Crisis

 米議会両院は今回ぎりぎりの議論をしたが、10年間で1兆ドル分の赤字削減しか合意できなかった。これ以上の削減をするには、どちらの党も反対しない小手先の削減を積み重ねるしかない。それをやるには公開的な議会上下院では無理だ。だから、米国の民主主義の本来の手続きを無視して少人数の超法規的な特別委員会を作って談合し、騙し的な合意を形成するしかないのだろう。騙しの合意であっても締結されれば、マスコミはあたかも本質的な赤字削減策が締結されたように報じる。しばらく経ってから、実は騙しの合意であることが、玄人向けの米新聞のコラム記事などで暴露されるかもしれないが、大した影響はない。

 オバマと米議会は、今年4月に今年度予算の残余分を決定する際にも、赤字削減策との抱き合わせが必要だという話になった。この時も、何を削減するかで対立し、暫定予算が切れる4月8日の夜に、赤字削減策と翌日以降の予算について劇的な合意に達するという、今回と似た騒動を起こした。この時に土壇場で表向き385億ドルの赤字削減策に合意したが、このうち実質的な赤字削減が3億ドルだけで、残りは前年度に使い切れなかった予算枠を使って今年度の赤字を埋めるという騙し的な裏技だった。この騙しの構図は、4月8日の合意後、しばらく経ってから米国の新聞で報じられたが、ほとんど注目されなかった。 (米国債デフォルトの可能性

 今回の合意の原案は、下院のベーナー議長(共和党)が先週、共和党内を説得して下院を通した2段階案である。このときベーナーは、下院共和党で赤字上限の引き上げに強く反対している茶会派を説得するため「米国の憲法に財政均衡を義務づける条項を新設する」という新しい策を抱き合わせにすることを提案した。茶会派は、米政府の財政を均衡させる(支出が歳入を上回らないようにする。赤字が出ないようにする)ことを最重要課題の一つに掲げて議員に当選している。合衆国憲法に財政均衡の義務づけ条項を新設することは、茶会派が支持者に「成果」として報告できるものの一つだ。

 対照的に、茶会派が赤字上限の引き上げに反対し続けて政府財政が破綻すると、社会福祉や公務員給与の支払不能、ローン金利の上昇やインフレ激化など、米国の市民生活が大打撃を受ける。市民を困らせる代わりに、憲法に新条項を追加することで満足してほしいとベーナーに説得され、茶会派の中からベーナー案を支持する者が出てきて、先週の下院のベーナー案の可決につながった。 (The Boehner Recovery The House speaker survives a near-death experience

 その後、ベーナー案は、上院で可決されたレイド案や、オバマの意向とすり合わされた上で、8月1日に上院とオバマの間で合意された統合案となった。下院の決議は8月2日の予定で、茶会派の中には反対票を投じる議員もいるだろう。だが、法案は憲法新条項案と抱き合わせになっているため、茶会派の中で法案を支持する者も出て、民主党の賛成票と合わせると、下院も可決され、8月2日中にオバマの署名を経て、赤字上限の引き上げが行われる可能性が高い。(そうでなければ8月1日の時点でオバマが「合意が達成された」と発表しない) (House moderates to be key to passage

▼不況ぶり返す米経済、赤字削減は困難

 とりあえず米政府の財政赤字上限は引き上げられ、米政府は財政破綻を免れそうだ。だが、超法規的な特別委員会に審議・決定の場を移すことに象徴されるように、これは解決でなく、米赤字問題の先送りと曖昧化である。

 どんなやり方であれ、米政府の財政赤字が減少傾向に転じるなら、米国は財政的な安定を取り戻し、ドルの基軸通貨の地位は守られる。対米従属に固執する日本など、先進諸国の多くが、ドルの基軸通貨としての地位や、米国の覇権国としての地位が今後も保持されてほしいと考えている。

 だが実際には、むしろ、米政府の財政赤字を減らすのが非常に困難だということが、今回の米政界での騒動で明らかになっている。08年のリーマンショック以降、米経済は政府への依存度が高まり、昨年の米国民の総収入の2割が、給与や給付金として政府からもらったお金だった。フロリダやミシガンなど不況が深刻な州ほど、民間経済が政府支出に強く依存している。 (Economy Faces a Jolt as Benefit Checks Run Out

 米経済は90年代以降、債券金融界の拡大に依存して高成長を続けてきたが、リーマンショック以後、金融界が縮小し、政府支出がその穴を埋めている。中国の債券格付け機関の分析によると、米国のGDP14兆ドルのうち、9兆ドルは金融バブルと海外からの金融の儲けであり、これらの「バーチャル経済」をのぞいた実体的な米GDPは5兆ドルにすぎないという。 (Chinese Rating Agency Pegs U.S. GDP At $5 Trillion (NOT $14T)

 米政府が財政赤字を削減するために本気で支出を大幅に削ると、米経済はひどいマイナス成長になる。米経済は、今年初めに年率2%の成長ができそうだと考えられていたが、1−6月の実際の経済成長は年率1%を切っている。雇用も回復していない。景気は二番底に入りそうだ。本当は、今から米財政の赤字を増やしても支出を増やし、景気のテコ入れをせねばならない時だ。しかし実際には、これから支出を削らねばならない。米政府が財政出動できないとなると、米国発の世界不況が再度、世界を襲うかもしれない。 (US economic policy is not yet triple

 今秋以降、米経済の成長がマイナスに陥ったら、米政府は景気テコ入れのため、財政赤字の削減策を乗り越えて赤字を増やすかもしれない。今回の合意で、累積財政赤字の上限が2兆ドル以上引き上げられるのだから、あとのことを考えず、とりあえず景気テコ入れの赤字増が必須だという話になりそうだ。政治家にとって、不況の中、財政赤字を減らし続けるのは無理な注文だ。

▼実態との矛盾が広がる国債格付け

 今回の米政界の騒動の最中に、債券格付け機関のS&Pは「たとえ赤字上限が引き上げられても、米政府の赤字削減策の額が4兆ドルを大幅に下回るなど、実質的な削減にならない場合、米国債を最優良のトリプルAから格下げする」と発表していた。今回合意した赤字削減は3兆ドル以下で、しかもそのうち2兆ドル分の決定を11月まで先送りし、特別委員会の密室談合で決めようとしており、騙しの削減策で終わりそうな感じだ。S&Pが満足できる水準に達しているとは思えない。 (The Biggest Driver in the Deficit Battle: Standard & Poor's) (S&P says 50-50 chance of U.S. downgrade

 しかし、米国の3大格付け機関は、NY資本家(ウォール街)とつながった政治的な存在だ。ユーロ圏に対する評価が異様に厳しい半面、米国について異様に甘いと、欧州勢から批判もされている。S&Pが「赤字上限が引き上げられても十分な赤字削減が行われない場合、米国債を格下げする」と表明した後、ウォールストリート・ジャーナルがS&Pを「何様のつもりだ」的に酷評する記事を出すなど、S&Pにかなりの政治圧力がかかっている感じだ。 (Who Elected the Rating Agencies?

 もう一つの大手格付け機関であるムーディーズは、米政界が話をまとめられず、市場の懸念が高まり始めて短期金融市場の金利が上がりだした7月29日に「米国債のトリプルA格を当面は維持する」と、市場をなだめる方向の発表を行うという、政治的な動きをしている。 (Moody's expects to affirm U.S. rating, negative outlook

 米国債の格付けは当面、トリプルAが維持されるだろう(維持されなければ、ひどい金融崩壊になる)。しかし、これは格付け機関の政治的な判断の結果であり、米国の景気が再度悪化し、赤字が減らずに増大していく中でのトリプルAの維持となる。実態的に、米国はトリプルAにふさわしくない状況が増していく。

 すでに米政府の財政赤字はGDPを超えており、先進諸国の中で、日本やイタリアに次いで3番目に悪い状況だ。日本やイタリアの格付けは、最優良よりずっと下である(日本はAA−、イタリアはA+)。米国と並んでAAAの国の中には独仏英などがあるが、いずれも財政赤字はGDPの60%程度で、財政状況が米国よりかなり良い。現時点で、米国が格下げされても不思議でない。ドルが基軸通貨である以上、米国はAAA格を維持せざるを得ないという政治判断や、3大格付け機関が米国系なので自国を格下げできないという政治状況だけが、米国の格下げを引き留めている。 (Global Aftershocks of a U.S. Debt Default

 ドルが基軸通貨である以上、米国債がAAAからAAに格下げされたら、世界的な最優良格もAAに格下げされるという見方があるが、これはまったく非現実的だ。現在AAA格の国と地域は19あるが、これらをすべてAAに格下げするのは不可能だからだ。 (List of countries by credit rating

 米国債の格付けが引き下げられなくても、今回の騒動によって、米国が財政赤字を本質的に減らすことができない状況であることが、世界の投資家の前に顕在化している。米国の通信社が「覇権国のはずの米国の中心で子供の喧嘩のような幼稚な財政論争が続き、世界の人々が、米国より中国の方が(投資先として)安定していると感じ始めている」と書く事態になっている。 (Debt-Ceiling Deal Comes With High Costs: The Ticker

 問題は、世界の国々、特に中国などBRICやEUといった大国群が、ドル基軸体制に代わる国際通貨体制、米国が覇権国でない国際政治体制を作ろうとしない点だ。米政界の(未必の故意的な)不手際によって、従来の米国中心の世界体制が不可逆的に崩れているが、他の諸大国の不作為によって、代わりの体制が立ち上がってこない。

 08年のリーマンショック後、多極型のG20がG7に取って代わり、ドル単独体制の代わりにユーロや円、人民元、金地金などを加えた複数基軸通貨体制を模索することがG20などで検討された。しかし、これまで世界経済を底上げしてきた米国の債券金融システムが延命したため、従来体制のままでいいやという気持ちが世界的に残り、覇権構造の転換(多極化)が進んでいない。

 今回、反連邦的、孤立主義(国際的には多極化容認)的な米共和党の茶会派の中から、自国の財政を破綻させても事態を進展させようとする動きが起こり、オバマも財政再建の目的でこれに乗った結果、騒動となったが、土壇場で騙し的な合意となり、米国は破綻を回避されて今後もしばらく延命しそうな感じになっている。世界は米国の蘇生を望むが、米国は蘇生でなく延命しているだけだ。オバマになって米国の蘇生が期待されたが、オバマは共和党の意向を汲みすぎて失敗し、米国は蘇生する方向性が感じられないままだ。だから、今後も不透明に秩序が崩れていく状況が続くだろう。



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