迷走するオバマの経済対策2010年1月24日 田中 宇米国のオバマ政権が1月22日、新たな銀行改革案を発表した。新政策は、商業銀行(預金を集める銀行)に対し、顧客の依頼を受けた場合をのぞき、企業買収ファンド(プライベートエクイティ)やヘッジファンドに投資してはならないとする自己勘定取引の禁止や、預金市場全体の10%を越える預金を集めた銀行は解体を余儀なくされる市場占有率の上限を盛り込んでいる。自己勘定取引の禁止は高リスク投資をやめさせ、市場占有率の制限は「大きすぎてつぶせない銀行」をなくす保護行政である。 (Obama Calls for Limiting Size, Risk-Taking of Financial Firms) 今のタイミングで銀行改革案が発表された背景には、オバマ政権の経済政策の失敗色が強まっていることがある。米政府は、財政赤字を急増させて不況対策をやっているが、景気回復の要となる失業はむしろ増えている。不況の元凶となっている金融危機の拡大を防ぐため、米政府は税金を使って銀行を救済してきたが、米銀行界は「焼け太り」で未曾有の利益を出し、大銀行の役員らはお手盛りで巨額の報酬をもらっている。失業増に苦しむ一般国民は、不況対策と言いつつ銀行を儲けさせたオバマ政権への反感を強めている。1月19日には、これまで全米随一の民主党の牙城だったマサチューセッツ州の上院議員選挙(補選)で民主党候補が敗北した。これまで民主党のオバマ政権を支持していた州民がオバマに失望し、共和党候補に票を入れた結果だった。 (Scott Brown Election Win A Massive Rebellion Against Big Government) 民主党はすでに昨年11月、以前は楽勝だったニュージャージー州の知事選挙でも負けている。米民主党内では、1月19日の選挙敗北の直後から、銀行に対して厳しい政策を打ち出して民心を再掌握しないと来年の中間選挙で勝てないと予測する、危機感のこもったメールが飛び交った。そして、この危機感を受けて上院補選の3日後、オバマは新たな銀行規制を打ち出した。 (Obama takes on the banking Terminators) ▼グラス・スティーガル精神の復活 新政策は「オバマは大銀行を儲けさせている」と考える米国民をなだめる人気取り政策として打ち出された。だが、金融界に悪影響を与えると懸念される半面、人気取りとしての効果は不明だ。 米国では、1930年代の大恐慌の際、国民の預金をあずかる商業銀行がリスクの高い投資を行って連鎖破綻した教訓から、商業銀行に厳しい規制を課す「グラス・スティーガル法」が作られた。1980年代から金融自由化が進み、債券発行など預金以外の資金調達方法が拡大し、同法の規制を受けない投資銀行が債券発行で資金調達してデリバティブで儲ける新たな金融システム(影の銀行システム)が急成長し、従来の預金型の銀行システムを凌駕した。商業銀行からの圧力で、99年に同法の規制は事実上廃止され、JPモルガンやシティなど商業銀行もデリバティブを急拡大した。 (Glass-Steagall vs. the Volcker Rule) 07年からデリバティブが崩壊して金融危機となり、08年秋に投資銀行リーマンブラザースが倒産した。他の投資銀行も連鎖破綻しかけたため、ゴールドマンサックス(GS)など生き残った投資銀行は、連銀からの救済を受けられるようにするため、商業銀行に転換した。投資銀行は業界ごと消滅したが、その後、危機が一段落すると再びデリバティブ取引など高リスク高リターンの取引が拡大し、GSや他の大手商業銀行は、米当局に救済された状態のまま儲けを回復したため、米国民の怒りをかった。 そのため今回オバマは、グラススティーガル法に似た、商業銀行だけを対象にした自己勘定での高リスク取引を禁じる政策を打ち出した。だが新政策は、デリバティブ再拡大の中で儲けを増やした商業銀行を再び赤字に転落させかねない。新政策は銀行の貸し渋りを助長し、景気の足を引っ張ると指摘されている。政策発表を受け、米国の金融株は急落した。 (Rep Biggert: Obama Bank Proposal Misguided, May Slow Lending) (Stocks tumble as Obama takes on banks) 新政策は、商業銀行を危うくする半面、GSなど元投資銀行は、当局から救済金をもらうため形式的に商業銀行になった後も預金を扱っていないので、再び投資銀行に戻れば、高リスク高リターンの取引を続けられる。商業銀行がヘッジファンド業務を禁じられた分、投資銀行はシェアを拡大してむしろ儲けを拡大できる。銀行界は、議会に圧力をかけ、規制対象の「自己勘定取引」の範疇を小さくして、儲けを減らさないようにするだろう。「オバマは銀行を儲けさせている」と感じる米国民の怒りは消えそうもない。 (Why Obama's Bank Plan Will Fail) 銀行にとってデリバティブは儲かるが、住宅ローンや企業融資は赤字だ。米国は住宅相場の下落が続き、住宅ローンの残額が自宅の時価より高くなる債務者が急増している。借り手が弱い日本と異なり、米国では、債務者がローンの担保物件である自宅を手放せばローン債務も消え、債務超過分は債権者である銀行がかぶる制度なので、銀行に損をかぶせて自宅を手放す人が増え、銀行の損を増やしている。銀行を潰したくない米政府は、ローンを放棄する債務者の倫理の欠如を非難するが、放棄は違法ではないし、米国民の多くは「倫理がないのは強欲な銀行の方だ」と思っているので効果がない。 (NYT: Walk Away From Your Mortgage!) 不況が続き、企業倒産や個人のカード破産も高水準なので、商業銀行はシティやバンカメなど大手も赤字だ。商業銀行に対して自己勘定投資を禁じるオバマの新政策が議会を通ると、商業銀行の経営難がさらにひどくなる。米国では、今年に入ってすでに9行の中小銀行が潰れ、預金保険制度(FDIC)の余裕がしだいに失われている。 (Fitch: U.S. Retail Credit Card Defaults Hit Near-Record Levels with No Relief in Sight) ▼全方面で悪化する米経済 マサチューセッツ州の上院補選で与党の民主党が破れたことが米金融界に与える悪影響は、ほかにもある。昨年末には問題ないと予想されていたバーナンキ連銀議長の再任が、米上院で否決される可能性が出てきたことだ。このままの金融政策では国民の支持を失うという危機感が民主党内に高まる中、2人の民主党上院議員がバーナンキの再任に反対し始めた。バーナンキの任期は1月末に切れる。 (Bernanke second term suddenly in doubt) (Fed's Bernanke Faces Tighter Vote in Senate) バーナンキは、ドルの大増刷による経済への資金注入(量的緩和策)によって金融危機と不況を緩和したが、根本的な問題解決になっていない。金あまりが再演されて株価が保持され、表向き米経済は不況を脱しつつあると言われるが、失業はむしろ増えている。失業率も、米国の公式な数字は10%だが、これには職探しをあきらめた人々や、失業保険の給付が切れて失業者の範疇から出された人々が含まれておらず、これらを含めた実勢の失業率は22%と言われている。 (Shrinking U.S. Labor Force Keeps Unemployment Rate From Rising) 昨年3月以来、米国の株式市場には6兆ドルの資金が流入し、これが米株価を押し上げてきたが、常識で考えると、今時こんな巨額の金を出せる資金源は存在しないので、この資金の大半は、米当局による株価つり上げ策(Plunge Protection Team)ではないかと、金融専門サイトのマーケットウォッチが指摘している。連銀が増刷したドルが株価をつり上げ、景気が回復しているかのような幻影を人々に見せてだけで、実際の雇用は回復していないというわけだ。連銀は議会からの批判を受け、量的緩和をやめねばならない時期に来ているが、連銀が量的緩和策をやめると、米当局による株価つり上げの資金も失われ、株価の急落があり得る。 (Time for Fed to disprove PPT conspiracy theory) 連銀は金融危機対策として、米政府系の住宅ローン与信会社であるファニーメイとフレディマックの債券を買い上げ、米国の社債市場を下支えしてきたが、米政界で連銀の量的緩和策に対する批判が強まっているため、連銀はこの債券買い上げを3月末でやめる計画だ。そのため4月以降、ローン金利の高騰、社債市場の下落、金融危機の再燃などが起こりうると懸念されている。 (Fed Plan to Stop Buying Mortgages Feeds Recovery Worries) 連銀がファニーメイなど2社の債券を買い支えなくなると、2社が破綻するおそれが強まるが、米政府は1月23日、2社が損失を出したら政府が公金で穴埋めし、2社の破綻を回避する新政策を打ち出した。2社への損失補填で、米政府の財政赤字が数百億ドル増えると予測されている。米政界では連銀に対する批判が強まっているが、連銀が批判されて金融救済策をやめると、そのつけは米国民の増税や、米政府の財政赤字増としてはねかえり、最終的には米政府の財政破綻につながりかねない。 (Fannie, Freddie Losses May Hit U.S.) (ドル自滅の量的緩和策をやめられない米国) 米政府は7000億ドルの予算をつけて景気対策の公共事業を行ったが、米ABCテレビによると、景気対策事業のうち、道路工事について調べたところ、地元の雇用増加にほとんど貢献できていないことがわかった。米国の実体経済の不況の度合いが非常に大きいため、公共事業をいくらやっても、失業の増加にほとんど歯止めをかけられない。米政界では、追加の景気対策をやるべきだという意見もあるが、これまでの対策で効果があったと立証できない以上、追加の対策をやるべきではないとする学者の主張を、ABCテレビは紹介している。 (Billions of stimulus dollars for roads, bridges didn't chop unemployment) 米国の財政は、すでに地方の各州で破綻している。カリフォルニア州は新年早々に財政危機を宣言した。全米50州のうち30州で増税が行われ、さらに多くの州で支出の切り詰めが実施されているが、状況は今後もっと悪くなりそうだ。各州は、連邦政府に追加の景気対策をやってもらうしかないと期待しているが、すでに述べたように、それをやっても効果は疑問だ。地方政府は行政サービスが低下し、公務員や教員が減らされ、失業保険の財源が底をつく州も出てきた。オバマを支持する米国民が減るのは当然だ。 (Schwarzenegger declares budget emergency, proposes deep cuts) (More and More States on Budget Brink) 潜在的に健康保険制度の赤字増、公的年金の損失の増加(5000億ドルといわれていた損失が実は2兆ドル)なども続いている。米経済は悪化の一途にあり、いずれ暴動が起きても不思議ではない。 (US public pensions face $2,000bn deficit) ▼ようやくボルカーの出番が来たが・・・ オバマが今回発表した新たな金融政策は、政権中枢の経済顧問のうちポール・ボルカー元連銀議長の発案と報じられ、新政策は「ボルカー規制」(Volcker Rule)とあだ名されている。昨年からオバマ政権中枢では、ボルカーが規制強化を唱えた半面、サマーズ経済顧問とガイトナー財務長官は緩い規制のままの現状維持の方が米国の強さを保持できると主張してきた。従来はサマーズとガイトナーが優勢だったが、従来の政策に失敗色が強まったため、オバマは今回、ボルカー案の方に大きく転換した。 (Obama's 'Volcker Rule' shifts power away from Geithner) ボルカー案は銀行に高リスク高リターンの投資を禁じるが、反面、ボルカー自身はこれまで高リスク高リターンの政策を好んでやってきた。彼は1971年にニクソンショック(金ドル交換停止)が行われた時の米財務省の国際通貨担当の次官で、ニクソン政権で金ドル交換停止策の草案を書いた一人である。81年からのレーガン政権では連銀議長となり、ドルの弱体化によるインフレを抑えるため金利を21%にまで上げ、不況を招きつつドルを延命させ、85年のプラザ合意(円マルク高の誘導)につなげた。ボルカーは、ロックフェラー系のチェース・マンハッタン銀行の出身である。 (Paul Volcker From Wikipedia) オバマは政権就任前、経済顧問として、穏健派のサマーズか過激派のボルカーのどちらかを起用すると予測され、結局サマーズを起用した。それから1年経ち、サマーズのやり方ではダメなので、ボルカーに変えるということのようだが、高リスク政策をいとわないボルカーが3度目も成功するとは限らない。サマーズは、金融バブルを再膨張させて金融界を救済しようとしてきたが、バブル再膨張を禁じるボルカーは、金融機関の体力を落とし、危機を再燃させかねない。 すでに述べたように、今はサマーズだけでなく、量的緩和策のバーナンキ連銀議長の権威も落ちた。ボルカーはバーナンキを無力化し、連銀に量的緩和策をやめさせ、金利を高騰させてドルを救おうとする80年代の自分の政策を繰り返すかもしれない。しかし、すでに世界中がドルと米国覇権の弱体化を感じている中で、ドルの弱さの露呈である金利高騰策をやることは、むしろ中国やアラブがドルを見放すことにつながりかねない。プラザ合意は、相手が日独という傀儡的な「敗戦国」だったから成功した。量的緩和策はドルにとって自滅的だったが、ここまでドルが膨張してしまうと、それを無事にやめていくことも、とても難しくなっている。
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