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ドル自滅の量的緩和策をやめられない米国

2009年9月7日   田中 宇

 金融危機が激化した昨秋以来、米国は「量的緩和策」を、自国だけでなく欧日にも協調させ、先進国全体として続けてきた。量的緩和は、ゼロ金利の維持と、通貨当局から市場への通貨と信用の過大なまでの積極発行によって、不景気の悪影響を緩和しようとする経済政策だ。通貨の「質的」緩和策である利下げをゼロ金利になるまでやった後の経済テコ入れ策は、量的緩和しかない。

 量的緩和策は、開始より停止が難しい。景気の悪化が一段落したところでタイミングを間違えずに停止しないと、この政策の悪い面である通貨の信用失墜が顕在化し、インフレや、米国債の売れ行き不振による長期金利の上昇などが起こる。量的緩和は、経済を救うどころか破壊しうる。このような指摘は以前から存在していたが、8月から世界経済の不況が一段落して景気が回復基調に入る国が増えてきたため、世界の金融当局者の間から、そろそろ量的緩和策をやめていく「出口戦略」を打ち出した方が良いとする主張が出ている。 (Central bankers stuck in a hole) (Raise Interest Rates

 昨年来の世界経済危機への対策を協議するG20サミットが9月24日に米国ピッツバーグで開かれる予定だが、その準備として9月3日、ロンドンでG20各国の財務相と中央銀行総裁の会議が開かれ、議題の一つとして、先進諸国が昨秋来続けてきた量的緩和策をやめる出口戦略について話し合った。

 このロンドン会議の当日、EUの欧州中央銀行のトリシェ総裁は、FT紙に「今後、量的緩和策がインフレを起こしそうになったら、EUはただちに緩和策をやめて金融引き締めに転じる。インフレ抑止は、ユーロの信頼性を守るための最重要事項だ。転換のタイミングは、今後の金融経済の状況を見ながら、欧州中銀が独自に決める。外部からの抑制は受けない」という趣旨の論文を載せた。 (Europe has mapped its monetary exit By Jean-Claude Trichet

 トリシェは論文で「今は(まだ)出口戦略を実施すべき時ではない。出口戦略のやり方を(あらかじめ)決めておくだけだ」と言いつつ、出口戦略の実施が必要になった時には(米英などから)政治的な圧力を受けても無視して決行する、と宣言した。米英は、政府が発行した国債の売れ残りを中央銀行が買い取る政策を実施しているが、トリシェはこれについて「通貨政策と財政政策は分離すべきだ。(米英はそれを守っていないが)欧州中銀は原則を守り、国債買い取りをやっていない」と、米英批判と受け取れることを書いている。

 私はこの論文を、今後インフレ懸念が増大しても米英が量的緩和をやめられず、金融引き締めの出口戦略に転換できないことをEU側が予測して、そのような事態になったら欧州中銀はユーロを守るため、米英との協調をやめてEUだけで利上げなど出口戦略に転じる、と宣言したのだと考える。EUは、ドル崩壊時に無理心中させられるのを拒否する宣言を放った。 (G20 plans for stimulus exit

 世界の為替市場は従来、主要通貨はすべてG7先進国の通貨であり、それらが協調して全員で量的緩和策をやってきたので、米英が近視眼的な金融救済策を取っても、為替がドル安にならずにすんでいた。しかし今後ドルがインフレ傾向を強める中、EUが国際協調的な量的緩和を離脱して引き締め策に転じると、ドル・ポンド安とユーロ高が進行し、不均衡が顕在化してドルの崩壊感が加速する。

 その時には、おそらくBRICなど新興諸国も、ドルを使わない貿易体制を強める。その瞬間がいつ来るか、明確な予測は困難だが(年内?)、EUは今回、そのような事態が近づいているので準備を開始した。それがトリシェ論文の意味であると私は見る。

▼米英同盟と、バーナンキのインフレ軽視が命取り

 トリシェ論文はG20準備のロンドン会議を機に発表されたが、ロンドン会議では、量的緩和策が持つ危険については確認されたものの「今は量的緩和策をやめるべき時ではない」という部分が強調され「先進国は、以前に決めて途中まで実行している総額5兆ドルの金融救済策の残金分を続行する」ということを柱とする声明が出された。G20ではBRICの発言力が強いが、金融救済の量的緩和策は先進国の問題であってBRICは関係ない。しかも会議場がロンドン(G20前開催地)なので、旧来のG7的な英国黒幕の米英中心体制で議論が進んだのだろう。 (G-20 sticks with stimulus; bankers' pay debated

 G7黒幕の英国はレバレッジ金融以外の産業が脆弱で、昨年来の金融危機によって、国家経済が危機前の規模に戻るのは永久に不可能だと指摘されるほどの大打撃を受けている。英政府は財政破綻に瀕しており、英中銀に国債の売れ残りを買ってもらう政策を止められない。量的緩和策をやめたら、英国は破綻してしまう。 (UK output hit forever, say experts

 米当局が自律的な判断をするなら、インフレ懸念が高まる前に米国も量的緩和策をやめられるかもしれない。だが、量的緩和からの離脱が不可能な英国が先進国会議のまとめ役であり、米国も英国に丸め込まれるとなると、米英は適切な時期に量的緩和策を止められない可能性が高まる。(オバマ政権は英国に冷たい態度をとるが、この件やアフガン戦争など主要案件では、いまだに米英同盟体制を続けている)

 加えて、米連銀を率いるバーナンキ議長は、デフレこそ悪で、それに比べたらインフレの悪影響など大したことないとする考える人で「ヘリコプター(からドル札をばらまけばよいと考える)バーナンキ」とか「造幣機(をフル回転させる)バーナンキ」といったあだ名がつられてきた。オバマは彼を連銀議長に留任させると決めた。ドル崩壊の時は不気味に近づいている。 (The Fed's Interesting Week

 昨秋、金融危機対策を議題としたG20サミットの開催を最初に提唱したフランスのサルコジ大統領は8月末に「中露などの台頭によって起きている政治的・経済的な多極化は、いずれ通貨の分野にも及ぶ。ドルが唯一の国際備蓄通貨である体制は終わる」という、昨秋から何度か繰り返してきた宣言を再び表明している。 (French President: dollar Can't Remain World's Only Reserve Currency

 欧米分析者の中には昨年末「英国は09年末までに財政破綻してIMFに救済を求める」と予測する者がおり、その予測はしだいに現実味のある話となっている。G20は今年4月のロンドンサミットで、世界各国が合計で5000億ドルをIMFに追加出資することを決めたが、その後、追加出資はこの目標をはるかに下回っている。英国は、世界からIMFに金を出させて自国を救ってもらおうと考えていたようだが、このままではそれが実現できない。そのため英政府は最近「IMFへの追加出資をやろう」と改めて世界に呼びかけ、自国は予定より110億ドル多くIMFに出すと宣言した。 (Britain to Go Broke, Russia to Join OPEC in 2009) (UK pledges extra $11bn to IMF to tackle crisis

 しかし、これでIMFに予定通り金が集まるかどうかは不明だ。そもそも英国が実際に追加出資するのかも怪しい。英国は第二次大戦後の財政破綻期に「冷戦に勝つためには欧州に支援金を出さねばならない」という理屈で、米国にマーシャル・プランを発動させ、真っ先に自国に金を流させた国である。

▼まだ5年は続く米国の高失業

 世界経済は、製造業から先に回復しているといわれている。中国では、製造業の生産が6カ月連続で増加しているという(中国の指標は当てにならないという指摘もあるが)。 (Manufacturing data raise recovery hopes) (China's manufacturing continues to grow) (How China Cooks Its Books

 しかし同じ製造業でも、米国では、製造業に就いていたが失業した人々の多くが、再び製造業の職に戻ることはできず、他の産業を探すしかないと指摘されている。米国の製造業は、不況前の水準にまで生産水準が戻ることはないと見られている。米国では今回の不況を受け、特に製造業と建設業が打撃を受けており、この2つの業界の失業者は、全米の総失業者の4割を占めている。 (Real US unemployment rate at 16 pct: Fed official

 これとは別の分析として、米国で8月に失業した人々のうち54%は、不況が去ったら元の業界に再就職できそうな一時的な解雇ではなく、今後の景気に関係なく元の業界に戻ることが難しい恒久的な解雇であるとも指摘されている。恒久的解雇の比率は、昨年同月には39%で、過去30年間の平均値は34%である。今回の不況は、景気循環によるものではなく、米英経済に不可逆的な打撃を与え、産業のビジネスモデルそのものに失敗の烙印が押されることによる収縮方向への構造転換を引き起こしている。 (Unemployment Is Much Worse Than You Think

 米経済の先行きについて悲観的な見通しを相次いで発表している債券投資ファンドのピムコは、9月4日に「米国では10%前後の高い失業率が、今後異様に長い間続くだろう。失業増と国民所得の伸び悩みが経済回復を阻害し、米経済は来年もマイナス成長だろう」との予測を発表した。 (Double-dip recession risk rising: El-Erian

 ニューヨークタイムスは「米国の雇用と消費は2014年ぐらいまで復活しないかもしれない」と書き、MSNBCも「米経済が回復兆候を見せても、雇用は今後何年も回復しないだろう。再就職があまりに難しいので職探しをやめて失業統計から外れた人が76万人と歴史的な多さだ(実質的な失業率は政府発表より高い)。10歳代の失業率は26%もある」とする記事を載せている。 (Editorial: No Jobs) (Job market unlikely to recover until 2014

 政府が発表している米国の失業率は9・7%で、前月の9・5%からじわりと上がった。それだけではなく、源泉徴収されている給料から雇用総数を算定して失業者数を計算すると、政府発表の1・5倍の人数(8月分だと、政府発表22万人に対して33万人)となるとの指摘もある。 (TrimTabs Estimates U.S. Lost 335,000 Jobs in August and 5.9 Million Jobs in Past Year

 米国では、生活保護制度である食糧購入券(food stamp)を政府からもらって生活する人が増えている。今年6月時点で3500万人が食糧購入券をもらっており、前年同月比22%の増加である。米国民の9人に一人が生活保護を受けている計算だ。食糧券をもらう人のうち40%は給与所得がある。この比率は2年前に25%だった。つまり、米国民は失業していない人でも給料が下がり、給料だけでは食っていけず、生活保護に頼らざるを得ない傾向を強めている。 (Food stamp list soars past 35 million: USDA) (US families turn to food stamps as wages drop

 米国の就業者の一週間の平均労働時間は、以前は40時間に近かったが、今では50年ぶりの低さの33時間だ。仕事が少ないので、労働時間も短く、その分給料も安い。米国では、景気が回復していると報じられても、それは企業収益の好転としては表れるが、国民の所得の増加には結びついていない。 (U.S. Recovery Leaving Workers Jobless May Spur Company Profits

 米経済の7割は消費で成り立っており、米国民がこんな状態では、経済は回復しても基盤は非常に脆弱である。米国の金融機関は金融危機後、リスクに敏感になっており、クレジットカードの最低金利は今年1月の8・85%から、8月には11・25%へと上がった。金融危機前、米国民はカードで旺盛に買い物をしていたが、もはやケチケチやっていくしかない。この面でも、消費は増えにくい。 (Consumer Gains on Credit-Card Law Pared by Rate Hikes

▼中東戦争がドル崩壊の引き金に?

 米国では、国民の住宅ローンの8分の1以上が返済延滞の状態になっている。商業不動産の相場下落も激しくなり、銀行の不良債権が増え、先々週末には2行、先週末には3行といった感じで、地方の中小銀行が相次いで倒産している。米国の預金保険制度(FDIC)の資産(保険準備金)は急減し、近いうちに連銀がFDICを吸収せざるを得ないという見方が出ている。最後はすべて連銀、つまりドルの信用力にぶらさがっていくことになる。しかも、米政府の財政赤字は史上最大の勢いで急増している。 (Mounting joblessness fuels US housing crisis) (The Coming Deposit Insurance Bailout

 当然ながら、世界の投資家たちは、ドルはもう持たないのではないかと懸念している。それが、このところのドルを売って金や原油を買う動きにつながり、金や原油の国際相場が不気味に上昇方向に動いている。食糧が高騰しそうだという話もある。だがその一方で、金や原油の相場に対しては、上昇を抑止する裏の仕掛けを米英当局が持っているようで、すぐに高騰するとは限らない。

 9月20日には、先物取引市場を運営するCMEがロンドンで、これまで店頭のみで行われていた金先物商品の決済を行う市場を開設する。この市場開設は、金地金に流入する資金の一部を金先物市場の方にそらす働きを持ち、金相場の上昇を抑止しようとする英米当局の意図が背景にありそうだと指摘されている。10月にかけてドル安金高が起こりかねない中、9月20日開設というのは絶妙なタイミングである。 (Massive Institutional Gold Market Change

 このような、さまざまなドル延命策はあるものの、それはいつまで効果を持ちうるのか。具体的なドル崩壊の開始時期を予測するのは難しいが、何が引き金となりそうかについて述べている分析者はいる。ロシアのテレビ局がインタビューした米国の分析者(Webster Tarpley)は「戦争や大規模テロ、米大統領の病気など、何らかの出来事が引き金となって、世界的なドル回避のパニックが発生し、ドル相場の下落や長期金利の高騰、超インフレなどが起こるだろう」との予測を述べている。 ("Dollar's future unstable" YouTube

 戦争というとまずありそうなのは、イスラエルによるイラン核施設の空爆か、またはレバノンで台頭するヒズボラとイスラエル軍との戦闘再発を引き金に、中東大戦争が起きることだ。また最近は、アブハジアの独立をめぐるグルジアとロシアの対立も好戦性を増し、一触即発の感じになっている。米軍はグルジアを軍事支援する姿勢をとり、グルジアの好戦的な態度を扇動している。これは第2次大戦前、ポーランドに好戦的な態度をとらせてドイツによる侵攻を誘発した英国のやり方に似ているが、今回は米国の勝ちとなるわけではない。 (Confronting Russia? US Marines In The Caucasus

 イランが戦争になると、世界の原油の3割近くが航行するホルムズ海峡が封鎖される。原油が高騰し、イスラエルに引っ張られてイランとの戦争に参戦せざるを得ない米国と、イランは悪くないと主張するイスラム諸国や中露の対立が激化する。中露はドルを見捨てる傾向を強め、ドル崩壊に結びつく。グルジアをめぐる戦争が起きた場合も、似たような展開となりうる。今後しばらくは、金融経済と政治軍事の両方を見ていかねばならない。



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