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ドルは崩壊過程に入った

2009年10月8日   田中 宇

 10月6日、英国インディペンデント紙が「ペルシャ湾岸アラブ産油諸国(GCC)は、中国、ロシア、日本、フランスと協議し、石油をドル建てで取り引きするのをやめようとしている。ドルの代わりに、日本円、中国元、ユーロ、金地金、そしてGCCが予定している通貨統合によって作られる新通貨を加重平均した通貨バスケットを使う予定。すでに各国の財務相と中央銀行総裁がこの件で秘密裏に会議した」と報じた。 (The demise of the dollar

 日本やサウジアラビア、ロシアなどの政府は、この報道は事実ではないと明確に否定したが、市場では信憑性のある話と受け取られたようで、通貨バスケットに含まれると報じられた金の相場が史上最高値を更新し、10月8日時点で1オンス1050ドルを超えた(その一週間前は990ドル台だった)。ドルは、円やユーロに対しても下げた。ポンドも下落し、経済面での米英覇権体制の崩壊感が強まっている。

 インディペンデントの記事は、決定的な内容を含んだものではない。記事の情報源は「アラブと中国系在香港の銀行筋」となっており、関係政府筋の情報リークではなく、民間筋である。アラブ産油国は、以前からドルの値下がりや、ドル過剰発行によるインフレを嫌気している。アラブ勢が、欧州や中露、日本を巻き込み、石油販売をドル建てから諸通貨バスケット建てに移行しようとしているという話は、各国当局に否定されながらも、2006年ごろから何度も出ている。私もこの件で何度か記事を書いた。今回の記事を書いたロバート・フィスク自身、この話は06年ごろからの流れであると、別の記事で書いている。 (アメリカ中東支配の終わり) (原油ドル建て表示の時代は終わる?) (Robert Fisk: A financial revolution with profound political implications

 同記事は、石油取引の非ドル化にはブラジルとインドも関心があるが、GCCなどが原油非ドル化を実現する目標時期は2018年だと書いている。つまりこれは、GCCとBRICが絡んだ世界多極化の長期計画の一つである。06年春には、IMFの中に米国、EU、中国、サウジ、日本の5勢力で、世界の経済不均衡問題について協議する組織を作ったと報じられたが、この組織は、今回報じられた石油非ドル化の構想機関と同じものだろう。(不均衡問題とは、米国がドルの過剰発行によって消費を増やして世界経済を牽引するのはもう限界なので、消費地の多極化を進めて世界経済を転換・再均衡させる構想) (Britain off the list when IMF assembles new world order

(06年に報じられた機関には米国が入っているが、今回報じられた機関は米国に知らせず作られたと書かれている。しかし、私から見ると、米国が入っているかどうかは本質でない。隠れ多極主義の米政府は、各国に対米従属感が強かった以前には、自国が入って多極化を誘導する機関を作っていたが、各国が米国を重視しなくなって米国抜きで多極化機関を作るようになったら黙認するか、もしくは理不尽に怒って見せ、多極化を扇動し続けるのが戦略だ)

 今回のインディペンデントの記事は、内容は決定的ではないが、タイミングとして重要だった。最近のG20サミットやIMF総会で、ドルの地位が低下して基軸通貨は多極化しそう(すべき)だという発言が相次ぎ、どうなるのだろうと人々が思っていたところに「石油のドル建てをやめることが計画されている」と報じられ、ドル下落と金高騰につながった。

 10月8日には、FT紙にも「強さが失われるドル」(Mighty dollar turns a paler green)とか「オバマのせいにされるドル下落」(Obama under fire over falling dollar)とか「ブラジルの活況」(Booming Brazil)といった、ドル崩壊と多極化によるBRICの台頭を象徴するような記事が並んだ。もはや、ちょっとした事情通の間では「ドルは崩壊過程にある」ということが「常識」の範疇に入ったと考えられる。 (Mighty dollar turns a paler green) (Obama under fire over falling dollar) (Booming Brazil

 各国の当局者は「石油非ドル化の協議などしていない」と否定したが、ドルの崩壊感がここまで強まってくると、各国が石油非ドル化について何も協議していない方が問題である。その意味でも、このインディペンデントの記事はおそらく正しいだろう。

▼ドルを危険にする金高騰

 私は「ドルの崩壊過程では、金が高騰する」と考えてきた。ドルと円ユーロなど先進諸国間の為替は、政府間の談合があり、自国通貨の高騰を歓迎しない日欧当局は、ドルの弱体化に合わせて自国通貨を弱く見せてきた。為替相場では、各当局が防御しきれなくなるまで、ドル崩壊が顕在化しにくい。金相場にも先物を通じて当局の操作が入っている感じだが、金市場には中露アラブなど新興市場諸国の当局や民間も入っており、実需の増加が上昇抑止策を乗り越えうる。 (操作される金相場

 金相場がこのまま上昇し続けるかわからないが、ここ数日での1オンスあたり約60ドルの高騰は、ドルに対する信頼の崩壊を感じさせる。今年末までにドルは大幅下落するだろうという、前回記事で紹介したハーバード大学のニーアル・ファーガソン教授のコメントが正しい感じがする。ドルは「崩壊に向かう過程」から「崩壊する過程」に入った感じだ。 (G20は世界政府になる

(「金相場の上昇を予測する人は、金をつり上げようとする陰謀論者」という流言がある。多くの個人投資家が「金は怪しいもの」「株の方が確実」と思い込んでいる。だがこれは、むしろ投資家に金投資を回避させ、株や債券を買わせるために金融界が流しているプロパガンダである)

 石油の非ドル化は、短期間で実現できるものではない。石油は原油から川下製品まで多岐に及び、しかも長期の契約が多い。インディペンデントの記事も、サウジなどの非ドル化は今後9年間の計画だと書いてある。しかし、金の高騰やインフレ、長期金利上昇などによってドル崩壊が顕在化した場合、9年計画などと悠長なことを言っていられなくなる。サウジなどGCC諸国の通貨はドルにペッグ(為替固定)しており、ドルの崩壊はサウジリヤルやUAEディルハムの崩壊でもある。

 また、ドル建ての原油価格は歴史的に乱高下してきたが、1オンスの金で何リットルの原油が買えるかという原油と金の価格関係は、ほとんど一定している。中東などの人々は、金を長期的な価値の原点とみなしている。金のドル建て価格が上昇するなら、いずれ原油のドル建て価格も上昇する。原油高はインフレを招き、ドル崩壊に拍車をかけて悪循環に陥る。金の高騰は、ドルにとってかなり危険である。 (石油高騰の謎

 ドルの代わりにIMFのSDR(特別引き出し権)を基軸通貨として使う構想が各所から出ている。これに対して「SDRは各国中央銀行間の取引にしか使えず、基軸通貨になれない」という否定論がある。しかし、最近公開された、1979年にカーター大統領に提出された米政府機密文書によると、当時の米政府内では、世界の原油取引をドル建てからSDR建てに転換することが検討されていた。 (Confidential Memos Indicate Oil SDR Pricing Shift Would Be "Most Damaging" To United States And Precipitate "Serious Market Reaction"

 当時は石油危機で原油が高騰していたが、これは本質的に「原油高」ではなく、ニクソンショック以来のドル崩壊の結果としての「ドル安」だった。だから米政府内から「原油の取引をドルから切り離してSDR建てに変えれば、原油価格は安定し、ドル安、原油高、インフレの悪循環を止められる」という構想が出た。しかしカーター大統領が大統領経済顧問(Henry Owen)に諮って検討させたところ「政府内で議論し、原油のドル建て取引をやめると、ドルの基軸通貨としての地位が低下し、米国にとって非常に危険だという結論に達した」との報告書が作られ、原油取引のSRD化は見送られた。実現はしなかったものの、ドルではなくSDRで原油を取り引きすること自体は、システム的に可能だということが、すでに30年前に米政府内で合意されていたことになる。 (A Shift from Dollar to SDR Oil Pricing

 原油の非ドル化や、ドルの代わりにSDRを基軸通貨にすることを阻んでいる最大の要因は、おそらく経済の技術的な話ではなく、政治の話である。ドルが基軸通貨でなくなったら、米英イスラエルは覇権を失い、対米従属体制下で発展してきた欧日も不利になり、米英イスラエルが信頼できないロシアや中国、アラブやイランが台頭してしまう。米英中枢で、覇権の永続を望む人々はドルにこだわり、隠れ多極主義者はドル崩壊を誘発している。

▼原油非ドル化はイランの勝利

 石油取引の非ドル化は、中東政治の分野では、イランの問題とつながっている。大産油国でもあるイランは、早くから石油取引の非ドル化を提唱し、GCCやOPECに働きかけてきた。石油の非ドル化の実現は、イランの勝利であり、アラブが親米から親イランに転じることであり、米英イスラエルの敗北である。イスラエルは米国を巻き込んでイランに侵攻するかもしれないが、それをやると最終的にはイスラエルの破滅につながる。 (原油ドル建て表示の時代は終わる?

 インディペンデントの今回の記事を書いたロバート・フィスクは経済記者ではなく、レバノンのベイルート在住の中東政治専門記者である。彼は反イスラエル的な論調を貫いたため、インターネット上などでイスラエル右派勢力からさんざん中傷され、記事を中傷批判するという意味の「フィスクる」(Fisking)という単語まで作られている。 (Fisking - From Wikipedia

 しかし今、オバマはイランのウラン濃縮を容認するところまで譲歩し、イスラエルは国連で以前のガザ侵攻時の「戦争犯罪」やディモナでの秘密の核兵器開発を非難され、ドルは崩壊感を増し、米英イスラエルの覇権は揺らぎ、フィスクは石油非ドル化とドル崩壊の記事を書いて金ドル相場でドル崩壊を進行させている。フィスクは、イスラエル右派プロパガンダとの戦いに勝っている。

 今後、経済面のドル崩壊と米英の財政金融破綻の強まりと、政治面のBRICやイラン・リビア・ベネズエラなどの台頭が同時進行で進むだろう。政治と経済の両面で、米英の覇権が崩れ、多極化が進行する。これは世界的な傾向であり、日本も巻き込まれている。10月7日に岡田外相が「東アジア共同体に米国を入れない」と表明するなど、日本政府も急ピッチで多極化に対応し始めているが、このあたりについては改めて書く。



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