オバマの核軍縮2009年7月14日 田中 宇米国のオバマ大統領はG8サミットの直前、7月6日から8日までロシアを訪問した。米露は、双方が戦略核弾頭を従来の2200発から1500−1700発へと約3分の1ずつ減らし、核弾頭を搭載できる戦闘機や潜水艦についても大幅に減らす核軍縮の合意を締結した。同時に米露は、世界の核兵器全廃を目標に、来年さらに核兵器を削減する交渉を行うことで合意し、覚書を取り交わした。 (Obama and Russian Leader Announce Nuclear Deal) 今回の核軍縮は、1991年に調印された戦略兵器削減条約(START1)が今年12月に期限切れとなるので、それに代わる新条約を米露間で締結する必要があると米露が考え、交渉を開始した。 (START I From Wikipedia) 米露合意では、世界中の核兵器の中の圧倒的多数を保有する米露が核廃棄することを通じて、世界の模範となることを目指すという目標が掲げられている。オバマは記者会見で、米露が率先して核兵器を削減、廃絶できれば、北朝鮮やイランに対して核廃絶をより強く要求できるようになる、と主張している。 (Obama: Washington and Moscow must lead on nukes) ▼英国の反応でわかるオバマの本気 私は当初、核軍縮をめぐるオバマこうした考え方を、美辞麗句のたぐいと思っていた。ところが、核軍縮に対する英国の反応を見て、実はオバマは言葉通りのことをやろうとしており、画期的な展開になるかもしれないと気づいた。英国のブラウン首相は、G8サミット前には、核の脅威が存在する限り、一方的に核兵器を廃絶することはできないと言っていた。だがブラウンはサミット後に言い方を変え、北朝鮮やイランに核を放棄させるための世界的核軍縮に英国も協力し、核兵器を削減しても良いが、現在英政府が予定しているトライデント核ミサイル(潜水艦搭載、160発)の改良計画だけはやらせてもらう、と言い出している。 (British Govt Could Cut Nuclear Weapons) (英国はひどい財政難で、トライデントの更新だけでなく、米国との同盟関係維持に不可欠なアフガニスタンへの軍事駐留の継続についても、国内から「金の無駄。不必要」との反対意見が多く出ている) (As Britons doubt Afghan mission, UK plans future) G8諸国の中で、核兵器を持っているのは米英仏露の4カ国だが、米露はG8直前に核軍縮を決め、フランスはドイツとともに、核兵器は時代遅れの兵器だとする考え方をEUの方針とする流れにある。残るは英国だけだ。ブラウンの発言からは、G8サミットに際して、オバマからブラウンに対し「核軍縮に協力する気がないのは君の国だけだぞ」と圧力がかかり、ブラウンが「今やっているトライデントの更新だけはやらせてくれ」という条件つきで、しぶしぶオバマの構想を認めたことがうかがえる。 オバマは本気で「米露を中心とする先進国が核兵器を廃棄して世界の手本となり、北朝鮮やイランなど途上国が核兵器を持とうとするのを思いとどまらせる」という政策を実行しようとしていると考えられる。オバマは記者会見で「すでに核を持っている国が、まだ持っていない国に核保有をやめさせるという従来の構図とは別のやり方が必要だ」「核兵器に関して、イランや北朝鮮だけが悪いという従来の規範ではなく、全世界が守らねばならない新しい規範を作る」と述べている。また英ブラウンは「将来は、核兵器を持っていない国が、持っていないことを証明することの方が、各国の責任となる」と言っている。 (Obama: Washington and Moscow must lead on nukes) オバマが米露核軍縮を皮切りに行おうとしていることは、米国の覇権が低下して米露協調が不可欠になっている現状を利用して、米国自身を含む世界的な核廃絶を行い、従来の「常任理事国の5大国は核兵器を保有するが、それ以外の国々は核保有は厳禁」という既存の世界秩序も壊し、地球上から核兵器をなくすことだと考えられる。オバマは、1996年に国際的に調印されながら、米議会上院が批准を拒否してきた包括的核実験禁止条約(CTBT)を議会に批准させるための動きも行っている。 (North Korea Test, US Treaty Okay Could Set Off Chain Reaction) オバマのこの戦略は、米レーガン政権が米ソ和解・冷戦終結によってやろうとした戦略の続きである。レーガンは1982年に米ソの核軍縮を提唱し、当初はソ連側が警戒して拒否していたが、ソ連がゴルバチョフになって話が進み、ソ連崩壊の直前にSTART1の条約として実現し、その後2001年までに米露は保有していた戦略核兵器の8割を削減した。 オバマ提案と米露合意に呼応して、IAEAのエルバラダイ事務局長も7月9日、欧米間の軍事同盟であるNATOに核廃絶を勧告し、「核兵器を抑止力と考えるのをやめよ。NATOが核兵器に依存するので、敵視された国々が核兵器を開発したくなるのだ」と指摘した。NATO側は、この提案を拒否した。 (NATO Urged to Drop Dependence on Nuclear Arms) ▼核廃絶と多極化 米ソ・米露の核軍縮に対する最大の反対や妨害は、昔も今も、米国の軍産複合体(とその知恵袋である英国、イスラエル)からやってくる。レーガンは、軍産複合体やイスラエルのための右派政権として登場し、スターウォーズ(ミサイル迎撃ミサイル計画)などで軍事費を急増させ、それをめくらましとしてやりつつ、かたわらで米ソ核軍縮を行い、英国を巻き込んだ金融自由化でサッチャーの英国に文句を言わせないようにした上で、冷戦も終わらせた。しかし、米国内で核の利権を持っている国防総省とエネルギー省の系列の勢力からの反対や妨害は強く、米露核軍縮はなかなか進まなかった。 (Obama's Big Missile Test) レーガンは共和党、オバマは民主党であるが、戦略の本質は同じようだ。オバマは「新レーガン主義」を掲げたブッシュ前政権の政策をかなり踏襲している。目指すところは、先進国中心の世界秩序を破壊し、相対的に新興諸国の力を押し上げることで多極的な新世界秩序を作り、新興諸国主導の新たな世界経済の発展を起こそうとする多極化(拡大均衡)戦略だろう。 従来同様、今回も米国内の軍産複合体は、オバマの核軍縮に反対している。シュレジンガー元国防長官は最近「米国の核兵器は、30カ国以上の同盟国が敵国から攻撃されることを防いでいる。(核兵器は持っているだけで使えない無意味な兵器と批判されるが)同盟国を守るという意味で、われわれは毎日、核兵器を使っているのだ」と述べ、オバマの核軍縮に反対を表明した。 (Why We Don't Want a Nuclear-Free World) シュレジンガーは、次のようにも言っている。「(米露が核軍縮を実施した結果)もし同盟諸国が米国の核抑止力に疑念を持ったら、各国は独自に核兵器を開発し、核武装の世界競争が起きる」「日本人は、中国の軍拡で脅威を受けている。これは、冷戦時代に欧州人がソ連から脅威を受けていたのと同様のものだ。小沢一郎は2002年に、日本は核弾頭数千発分のプルトニウムを持っており、核武装するのは簡単だと言っている。米国は(日本の核武装を防ぐためにも)日本を米国の核の傘の下に入れ続けることを約束せねばならない。日本との話し合いが必要だ」「トルコやサウジアラビアなど中東諸国に対しても(イランの核武装に対抗して核武装しないよう)、米国はの核の傘を提供し続けることを確約せねばならない(だから核廃絶などしている場合ではない)」。シュレジンガーが小沢一郎の名前を挙げて日本の核武装を語ったのは、日本の政権交代への意識が感じられる。 実際のところ、日米は7月中にワシントンで、米国の核の傘について初めての話し合いを次官級で行うと報じられている。日本周辺の有事の際、米国がどのように核兵器を使いうるかを、米国が日本に伝える。米軍が日本に核兵器を持ち込んでいることについて、1960年の密約の存在が問題になっているが、こうした話が出てくるのも、オバマの核軍縮の影響である。米国は、すでに韓国に対しては、6月に李明博大統領が訪米した際、核の傘の確約をしている。 (Japan, US to Hold Talks on 'Nuclear Umbrella') ▼軍産複合体の弱体化で進むレーガン以来の核軍縮 オバマは本気で世界的な核廃絶をやる気なのか。やる気だとしても、軍産英イスラエル複合体の反対を押し切って進展させられるのか。中露や仏など、既存の核兵器保有国は、最後まで賛同するのか。核保有国の一部が、核を隠し持つことはないのか。未知の部分が多いが、私が見るところ、オバマ政権はブッシュ前政権を引き継いで多極主義的なので、本気で核廃絶をやるつもりだろう。 米国内の軍産複合体の反対については、これまで軍産複合体が巣くってきた共和党が、昨秋の総選挙で負け、大きく力を失っているため、強い反対が起こりにくい。英国は財政破綻寸前で影響力が低下しており、イスラエルも今や世界の悪者で、隠し持っている核兵器を廃絶しろと国際的に圧力をかけられている。軍産英イスラエル複合体は力を失い、オバマの軍縮を阻害しにくくなっている。これは、前ブッシュ政権が重過失的に過激策をやって失敗させたおかげである。 (核兵器をちらつかせて世界を支配していたブッシュが、実は核廃絶に貢献していたという逆説的な考え方は、多くの人に違和感があるだろうが、私は真面目にそう考えている。ブッシュ本人は間抜けな人らしいので、正しくは「チェイニーのおかげ」である) 軍産複合体が猛反対の末、オバマを暗殺するといった、冷戦初期のケネディ暗殺の繰り返しが起きる可能性は、今のところ低い。むしろ、共和党が復活しそうもないので、米国の大不況が長引いてオバマが批判されたとしても、オバマは再選される可能性の方が、現時点では大きい。 中露や英仏、インド・パキスタン、イスラエル、北朝鮮といった、すでに核武装している国々は、オバマの核廃絶に本心から賛成するのかどうか。中露が本気で核廃絶するはずがないという、冷戦型思考の人が世の中には多いが、近年の中露が目指しているのは、米英単独覇権体制が解体されて、中露などBRICやEU、中東やアフリカ、南米の連合体が並び立つ多極型に世界が移行することである。EUも、創設期から多極型の世界を意識している。 そして、核兵器は多極型の世界にとって不都合な兵器である。弾道ミサイルに核弾頭を搭載すると、世界の他の大陸の諸国を破壊できるので、核兵器を多数持ちたがる国は、自国周辺の地域だけでなく、全世界の支配を狙いたがる。核兵器は、多極型の世界を壊し、単独覇権主義国どうしが世界支配をめぐって戦う構図を作り出す。 もともとソ連が核武装したのは、第二次大戦直後、米英の軍産複合体が冷戦構造を作り出すために、ソ連に核兵器の開発技術を意図的に漏洩したからと推測される。中国の核武装も、同様の流れだろうが、それとともに「国連安保理常任理事国の5大国だけが核兵器を保有する」という、当時の多極主義的なバランスをとる動きとも考えられる。米英は核技術を独占できたのにそれをせず、世界システムをデザインする自分たちの戦略の一環として、あえてソ連や中国に核技術を流した。 中露やEU(仏独)は今、米国の多極主義者に入れ知恵され、多極的な新たな世界システムをデザインしている。米英仏独露中といった大国は、自国の利権を拡大することだけを考えているのではなく、世界システムと自国の関係を考慮しながら国家運営をしている。中露仏は、以前のシステムの一部だった核兵器を廃絶して多極化を推進するという、オバマの構想に賛成する可能性の方が、核廃絶に反対する可能性より高いと思える。 ▼最大の危険はイスラエル 英米中心主義が国是の英国は、オバマの核軍縮には反対だが、すでに書いたように、国力が崩壊しているので、嫌々ながら従わざるを得ない。インドとパキスタンの核兵器は、もともと軍産英複合体が、旧英領インド植民地の恒久分割を目指し、印パ双方に核技術を流したものであり、今後、軍産英複合体が邪魔せずに印パの和解が達成されれば廃絶できる。多極化の一環としてのインドの台頭や、南アジアの地域統合には、印パの和解が不可欠なので、米英がアフガニスタンでの敗北を認めて撤兵するころには、印パの和解と核廃絶への道が開けるだろう。 オバマが提唱する世界的な核廃絶が進展した場合、イスラエルは最も激しく抵抗しそうな国である。「イランが核兵器を廃棄したら、イスラエルも廃棄せよ」という言い方が今後、世界的に強まりそうだが「イランが核兵器開発している」という非難は米英イスラエルによる濡れ衣なので、事実上イスラエルのみが核兵器を廃棄させられる対象となる。イスラエルは、イスラム過激派(イラン、ヒズボラ、ハマスなど)との対立において劣勢になっている。国際圧力に屈して核廃棄に応じると、イスラエルはさらに弱さを露呈する。 イスラエルに対しては今後、従来からの中東和平の圧力に加えて、核廃絶の圧力が加わる。イスラエルの選択肢は(1)弱体化を容認しつつ、核廃絶と入植地撤退、パレスチナ国家の創設を認め、アラブと和解して小さくまとまるか、(2)弱体化容認の和平を拒否して最後まで突っ張り、最後はイスラム過激派との最終戦争に陥り、ハルマゲドン的な核兵器の使用に至るか、(3)どちらも嫌なので誤魔化して決定を先延ばしするか、というものだ。イスラエルは1995年のラビン首相暗殺以来、1は演技だけで、実際には2と3の間を行きつ戻りつしているが、先延ばしするほどイスラム過激派が強くなる。 イスラエル政界では、入植者など右派(極右)が強く、核廃棄にも中東和平にも応じる世論は少ない。しかし、核廃棄と中東和平を拒否し続けると、いずれイスラエルは滅びる。その際、中東を核戦争に巻き込むおそれがある。 オバマはG8に提案して、イラン問題の解決の期限を今年末までとしていた従来の考え方を前倒しして、今年9月までに変えた。これは表向き「イランに早く核兵器開発をやめさせる」という話だが、実際には、イランに核兵器開発の濡れ衣を着せるのをやめる時期を早める話である。イランが許され、矛先がイスラエルの核兵器に向かう時期が早まることを意味しうる。 (G-8 issues September deadline for Iran) ▼許されなくなる日本の核武装 北朝鮮に関しては、オバマの世界的な核廃絶計画は、まさに北朝鮮が望んでいたとおりの展開になる。以前の記事「北朝鮮は核武装、日本は?」に書いたように、ブッシュ政権で北朝鮮担当の高官だったビクトル・チャは「北は、米国から核保有国として認めてもらい、米朝が対等な立場で核軍縮を行う展開を望んでいる」と指摘している。オバマが米露核軍縮合意に際して発した「北朝鮮やイランに核兵器開発をやめさせるためにも、米露など先進諸国が核兵器を廃棄すべきだ」という言い方は、まさに「米朝が対等な立場で核軍縮を行う展開」である。イランに対する非難は濡れ衣なので、米国主導の国際社会は、北朝鮮を核廃絶させるために世界的な核廃絶を行うことになる。 (北朝鮮は核武装、日本は?) 今後、オバマの核廃絶計画が進展して行くほど、北朝鮮は気が大きくなり「核廃絶してやるから、在韓米軍を撤退しろ」と要求するだろう。米中枢ではブッシュの時代から、在韓米軍はなるべく早く撤退し、アジアのことをアジアに任せる新体制を実現する多極化の構想が見え隠れしてきたが、その実現のために、北朝鮮の強硬姿勢が再度、口実として使われそうだ。 (アジアのことをアジアに任せる) 北朝鮮は、核兵器を廃棄すると言いつつ、一部を隠し持つかもしれない。しかし重要なのは、北が核兵器を隠し持つかどうかではなく、東アジアに紛争を抑止する多国間の枠組みを作れるかどうかである。それについて米国は、北朝鮮の核問題が解決したあかつきには、北核問題の6カ国協議を、東アジアで初めての多国間安全保障の枠組みに発展・存続させる構想を、前政権時代から持っている。 この新体制下では、北朝鮮は中国から監督される代わりに、日米韓は北朝鮮に対する敵視をやめて、和平条約を締結することになる。これによって和平の枠組みが作られれば、北が核を隠し持っていても、大した問題ではなくなる。 日本はこの新体制に移行する際に、北朝鮮と和解し、ロシアとも和平条約を結ぶ必要がある。北方領土問題は、日露合意のもとで棚上げするか、二島返還で解決するしかない。米国の覇権衰退とともに、今後の日本は米国の後ろ盾が失われ、ロシアに対して弱い立場になるので、二島を大きく上回って日本側が返還を受けられる可能性は非常に低い。中国に対しても、日本は今よりさらに弱い立場になるだろう。 日本が弱い立場になることを拒否して単独で軍事大国化するという選択肢もないわけではないが、世界的な核廃絶の動きが始まると、日本の核武装は許されなくなる。すでに日本は、世界から「米覇権が崩壊したら核武装しそうな国」と疑われている。こっそり核兵器開発すると、すぐにばれて世界から非難され、日本は窮した挙げ句に稚拙な逆切れ状態となり、戦前の二の舞になりかねない。 今後の世界の核拡散防止は、英首相が言うように「核兵器を持っていない国が、持っていないことを証明する責任を持つ」という体制になるだろう。世界から核武装を疑われ出している日本は、イランのように濡れ衣をかけられる懸念すらある。今後、米国の衰退が顕著になるとともに、日本は核武装すべきだという主張が、世論の人気取りのために、日本の言論界や政界で増えそうなだけに危険だ。 米国は、今後しばらくは、日本に対する核の傘を保証し続けるだろう。しかし、それは建前だけだ。米国は、軍産英複合体が意外な復活を遂げない限り、一方で日韓などに核の傘を保証する言葉を発しつつ、他方では核兵器の廃絶を進行させるだろう。日韓など、米国への依存が強い国々も、いずれ米側の言葉を信用しきれなくなり、米国への信頼を失うだろう。日本は、強硬な孤立主義や核武装に流れずにすめば、北朝鮮やロシアと和解していき、6カ国協議が発展して作られる東アジアの多国間安保体制の中で、新たな安定を見出すだろう。
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