中国のドル離れ2009年4月24日 田中 宇中国政府は最近、上海、広州と、香港に近い広東省の深セン、珠海、東莞の各都市にある輸出企業の一部に対し、海外との取引を行う際、中国人民元で決済することを初めて認める政策を開始した。上海周辺や広東省は、中国の輸出産業の多くが結集しているが、これまで中国政府は人民元での決済を認めておらず、業者は主にドル建てで輸出入していた。すでに中国政府は、広東省の貿易産業の主な取引相手である香港とマカオの企業に対し、人民元建てで中国企業と取引することを認めている。 (Yuan trade move 'far reaching') 広東省や上海の製造業は、日本や台湾など世界から部品を輸入して組み立て、製品を世界に輸出するという加工貿易の側面がある。この貿易に使われる通貨は従来ほとんどドルだったが、今後は人民元の比率がしだいに高まりそうだ。中国政府は、ベトナムやラオス、ミャンマー、タイとの貿易拠点となっている南部の広西壮族自治区と雲南省の貿易業者に対しても同様に、人民元での輸出入を行う許可を出している。また近年、中国との経済関係を急速に強めている台湾との間でも、人民元の利用を拡大している。 (Banks hope for quick access to yuan business) こうした動きは、中国の外縁部にある「大中華経済圏」において、貿易決済に使われる基軸通貨をドルから人民元に代えていこうとするものだ。とはいえ、この動きは中華圏にのみ関係する話ではない。香港や東南アジア、台湾は、自由市場圏であり、そこで使われる人民元は、中華圏の外にも流出して使われるようになり、人民元の国際化につながるからだ。 中国政府は従来、人民元の国際化(国際自由化)を進めたくなかった。欧米の投機筋に狙われて、為替を混乱させられる懸念が強まるからだった。投機筋が暗躍した1997年からのアジア通貨危機では、自由化されていた東南アジアの諸通貨は軒並み混乱させられたが、当時まだ自由化されず完全な政府管理下に置かれていた中国の人民元は難を逃れた。それ以来、中国政府は、欧米諸国の政府がいくら「人民元を自由化せよ」と圧力をかけても「欧米は投機筋とぐるだ」と疑い、できるだけゆっくり自由化を進めてきた。 ところが最近、中国政府は、今回の件に象徴されるように、自国周辺の大中華圏から順番に、同心円的に人民元の国際利用を拡大していく政策へと転換している。この転換の理由は、中国側の事情ではない。裏にあるのは「ドルの不安定化」である。中国政府は、ドルのリスクが高まりつつあるため、やむを得ず、自国周辺での人民元の国際利用の増加を認めている。 ▼ドルの罠から逃れる秘密のトンネル掘り 中国は昨年末以来の半年で、香港のほか、インドネシアとマレーシアという東南アジア2国、韓国、それからアルゼンチンとベラルーシとの間で、人民元建ての貿易を可能にする通貨スワップ協定を結んだ。雲南省などを経由してほとんど国際統計に乗らないかたちで中国との陸路貿易が行われている東南アジア北部諸国での人民元利用と合わせ、東南アジアと朝鮮半島、台湾という大中華圏の全域で、貿易で人民元を使う新体制が築かれつつある。 残るアルゼンチンとベラルーシは、いずれも以前からドルの外貨準備不足に悩んでおり、人民元と自国通貨のスワップ協定を望んでいた。これらの2国の通貨はドルよりリスクが高いが、中国としては国際社会での政治影響力拡大のため、2国の要請を受けたのだろう。 (China to Boost Yuan Swaps, Payments on Dollar Concern) 現時点ではまだ、ドルの基軸性が崩壊することは、少なくとも表向きに報じられていることとしては、決定的な話ではない。しかし中国政府は、ドルの崩壊は不可避と見ているようで、ドルの崩壊に備えるような言動を、この1-2カ月間に強めている。3月末のG20サミット直前には、中国人民銀行(中央銀行)の周小川総裁が、ドルではなくてIMFの特別引き出し権(SDR)を世界の基軸通貨にしようと呼びかけている。 (China and the dollar) 4月18日に中国の海南島で開かれた恒例のボアオ会議(アジア版ダボス会議。博鰲アジアフォーラム)では、温家宝首相が「国際金融危機を乗り切るため、アジア諸国で共通の外貨準備を持つ新制度を作ろう」と呼びかけた。アジア諸国が金を出し合って準備制度を作るこの構想は、SDRを国際通貨にする周小川構想のアジア版であり、ドル崩壊に備えようとするものだ。 (China asks Asia to set up 'reserve pool') 中国政府やその傘下の企業は、世界中で銅やアルミニウム、亜鉛、ニッケル、チタニウムなど工業原料となる鉱物を買いまくって備蓄しており、これも今後が懸念されるドルをなるべく持たず、実際に使える鉱物資源に替えておくための策と報じられている。 (A 'Copper Standard' for the world's currency system?) 米国の連銀は、金融危機を解消する名目で、脅威的な速度でドルを増刷しているが、これはいずれ米国の不況が一段落して景気が上向きになり出したとき、ひどいインフレを引き起こすことが懸念されている。ハーバード大学の権威ある経済学者であるマーチン・フェルドスタインが、そう指摘している。 (Harvard's Feldstein Sees U.S. Inflation Danger After 2010) 中国は、米国が意図的にインフレを悪化させてドルの価値を下げ、中国が持つ資産の価値を落とすつもりなのではないかと心配し、全速力でドル離れを画策していると指摘されている。正面からドル資産を売ると、その売りがドル崩壊を誘発するので、中国は国際金融システムの中に「秘密のトンネル」を無数に掘り、今年の夏の終わりまでに「ドルの罠」から脱出することを画策していると、大胆な予測が当たることで知られる欧州の研究機関LEAP/E2020が、最近の報告書に書いている。 (The international monetary system's breakdown is underway) 同報告書は、中国のドル離れが進行することから、次回の金融危機が始まり、米国は今夏の終わりに債務不履行に陥ると、またもや大胆にも予測している。中国が掘っている秘密の脱出路とは、人民元の国際化や鉱物資源の買い漁りのことを指していると思われるが、現在の国際金融の小康状態は、中国に脱出路を掘るための時間を与えていることになる。 ▼中国の台頭は相対的なもの 中国のドル離れの努力は、成功しそうもない部分もある。人民銀行総裁が提案したSDRの基軸通貨化は現実的でないと指摘されているし、アジア諸国の外貨準備の共通化も、中国と並ぶアジアの経済大国の日本が対米従属に固執しているので、成就する可能性は低い。しかし逆に見ると、もし米国で本当に今後もう一段の金融危機が起こり、米国が債務不履行に陥った場合、それに対する準備は、日本より中国の方がはるかに進んでいることになる。日本は、米国と一緒に財政破綻するかもしれない。(殿様が自害したら家臣も自害するのが武士道なら、米国とともに財政破綻するのは日本国の本望かもしれないが) 世界不況のあおりで中国の経済成長も鈍化し、貧しい人々が特に悪影響を受け、中国では貧富格差が激しくなっていると指摘されている。上海の不動産市況がいずれ半値になるとの予測も出た。しかし、中国の経済成長は依然として年率5%を超えており、今年は4%のマイナス成長が予測される米欧日の先進国と比べるとはるかにましで、世界経済は中国に頼る傾向を強めている。 (The Global Economy In The Next Year) (China property prices `likely to halve') (And the poor get poorer) 中国はすでに、米国を抜いて世界最大の自動車市場となっている。高級車の独メルセデスも、すでに日本より中国の方が販売額が多い。米GMは倒産寸前だが、中国での事業は黒字で、GMが生き延びられるかどうかは中国にかかっている。最近開かれた上海モーターショーでは、デトロイトやフランクフルトのショーに出展しなかった日産自動車など、日米欧のメーカーが大々的に出展した。世界の自動車市場の中心は、すでに米国から中国に移っている。 (China's Influence on Display at Car Show) (China car sales reach record high) 今後の世界経済において中国が占める位置は、相対的に、非常に高いものになる。それは、中国自身の高成長や政治的野心の結果ではなく、米国の金融瓦解によって米欧日の先進国経済が大不況になり、もう07年の金融危機発生前の良い状態に戻ることはおそらく2度とないからだ。中国政府自身としては、あと20年ぐらいかけて国内を発展させてから世界的な大国になりたかっただろうが、米国が勝手に崩壊している結果として、中国は半ば強制的に大国の地位へと押し上げられている。 中国のドル離れや国際的な台頭は、中国自身の戦略の結果ではない。米国が、自国の覇権を崩壊させつつ、中国を台頭せざるを得ない状況に追い込んだ結果である。中国を台頭させようとする米国の戦略は、山中に退却したゲリラにすぎなかった中国・重慶の国民党政府を、1945年に国連安保理の常任理事国の一つにしてやった時、すでに存在していた。(当時の米国は、共産党と国民党というソ連系の2つの左翼政党を結束させて中国に連立政権を作らせようとしており、共産主義を悪く思っていなかった) ▼「資本主義バージョン2」の立ち上がり 米国の中枢では、米国と中国が対等な覇権国となり、米中協調体制(G2)で世界を支配する構想が、以前から描かれている。こんな構想が出てくる理由は、世界の覇権体制を運営している米国の中枢に、この200年続いてきた欧米中心の世界体制を崩した方が世界経済を発展させるために都合がいいと思う考え方があるからだろう。 (アメリカが中国を覇権国に仕立てる) 現在の世界体制を形成した源泉は、18世紀の産業革命とフランス革命である。産業革命は、国家の工業生産力(軍事力)を飛躍的に向上させ、今に続く資本主義の成長システムにつながっている。フランス革命は、納税(国家財政の健全化)と徴兵(戦力強化)を持つ国民国家システムを作り、この2つのシステムによって欧州諸国は強化されて世界を支配し、その頂点に英国が立った(第2次大戦後は覇権は米国に移転した)。 アジアやアフリカ中南米などにも国民国家は作られたが、いったん頂点に立った欧米諸国は、自分たちに都合のいい国際政治システムを作り、アジアなど途上諸国の発展を阻害しても欧米中心の世界システムを維持した。20世紀初頭に英国から覇権を奪う流れに乗った米国(ニューヨーク)の資本家は、世界各地の民族の独立を扇動し、先に発展した欧米先進国が、後から発展しようとするアジアなどの途上国を妨害するシステムを解消し、世界経済の成長力を上げようと画策した。だがこれは、欧米中心の世界体制を維持したい勢力との長い暗闘を引き起こした。 ニューヨークの資本家が、中国を特に重視する理由は、欧米以外の世界で最も大きな国の一つであり、しかも欧米文明とは異なる文明を持つので、中国を強い国に仕立てれば、世界の成長度を上げるための多極型の世界体制を作りやすいと考えたからだろう。アジアの大国としては日本もあるが、明治維新は英国の肝いりで行われ、その後の日本は欧州列強の一部となる戦略を採り、第2次大戦後は英国(軍産英複合体)の傀儡となったため、日本は多極化戦略にはほとんど使えない国だった。 世界には、ロシアやブラジルなどの大国もあるが、いずれも産業革命以来の経済ネットワークの世界的拡大の中に国家基盤が位置しており、欧米中心の世界体制に半分乗っている国々である。ロシアもブラジルも現在まで、英国につながるユダヤ勢力による経済支配が強い。中国は本質的に、こうした欧州系の経済ネットワークの外にある。孫文は三合会(華人黒社会ネットワーク)、トウ小平は客家ネットワークの出身だ。 (覇権の起源(2)ユダヤ・ネットワーク) ニューヨークのユダヤ人は、自分らのネットワークの外にある中国人(華人ネットワーク)を伴侶とすることで、従来の単一ネットワークでは実現できなかった多様で成長力のより大きな世界経済を実現しようとしている。ネットワークが単一だと、英国やイスラエルといった一部の勢力がこのネットワークを握って世界を隠然と支配し、政治的な事情を優先して世界経済の成長を鈍化させてしまうが、ネットワークが多様なら、このような構造的な欠陥が減る。 資本主義のシステムを作ったのはユダヤ人だと言い得るが、彼らは資本主義をバージョンアップするために、いったん米国に無茶苦茶をやらせて潰し、中国や、その仲間たちであるBRIC、イスラム諸国、中南米などの非米同盟の結束を誘発し、世界秩序にリセットをかけているように見える。中国の台頭や、覇権の多極化は「資本主義バージョン2」の立ち上がりを意味している。
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