テロ戦争の終わり(2)2009年4月16日 田中 宇
この記事は「テロ戦争の終わり」の続きです。 前回の記事で、2001年の911テロ事件は、米当局が事件の発生を意図的に防がなかった観が強いことを書いた。米政府は、何を意図して、事件の発生を防がなかったのか。911事件とともに「テロ戦争」(Global War on Terror)が始まったことを考えると、米政府はテロ戦争を始めるために911事件を誘発したと考えることができる。 米政府が911のテロに対してまともな対応をしていたら、それは「戦争」ではなく「犯罪捜査」になっていたはずだ。911の容疑者として捕まった人々の裁判では、何一つ事件の本質が明らかになったものはない。米政府は、犯罪捜査などそっちのけで戦争に入った。やりたかったことはテロ抑止ではなく戦争そのものだったと考えるのが自然だ。 では、テロ戦争とは何か。表向きは「911を起こしたアルカイダとその指導者オサマ・ビンラディンを潰すための戦争」であるが、実際にはアルカイダとは全然関係のないフセイン政権のイラク(アルカイダはイスラム主義で宗教重視だが、フセイン政権は宗教勢力を敵視する左翼系・世俗系の独裁だった)への侵攻がテロ戦争の一環と称して挙行され、その後はこれまたアルカイダと全然関係ないイラン(アルカイダはスンニ派だが、イランはスンニ派と敵対傾向にあるシーア派)に対する米国による敵視政策が、テロ戦争の流れの中で行われている。 01年末からのアフガニスタン戦争は、唯一アルカイダの拠点をたたいた戦争であるが、米軍のやり方は非常に稚拙で、頻繁な誤爆などで地元住民を怒らせて、むしろアフガンやパキスタンにおけるイスラム主義勢力の台頭を誘発している。イラクでもイランでも、米軍の戦略の結果、反米イスラム主義が台頭している。これらの流れと、米当局による911の自作自演性をつなげて考えると、911に始まるテロ戦争は、イスラム世界の人々を怒らせて敵に仕立てることが目的だったのではないかと思えてくる。 911以来のテロ戦争によって米政府内部で急速に力をつけたのは国防総省や軍需産業であるが、彼らは911まで、冷戦終結後の東西対立の緩和を受け、冷や飯を食わされていた。2000年まで8年続いたクリントン政権は、米政府の軍事費を削るとともに、受注が減る軍需産業に合併や合理化、金融収支改善による業績悪化防止策などを勧め、米国の軍需産業の縮小を軟着陸させようとしていた。だが911事件によって、軍産複合体の縮小は、急拡大へと一気に方向転換した。911事件の発生を防がなかったのは、米国の軍産複合体による「クーデター」だったと見ることができる。 911後、米政府内では、外交政策に対する決定権を持つ官庁が、それまでの国務省から国防総省へと交代した。外交重視の国際協調主義は影を潜め、軍事重視の米単独覇権主義に取って代わられた。米政府の国防予算は急増し続けた。911クーデターは成功した。 ▼イスラエルの天才的国家戦略 テロ戦争のもう一つの顕著な特徴として「イスラム敵視」がある。テロ戦争は、イスラム世界の敵意を煽り、イスラム世界と米国(欧米)との敵対関係を恒久化して、米国がイスラム世界との長期の戦争体制に入り、米政界が国防総省に頼らざるを得ない構造を固定化する仕掛けになっていた。なぜ、ロシアや中国など、冷戦時代に米国から敵とみなされていた勢力ではなく、イスラム世界が敵として選ばれたのか。その理由はおそらく「イスラエル」にある。 在米イスラエル右派系の勢力は、1970年代から、米国の軍産複合体にとって知恵袋的な存在だった。それ以前には、軍産複合体の知恵袋は英国であり、この「軍産英複合体」は1940年代末から米国を冷戦構造の中に引っ張り込んで、米国の戦略を、軍事偏重でしかも英国好みの地政学的なユーラシア封じ込め戦略の中に押し込めた。だが、1970年代初めにニクソン政権が米中関係を好転させて以来、米国中枢では、冷戦体制を壊して世界体制を多極的な方向に動かそうとする多極主義的な勢力(冷戦以前の米国は多極主義的な傾向が強く、その回復を目指す勢力)と、軍産英複合体との暗闘が激化した。 この暗闘の中、英国に代わる軍産複合体の強力な助っ人として登場したのがイスラエル系右派で、彼らは米ソ冷戦の終結を容認することで多極主義勢力と折り合いをつける(ソ連のユダヤ人をイスラエルに連れ出すために米ソ和解が必要だと詭弁した)一方で、ソ連ではなくイスラム世界を新たな敵とする、欧米+イスラエルvsイスラム世界の長期対立構造という、イスラエルにとって都合のよい世界戦略に、米国をはめていこうとした。イスラエルの策略は、米政界を牛耳り、米軍に自国を守る衛兵の役目をさせるという、小国が大国を振り回す大胆かつ効率的、天才的な国家戦略で、さすがユダヤ人という感じである。 1979年にイランで反米的なイスラム革命を誘発したのが、軍産イスラエル複合体の最初の作戦だった。以前の記事( <URL> )に書いたとおり、イスラム革命は、革命前のイランの親米政権下のイラン軍が革命の進展を止めようとするのを米軍がやめさせた結果、成功している。軍産イスラエル複合体は、イランの反米化・イスラム主義化を誘発した。 80年代のアフガニスタンでは、占領軍たるソ連と、米軍に支援されたイスラム主義ゲリラ(ムジャヘディン)の戦いとなり、ソ連軍は長いゲリラ戦を受けて疲弊してソ連崩壊へとつながり、その後のイスラム主義ゲリラは反米化し、アルカイダやビンラディンにつながる流れとなった。この動きもまた、軍産イスラエル複合体が米ソ冷戦をイスラム世界との長期戦に置き換える動きがあったという構図の中で見ると、当然の流れである。ムジャヘディンやアルカイダは、米ソ対立をテロ戦争に置き換えるためのコマとして使われた。 冷戦終結後の1990年代は「(大事なのは外交じゃなくて)経済だよ、バーカ」(It's economy, Stupid!)という名句とともに1992年の大統領選挙を「横入り」的に乗っ取って勝利し、軍事より金融を重視して斬新な「金融グローバリゼーション」の戦略を展開したビル・クリントンの政権によって、例外的な10年間となった。だが、それは1998年の国際通貨危機によって一段落させられ、代わりに同年からの米国のタリバン敵視策など、軍産イスラエル複合体によるテロ戦争の再強化に取って代わられ、911とともにテロ戦争こそ米国のすべてとなり「米国は中東の国になった」と言われる新事態が始まった。 (It's the economy, stupid From Wikipedia) 911は、軍産イスラエル複合体が30年かけて練ってきたテロ戦争の構図がようやく大々的に実現する転換点だった。また、米軍がアフガニスタンあたりで捕まえてきた無実のイスラム教徒たちを米国沖(キューバ島)のグアンタナモ基地に無期限勾留して拷問し、世界中のイスラム教徒を激怒させたのも、失策ではなくて、本来は親米的なイスラム教徒をわざと怒らせて反米化させ、テロ戦争の構図を定着させる試みだったと考えられる。 ▼反イラン派が仕切るオバマの対イラン交渉 911事件のかなり前から「いずれ米国の大都市で大規模なテロが起こり、テロ組織との長期的な戦争に入らざるを得ない」という趣旨の発言を放っていた、ネオコン系の人とされるジェームス・ウールジー元CIA長官は、911の直後「テロ戦争は40年は続く」と述べている。このような発言からは、軍産イスラエル複合体が企図したテロ戦争は、前身の軍産英複合体が企図して40年続いた冷戦をバージョンアップした戦略と位置づけられていたことがうかがえる。 しかし、40年続くはずのテロ戦争は、10年もたたないうちに終焉が見えてきている。テロ戦争は、イスラム世界の反米感情を扇動することで、米国とイスラム世界との長期対立構造を作る戦略だったはずだが、オバマ大統領はこの戦略を放棄し、先日トルコ訪問時にイスラム世界に向けて「米国はみなさんの敵ではありません」と宣言している。この宣言の効果のほどは疑問だが、オバマ自身がテロ戦争の構造を破棄したがっているのは明らかだ。 もしイラクやアフガンの軍事占領が成功裏に進展していたら、オバマはテロ戦争を終わらせようと思わなかったはずだ。彼は「米国は世界を主導する強い国であり続けねばならない」と言って米国民に支持され、当選した。ブッシュ政権のテロ戦争や単独覇権主義が成功していたら、オバマはそれを継承するだけでよかった。テロ戦争は「継続」なのか「失敗」なのか、おそらく意図的に曖昧にされているが、現状を分析するとテロ戦争は「失敗」が決定的だ。だからこそ、終わらせられようとしている。 テロ戦争が失敗したのは、ブッシュ政権の「やりすぎ」のせいである。イスラム世界を怒らせることは、ある程度までなら、もともと親米だったイスラム教徒の反米感情を煽ってテロ戦争の恒久的な構図を維持する策になるが、ブッシュ政権はそれを過激にやったため、欧州や中南米など、イスラム世界以外の親米であるべき地域の人々まで怒らせてしまい、米国がイラクやアフガンの占領に失敗して困窮しても、助けてくれる国が少ないという事態になっている。 世の中には、ブッシュ政権は愚かで腐敗していたのでやりすぎの失策をしたのだと考える人が多いが、ずっと米政府の戦略を仔細に読んできた私は、単なる失策と考えるにはあまりに徹底的で周到なので、意図的な失敗だと考えている。ニクソン・キッシンジャー時代から綿々と続く軍産イスラエル複合体と多極主義勢力との暗闘の一つの場面として、軍産イスラエルの戦略を全面支持するふりをしつつ、やりすぎによって戦略破綻を導くというブッシュ政権の「隠れ多極主義」があったのだと考えている。 それでは、米国はオバマ政権下で、失敗したテロ戦争を終わらせて、911前のような国際協調主義に基づく強い覇権国に戻るのか。私が見るところ、それは不可能だ。米国は、今後も国際政治の中で最重要の役割を占めるだろうが、世界における米欧の力は相対的に低下し、代わりに中国やロシア、各地の主要な発展途上国の力が増大し、ゆるやかに多極化への傾向をたどると予測される(ドルの基軸性の揺らぎの行方によっては、劇的な多極化もありうる)。米欧と、BRICに代表される非米欧の国々は、より対等な関係に近くなる。すでに国際社会では、G7(米欧日)よりG20(G7+BRICなど)が重要になっている。 イスラム世界においては反米感情が強くなりすぎ、イランやヒズボラ、ハマスなどのイスラム主義勢力に対する人気が必要以上に高まり、親米のエジプトやサウジアラビア、それからイスラエルが迷惑する事態となっている。米国はオバマ政権になって、反米勢力に譲歩せざるを得なくなり、イランに「核の平和利用」を認めて交渉に入るそぶりを見せている。 オバマ政権はテロ戦争を終わらせる方向に進んでいるが、それが成功するとは限らない。軍産イスラエル複合体の力は強く、テロ戦争を終わらせようとする動きは阻止される傾向にある。たとえば、米国とイランとの和解は進展しそうに見えるが、実際には、オバマ政権でイランとの交渉を担当する責任者であるデニス・ロスは、過激な親イスラエル・反イラン派である。ロスはクリントン政権時代にパレスチナ和平を担当し、表向きはイスラエルを譲歩させる担当者のように振る舞いながら、実はイスラエルの言い分をパレスチナ側に押しつけて和平交渉を失敗させる策略をやっており、最初から和平を潰すつもりで和平交渉を演じていたと指摘されている。 ロスは今回、それと同じことをイランとの交渉でやろうとしていると考えられる。米国とイランとの関係は改善していきそうに見えて、実は最初から失敗することが運命づけられている。イランの政治家は「ロスに交渉を担当させるぐらいなら、シャロンやオルメルト(といったイスラエルの政治家)に担当させた方がましだ」と皮肉混じりに言っているが、これは正鵠を射ている。イスラエルは自国の命運がかかっているので、イランと交渉できるものならしたいと思っている。しかし、ロスのような米国のイスラエル右派は、親イスラエルのふりをしてイスラエルを潰そうとする勢力(隠れ多極主義者)であり、イランにとってもイスラエルにとっても危険な存在である。 (Dennis Ross's Iran Plan) ▼グアンタナモの法的破綻 同様に、オバマが就任直後に発表した、グアンタナモ基地のテロ容疑者収容所の閉鎖も、うまくいかないことが運命づけられている。グアンタナモ収容所には、最盛時には800人近いテロ容疑者が勾留され、今も200人ほどが勾留されているが、そのほとんど全員がおそらく冤罪である。米政府内では収容した後になってほぼ全員が冤罪とわかり、いまさら母国のアラブ諸国などに送還しようにも迷惑がられて断られるし、米国で裁判にかけても無罪になってしまうのでやれないという行き詰まりを抱えることになった。 (Ex-Bush admin official: Many at Guantanamo are innocent) 冤罪者ばかりのグアンタナモ収容所の「国家犯罪」が世界的に問題にされたため、米政府は2年前に「見せ物裁判」をやることを決めた。米軍は、グアンタナモ以外にも、アフガニスタンなどにある米軍基地に無数のテロ容疑者を無期限勾留してきたが、その中で、間違いなく有罪にできそうな数名をグアンタナモに集め、軍事法廷を開いて有罪にする段取りをつけた。しかし、その裁判を開始した後、米国の最高裁で「拷問によって得た証拠は、軍事法廷でも使えない」という判決が出た。間違いなく有罪にできそうだった数名は、いずれも拷問されていたので、彼らを裁判にかけても有罪にできる見込みが急に減ってしまった。見せ物裁判は延期になった。 (Khalid Sheikh Mohammed, Confession Backfired: Paul Craig Roberts) (US Accused of Using 'Kangaroo Court' to Try Men Accused of Role in 9/11 Attacks) 米政府は、グアンタナモの軍事法廷を開くための法律を作って開廷したが、その法律では軍事法廷で裁ける対象は「違法な敵兵士」(unlawful enemy combatant)だけだった。「違法」がつかない「敵兵士」はジュネーブ条約の対象で、米国だけの基準で勝手に裁けないが、「違法」がついているので別物という理屈だった。裁判する前に「違法」の肩書きをかぶせ、その上で裁判すること自体が茶番であるが、軍事法廷で裁判を開始した後、裁判官は「どうみても被告は『違法』がつかない単なる敵戦士であり、この軍事法廷の範疇外の人である」という判断を下し、2人の被告について米当局の訴えを却下し、無罪と認定してしまった。この法的な無茶苦茶状態を、オバマはそっくり引き継がされている。 (Guantanamo trials in chaos after judge throws out two cases) ブッシュは超法規的な「テロ戦争」の一環として勾留者に対する拷問を容認したが、オバマは米政府を遵法状態に戻し、拷問を禁止すると期待されていた。しかし実際には、オバマが拷問を明確に禁止すると、グアンタナモの勾留者に対して米政府が違法行為を行ったことを認めざるを得なくなり、グアンタナモの国家犯罪性をオバマ政権がかぶらねばならなくなって、強烈なイメージダウンとなる。だからオバマの拷問禁止は抜け穴が多いのだが、共和党のネオコンなどがそれを見つけてマスコミにリークし、どっちにしてもオバマのイメージは悪くなっている。 (Torture Ban that Doesn't Ban Torture) このようにテロ戦争は、始めるよりも終わる方がはるかに大変だ。イラクも、侵攻より撤退の方が大変であることがわかってきた。アフガニスタンも引くに引けず、もたもたしている間に補給路のパキスタンの崩壊感が強まっている。テロ戦争を軟着陸させてうまく終わらせることは、ほとんど無理になってきている。 (Warning that Pakistan is in danger of collapse within months)
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