世界がドルを棄てた日(2)2009年3月21日 田中 宇私は、今年1月に出版した本「世界はドルを棄てた日」(光文社)で、昨年9月に米大手投資銀行リーマン・ブラザースが倒産してから、11月に米ワシントンDCでG20国際金融サミットが開かれるまでの間に、EUやロシアなど世界の諸大国の指導者たちが「ドルの基軸通貨体制は終わりつつある」と気づき、ドル崩壊後の世界体制を準備するためにG20サミットを開いた、という意味のことを書いた。 (「世界がドルを棄てた日」) 1回目のG20サミットから4カ月が経ち、4月2日にロンドンで2回目のG20サミットを開く準備が進んでいる。当初、2回目の開催はオバマの就任から100日がすぎた4月30日に予定されていたが、1カ月前倒しして開くことにした。それだけ米国発の国際金融危機が深刻だということだ。 昨秋の1回目のG20サミットは、事前には、ドル本位制を決めた1944年の「ブレトンウッズ会議」に匹敵する会議をやることが提唱されたりして「この60年間のドルの基軸通貨体制を見直す」という雰囲気があったが、サミットそのものの議題や声明には、基軸通貨の話は全く盛り込まれず、肩すかしだった。このため今のマスコミ報道では、G20サミットが世界の基軸通貨体制の再編を話し合う会議であるという解釈はほとんど存在しない。 しかし、やはりG20サミットの底流は「ドル以後の基軸通貨体制の話し合い」であると思わせる出来事が最近あった。ロンドンG20サミットの開催を2週間後に控えた3月18日、国連の「国際通貨改革専門家会議」(U.N. Commission of Experts on International Financial Reform)が、25日の会合で、ドルが国際基軸通貨である従来の状態を棄てて、新たにEUのユーロができる前に採られていたECUやIMFの特別引き出し権のような、世界の諸通貨を加重平均した新しい国際共通通貨を創設すべきだという提案がなされることになった。 (UN panel urges replacing dollar with currency basket) ロシア政府筋は同日、4月のG20金融サミットの準備会合において、国際機関においてドルに代わる国際基軸通貨を創設することについて話し合った方が良いと提案していることを、露国内マスコミにリークした。ロシアの提案はIMFの特別引き出し権をモデルにしており、国連の専門家会議での議論と同じものであることがうかがえる。 (Russia wants to start debate on new reserve currency at G20) ロシア政府によると、中国など他の主要な発展途上国は、ドルに代わる国際基軸通貨体制を作るというロシアの提案に賛成しているという。露政府筋によると、中国は公式にはドルを棄てて別の国際通貨を作る案に賛意を表明していないが、非公式には、ロシア案と似た中国案を独自に作り、各国に提案しているという。中国は米国債など巨額のドル建て資産を持っているので、ドル安を誘発するドル破棄案を公式に提案することはできないのだろう。 (China said to support Russia on replacing dollar) 「ドル後」の国際通貨体制については、G20や国連、IMFなどでどの程度の具体的な議論がなされているか全くわからない。情報が漏れるとドル売りや人民元買いなどの投機を誘発するので、秘密にされているのだろう。しかし、国連の専門家会議やG20の準備会合で提案されるということは、かなり具体的な内容を盛り込んだ構想が議論されている可能性が高い。 (U.S. dollar: Another Sign of Accelerating Loss of Confidence) 4月のG20サミットの公式な議題のうち、仏独を中心とする欧州勢が主張している、ヘッジファンドやタックスヘイブン(租税回避地)を規制すべきだという議論は、国際基軸通貨をドル単独の従来体制から、諸通貨を加重平均したバスケット制に移行すべきだという、非公式な議論とつながっている。 国際基軸通貨の多極化には、中国人民元やサウジアラビア・リヤル、ロシア・ルーブルなど、欧米日以外の諸大国の通貨が安定して基軸性の一部を背負えることが必要だ。だが、ヘッジファンドやタックスヘイブンにある何兆ドルかの資金は、これまで英米が自分たちの経済覇権を維持するために金融投機の原資として使われてきた。これを規制しない限り、いつまでも新興諸国の通貨は投機の脅威にさらされ、中国やサウジは怖くてドルペッグをやめられない。 EU(独仏)は、昨秋のG20以来、ヘッジファンドやタックスヘイブンの規制強化を強く主張しているが、それは、ドル崩壊後の国際基軸通貨をユーロが単独で背負うことはできず、EUにとって通貨の多極化が必須なので、人民元やサウジリヤルの国際化・基軸化が必要だからだろう。EUの圧力を受け、スイスやシンガポールなど、タックスヘイブンとして機能してきたいくつかの国は、規制強化を検討している。規制強化にずっと反対してきた英政府も「タックスヘイブンの終わりの始まり」を宣言した。 (`Beginning of the end of tax havens') 財政難の米国では、マスコミが「米企業の中には儲けをタックスヘイブンに移して脱税している。今こそタックスヘイブンを潰すべきだ」というキャンペーン的な報道をしている。 (Trillions that the world could use - $11.5 trillion hidden in offshore havens) ▼G20サミットは失敗しそう 4月のG20サミットが成功裏に終わる可能性は高くない。本来、主導権をとるべき米国は、無策に徹している。最近の記事で紹介したように、英政府がG20の事前協議のために米財務省に電話をしても誰も出ず、準備が遅れている。英国は、ドル崩壊が避けられないなら、せめて米国を巻き込んで英国が黒幕となり、英米主導でドル後の新通貨体制を決めたいと画策している。米国は、この英国の策略に巻き込まれたくないので、電話に出ない。 (どうなるオバマの金融救済) 米国に頼れない以上、英国は単独で策略をやらねばならない。英国ではなくBRICと組んだ方が未来があると思っている仏サルコジら独仏(ユーロ圏)は、英国の味方ではなくなりつつある。しかし、英国は国際会議での多数派工作が得意で、その外交技能は中露よりずっと高いので、英国とBRICの主導権争いは決着がつかず、4月のロンドンG20サミットは何も決まらないおそれがある。 (G20 meet tests US-Europe ties) 米国は、欧州や日本、中国などに「もっと財政出動して景気対策をやれと圧力をかけているが、欧日中の側は「今のように米国が中途半端な金融対策しかやらない限り、危機の根幹がひどくなる一方で、各国が景気対策をやっても無駄だ」と考える傾向がある。米国は苛立ち、この面でも話が進まない。 (Deal on IMF likely to disguise divisions) 米も英も、金融界はすでに全体として債務超過(事実上の破綻)に陥っている。英国の中央銀行は3月16日に「金融界全体の信用不安から、投資や融資が控えられて危機がひどくなり、金融システムにかかっている負荷は、昨秋のリーマン・ブラザース倒産直前と同水準の、異様な高さになっている」と指摘した。G20で大したことが決まらないと、その後4月から7月ぐらいにかけて、英ポンドの暴落や財政破綻宣言、シティやバンカメ、AIGなど米金融界の崩壊感の強まりなど、いっそうの危機深化がありうる。 (Bank of England warns tensions in banking system at fever pitch) ▼「米国はすでに破産した」 米国では、売れ行きがどんどん悪化している米国債の売れ残り分を、連銀(FRB)がドルを刷って買い取る政策の開始を連銀が決めた。今後の半年間で3000億ドルの長期米国債を買う。加えて連銀は、売れ行きが悪い住宅公社(フレディマックとファニーメイ)の不動産担保債券も、半年間で8500億ドル買うことを決めた。売れない債券は、どんどんドルを刷って売れたことにする政策だ。 (Fed to buy $300bn in Treasury bonds) 読者の中には、まだ「ドルが潰れるわけない」と思っている人が意外と多いかもしれない。「ドルは基軸通貨なので、いくら刷っても世界の人がほしがるんだよ」と知ったかぶりをする人も多い。先日は、立ち話をする機会があった日本の財務省の有名な元高官が、そのようなことを言っていた。しかし私から見ると、ドルはすでに非常に不安定な状態になっている。 長期米国債は、2006年ごろから中国など外国勢の購入に依存する額が増えたが、昨秋のリーマン倒産後、外国勢の長期米国債購入は一転して激減した。その理由の一つは、世界不況によって中国など米国債をさかんに買っていた国々の対米輸出が減少し、米国債を買う原資であるドルが債権国に貯まらなくなったことである。中国など米国債の買い手は、米国債を信用できなくなったので買い控えているのではなく、ドルが貯まらなくなったので買わなくなった。この点では、米国債の信用失墜とはいえないが、買い手がいなくなっていることは確かである。 しかし中国政府の動きを見ると、ドルを信用しなくなっている面がしだいに強くなっているとも感じられる。中国は最近、世界各地で鉱山や油田の権利をさかんに買収しているが、これは従来の中国政府の外貨資産に占めるドル建て金融投資の割合が70%前後と高すぎたので、これを変更し、ドル建て金融資産を50%、鉱山など「現物資産」を含む非ドル資産を50%とすることで、ドルが暴落しても、その反動として起きる資源の高騰によって相殺できるようにする構想だと報じられている。こうした指摘を読むと、やはり中国はドルを危険視していると感じられる。 (China inoculates itself against dollar collapse) その一方でオバマ政権は、金融対策と景気対策、ブッシュが無視していた社会福祉政策の再強化など、金食い虫を多く抱え、前代未聞の財政赤字の増加を予測している。すでに米財政赤字の残高は過去最高の10・9兆ドルだ。 (National Debt Hits Record $11 Trillion) オバマ政権は先日、景気対策や金融救済で金がかかるので、今後10年間で7兆ドルの財政赤字増となると発表した。だが米議会は、これは過小評価であり、正しく計算すると今後10年間の財政赤字増加額は9・3兆ドルになると、米政府の赤字隠しを指摘した。金融救済に関しても、以前は米金融界が必要とする公金は数千億ドルと言われていたのが、今では2兆ドルとか3・6兆ドルといった数倍に膨れ上がっている。 (Much Bigger Deficits Seen in Budget Office Forecast) 名目的には独立採算だが、会計が破綻したら政府が面倒を見なければならない官制健康保険(メディケア)の赤字も急拡大しており、こちらは予測される政府の最終負担額は30兆ドルとも70兆ドルとも試算されている。この数字は、よく読者から「間違いだろう」と指摘されるが、間違いではない。30億ドルではなく、30兆ドルである。しかも、健康保険制度の赤字が急増しているにもかかわらず、米国では5000万人以上が何の健康保険にも入っていない。潜在的な赤字を含めて考えると、米国の財政難は、日本よりはるかにひどい。 (Medicare Meltdown) 米財政は、もともと赤字体質だったところに、911以来の戦費の急増と、この2年間の金融危機対策の支出増、大不況による税収減、外国人による米国債の買い控えが加わり、連銀がドルを刷って米国債を買わねばならなくなった。米経済は昨年末までデフレだったが、ここ2カ月ほど、インフレの方向に戻っている。これは「デフレがおさまってよかった」と報じられているが、実はドルの刷りすぎによるハイパーインフレの兆候かもしれず、危険である。「専門家は、米国はすでに破産したと言っている」という記事が、米テレビCNBCのサイトに出ていた。 (What the Pros Say: US Is Now 'Bankrupt') しかも、米政府が金融救済のために公金をつぎ込まねばならない局面は、これからも拡大する。昨年まで米国の金融危機は、投資銀行など、保護すべき預金者を持たない金融機関の破綻だったが、今後は、保護すべき預金者を膨大に抱えるシティやバンカメといった商業銀行や、無数の保険契約者がいるAIGなどの破綻になる。昨秋のリーマン倒産のショックがあまりに大きく「大手銀行は潰せない」という認識が米国内にできており、シティやバンカメ、AIGなどの大手は、どんなに金をかけても救わねばならないという話になっている。 (Nationalizations? Hey, not so fast) 専門家の中には「債務超過のゾンビになっているシティやAIGを救うことは、米国の財政破綻を招く。シティやAIGを潰すと今後何年かは苦しいが、米国そのものを潰すよりはましだ」と指摘する人もいるが、大きな声にはなっていない。 (Let AIG Go Bankrupt, Not America) (James Baker We must kill the US zombie banks) 【続く】
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