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仕組まれた9・11 【5】オクラホマ爆破事件と911
田中 宇
1995年4月19日朝、アメリカ南西部のオクラホマ市で、連邦政府の役所が入っているアルフレッド・ミューラービルが爆破され、168人が死亡するテロ事件が起きた。
FBIはその日の夜、隣の州にあるダラス市で、この事件との関係で一軒のアパートを家宅捜索した。アパートの住人は中東系の男で、爆破直前に現場から走り去るのをビルの警備員に目撃されているピックアップトラックのナンバープレートから男の存在が浮かび上がった。
捜査の結果、ピックアップトラック自体は爆破テロの前にダラス空港で借りられたレンタカーで、ナンバープレートだけが男の車のものと交換されていたことが分かった。ピックアップトラックを借りたのはパキスタンから来た別の人物だった。
http://www.thenewamerican.com/tna/1998/vo14no19/vo14no19_mideast.htm
同時に、オクラホマ市内でも中東系の男たちがFBIの事情聴取を受けた。また爆破から2時間後にオクラホマ市の空港から飛び立ち、シカゴ経由でヨルダンに出国しようとしたイラク人の男性が、シカゴの空港でFBIによって拘束された。
http://mindprism.com/__ocbpt/chpt5a1.html
事件は、中東系テロ組織の犯行として捜査が急展開するかのように見えた。ところがその後、中東系の容疑者に対する捜査はこれ以上行われず、いったん逮捕された人々は釈放され、中東系の人々はFBIの指名手配書からも消えた。代わりに犯人とされたのはネオナチ系の極右グループを組織している、ティモシー・マクベイとテリー・ニコラスという男たちだった。
たしかに、爆破直後に走り去ったピックアップトラックには、マクベイらしき男が乗っていたことが目撃されている。だが、トラックに乗っていたのは一人ではなかった。もう一人、中東系の男性が乗っていたのである。マスコミは口々に「中東系はどうなったのか」とFBIに尋ねたが、明確な答えは返ってこなかった。
代わりにマスコミに対して発せられたメッセージは「中東系ばかり疑って追いかけるのは人種差別であり人権侵害だ」というものだった。連邦ビル爆破には中東系のテロ組織がかかわっていたとする報道特集番組を数回放送した地元のテレビ局KFORと、同局で取材を担当した記者は、容疑者とされたイラク系の男から損害賠償請求の裁判を起こされた。もう一人、シカゴの空港で逮捕尋問された男は、不当逮捕されたとして連邦政府を相手に裁判を起こした。
http://www.thenewamerican.com/tna/1998/vo14no19/vo14no19_mideast.htm
この提訴を機にアメリカのマスコミでは、連邦ビル爆破テロといえば、米当局が中東系の人々を犯罪者扱いしがちだという差別問題の象徴としてとらえられるようになった。私も以前の記事で、そのようなトーンでこの事件に言及している。
▼隠されたイラク亡命者集団の関与
ところが、地元テレビ局KFORの記者としてこの事件を発生からずっと取材し、容疑者扱いされたイラク人から訴えられたジャイナ・デービスは、このテロ事件の本質はそんなものではないと考え続けていた。
彼女は取材を重ねるうちに、事件現場の近くのビルに設置されていた防犯カメラの映像を入手した。そこには爆破直前、マクベイと中東系の男が走って逃げるところが映し出されていた。30人近くの証言から、事件がマクベイの単独犯行ではなく、中東系の男たちも関わっていたことは間違いないとの結論が得られた。
FBIの現場の捜査官たちが「犯人はマクベイら極右だけではない。中東系の組織が爆破テロを計画し、マクベイはその下請け仕事の一部をやっただけだ」という結論を出していたことも分かった。このような現場の結論はFBIの上部によって却下され、代わりに「マクベイ単独犯説」が採用された。
デービスと同僚記者の取材により、連邦ビルに入居していた政府のATF(アルコール・タバコ・火器局)では事件当日、全職員に対して出勤してこないよう連絡が入っていたため誰も被害にあわなかったことや、オクラホマ市の消防局が、事件の前に「今後数日間に大事件があるかもしれない」と連絡を受けていたことも分かった。
http://www.thenewamerican.com/tna/1996/vo12no10/vo12no10_prior.htm
さらに分かったことは、オクラホマ市の近郊には、1991年の湾岸戦争直後にイラクから亡命してきた4000人ほどの人々が住んでおり、事件に関わっている中東系の男たちは、その集団のメンバーであるということだった。
http://www.shout.net/‾bigred/labyrinth
彼らはもともとサダム・フセイン政権下で軍隊や情報機関に勤めていた人々とその家族で、湾岸戦争の最中にアメリカ側に寝返り、当時のブッシュ大統領(現大統領の父親、元CIA長官)の決定で、アメリカに移住が認められた人々だった。
亡命者の多くは戦争のプロであり、イラク側がアメリカに送り込んできた二重スパイや、アメリカに移住してからテロ行為を行いそうな人々が含まれていることは、当初から予想されていたと思われる。この亡命受け入れは公式に発表されることなく、秘密裏に実施された。
http://www.rense.com/general13/skolknow.htm
(アメリカが関与した戦争で、アメリカ軍やCIAによる情報収集や戦闘を手伝った戦場の地元の人々に対し、終戦後にアメリカへの移住を受け入れる政策は、以前から行われていた。ベトナム戦争では、ラオスの山岳地帯に住んでいたモン族の人々がCIAの秘密作戦に協力し、その後25万人がアメリカに移住している)
http://tanakanews.com/a0813Laos.htm
▼報道潰しに加担したニューヨークタイムス
デービス記者は、取材の果実としてKFORで報道特集番組を作って放映したが、そこで報じられた内容が全国版の大手マスコミで話題にされることはなかった。FBI内部と同様、マスコミ業界でも、上部からの何らかの政治的な意図により、現場での調査結果が公式なものとして扱われることが見送られたのだった。
そして、デービスは無視されたばかりでなく、マスコミ業界内で圧力をかけられることになった。事件が発生した当時、KFORはNBC系列のテレビ局だったが、翌1996年にニューヨークタイムスがKFORを買収した。
ニューヨークタイムスが送り込んできた新しい会社幹部は、デービス記者に対し、連邦ビル爆破事件についての取材を止め、これまでに取材した記録をすべて差し出すよう命じた。デービスはこれを拒み、KFORを追い出されることになった。
正義感を捨てきれないデービス記者は、シカゴの弁護士であるデビッド・シッパーズに「オクラホマの事件には中東系の人々が関わっているのに捜査されていない」と手紙を出した。シッパーズは連邦議会下院の弾劾司法委員会で首席顧問をつとめ、議会内に幅広い人脈を持っていた。(彼は議会下院の共和党に頼まれ、クリントン大統領の不倫もみ消し疑惑を調査して有名になった)
シッパーズは当初、デービスを根拠の薄い陰謀論者ではないかと考え「新事実があるのなら、その資料をFBIに提出すれば良いのではないか」と返事を出した。するとデービスは「資料を提出しようとしたが、FBIが受け取らなかった」と再び手紙を書いてきた。その後デービスと会い、彼女が持参したインタビューの記録など膨大な資料に目を通してみると、これは重大な事件であると分かった、とシッパーズはラジオのインタビューで答えている。
http://www.infowars.com/transcript_schippers.html
シッパーズは知り合いの議員たちに、連邦ビル爆破事件で真実が語られていないことを伝えた。ところが、議員たちの反応は鈍かった。
▼6年前に予測されていた911
その一方でシッパーズが把握したことは、米国内で何らかの大規模な爆破テロが起きることを警告する報告書が、連邦ビル爆破事件が起きる2カ月前に、すでに議会で作られていたが、その警告は無視されていたということだった。
議会下院では、共和党がヨセフ・ボダンスキーという専門家を招いて「テロと非通常戦闘に関する調査検討チーム」という会合を作り、イスラム過激派系テロ組織の動向を探っていた。ボダンスキーは連邦ビル爆破事件の2カ月前に報告書を完成させ、米国内のどこかの連邦政府関係のビルが爆破される可能性がある、と警告していた。
ボダンスキーの報告書では、ワシントンのホワイトハウスもしくは連邦議会のビルに対して飛行機をビルに突っ込ませる形のテロも計画されている、と書かれていた。この警告は6年後の9月11日、攻撃対象を国防総省に変えただけで現実のものとなった。
http://www.infowars.com/transcript_schippers.html
(ボダンスキーは共和党系シンクタンクの研究員だが、イスラエル系の人なので、情報源はモサドなどイスラエルの諜報機関ではないかと思われる。「ビンラディン:アメリカに宣戦布告した男」の著者)
http://www.primapublishing.com/books/author/10459/
http://www.freeman.org/m_online/bodanska.htm
オクラホマ連邦ビル爆破事件は、FBIの捜査が不十分なまま打ち切られたり、事前の警告が無視されたりしたという点で、911テロ事件と良く似た側面を持っていたことが分かる。
連邦ビル爆破事件の真相究明に首を突っ込んだデービス記者とシッパーズ弁護士にとって、2つの事件は単に似ているだけではなかった。2人は、連邦ビル爆破から6年後、911テロ事件が近づくにつれ、再び事件の奇怪な裏側を見ることになった。
シッパーズ自身がラジオインタビューで明らかにしているところによると、911事件が起きる2ヶ月前の2001年7月、ミネソタ州とシカゴのFBI捜査員からシッパーズに「ロアーマンハッタンを狙ったテロ攻撃が計画されている」と連絡が入った。
http://www.infowars.com/transcript_schippers.html
ミネソタ州のFBI捜査員はすでに書いたとおり、「20番目のテロリスト」と呼ばれたザカリアス・ムサウイをいったん拘束しながら、上部の消極姿勢に阻まれて詳しい捜査ができなかったことが分かっている。シッパーズに連絡してきたのは、その捜査員だったと思われる。
シッパーズは、デービス記者と会ってオクラホマ爆破事件の真相究明に首を突っ込んで以来、上から捜査を潰されているFBI捜査員たちの代弁者になっていた。議会がこのFBI捜査員たちを証人喚問し、捜査員たちがテロ計画の存在について証言すれば、捜査を止めている政府の上層部も態度を変えざるを得ないだろう、という戦略だった。ところが、シッパーズが電話でこのことを話しても「分かった。検討して返事を出すから少し待っててくれ」と言ったまま返事をよこさない議員ばかりだった。
シッパーズは、ワシントンの政権がクリントンからブッシュに交代したことは事件の真相究明にもプラスだと思っていた。軍やCIAといったテロ事件を防ぐ政府機関は、民主党より共和党と親密だったので、クリントンはテロ事件の捜査に消極的なのだろう、と思われていた。
だからシッパーズは、政権がブッシュに代わり、共和党議員から司法長官になったアシュクロフトなら動いてくれるだろうと考えた。だが、ここでも「担当者から電話させる」という返事で、電話は二度とかかってこなかった。
http://worldnetdaily.com/news/article.asp?ARTICLE_ID=25008
同じころ、95年にオクラホマ事件の発生を警告する報告書を書いた議会顧問のボダンスキーのところにも、911のテロを警告する情報が入ってきていた。またデービス記者のところにも海軍の情報担当者などからテロ計画の情報が入り、それらはシッパーズにも伝えられた。
シッパーズによると、事件発生の1ヶ月前の段階で、すでに9月11日という日付も分かっていたし、実行犯の一部については名前も分かっていた。
オクラホマ事件の取材で浮上した中東系の男たちの中には、その後ボストンのローガン空港とシカゴのオヘア空港に勤務し、それぞれ空港に自由に出入りできる立場におり、それが911テロ事件に関与しそうなことも分かった。
また、シカゴの金融機関にアラブの過激派政治組織「ハマス」(イスラム抵抗運動)の資金があり、その金がテロ計画に使われているため、FBIの捜査員が口座を凍結しようとしたが果たせなかったことも判明した。
http://www.infowars.com/transcript_schippers.html
(これと関連するかもしれないこととして、シカゴのハリス銀行には、ビンラディン一族とロックフェラー一族との共同口座が存在するという情報もあるが、これについては情報源も信憑性も不明である)
http://www.infowars.com/skolnick.html
シッパーズがラジオ出演で話したところによると、9月11日の朝、最初のハイジャック機が世界貿易センターに激突する15分前、デービス記者のところに中東系の訛りがある男の声で電話がかかってきて「テレビをつけてみろ」とだけ言って切れたという。
またテロ事件が起きた後、かねてから情報源にしていた海軍の諜報担当者からも電話があり「このテロ事件は、オクラホマの事件を起こしたのと同じ連中がやったんだ」「君は自宅にいては危険だからどこかに身を隠せ」と伝えてきたという。
http://worldnetdaily.com/news/article.asp?ARTICLE_ID=25008
シッパーズが言っていることは、911に関してマスコミで報じられてきたこととかけ離れており、にわかには信じがたい。だが彼は連邦議会の司法委員会という重職に就いている弁護士で、その発言は信頼できるものだともいえる。
シッパーズの発言内容が事実だとしたら、オクラホマと911と両方のテロ事件を起こした「アメリカ政府公認」のテロ組織が存在していることになる。そのテロ組織は「イラク系」で、ハマスやビンラディンなど「イスラム過激派」ともつながっている。「イラク系」といっても、サダム・フセインの指示で動いているわけではなく、逆に、サダムの敵であるはずの米当局に「不逮捕特権」を与えられている組織ということになる。
こうしたことを、911をめぐる他の情報と重ね合わせて考えてみると、さらにいくつかの推論が展開できる。その一つは、911事件の主犯格についてである。実行犯の中には、モハマド・アッタらドイツ・ハンブルグの大学に留学していたアラブ系の学生たちと、そのほかの正体不明のサウジアラビア人たちの2系統があり、主犯格はドイツからきた学生たちだったとされるが、わずか1年あまりでハイジャック機を見事に操れるようになるはずがない。
そうではなくて、オクラホマ事件の隠された関係者である「アメリカに亡命してきた元イラクの軍人たち」が911のハイジャックにも関与していたとしたら、どうだろうか。イラク人もサウジアラビア人も、民族としては同じアラブ人であり、サウジアラビアのパスポートを持たせれば、米国内でサウジ人のように振る舞うことは可能だろう。
シッパーズの説を採るなら、オクラホマ事件の単独犯人とされて死刑になったティモシー・マクベイは、実は犯行の下っ端にすぎなかった。これと同様に911事件では、モハマド・アッタたちドイツ留学組は実は下っ端だったのだが、本当の主犯格を隠すために、アッタたちだけがクローズアップされたのではないか、と推測できる。
アメリカの当局が、サウジアラビア人でないのにサウジアラビアのパスポートを持っている人々をアメリカに自由に入国させていたことは、過去にも起きている。
アフガニスタンにソ連軍が侵攻していた1980年代、サウジアラビアでは自国民以外のムジャヘディン・ゲリラたちにもサウジの旅券が発給されており、在サウジのアメリカ領事館では旅券の所有者がサウジ人ではないと知りつつも渡米ビザを発給し、アメリカ国内でゲリラとしての軍事訓練を施していた。
当時アメリカでは、ニカラグアやキューバなどラテンアメリカの社会主義諸国の反政府ゲリラに対し、CIAが反政府テロのやり方などの軍事訓練を施していた。その訓練施設をムジャヘディンにも使わせたのではないかと思われる。
サウジのジェッダにあるアメリカ領事館でビザ係として働いていたマイケル・スプリングマンというアメリカ人が、国務省上層部が自分に命じたムジャヘディンに対する渡米ビザ発給を「不正行為」だと感じてジャーナリストに伝え、このことが明らかになった。
http://emperors-clothes.com/news/probetrans.htm
アメリカの当局は1980年代から、自国内でテロリストを養成しており、ラテンアメリカの人々だけでなく、中東のイスラム過激派の人々も、その「卒業生」だった。
1959年のキューバ革命後、アメリカではCIAが中心になり、フロリダなどに亡命してきたキューバ人たちにテロ訓練をほどこし、南米から麻薬を密輸させて軍資金を作り、密かにキューバに再入国させてカストロ政権を倒そうとしたが失敗している。
ところがこのテロ訓練は、意外なところで「成果」を挙げた可能性がある。1963年のケネディ大統領暗殺である。ケネディは、カストロ政権転覆を目指すCIAの秘密作戦(ピッグス湾事件)が危険すぎるとして作戦内容を大幅に制限し、その結果作戦は1961年に失敗したが、CIAの中にはケネディが自分たちの組織を潰そうとしていると危機感を持っていた人がたくさんいた。
米当局が「敵」を倒すためにテロ訓練をほどこした人物が、正反対に「味方」に向かってテロ行為を行い、そのテロ事件の真相が隠蔽されてしまう、という流れは、ケネディ暗殺、オクラホマ爆破事件、そして911テロ事件まで、綿々と続いている可能性がある。
▼貿易センタービルの内部に爆弾が仕掛けられていた?
オクラホマと911で共通している疑惑は、もう一つある。いずれの事件も、ビルの内部に仕掛けられていた爆弾が爆発した可能性がある、ということだ。
2001年9月11日の朝、ワシントンDCの国防総省ビル(ペンタゴン)にハイジャックされた旅客機が突っ込んだとき、アメリカの軍事技術研究所の一つである「ニューメキシコ鉱業技術研究所」のバン・ロメロ副所長は、市内の地下鉄に乗っていた。この日、国防総省の関連機関との間で新しい国防関係の研究についての打ち合わせが予定されており、その会場であるペンタゴンの近くのビルに向かうところだった。
この日、大規模テロ事件が発生して会議どころではなくなったロメロ副所長だったが、旅客機に突っ込まれたニューヨークの世界貿易センタービルが崩壊する映像をテレビで見たロメロ氏は、奇妙なことに気づいた。貿易センタービルは、外から旅客機に激突したことだけが原因で崩壊したと考えるには、崩壊の仕方が整然としすぎていたのである。
ロメロ氏は鉱業技術研究所の中でも、建物や飛行機などが爆弾テロで破壊されるときの状態を専門的に研究する「活性材料研究実験センター」(Energetic Materials Research and Testing Center)の所長をつとめた人である。この研究所は、爆弾テロを捜査する当局からの依頼を受け、砂漠の中にテロで破壊された建物や飛行機と同じ材質や構造を持った構築物を作り、そこに爆弾を仕掛けて破壊することで、破壊が本当に爆弾によるものであることを立証するという仕事を手がけてきた。ロメロ氏は「ビル破壊の瞬間」に関するアメリカ有数の専門家だった。
貿易センタービルが崩壊する瞬間をテレビで見てロメロ氏が感じたのは「ビルが崩壊した主因は飛行機の衝突ではなく、ビルにあらかじめ爆弾が仕掛けられていたからではないか」ということだった。高層ビルには、ビルの構造を支えている柱など、力学的な急所が何カ所かあり、その柱を爆破することで、少ない爆薬でビルを崩壊させることができる。この方法は、破壊された断片が飛び散ることなく、ビルを内側に向けて整然と崩壊させることができるため、古いビルを崩壊させて取り壊す際に使われる手法でもあるが、火薬が少なくてすむので、老練なテロリストもこの方法を使うことがある。
貿易センタービルが崩壊する光景は、ビルの要所に爆弾を仕掛けた場合の崩壊のしかたにそっくりだった。ロメロ氏は、飛行機をハイジャックしたテロリストたちには別働隊がいて、彼らが事前に貿易センタービルの何カ所かの構造的要所に爆弾を仕掛け、遠隔制御もしくは時限発火装置によって飛行機が突っ込んだ後に爆弾を点火させ、ビルを倒壊させたのではないか、と考えた。テロの被害を大きくするため、テロリストがそのような作戦をとったのではないか、と推測したのである。実際、そのような陽動作戦は、テロリストがよく行うやり方だ、とロメロ氏は指摘した。
以上のことは、ニューメキシコの新聞「アルバカーキ・ジャーナル」が、事件当日の9月11日に報じた記事をもとに書いたものである。アルバカーキ・ジャーナルの記者は、911事件の発生を見て、ビル爆破の専門家であるロメロ氏にコメントをとることを思いつき、ワシントンまで電話を入れたところ「ビルに仕掛けられた爆弾が倒壊の原因ではないか」という意外なコメントを聞き、他のマスコミは全くそんなことを報じていなかったので、これは大ニュースだと感じて記事を書いたのだろう。
とはいえ、ロメロ氏のコメントの「寿命」は長くなかった。アルバカーキ・ジャーナルのサイトには、最初の記事が書かれてから10日後の2001年9月21日に、ロメロ氏が前言を撤回して「貿易センタービルの崩壊は、火災によるものだ」と発言した、という訂正版の記事が出た。インターネット上では、訂正記事を先に載せ、最初の記事をその後に載せている。
訂正版の記事によると、ロメロ氏はその後、構造工学の技術者と話したり、貿易センタービルが崩壊する瞬間の映像をもっと詳しく見たところ、ロメロ氏は第一印象とは異なる結論に達した。ロメロ氏は、他の専門家が言っているような「衝突した旅客機のジェット燃料の燃焼によって、高層ビルの構造を支える鉄骨の柱が溶けた結果、ビルが崩壊した」という説に同調するに至った。
ロメロ氏は、飛行機の衝突そのものがビル崩壊を引き起こすとは考えられない、という以前の見方を崩しておらず、崩壊の原因はビル内部での爆発である可能性は大きい、としている。だが、ビル内の電力線の変圧器が焼ける際にパルスが発生し、それがビル内の配電線を伝ってまだ燃えていないジェット燃料に引火して爆破を起こしたといった可能性もあるため、ビル内に爆弾が仕掛けてあったとは必ずしもいえない、と考えているという。
ロメロ氏が最初に行った発言は「貿易センタービル攻撃を引き起こした背後で、アメリカ政府が糸を引いているのではないか」などと主張する陰謀論者たちを勢いづかせることになり、ロメロ氏のもとには、陰謀論者たちからの無数の電子メールが届いたという。訂正版の記事は「私は何も断定的なことを言うつもりはなかったので、異常な反応にとても驚いている」という、ロメロ氏の発言で締めくくられている。
もとの記事と訂正記事は、2002年後半まではアルバカーキ・ジャーナルのウェブサイトで見ることができたが、今は削除されている。ただ、すでに削除されたページのもとの姿を見ることができるサービス「Archive.org」には、かつての記事(Fire, Not Extra Explosives, Doomed Buildings, Expert Says)が残っている。
http://web.archive.org/web/20021106232303/http://www.abqjournal.com/aqvan09-11-01.htm
10日の間を置いて掲載された2本の記事を読むと、ロメロ氏が勘違いしただけだった、と読み取ることができる。だが、アメリカには、この訂正記事そのものに対して懐疑の目を向ける分析者もいる。訂正記事には、ロメロ氏の最初のコメントにこだわる人々を「陰謀論者」と呼ぶという予防線が張られているが、陰謀論者扱いされた中の一人といえるジャーナリストのジョン・フラハーティ氏らは「行間を洞察しながら訂正記事を詳細に読むと、実はロメロ氏は『爆弾が貿易センタービルを倒壊させた可能性が大きい』という最初の主張を変えていないことが感じられる」と、国際情勢を分析する自分たちのウェブサイト「裸の王様」に書いている。(BATTLE: AN EXPERT RECANTS ON WHY WTC TOWERS COLLAPSED)
http://emperors-clothes.com/news/albu.htm
そのことはまず、アルバカーキ・ジャーナルの2本の記事のトーンの違いから感じられる、とフラハーティ氏らは主張する。9月11日に出された最初の記事では、ロメロ氏はビル爆破テロ調査の専門家として、感じたことを自然に語っている。自分の発言が政治的にどのような意味を持つのかを考えず、専門家として貿易センタービルが崩壊する映像を見て「原因は爆弾だろう。テロリストはよくそういう手を使うんだ」と指摘していた。
ところが、最初の記事を書いた記者とは別の記者が書いた訂正版の記事では、ロメロ氏自身の発言をそのままカギ括弧に入れて引用(クォート)している部分が2カ所しかない。残りの肝心の部分は、記者自身が書いた「地の文」となっている。
ロメロ氏の発言は「確かに、ビルが崩壊した原因は火災に違いありません」("Certainly the fire is what caused the building to fail,")というのと「こんなことになって、とても驚いています。私は、何が起きたとか起きなかったとか、そんなことを言うつもりはないんですから」("I'm very upset about that, I'm not trying to say anything did or didn't happen.")という2つである。
フラハーティ氏らは、この2つの発言のニュアンスから、訂正記事がいわんとしている方向とは逆に、ロメロ氏が前言を撤回する気がないことが感じられると主張している。最初の発言は、記者の念押しに対して「(原因が飛行機の燃料が燃えたことだったのか、それとも爆弾だったのか、どっちだったとしても)確かに火災が最終的なビル崩壊の原因となったことには違いない」という意味であり、次の発言の「こんなこと」というのは、陰謀論者からたくさんのメールを受信したことを指しているのではなく、前言を撤回するよう、仕事の発注元である国防総省から圧力がかかるといった大騒ぎになったことを指しているのではないか、とフラハーティ氏らは主張している。
世界貿易センタービルが倒壊したのは、アメリカ政府が発表したような「激突した飛行機の燃料が一気に燃え、その熱がビルの鉄骨を弱体化させた結果」ではなく「ビルの内部に何らかの爆発物が仕掛けられていたからではないか」という疑惑は、他のところからも出ている。
911事件に対する当局の真相究明があまりに貧弱なので、市民レベルで事件の真相究明を行い、その結果をインターネット上で公表するという動き「市民による911事件調査」(People's Investigation of 9/11 )があった( www.911pi.com すでに閉鎖されている)。そのサイトで、ハイジャックされた1機目のジェット機が世界貿易センタービルに突っ込み、燃料が爆発(燃焼)した際の熱量を計算し、それがビルの鉄骨の温度を何度まで上昇させることができたかを検証する文章が2003年2月末に掲載された。
ハイジャックされた1機目の飛行機(アメリカン航空11便、ボーイング767型機)は、貿易センタービルに突っ込んだ際に1万ガロンの燃料を積んでいたと報じられている。この燃料が燃焼したときの熱量が、ビルの一つのフロアにだけこもり、他のフロアや外気に逃げていかなかったと仮定し、しかも燃焼のしかたが不完全燃焼ではなく、酸素が十分にあった場合の燃焼だったと仮定して計算したところ、鉄骨(1フロアあたり500トン)の温度は最高で280度まで上がるが、それ以上にはならないことが分かった。実際には、熱量の一部は他のフロアや外部に逃げ、その上ビル内での燃焼だったため、燃料は不完全燃焼に近かったと考えられ、実際の温度は280度以下だったと思われる。
報道によると、ビルに使用された鉄骨は、600度まで熱せられた場合、強度が半分に落ちる。アメリカのマスコミの多くは、専門家の話として、貿易センタービルの鉄骨は1500度ぐらいまで熱せられたため強度がかなり落ち、ビルが崩壊したと解説していたが、この計算式では1500度どころか、600度の半分にしかならず、鉄骨はほとんど弱体化していなかったことが証明されている。
次章では、少し目先を変え、アメリカの中東政策の裏側を見ていくことにする。
【6】イラン革命と湾岸戦争
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