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カトリック教会との仲直りにみるカストロの世界戦略

1997年1月30日   田中 宇

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 昨年11月、キューバの最高権力者、カストロ議長がイタリアまでローマ教皇に会いに行った。

 そのシーンを報道を通じて見る限り、神父さんの言うことを聞かずに「宗教は全部迷信だ!」などと啖呵を切って教会を飛び出したカストロ坊やが、社会主義をやってみたものの失敗し、お茶目な顔をして教会に戻ってきて神父さんに許してもらい、頭をなでられている、といったイメージを受けた。

 だが実のところ、カストロ氏の教皇訪問は、そんなイメージを越えたしたたかな戦略である。教皇との和解は、米国政府の対キューバ制裁策への対抗策の意味を持っているからだ。

 キューバはスペインの植民地だった関係で、国民の大半はもともとカトリックのキリスト教徒である。だが1961年の社会主義革命によって打ち立てられたカストロ政権は、宗教を迷信と断定する無神論をとり、キリスト教会や熱心な信者たちを弾圧していった。

 今年1月29日のワシントンポストに、当時の様子が書かれている。それによると、革命を境に、聖職者は説教を妨害され、反社会的な存在として元売春婦や犯罪者とともに矯正キャンプに入れられ、教会の建物は壊された。公然と信者だと認める人は職を与えられなくなり、信心深い人々はこっそりと信仰を続けざるをえなくなった。

 聖職者や信者の多くは海を渡り、対岸の米国マイアミ市に亡命した。こうした経緯から、マイアミに陣取った反カストロ派の亡命キューバ人たちは「信心深いキリスト教徒が、悪魔のマルクス主義者と戦っている」という宣伝文句で、キリスト教徒が多い米国内や欧州で共感をかちとろうと努めたのだった。

▼冷戦後、欧米と仲直り目指しキリスト教を容認したカストロ

 ソ連が崩壊した90年以降、ソ連からの支援が期待できなくなり、カストロ氏は欧米諸国と仲良くしないと窮乏するはめになると悟った。そこで92年からキリスト教に対して融和策をとり始め、キリスト教徒でもエリートの象徴(すでに違うのだろうが)である共産党員になれるようにした。

 キリスト教徒の数は急増し、首都ハバナの信者数は89年に25000人から、95年には36000人になった。こうした変化の仕上げとして、カストロ氏の教皇訪問があった。返礼として教皇は1998年にキューバを訪問すると約束した。

 この経緯からみると、カストロ氏のキリスト教融和策は、マイアミの反カストロ派キューバ人の力を弱めることが目的の一つだと分かる。キリスト教が少ない日本では理解しにくいが、欧米社会では中世にイスラム教徒から聖地エルサレムを奪回しようとした十字軍以来、今でも「正義」と「キリスト教」が密接につながっている。そのことが、このイメージ合戦の背景にある。

 一方、米国政府はカストロ氏の変化にもかかわらず、今もキューバをテロリスト国家と位置づけている。昨年には、キューバに直接投資している企業は、米国企業か否かにかかわらず、米国への投資を許可しないことを盛り込んだ「ヘルムズ・バートン法」を新たに作り、経済封鎖を続ける姿勢を表明した。

 欧州各国やカナダは米国と違い、キューバを国際社会に入れてやり、キューバの安い労働力を使った企業進出などにより、キューバと欧米の双方が利益を生み出せるようにしたいと思い始めている。そのため、ヘルムズ法に対しては欧州やカナダの政府が「米国以外の企業に対してキューバ進出を禁止するのはおかしい」と反発し、対立が続いている。

▼「無法者」役が必要な「世界の保安官」

 素人の目からみると、もはやキューバは米国への革命輸出やテロ攻撃を企てるような危険な国家だとは見えない。ペルーの日本大使公邸を占拠したゲリラがキューバ亡命を希望したのに断ってしまうほど、キューバは社会主義を捨てて欧米や日本に気兼ねするようになっている。

 それなのに、なぜ米国はキューバをテロリストと呼び続けるのか。何か決定的な秘密の証拠を握っているのだろうか?。

 そうではないだろう。クリントン大統領は支持率を維持するため自分を強く見せたいが、それには西部劇の保安官のように、無法者と闘って勝つ存在でなければならない。米国政府が「世界の保安官」であり続けるには、キューバやイラン、イラク、リビアといった「無法者」諸国の存在がないとストーリーにならないというわけだ。

 キューバだけでなくイランも、米国とある程度は仲直りしたいと思っているふしがあるのだが、米国は国内の政治事情から、それを許さないのである。



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