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イランとアメリカの危険な関係

2006年2月14日   田中 宇

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この記事は「イラン核問題:繰り返される不正義」の続きです。

 イランの核開発疑惑をめぐり、EUとイランとの外交交渉が行われていた2005年1月17日、諜報事案に詳しいジャーナリストのセイモア・ハーシュが、雑誌「ニューヨーカー」に「米軍の特殊部隊が半年前からイランに潜入し、空気中に漏れている放射能を測定する機械などをこっそり使いながら、核兵器を秘密裏に開発している施設を探知する作業を続けている。EUとイランの交渉が頓挫したら、30カ所以上の核施設や軍事施設に向けて、ミサイル攻撃や、特殊部隊が潜入して行う破壊作戦が行われる予定だ」という内容の記事を出した。(関連記事

 ハーシュは、ブッシュ政権の高官たちがイラクの大量破壊兵器に関する情報を歪曲して侵攻に及んだことや、アブグレイブ刑務所で米軍兵士が拘束したイラク人を虐待していた事件などをスクープした著名記者である。(関連記事

 ブッシュ政権は、当時すでに「イランは狡猾なので交渉しても無駄だ。核開発をしている施設を攻撃して破壊した方が良い」と主張していた。しかし、アメリカの政界やマスコミでは「イランがどこで核兵器開発をしているか、CIAも分からない部分が多く、攻撃対象が定まらないので、攻撃は無理だ」という慎重論が出ていた。「攻撃目標は特定されつつある」とするハーシュの記事は、慎重論をくつがえす内容を持っていた。

 記事には「人々は、イラクの失敗を見ればイランを攻撃するなんて正気の沙汰ではないと言うが、ホワイトハウスは逆に、CIAの臆病な奴らの言うことなど聞かずに大胆に戦争をやれば、必ず成功すると考えている」という諜報関係者のコメントもあり、政界やマスコミに衝撃を与えた。

▼2005年6月にイラン空爆が予定されていた?

 その翌月には、元米軍諜報員のスコット・リッターが、ブッシュ政権に近い人物からもたらされた情報として「米軍は05年6月にイランを空爆する計画を進めている」と指摘した。この月にイランを空爆する理由は、その月をすぎると、イランの核兵器開発を止めることが難しくなってしまうからだと、ブッシュ政権は考えているという話だった。(関連記事その1その2

 リッターは、国連がイラクに派遣した大量破壊兵器の査察官をしたことがあり、イラク侵攻前に「イラクが持っていた大量破壊兵器は、すでに国連査察によってほとんど破棄されている」と述べ、その後、この指摘が正しいことが証明されている。ブッシュがイラクに侵攻する理由がいかがわしいものであることを的確に指摘した実績を持つハーシュとリッターが、今度はイランへの空爆について指摘し始めたことは、信憑性を感じさせるものだった。

 リッターが「6月空爆説」を指摘した翌週には、ブッシュ政権は、6月までという期限をつけて、EUがイランとの間で進めている交渉に協力して外交努力を行うと発表している。前回の記事に書いたが、このアメリカの「外交努力」は、イランが当然拒否する大したことのない交換条件を出すもので、イラン側の拒否を誘発するようなもので、ブッシュは6月にイランを空爆する言い訳を作るために「外交努力」のポーズをしたのではないかと当時は思われた。(関連記事

 さらに05年4月には、ラムズフェルド国防長官がイランと隣接するアゼルバイジャンを訪問し、米軍が同国の軍事基地を利用できるようにする契約を結んだ。同月には、米議会上院の外交小委員会でイランの反政府派を支援する法律が提起された。これらは、アメリカがイランを攻撃する日が近いことを感じさせるものだった。(関連記事その1その2

 同月末には米政府は、空爆で地下深くにある施設を破壊するための強化爆弾「バンカーバスター」をイスラエルに100発売る提案をしたと報じられた。イランの秘密核施設は地下深くにあるとされており、アメリカはイスラエルがイランを攻撃する際に使えるよう、バンカーバスターを売るのだろうと報じられた。すべての動きは、アメリカもしくはイスラエルが、05年6月ごろにイランを空爆する方向に進んでいるように思われた。(関連記事

▼ほとんど無名だったアハマディネジャド

 ところが実際には、05年6月には、イラン空爆は起きなかった。この月に実際に空爆が計画されていたが事情があって実行されなかったといった記事も、これまでのところ出ていない。05年春のブッシュ政権の思わせぶりな言動の数々は、イランを攻撃する準備とは無関係だったのか。

 そうかもしれない。しかし、アメリカの思わせぶりな言動は、意外なところで一つの効果をもたらした。この言動のおかげで、05年6月に行われたイランの大統領選挙で、親米的な改革派が不利になり、反米的な強硬派が有利になったのである。

 6月17日の投票日直前まで、欧米の新聞の多くは、ラフサンジャニ元大統領ら2人の改革派候補が優勢だと書いていた。実際に当選した強硬派のアハマディネジャドについてはほとんど記述がなく、5月中旬のAFPの記事には「強硬派が何人も立候補して票が割れかねないので、アハマディネジャドは投票日前に立候補を取り下げるのではないか」と書かれている。(関連記事その1その2

 だが、ふたを開けてみると、ラフサンジャニは得票率が最も高かったものの21%の得票で、憲法で当選者に求められている50%以上の得票を得られなかった。選挙は、得票率19・5%で2番手となったアハマディネジャドとの決選投票となった。そして1週間後の決選投票は、アハマディネジャドが63%の得票で圧勝した。アハマディネジャド陣営は、1回目の投票でこんなに得票できると思っておらず、事務所では記者会見用の演台すら用意してなかった。(関連記事

 イランでは、1979年のイスラム革命で反欧米の宗教勢力が政治権力を握ったが、その後のイラン・イラク戦争で国が疲弊し、1990年代に入って、欧米との関係を改善し、経済改革を行おうとする改革派が、権力の内部で強くなった。アメリカの方でも90年代中ごろにはイランとの和解が検討されたが、その後1998年ごろから米政界でイスラエル寄りの強硬派(タカ派)が強くなり、その傾向は2001年の911事件で決定的になった。

 イランの世論は「アメリカと仲直りして豊かになりたい」と望む人々が増えていたが、アメリカが自国に対する敵視を解かず、911以後は「悪の枢軸」に指名するなど、むしろ敵視傾向を強める一方となったため、イランでは「アメリカの傀儡にはなりたくない」というイスラム革命当時の反米感情が盛り返し、90年代に強まった親米的な感情に取って代わる傾向が出ていた。

 このようにアメリカに対して相矛盾する2つの世論がせめぎ合う中で、ブッシュ政権が6月のイラン大統領選挙に照準を合わせたかのような、イラン敵視を強化する政策を発し続けた。「間もなくアメリカから侵攻され、イラクのように国を崩壊させられる」と感じたイラン人が「アメリカと話し合って関係改善したい」と表明するラフサンジャニら改革派の候補に入れたいと思わなくなり、「悪いのはアメリカだ」とはっきり主張するアハマディネジャドに入れたくなるのは当然だった。(関連記事

▼イランで強硬派を勝たせたかった米政権のタカ派

 投票日直前の6月16日には、ブッシュ大統領が「イランの選挙は、支配者たちが自分の権力を維持する目的で、民主主義の最低水準すら満たさないやり方で行われている。イランの人々が民主主義を獲得する戦いに立ち上がるなら、アメリカは応援する」と発言した。決戦投票日の前には、ライス国務長官が、同様の発言をアメリカのテレビのインタビューで発している。(関連記事

 これらの発言は、イランの選挙では宗教勢力から認定されないと立候補できない仕組みになっていることを批判したものだが、発言はイラン人の自尊心を逆撫でするものだった。ブッシュの発言に怒った多くのイラン人が、それまで行くつもりのなかった翌日の投票に行き、反米候補に投票した。投票所では行列ができ、投票時間は3時間延長された。投票率は近年のイランでは非常に高い62%となり、アハマディネジャドやその他の強硬派の得票が増え、アメリカが望んだ改革派は落選する結果となった。(関連記事

 ブッシュの発言は、中東を民主化して親米政権を作るための戦略の一つだったのかもしれないが、この発言の結果、反米政権ができてしまうことは、事態を詳細に見ている人には明らかだったはずだ。ブッシュの発言に代表される一連のアメリカの2005年春のイランに対する強硬姿勢は、イランを親米にしたいと思ってやったのだとしたら、あまりにお粗末な作戦である。

 こうして考えると、この強硬姿勢は、以前の記事「ハマスを勝たせたアメリカの故意の失策」に書いた、パレスチナに対する重過失的な戦略と、全く同じ構図であることが分かる。イランの強硬派からは「ブッシュのおかげで、人々が反米的な投票行動に立ち上がった。ブッシュに感謝したい」と皮肉たっぷりなコメントが出されている。(関連記事

 アメリカの敵視策がイランに反米政権を生んだことは、実は過失ではなく意図して行った作戦の結果だったと、ブッシュ政権のタカ派の高官たちが認めている。彼らは、イランは政権転覆によってしか民主化できないと考えており、宗教勢力は権力を温存するために改革や民主化を進めるふりをするばかりなので、むしろ改革派ではなく反米の強硬派が勝ってくれた方が、アメリカによる空爆とその後の民衆蜂起で政権転覆できるから好都合なのだ、と話していると報じられている。(関連記事その1その2

「空爆したら民衆が蜂起して政権を転覆する」という予測は、イラク侵攻前にも米政権内で同じタカ派の人々がさかんに主張し、見事に大はずれになった予測である。現実には、米軍がイラクに侵攻した後、イラクの人々はみんな反米になり、親米派はほとんどいなくなった。同じことはイランにも起きることが明白に予測される以上、米政権内のタカ派の人々も「故意に失敗したい人々」なのだと考えられる。

▼神童から宗教系政治活動家へ

 05年8月からイラン大統領になったアハマディネジャドは、宗教勢力の一部であると欧米からみられているが、彼自身は宗教家ではない。79年のイスラム革命以来、ずっとイランでは宗教家が大統領になっており、アハマディネジャドは革命後初めての、宗教家でない大統領である。だが彼は、宗教家ではないものの、宗教家以上に宗教を政治的に使う人であるなど、政治力はかなりのもので、巧妙である。

 アハマディネジャドは1956年にイランの首都テヘランに近い村で鍛冶屋の息子(7人きょうだいの4番目)として生まれ、1975年の大学入試で受けた統一試験の成績が全国で130番目になるという「神童」だった。

 彼はイラン工科大学に入学したが、イスラム革命前夜の当時のキャンパスでは、学生運動の嵐が吹き荒れ、共産革命を起こしたい左翼系の学生と、イスラム教に基づく政治体制を確立したい宗教系の学生が、政治闘争を繰り広げていた。アハマディネジャドは、宗教系の学生運動に参加し、活動家として頭角をあらわしつつ、大学院まで進んだ。(関連記事

 1979年のイスラム革命では、宗教系学生運動が活躍し、アハマディネジャドもその中におり、最高指導者となったホメイニ師とも何回も会った。イラン・イラク戦争で司令部に勤務したり、ホメイニに反対する勢力を無力化する共和国防衛隊で働いたりした後、1994年にアルダビル州の知事に任命された。(関連記事

 3年後に改革派のハタミが大統領になると、宗教派(強硬派)のアハマディネジャドは解任され、古巣の大学に教官として戻された。しかし、ここで彼は大学を拠点にイスラム原理主義的な政治組織「神の同胞団」(Ansar-e Hizbollah)を作り、その影響力をテコに、2003年の選挙でテヘラン市長に当選した。

▼石油収入を貧困層に分配する

 90年代からの経済改革の結果、イランでは民営化や自由化の波に乗って金儲けに成功した少数の人々と、逆に国営企業で働けなくなったりして貧困層に転落した多数の人々との貧富の格差が広がった。特に首都のテヘランでは、市の北部に閑静な金持ちの住宅街ができた半面、市の南部は貧困層の地域になり、格差が目立っていた。

 市長になったアハマディネジャドは、貧困救済策に力を入れるとともに、経済自由化で市内に増えたハンバーガーショップなど欧米系の装いの店舗を「イスラム教から見ると猥雑だ」として禁止した。(関連記事

 市長自らも、打ち合わせと称して業者などと会食を行うことを潔しとせず、毎日自宅から弁当を持参し、執務室で食べていた。大統領の対立候補となったラフサンジャニが豪邸に住む大金持ちであるのに対し、アハマディネジャドは資産が小さな家一軒と30年使った乗用車だけだった。貧困対策が評価され、彼は05年にはイギリスの団体が主催する「世界市長コンテスト」で、世界の優れた市長65人の1人に選ばれた。

 05年6月の選挙に立候補したアハマディネジャドが掲げた政策は、テヘラン市で行った貧困救済や欧米化抑止策を、全国規模に広げることだった。イランは世界の石油生産の5%を占める大産油国だが、国家が儲けた石油のカネが貧困層に分配されず、宗教家や議員など、政府に近い人々だけが私腹を肥やしている。そのためアハマディネジャドは大統領選挙に際して「石油収入を全国民が共有する」ということを公約の一つに掲げた。(関連記事

 彼は、当選後に公約を実行するため、信用できる人物を石油大臣に任命したところ、国会でこの人事が否決され、別の人物を任命してまた否決されるといったことが3回繰り返された。これは、アハマディネジャドが石油省を改革し、貧困層に石油の儲けを回そうとしたのに対し、これまで石油収入で儲けていた国会議員やその関連の勢力が猛反対したことを示している。(関連記事

 アハマディネジャドは、厳格な宗教社会を実現しようとする原理主義者であるが、同時に貧困救済をしなければならないという強い意志を持っており、この点が国民の大多数を占める貧困層に広く支持され、大統領選挙での当選につながった。こうした状況をみると、イランの政治は民意を反映した民主主義であることが分かる。

▼イスラム世界の反米感情を扇動する

 アハマディネジャドは、大統領になるまで海外に行ったことがなかった。そのため、彼の外交政策について欧米の新聞には「世界のことを全く知らず、他国に対して乱暴な発言を繰り返し、自滅に向かっている」と分析されているが、それは間違いである。

 イスラエルや欧米を繰り返し非難するアハマディネジャドの発言は、パレスチナ問題や、アメリカのテロ戦争、イラク占領など、イスラム教徒がひどい目に遭っている現状を見て世界のイスラム教徒が内に秘めている、欧米とイスラエルに対する怒りを扇動して表に出させる効果を持っている。繰り返される発言が無意識に基づいているとは考えにくく、本人もしくは側近の中に、イスラム世界を扇動し、欧米やイスラエルに対する決起を促す国際戦略が存在していると考えるのが自然である。

 アハマディネジャドは「ホロコーストは、シオニストが国際社会で権力を持つために使っている神話である」「イスラエルが、ナチスに弾圧されたユダヤ人のために作られた国家だというなら、それが中東にあるのはおかしい。ナチスは欧州人が起こした問題なのだから、ドイツやオーストリアが自国の州の2つか3つを割譲し、そこにイスラエルを移すべきだ。欧州に土地がないというのなら、欧米全体の責任ということで、カナダ北部やアラスカなど、土地が豊富な場所にイスラエルを移転させればよい」などと発言している。(関連記事その1その2

 これらの発言は欧米から非難・酷評されているが、世界のイスラム教徒の多くからは、喝采を持って受け入れられている。イスラム世界では、ホロコーストを「誇張・歪曲された話」と考えることが広く受け入れられており、1948年の赤十字報告書などを根拠に「ホロコースト自体がなかった」「ナチスドイツは、それほど悪い国ではなかった(戦前の日本と同様、悪い面だけでなく良い面もある国だった)」「アウシュビッツ収容所は巨大な工場で、そこでナチスは、商業の民であるユダヤ人に製造業を教えようとした。全滅させようとはしていない」といった主張も広く出されている。(関連記事

▼ホロコーストの「化けの皮」をはがすイラン

 以前の記事に書いたように、オーストリアやドイツなどの欧州諸国では、ホロコーストを疑問視するだけで犯罪になる立法がなされているので、私は、これらのイスラム教徒の主張に対し、自分がどう考えているかは表明しない。だが、世界の多くのイスラム教徒が、ホロコースト関連の話に対して「インチキさ」を感じ、欧州諸国の立法を「言論弾圧だ」と感じていること自体は、動かせぬ事実である。

 中東の政治家たちの多くも、私的な会話ではホロコーストのインチキさについて雄弁に語るが、欧米の反応を恐れ、公式には決して語らない。アハマディネジャドは、他の政治家が怖くて公式に言えないことを声高に語ることで、イスラム世界での人気を勝ち取ろうとしているように見える。

 イラン政府は昨年11月、欧州の著名なホロコースト・リビジョニストと話し合いの場を持っている。リビジョニストはイラン側に「ホロコーストの事実性の偽造こそが、シオニストのパワーの源なのだから、イスラエルと戦っているイスラム教徒は、従来のようにホロコーストを欧米内部の問題だと無視せず、ホロコーストの化けの皮をはがす努力をした方が良い」とアドバイスしている。アハマディネジャドは「ホロコーストは神話だ」と発言する前にリビジョニストの意見を聞き、周到に理論武装した可能性が高い。彼は、欧米の新聞が書いているような狂信的な愚人ではない。(関連記事

 最近、イスラム世界では、デンマークなどの新聞が掲載した預言者ムハンマドの風刺画に対する怒りが爆発しているが、激しい事態が続くと、欧米が馬鹿にしていたはずのアハマディネジャドの主張の方が説得力があり、ムハンマドを中傷するのは言論の自由なのにホロコーストへの疑問視は違法だとする欧州諸国の方がおかしい、という話になっていきかねない。少なくとも、世界の13億人のイスラム教徒の頭の中では、すでにそういう話になりつつある。

 同時に「イスラエルは400発の核弾頭を持っているのに、イランにはウラン濃縮も許さないのは不公平だ」「イランに圧力をかけるのは、イスラエルに核兵器を破棄させてからにすべきだ」という話にもなっている。(関連記事

▼ドタキャンしてアメリカを怒らせる

 アハマディネジャドが繰り返したイスラエル批判発言に対しては、大使などとして欧州に駐在するイラン外務省の外交官の中から、イランと欧米の関係悪化を危惧する声が出た。大統領になる前から「外務省は欧米にへつらいすぎている」と批判していたアハマディネジャドは、この機会をとらえて、親欧米的な外務省幹部たちを一気にラインから外し、3人の大使を辞めさせ、18人の大使を召還した。核問題でEUと交渉していた担当者も交代させられ、イランは欧米が交渉しにくい国へと一変した。(関連記事

 2006年1月、イランは欧米の反対を押し切って核開発施設の一つを再稼動した。この後、この件についてイランの代表団がウィーンのIAEA本部を訪問し、説明する予定になっていたが、直前になって出席のキャンセルを通告してきた。ドタキャンされた欧米側は怒り出し、米ライス国務長官は「これでイランは外交で問題を解決する気がないことが明らかになった」と、もはや軍事攻撃しか選択肢がないという趣旨の発言をしている。(関連記事

 この一件で、アメリカ側がイランの核施設を空爆する可能性が高まった。ドタキャンしたイラン側は、アメリカの攻撃を誘発したことになる。イランにとって自滅的な行為とも言えるが、アメリカとイランの戦争では、この後で説明するように、意外なことにアメリカの方が負ける可能性が大きい。アハマディネジャドが過激な戦略を採るのは、勝算があってのことであろう。

▼中東の一般市民を動かすアハマディネジャド

 中東の多くの国では、国境も権力者も、欧米によって確立されたものである。エジプトのムバラク大統領と、ヨルダンのハシミテ王家は、アメリカの支援が失われたら政権の座を追われる可能性が高い。サウジアラビアとクウェートの王家も、アメリカの協力なしには国家建設ができなかった。こうした構造があるため、中東では「一般の人々は反欧米だが政権は親欧米」という断絶状態になっていた。従来、民主主義が弱かった中東では、人々が政治権力を持っておらず、人々の反欧米感情は、政治的には無視されてきた。

 ところがブッシュ政権が「中東民主化」をやり、イラクやパレスチナ、エジプトなどで選挙が実施された結果、反欧米の勢力が民意を受けて政治権力を持つようになっている。こうした中で、アハマディネジャドは、中東の一般の人々の心に響く直截的な表現で欧米を批判し、人々に支持されている。パレスチナのハマス、エジプトのイスラム同胞団、シリアのアサド、ヨルダンのヒズボラ、イラクのサドルなど、アハマディネジャドと同じ意見の強硬派も増えている。

 事態がこのまま進むと、他の親欧米の権力者たちは、従来のように一般国民の反欧米感情を無視して政権にとどまり続けることができなくなり、反欧米的な発言をせざるを得なくなる。すでにクウェートでは、民主国家でないにもかかわらず、国民の反欧米感情を重視して、最近組閣された新内閣に、従来いなかったイスラム主義者が何人も含まれ、改革派が排除される事態になっている。(関連記事

 このように中東全域で反米感情が高まる中、ブッシュ政権はイランに空爆などの軍事攻撃を加えることを検討していると報じられている。昨年の「6月攻撃説」のように、今年も「空振り」かもしれないが、すでにイランの核問題は国連安保理に上程され、実際の攻撃が行われる可能性は、昨年よりも増している。

 最近「今年3月に、アメリカかイスラエルがイランの核施設に対し、爆撃機による空爆か、ミサイル攻撃を行う」という予測が出ている。3月はイスラエル総選挙の時期であり、イスラエルのリクード右派系の勢力が、選挙で自派を有利にするため、欧米のマスコミを操作し、この予測を流している疑いがある。そのため、3月という時期については怪しいところがあるが、昨今の情勢の流れ方だと、今年から来年にかけてのある時点で、イランへの攻撃が実施される可能性は高い。(関連記事

▼原油は200ドル、中東にビンラディン的な統一国ができる?

 アメリカがイランを攻撃した場合、中東での反米感情はさらに高まり、エジプトやヨルダンで親米政権が転覆される懸念が強まる。イランの前面の海には、世界の石油消費量の25%を載せたタンカーが通航する狭いホルムズ海峡があり、アハマディネジャドは「アメリカ側がイランを攻撃したら、ホルムズ海峡のタンカーを止める」と言っている。海峡が閉鎖されたら、すぐに原油価格は200ドルに達すると予測されている。この動きは、世界経済を破壊しかねない。(関連記事

 米側から攻撃されたイランは、イラクに地上軍を侵攻させ、イラクに駐留する米軍兵士を殺すことをもって「報復」とする可能性がある(イラン軍は越境せず、武器と軍事顧問をイラクの民兵に提供する選択肢もある)。クルド人以外のイラクの民兵は反米だから、彼らの多くはイランを支援する。米軍はイラクで本格的な地上戦に巻き込まれ、イラクからの撤退は中止され、米軍は逆にイラクに増派を迫られ、戦死者が急増する。全中東を敵に回すアメリカは、イラクでの地上戦の激化に耐えられず、おそらく何年かの地上戦の末に、イラクから敗退する。これは、中東におけるアメリカの覇権の終焉となる。

(日本の自衛隊も、撤退せずもたもたしていると大戦争に巻き込まれるので、早く帰国した方が良い)

 この戦争が終わるまでには、中東ではいくつかの親米政権が倒れるだろう。反米イスラム主義の政権ができた国どうし、たとえばパレスチナとヨルダンとエジプトが合体し、オサマ・ビンラディンがかねてから目標としていた「イスラム世界を統合するカリフ国家の再建」が進むかもしれないなど、イギリスが100年前に引いた国境線が引き直される。石油価格の高騰は延々と続くだろう。

 周囲が敵ばかりになる今後の厳しい状況下で、イスラエルが国家として存続できるかどうかは微妙なところだ。シャロンが始めたパレスチナ側との完全分離が成功するかどうか、成功してもアラブ側からの攻撃をどれだけ避け続けられるか、ということが国家存続可否の分かれ目になる。国家が存続できない場合、イスラエルに住むユダヤ人は、以前のような離散状態に戻るか、もしくはアハマディネジャドの「忠告」にあるように国家の移転先を探すか、という選択肢を迫られる。(関連記事

 アメリカで今年11月に行われる中間選挙で民主党が勝てば、事態が変わるかもしれないと考える人もいるかもしれないが、それは違う。ヒラリー・クリントン、ジョセフ・リーバーマン、ジョン・ケリーなど、民主党の主要政治家は、みんなイランに対して強硬姿勢をとることに大賛成である。

 なぜアメリカが政界全体として自滅的なことをやりたがるのかという理由の分析には、諸説あるかもしれないが、アメリカが中東戦略によって自滅に向かい、世界にとって大変な影響をもたらしそうだという予測は、しだいに確定的なものになりつつあると私は感じている。

 アハマディネジャドについては、まだ肝心なことを書いていない。もう今回は大量に書いてしまったので、それは次回に書くことにする。



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