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だまされた単独覇権主義

2004年5月18日   田中 宇

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 ファルージャ攻撃の失敗、アブグレイブ刑務所での虐待写真の流出などが続き、軍事的にも政治的にもアメリカがイラクで窮地に陥った4月後半、アメリカのタカ派勢力の中から「米軍はすでにイラク統治に失敗している」「もう撤退すべきだ」といった主張が出てきた。

 その一つは民主党系のCSISが4月30日に発表した「ファルージャ、サドルと崩壊しつつあるアメリカのイラクでの地位」と題する報告書だ。

 そこには「アメリカ人自身はまだ気づいていないが、中東全域の人々は、米軍がファルージャやサドル師との戦いに勝てなかったことで、アメリカはすでにイラク戦争に負けたと思っている。アメリカに対するイラク人の支持は急速に失われている」「もはやアメリカは軍事的な方法でイラクを安定させることはできない」「穏健派のイラク人にできる限りを支援を行って新政権作りを進めさせ、このイラク再建が正当性を回復できるよう国連にも協力してもらうしかない」などと書かれている。

 もう一つは、今回私が特に注目した、共和党系のタカ派シンクタンク「ハドソン研究所」のウィリアム・オドム(元中将、レーガン政権などで安全保障を担当)が発したものだ。

 4月30日にNBCテレビに出演した彼は「アメリカは、すでにイラクで失敗することが確定してしまった。今後は、失敗による損害をどれだけ減らせるか、ということが重要になる。だから、なるべく早く米軍がイラクから撤退することが必要だ。撤退が遅れるほど、アメリカの損失も大きくなる」「このまま行くと、アメリカは世界における孤立を深め、(アメリカに頼って動いてきた)国連やNATO、IMFなども崩壊する可能性がある。中東全域に反米意識が強まり、サウジアラビアやエジプトの政権がイスラム原理主義に乗っ取られるだろう」と述べた。(関連記事その1その2

 アメリカでは「米軍がイラクから撤退すると、その後のイラクがますます混乱するので、国連に権限を委譲する(押しつける)ことが必要だが、国連はそれを嫌がっている」とする言い方が最近よくされている。これに対してオドムは「アメリカは、半年後に撤退すると一方的に発表し、それを実行すればよい。国連やEUは、アメリカの下請けになるのが嫌なだけで、本気でアメリカが撤退すると分かれば、代わりに彼らがイラクの再建に注力するようになる」と主張している。(関連記事

▼アメリカの単独覇権構想を立案したオドム

 私がオドムに注目するのは、彼が911事件後の「テロ戦争」の体制作りを立案したタカ派・ネオコン系の知恵袋の一人であるからだ。オドムは1970年代から国防総省で諜報部門の担当をしており、「エシュロン」などを使って通信傍受(信号諜報)を行うNSA(国家安全保障局)の長官をしたこともある。オドムは、911後には「国土安全保障省」の設立にたずさわったが、これは彼が1970年代にFEMA(連邦危機管理庁)の設立にたずさわったことにさかのぼる任務だった。(オドムの経歴関連記事

 以前の記事に書いたが、FEMAは有事の際にホワイトハウスの権限を一時的に拡大し、議会や裁判所の権限や国民の主権を制限する「有事独裁体制」を作ることを目指すものだとして以前から批判されてきた。911後、FEMAを拡大して本土防衛省が作られたが、米当局が911事件の真相をごまかそうとし続けたため、米政府は911を利用し、かねてからやりたかった有事独裁体制を実現しつつあるように見えた。オドムは、この体制作りに関わった一人だった。

 オドムは911後に米議会などで叫ばれた「CIA改革」にもたずさわる一方で「国防総省は、予算も人材も国務省など他の省庁に比べて莫大なので、アメリカの外交政策を決定する能力も、他の省庁よりも大きい」という発言もしている。(関連記事

 911後のアメリカ中枢では「国際協調主義」をめざす国務省やCIAと、「単独覇権主義」の国防総省との対立が激化したが、オドムは国防総省の側に立ち、911後の有事体制の中で国防総省が国務省から外交権を奪い、CIAから諜報の権限を奪おうとする動きの中にいたことがうかがえる。

 オドムは、冷戦後のアメリカの軍事戦略の立案にも参加しているが、そこで描かれている構想は「米軍は世界各地に海兵隊など地上軍を駐屯させてきた従来の態勢をやめて、代わりに有事になったら大型輸送機を使って米本土から装備や兵士を戦地に急いで運ぶとともに、長距離爆撃機によって機動的に攻撃を加えることで、戦争がないときに無用な駐屯費がかさむことを防ぐ」という「敏捷作戦」だ。(関連記事

 たとえば日本周辺では、沖縄本島に駐屯する海兵隊などを削減し、代わりにグアム島などから中国を攻撃しに行ける長距離爆撃機を増やすとともに、沖縄本島よりも中国に近い石垣島や宮古島(下地島)などの前方展開拠点を重視する、というのが新戦略の流れである。(関連記事

「開戦を決定したら10日で戦地に展開し、次の30日で戦争に勝ち、その次の30日で撤収して次の戦争に備える。70日ごとに次々と世界のどこでも戦争が行える」という「10−30−30」計画も、国防総省の新戦略の一つだった。(関連記事

 これによって、国防総省はより少ない兵力数と予算で世界最強の状態を維持しつつ、国務省やCIAなど米国内のライバルを蹴散らし、何十年にもわたる「テロ戦争」を主導できるようになる。これが国防総省による「単独覇権主義」の構想だった。

▼アフガン戦争までは順調だった敏捷戦略

 ところが、国防総省が現在置かれている状態は、この構想からかけ離れている。米軍が戦場に出せるほぼすべての軍勢がイラクに固定され「敏捷作戦」とは正反対の泥沼状態に陥っている。なぜこうなったのか。それを考えるには、オドムが目指していた単独覇権主義と、実際に行われた戦略との微妙な違いを見る必要がある。

 オドムがイラク戦争に反対したのは、今回が初めてではない。2003年3月中旬、米軍が単独でイラクに侵攻することがほぼ確定したとき、彼は国連やEUと仲違いして侵攻することに反対を表明した。(関連記事

 このことからうかがえるのは、オドムが目指す「単独覇権主義」は、国連やEUを無視するものではないということである。「単独覇権主義」の中にも「現実派」と「理想派」があり、オドムは現実派の方である。アメリカの分析者がよく行う分類に従うと、現実派は「タカ派」で、理想派が「ネオコン」である(タカ派の中にネオコンも包含して呼ぶこともある)。

 現実派は、アメリカが世界を支配する状態は外せないが、国連やNATO(欧米間の軍事同盟)など、国際協調の名のもとに他国をタダ働きさせることができる機関は大事にした方が、アメリカの国力の消耗を少なくすることができるという考え方をしている。国連を大事にすると言っても、国連事務総長はアメリカに対して従順な傀儡でなければならず、ガリ前事務総長のようにアメリカに反抗した者は静かに排除される。

 表向きは国際協調主義者のふりをしつつ、単独覇権主義をやるのが現実派で、これを続けている限り、アメリカは少々荒っぽいことをしても世界から嫌われなかった。独仏やロシア、中国といった大国を含め、誰もが「世界のリーダーはアメリカでよい」と考えており、世界の多くの指導者は「親米を表明したらアメリカは何をしてくれるか」といった「ぶら下がり」の思考を続けていた。

 こうした微妙な戦略をぶち壊したのが理想派のネオコンで、彼らは「単独覇権主義を明言して何が悪い」と主張し、ブッシュ大統領の演説の中には単独覇権主義的な文言がいくつも入るようになった。イラク侵攻前には「ドイツやフランスは古くさい価値観に固執している」と主張し、ラムズフェルド国防長官を感化して「独仏は古い欧州だ」と言わせた。オドムは、こうしたネオコンのやり方はまずいと主張して開戦に反対した。

 国連やNATOを重視するという点では、タカ派(現実派の単独覇権主義)と国際協調主義は似ている。アフガニスタン戦争では、ネオコンも特に理想主義的な主張をしなかったので、NATOや国連の協力を得て開戦し、当のアメリカはタリバンを蹴散らして戦闘が一段落するとさっさと大半の兵力を引き上げ、後のことをNATOの西欧側に任せた。この米軍の動きは、オドムが立案した「敏捷作戦」に合致している。

 アフガンにはカルザイ政権ができたが、カルザイはワシントンから派遣されてきた駐アフガン米大使のザルメイ・カリルザドの言いなりだった。カリルザドは、オドムとともに米軍の敏捷戦略を練った人物(アフガン系アメリカ人)である。米軍はアフガニスタン戦争を機に、中央アジアに数カ所の「前方展開基地」を地元政府から貸与してもらった。アメリカは金をかけずにアフガンを支配し、中国やロシアを威圧することができた。これは、オドム的な単独覇権の永続戦略そのものだった。

▼ネオコンは中道派のスパイ?

 だがその後、イラク侵攻に至るまでの間に、アメリカはネオコンの台頭により、隠然とした単独覇権から、自ら国連やEUを切り捨てる露骨な単独覇権に変身した。そして、その路線を突っ走り続けた結果、イラクが泥沼化しても国連もEUも助けてくれなくなり、オドムらが構想していた隠然と長続きする単独覇権戦略は破綻した。

 ここまで考えて私が思うのは「ネオコンは一体何がしたかったのか」ということである。彼らは「机上の空論にふけりすぎた理想主義者」だったのだろうか。そうは思えない。アメリカの中枢という場所は、世界中で毎日起きている難問を処理しなければならず、まさに現実主義の世界である。ネオコンがアメリカ中枢に招き入れられたのは「やることは現実主義だが、疑うことを知らない米国内外の一般市民に対しては理想主義的な言葉で説明する」というプロパガンダの巧妙さがあったからだろう。

 だが、彼らはいったん政権中枢に入って要職に就いた後、微妙に変節し、ブッシュやラムズフェルドをたらし込み、理想主義的なやり方を言葉だけでなく実際の政策として実行させてしまった。

 ネオコンがやったことは、単独覇権主義を潰す結果となっている。オドムは「ブッシュ大統領は、今年中に米軍を撤退させると宣言すべきだ」と主張しているが、撤退するとブッシュは自ら失策を認めることになる。今のところ、11月の大統領選挙までは撤退しそうにない。(今の米中枢は暗闘が続いているので、急に撤退の話が出てきて実現する可能性もあるが)

 このままあと1年ぐらいイラク占領が続くと、アメリカは外交的にますます世界から孤立し、軍事的にはますます無駄な消耗が進む。アメリカ政府が撤退を拒んで頑張るほど、アメリカは弱体化し、その分相対的にEUや中国、ロシアの力が強く見えるようになる。これはまさに「国際協調主義者」が望んでいる「国家間の均衡状態」を実現させることになる。

 もしかすると、ネオコンは実は「国際協調主義者」なのに、それを隠して「単独覇権主義者」のふりをしてタカ派の中に入り込み、タカ派に信用されて政権中枢に入った後で微妙に本性をあらわし、アメリカを外交的・軍事的に自滅させ、結果的に均衡状態を出現させようとしているのかもしれない。

 ネオコンはイスラエル右派を強く支持する傾向があるが、イスラエル当局は最近「シリアがテロ組織を支援している」としてブッシュ政権にシリア制裁を強化させたり、「イランは核兵器を開発している。イスラエルはイランの原発をミサイル攻撃するかもしれない」と言い出している。(関連記事その1その2

 これは、アメリカの戦線をイラクだけでなくシリアやイランにも拡大させようとする戦略であると感じられる。イスラエルがシリアやイランを攻撃したら、米軍はイスラエルの側に立たざるを得ず、米軍の戦線が拡大される。ネオコンとイスラエルは、アメリカをもっと中東の戦争の泥沼に沈めようとしている。(ブッシュが再選され、アメリカで徴兵制がしかれたら、これが実現するかもしれない)

 中東における戦争では、アメリカはイスラエルに軍事情報の面で全面協力してもらわねばならず、短期的・中期的には、泥沼の戦争がアメリカのイスラエル支援を維持拡大するだろうが、長期的にみると泥沼の戦争はアメリカを弱体化させ、アメリカは国際協調主義を強め、EUや国連などイスラエルを非難する勢力に頼らざるを得なくなる。これはイスラエルにとってマイナスだが、そのあたりについてイスラエル上層部がどう考えているのかは分からない。(そのころまでにEUに入れてもらうのだろうか。関連記事

▼国連主導の国際協調主義を潰すために煽られた冷戦

 フォーリンアフェアーズのバックナンバーなどで、冷戦後のアメリカの政治的な主張の流れを振り返ると、最初は「ソ連が崩壊したのだから国際協調主義の原点に立ち返り、国連を強化して国際紛争の解決役にしよう」といった主張が目立った。

 だがその後は、ボスニアなどで国連がやった紛争解決がうまくいかない、国連には任せられない、といった感じの主張が目立つようになり「アメリカは世界最強なのだから、国連など無視して外交をやればよい」とする単独覇権主義の考え方が1996年ごろから強くなった。

 国際協調主義と単独覇権主義との対立は、アメリカ政府内での国務省(外交派)と国防総省(軍事派)との対立でもある。アメリカの政界における両者の対立は、遅くとも第二次大戦中には存在していた。

 協調主義は「世界は一国だけが強い状態ではなく、多国間の力がバランスしている状態の方が安定する」という「均衡戦略」の概念に基づき、アメリカは第二次大戦後に世界最強の国になった状態に固執せず、他の国々が強国になることに手を貸すべきだという考え方だ。戦後新設された国連の安全保障理事会に5つの常任理事国が置かれたのは均衡戦略に基づいており、戦後間もなくは、アメリカとソ連がヨーロッパの復興に協力し、独仏などが再び強国になっていくことを支援する動きがあった。

 だがその後、1947年3月にトルコとギリシャの左傾化を防ぐことを宣言した「トルーマン宣言」あたりから、米ソが敵対する「冷戦」の構図が鮮明になり、5大国が世界を均衡させる構図は崩れ去った。これまでの「常識」では、ソ連が西側に覇権を拡大しようとするのをアメリカが止めたので米ソ対立が深まったことになっているが、私には、実はそうではないのではないかという疑念がある。アメリカの方が「共産主義脅威論」を煽り、ソ連に対して敵対を強めるとともに「アメリカを支持しない国は敵と見なす」という、911後にも繰り返されたアメリカお得意の二元論的な態度を採ったことが冷戦の激化につながったのではないかと思われる。

 トルーマン宣言直前の1947年3月10日、モスクワで米ソや欧州各国による外相会談が開かれ、ドイツの再統一など戦後の欧州復興について話し合った。そこではソ連のモロトフ外相はアメリカのマーシャル国務長官に対して融和的な態度をとり、米ソ協調で欧州を復興する方向性が確認されそうだった。ところが会議終了前の3月12日、アメリカが突然ソ連を敵視するトルーマン宣言を行った。その後米ソ協調は失われ、欧州の分裂へと進んでいった。こうした経緯からは、アメリカの方が冷戦を煽ったのだと感じられる。(関連記事

 当時のアメリカは、外交派が国連を設立して国際協調主義を推進した後、軍事派が米ソ対立を煽って巻き返したと見ることができる。冷戦によって欧州は分割され、国際協調主義が目指していた「欧州を再強化してアメリカと均衡させる勢力に育てる」という目論見は失われた。

▼暗黙の約束を無視したアメリカ

 その目論見が再燃したのは、1990年前後に冷戦が終わり、1992年にEUが発足して欧州統合の動きが加速してからだった。ベルリンの壁が崩壊した後、国際協調主義者のパパブッシュ大統領は、イギリス右派のサッチャー首相の反対を押し切り、躊躇する西ドイツ政府の首脳を説得して東西ドイツの統合を実現した。今ではドイツはEUを主導する覇権国になり始めている。

 アメリカの中枢では、こうした国際協調主義者の欧州強化策や国連強化策に反発し「せっかくアメリカが世界最強なのに、何でわざわざ欧州や国連を強化せねばならないのか」とする単独覇権主義者(アメリカ至上主義者)の主張が強まった。国際協調主義は、第一次大戦後に世界覇権がイギリスからアメリカに譲渡されたころからの「暗黙の約束」のようなものだが、そんなものは無視してしまえ、という動きがアメリカに強まった。

 単独覇権主義が強まると同時に、アメリカでは1997年にクリントン政権がアフガニスタンやイラン、イラク、リビアなどを「ならず者国家」(thug states)と呼び、イスラム原理主義諸国と欧米民主主義国との「文明の衝突」の構図が描かれるようになった。この図式に沿って「永遠のテロ戦争」を開始する「パールハーバー」となったのが2001年の911事件だったが、イラク戦争の泥沼化によってこの戦略は破綻したことがほぼ確実となっている。

 オドムのような現実派の単独覇権主義者は、早期にイラクから撤退してアメリカの力を温存し、単独覇権主義をやり直したいと考えているようだが、ネオコンが権力を握っている現状が続く限り、逆にアメリカは戦線をシリアやイランに拡大し、中東の泥沼により深く入り込んでもっと消耗する可能性の方が大きい。

 アメリカがこの自滅の道を突き進むなら、いよいよ日本も戦後の一貫した「国是」である対米従属を、根本的に見直さねばならなくなる。早く見直しに着手しないと、日本もアメリカとともに自滅することになる。



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