カスピ海石油をめぐる覇権争い2004年3月2日 田中 宇トルコのイスタンブールは、ヨーロッパとアジアにまたがる人口1200万人の大都市だが、それと同時に、町の真ん中を通る巨大な川のようなボスポラス海峡によって、地中海と黒海が隔てられている場所でもある。海峡は狭いところでは700メートルの幅しかない。うねうねと続く約30キロの海峡を通過する船舶は、最大80度の角度で、12回も方向転換を繰り返さねばならない。冬場はしばしば深い霧がかかり、大型船舶には危険な場所である。 黒海沿岸のロシア、ウクライナ、ルーマニア、ブルガリア、グルジアといった国々は、いずれも冷戦終結後に市場経済へ転換し、地中海側の西欧諸国との貿易量が増えた。その結果、ボスポラス海峡は年間5万隻の船が通行する要衝となっている。(関連記事) 最近、この海峡の黒海側の沖合で、無数の巨大なタンカーが何日も停泊して順番待ちをする状態が起こった。海峡を通るタンカーが衝突や座礁などの事故を起こして原油が流出し、環境破壊によって1200万人の市民に被害が及ぶ事態を恐れたトルコ当局は、長さ200メートル以上の大型タンカーが夜間に海峡を航行するのを禁じた。加えて1日あたりのタンカー通行量も制限した結果、黒海沿岸の積み出し港から地中海側に石油を運ぼうとするタンカーが、海峡に入る手前で順番待ちをする事態がおきた。(関連記事) 昨年12月から1月にかけて、多いときは100隻前後の船舶が順番待ちしている状態が続いた。特に巨大タンカーは何週間も待たされる状態だ。従来、ボスポラス海峡を通る石油の量は月間180万トン程度だったのが、昨年末からは月間30万トン程度に激減し、ヨーロッパ諸国の石油備蓄が減少してしまった。(関連記事) ▼ロシア外しの新パイプライン トルコ政府は、規制強化の理由を「環境保護のため」としているが、石油業界の関係者たちは、別の理由があると感じている。それは「中央アジアの油田から欧米など消費地に向かって石油を積み出すことに関して、ロシアとトルコが競争しているから」ということである。 ボスポラス海峡を通るタンカーが運ぶ石油の多くは、中央アジアのカザフスタンのカスピ海沿岸や、アゼルバイジャンのカスピ海沖の油田で産出されたものだ。石油は、ロシアの黒海沿岸のノボロシスク港までパイプラインで運ばれ、そこからタンカーに積んで黒海を横切り、ボスポラス海峡を通って地中海に出て、西欧やアメリカなどの消費地に向かう。(地図など) これに対抗するかたちで、欧米や日本、トルコの石油会社などの11社は、アゼルバイジャンのバクーからグルジア、トルコを通って地中海に面したトルコのジェイハン港までパイプライン(BTCパイプライン)を建設し、ロシアを通らずに中央アジアの石油を積み出せるルートを作る計画を推進している。さる2月に建設が開始され、来年9月にはパイプラインが完成する予定になっている。 パイプライン建設は、国際エネルギー市場でのロシアの影響力拡大を防ぎたいアメリカ政府(特にタカ派)の思惑とも一致するため、アメリカの右派マスコミはBTCのことを喧伝してきた。日本からは伊藤忠石油開発と国際石油開発の2社が参画し、400億ドル分のパイプライン設備の建設を日本勢が受注している。(関連記事) ▼湾岸戦争の見返りに構想されたBTCパイプライン カスピ海は内陸の湖である。その周辺で採れた石油を、大市場である欧米や極東までどのように運ぶかは、カスピ海岸の油田開発が本格的に始まった1990年代の初めから議論となっていた。ロシア主導の運搬ルートと、ロシア周辺の旧ソ連諸国(カザフスタン、トルクメニスタン、アゼルバイジャン、グルジア)をロシアと競える存在にしようとする欧米主導の運搬ルート、それに東から中央アジア諸国にアクセスしようとする中国主導の運搬ルートも加わり「石油のグレート・ゲーム」が展開されてきた。 (「グレート・ゲーム」とはもともと19世紀後半、ロシア帝国とイギリス帝国が中央アジアの支配権を争った外交・軍事の対立につけられた名前) この競争で、最初に石油を安定的に運び出したのがロシアルートで、1993年ごろからボスポラス海峡を通る大型タンカーが増えた。これに対してトルコは1994年から、原油流出事故の予防策という名目で、ボスポラス海峡のタンカー通行に制限を加えるようになった。 同時期にBTCパイプラインの建設構想が持ち上がった。パイプラインの終着点となるトルコのジェイハン港は1991年の湾岸戦争まで、イラク北部の油田地帯から地中海側へのパイプラインの終着点の積み出し港として機能してきた。湾岸戦争後、アメリカ主導でイラクが経済制裁され、ジェイハンへの石油の流れも断ち切られたが、これはトルコ政府にとって、パイプラインや積み出し港の使用料収入(1バレルあたり各1−3ドル)が入ってこなくなることを意味していた。BTCパイプラインは、トルコを対イラク制裁に協力させるため、アメリカが用意する代替的な収入源になるはずだった。(地図など) ところが、BTCパイプラインの建設には30億ドル前後の巨額な費用がかかるため、石油価格が下落すると利用量が減って赤字事業になりかねず、投資家は及び腰だった。1996年ごろから国際的に「イラク制裁はイラクの子供たちを苦しめているだけだ」というアメリカ批判が強まり、その流れに乗ってイラクと周辺国の商人たちが密貿易を拡大し、経済制裁が有名無実化した。イラク北部からトルコへは、タンクローリー車が列をなして石油を密輸出してくるようになり、トルコ経済はこの密輸の恩恵を受けることになった。BTCパイプラインの構想が進まない中、アメリカは密輸を黙認した。 ▼アメリカの対ロ宥和策の機先を制したトルコの海峡規制 昨年3月の軍事侵攻に至る過程でイラクに対するアメリカの対応が揺れ動く中、イラクの巨大で採掘コストの安い油田から本格的に石油が産出されるようになったら、採掘コストが比較的高いカスピ海の石油は売れなくなるのではないか、という懸念が続いた。(関連記事) 侵攻後、いったんは戦闘が短期間で終わったため、イラクの石油採掘が全面再開される日が近いと予想された時期もあったが、その後イラク情勢が泥沼化し、イラク北部からトルコに向かうパイプラインが何度も攻撃され、油田の全面再開はかなり先になりそうだという見通しが強まる中、再びBTCパイプラインに対する関心が高まった。(関連記事) その一方で、ロシアに対するアメリカの姿勢も揺れ動いてきた。アメリカの中枢には、ロシアに対して協調的な中道派と敵対的なタカ派がいるが、911後「テロ戦争に協力してもらうため」という名目で、ロシアに接近する中道的な外交姿勢が強まった。イラク戦争に向かう過程で、いったんはタカ派が強まったものの、イラク情勢が泥沼化する中で再びロシアに対する宥和策が強まり、その傾向は昨年末から拍車がかかっている。 イラクの石油生産が再開されない中、国際石油価格は30ドル前後の水準で高止まりしている。この機を捉えて、ロシアとカザフスタンは石油増産を続け、カスピ海岸から黒海岸へのロシアのパイプラインもフル稼働に近く、ボスポラス海峡のタンカー通行量も増している。 そんな中、ロシアへの宥和策をとりそうなアメリカに対し、またもやBTCパイプラインの建設を先送りされてしまうのではないかと懸念するトルコがとった策が、この記事の冒頭で紹介した、ボスポラス海峡のタンカー通行規制の強化だった。その効果があったのか、2月中旬、BTCパイプラインの建設事業が、ようやく調印にされるに至った。(関連記事) これに対して2月27日には、ロシアの外務次官が「トルコ政府はボスポラス海峡の最大通行可能量の半分しか船を通していない。トルコは自国のパイプラインを使わせようとする目的で、海峡の船舶運航を不当に止めている」とトルコを批判した。ロシアはトルコに対し、ボスポラス海峡の運航管理を効率化する組織を共同で作ろうと持ちかけたが、断られた。(関連記事) ▼イスラエルと組んでスエズ運河を迂回する ボスポラス海峡での通行規制はあるものの、ロシアはカスピ海油田から積み出した石油を世界に向けて売りさばこうとしている。ロシアが特に売り込みたい相手が、日本や中国といった、経済成長を続ける国が多く含まれる東アジア諸国である。だが、黒海の港を出航したタンカーが極東に着くまでには、ボスポラス海峡だけでなく、スエズ運河も抜けなければならない。 スエズ運河はエジプト領内だが、エジプトは同じアラブ諸国ということで大産油国であるサウジアラビアと親しく、サウジはロシアがカスピ海の石油を世界に売りさばいて国際石油市場で影響力を持つことを恐れている。そのため、ロシアはボスポラス海峡だけでなく、スエズ運河でも、通行を許されるまで長く待たねばならないなどの「妨害」を受けかねない。 こうした問題に対し、思わぬところからロシアに対する助っ人が登場した。それはイスラエルである。イスラエルは地中海と紅海の両方に面した国で、地中海岸のアシュケロンと紅海岸のエイラットを結ぶ「TIPライン」(Trans-Israel Pipeline)と呼ばれるパイプラインを持っている。ロシアからボスポラス海峡を抜けてきたタンカーは、いったんアシュケロンで石油をおろし、TIPラインを経由して紅海のエイラット港で巨大タンカーに積み替えて極東を目指すという方法で、スエズ運河を経由せずに石油を運べるようになる。(地図その1)(地図その2) トルコの規制により、ボスポラス海峡は大型タンカーが通りにくいので、はるか極東まで運ぶ際は、黒海からアシュケロンまで比較的小さなタンカーで運び、エイラットから巨大タンカーに積み替えたほうがむしろ良いという面もある。 TIPラインは、第三次中東戦争でスエズ運河が閉鎖された後、当時まだ親米国だったイランの石油を欧米に運ぶことを目的として1968年に建設された。その後、1979年のイスラム革命でイランが反米に転じたため、その後は使われなくなっていた。今回は、当初とは逆方向に石油を流すことになる。 TIPラインの修繕は昨年7月に終了し、今年から本格的に利用されている。今後の施設改良を経てフル稼働するようになると、1日に120万バレルを送油できるので、2日に1隻ずつ、30万トン(200万バレル)級の大型タンカーを極東に送り出せるようになる。(関連記事) ▼アラビア商法でぼられてきた東アジア諸国 ロシアとイスラエルのこの新作戦は、意外と影響が大きい。一つは、それまでアラブの産油国がアジア諸国に負担させていた1バレルあたり1−3ドルずつの「アジアプレミアム」がなくなるかもしれない、ということだ。 アジアプレミアムは「アラビア商人」のあくどさ(交渉能力)を象徴する存在だ。「宗主国」であるヨーロッパやアメリカに対しては、彼らは値を釣り上げたりしない。サウジをはじめとするアラブの湾岸産油国の支配者の多くは、イギリスの傀儡からスタートし、その後はアメリカの軍事的な傘の下におり、欧米に対して逆らいにくい。しかも、アメリカは中南米から、ヨーロッパはアフリカなどからも石油を買えるため、アラブ諸国は欧米には公定価格で石油を売らざるを得ない。 だが、東アジア諸国は石油の中東依存度が高い。しかもアラブ人から見れば、自分らと同じく欧米に支配される存在であり、恐れる必要がない。そのため日本をはじめとするアジア諸国は足元を見られ、国際価格と比べ、通常でもバレルあたり1ドル、需給が逼迫してくると3ドル近くも高い石油を買わされている。「ぼられている」のである。(関連記事) ロシアからイスラエルを経由して送られてくる石油は、東アジア諸国がアラブ人にぼられている状態を改善してくれる可能性がある。ペルシャ湾岸諸国がアジアプレミアムをとり続けるのなら、ロシアから石油を買う量を増やすと言えるようになるからだ。ロシアから極東へは、シベリアやサハリンの石油を中国に運ぶパイプラインの建設計画も進んでおり、日本の石油の中東依存度も従来の85%から、いずれ65%程度にまで下がる可能性もある。(関連記事) 日本政府はこれまで、石油供給をアラブ諸国に依存していることを理由として、パレスチナ問題でアラブ側に加担する姿勢をとってきた。そのため、TIPラインが本格的に活用されると、イスラエル政府から日本に対し、ロシアの安い石油をイスラエル経由で買わせてやっているのだからアラブ一辺倒の姿勢をやめてくれ、と圧力をかけてくる可能性もある。 ▼イランがもくろむ石油スワップ ロシアとカザフスタンなどは、中央アジアから東アジアに石油を輸出するための別のルートも考えている。それは、イランを通るルートである。この計画がユニークなのは、イランが産油国であるため、イラン領内で実物の石油を運搬するのではなく、カザフスタンなどからイラン北部に供給された石油と同量のイラン産の石油を、イラン南部から積み出す、という「石油交換協定」になっている点である。(関連記事) カザフスタン、トルクメニスタン、アゼルバイジャンなどからカスピ海を航行するタンカーでイラン北部のネカ港に供給されてきた石油は、300キロ離れた首都テヘラン市までパイプラインで運ばれ、イラン国内の需要にあてられる。その代わりにイランは、同量のイラン産の石油をイラン南部のペルシャ湾岸の港から輸出する取り決めになっている。(関連記事) この方法のメリットは、実際にイラン国内で石油を運んでいない分、輸送コストが安くつくことだ(イランの油田の多くは南部のペルシャ湾岸地域にある)。ロシアの石油会社ルコイルは昨年11月にイラン側と正式に石油交換協定を結び、今年から輸送を本格化する予定となっている。中央アジア地域の油田開発が活発化し、産油量が増え続けている中、ロシアとしてはボスポラス海峡以外の搬出ルートの開拓しないと追いつかない状態になっている。(関連記事) 今後、アメリカによる対イラン制裁が解除されれば、イランを縦断するパイプラインの建設も含め、中央アジアの石油をイランを経由して運び出すルートが本格化するだろう。今のところ、そのような事態にはなりそうもないが、ロシアはイランがアメリカからなかなか許してもらえない隙間を埋める形で、イランと親密な関係を加速させている。 ▼石油価格の高止まりで公務員給料を払えているプーチン ロシアは現在、日産800万バレルの石油を産出し、世界第1位のサウジアラビアに肉薄する石油大国となっている。ロシアのプーチン大統領は、これまでOPECを支配し、国際石油価格の決定に大きな影響を与えてきたサウジに対抗することで、石油価格の決定権を掌握し、自国の外交力の強化につなげようとしている。(関連記事) これに対しサウジアラビアは、昨年9月に最高権力者であるアブドラ皇太子がモスクワを訪問し、ロシアを産油国でつくるOPECの談合体制の中に取り込もうとした。今年1月にはロシアのルコイルにサウジの天然ガス田の開発権が与えられるなど、サウジはロシアに対する宥和策を続けている。(ロシアはOPECに加盟していない)(関連記事) だが、プーチンはサウジの誘いに簡単には乗れない事情がある。ロシア経済のかなりの部分が石油輸出に依存しており、石油価格がこれまでのような1バレル20−30ドルといった高値を続けてくれたおかげで、プーチン政権は公務員に給料を払い、老人たちに年金を払うことができている。プーチンが大統領に就任する前は、国際石油価格は10ドル台の安値で、そのためエリツィン政権は公務員の給料や年金が払えなかった。プーチンとしては、国際石油価格は今後も高止まりしてもらう必要がある。(関連記事) サウジアラビアは石油採掘に関して巨大な余力があり、欧米からの石油価格を下げてほしいと要請されると、平時には採掘を止めているいくつかの油田のバルブを開けて生産量を増やし、国際石油市場を供給過剰にしてきた。サウジはOPECを操って石油価格の決定権を握っている代わりに、欧米の要請に柔軟に対応することで、欧米に潰されずにすんできた。ロシアがサウジの誘いを受けるということは、サウジが欧米の依頼で石油価格を下げる際には、ロシアも協力しなければならないことになる。これはロシア経済にとって大きなマイナスとなる。 今はテロ戦争やイラク戦争のとばっちりを受けて低姿勢を続けているサウジアラビアだが、イスラム主義勢力によって王政を転覆されることを回避できたとしたら、今後何年か経ってイラクが安定した後、再び国際石油価格を牛耳る存在に戻るかもしれない。イラクはOPECにとどまり、サウジが主宰する談合に協力する可能性が大きい。そのとき、ロシアがサウジに敵対する存在になっていたら、ロシア経済を潰すための石油価格の下落が演出されるかもしれない。 プーチンはこうした懸念について、真剣に考えているに違いない。過去にも、ロシアはサウジアラビアによってひどい目に合わされているからである。1985年、サウジは生産能力いっぱいまで石油を生産・輸出し、国際石油価格を1バレル12ドルの低水準まで落とした。その結果、石油収入によって経済回復を実現しようとしていたソ連の計画がうまくいかなくなり、1990年のソ連崩壊へとつながっていった。(関連記事) ロシアが石油価格の高止まりを望んでいることは、日本など石油を消費する側にとってはマイナスだ。東アジア諸国にとっては、1バレル30ドルの「定価」で石油を売るロシアより、定価を1バレル20ドルに落としてくれる代わりに1−2ドルの「アジアプレミアム」をつけてくるサウジアラビアの方が、ありがたい存在なのかもしれない。
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