戦争民営化のなれの果て2003年8月23日 田中 宇敗戦直後の日本の子供たちが進駐軍のジープを追いかけてチョコレートをねだったことに表されるように、アメリカ軍というのは豊かさの象徴だった。だが今回のイラク戦争では、それと全く逆のことが起きている。 イラク駐留米軍の兵士をしているメアリー・ヤハネ(Mary Yahne)が、アメリカ・ワシントン州の実家の母親に送ったメールで、米軍兵士たちが50度以上の酷暑の中、1日に1.5リットルのボトル2本の水しか与えられず、3月末の開戦から5カ月間、ほとんど携帯用の軍用食(何カ月も持つように作られたアルミパック入りの食事)だけを食べて生きていることを明らかにしている。 ヤハネは「私たち兵士がここにいる理由は何もない。石油(利権)を守るということだけです」と書いたうえ、現場の兵士には、シャンプーやお菓子などがほとんどないので、ぜひ地域の人々に呼びかけて、それらの日用品を地元出身のイラク駐留兵士に送ってほしい、と母親にあてて書いている。 娘からのこうしたメールを受け取った母親は、それまでイラク戦争を支持していたのが急速に反戦へと考え方を変え、地元シアトルの放送局「KIRO」にこの話を明らかにしたことで、広く伝えられるに至った。50年前、占領地の子供たちにスナック菓子を与えていたアメリカ兵は、今や自分たち自身が何カ月もスナックを食べられない状態に置かれている。(関連記事) 水が足りないのでひどい熱射病になり、死んでしまった兵士もいる。米陸軍のマニュアルに従えば、イラクの現状で各兵士に必要な水の量は1日3ガロン(約10リットル)である。兵士たちは、その3分の1の水しか与えられていない。(関連記事) 米軍兵士の苦境は、これだけではない。国防総省は今年4月から、イラクとアフガニスタンに派兵している兵士たちに、特別危険手当と家族手当の増額分として、1人あたり月額250−475ドルを通常の給料に上乗せして出していた。だが、もう予算がないので、10月からは、再びこの上乗せをなくすことを検討している。(関連記事) アメリカでは軍隊は共和党寄りの勢力である。だから、軍隊の専門紙であるアーミータイムスは、ふだんは共和党政権の批判はあまりしない。ところが今回はさすがに堪忍袋の緒が切れたようで、6月末の記事で、すでにブッシュ政権に対する激しい批判を展開している。軍の上層部には比較的手厚い昇給をするのに下級兵士の昇給はほとんどないとか、ブッシュの減税は大金持ち層には得になるのに、一般の軍人が家を買ったときの課税を減らしてほしいという軍からの要望は何年も凍結されたままだ、といったような批判である。 来年秋の選挙で再選を目指すブッシュ大統領にとって、軍人の票は重要なはずだ。軍人とその家族たちが政府批判を強めていることは、ブッシュの再選を遠のかせる要因となっている。 ▼民間企業に頼って全滅した後方支援 イラク駐留米軍がひどい待遇に置かれていることには、はっきりした理由がある。国防総省は、イラク現地での米兵宿舎の準備から宿舎の掃除、兵士向けの物資や郵便などの配達といったことから、戦後のイラク国内の飛行場や港湾の整備まで、戦争の後方支援(兵站)の一式を民間に委託したが、それがうまく機能せず全滅状態にある。そのため、兵士に十分な物資が届けられないのだ。 イラク戦争の後方支援について米陸軍は、イラク戦争を始める数カ月前の昨秋、軍の受注企業の一つであるケロッグ・ブラウン・アンド・ルート社(Kellogg Brown & Root、KBR)に、後方支援のすべてを民間に委託する場合の計画作りを依頼した。委託された仕事の中には、油田の維持再開や、戦死者の遺体をアメリカまで運ぶことも含まれている。その後、この委託計画は実行に移され、KBR自身のほかいくつかのアメリカ企業が事業を受注した。KBRはハリバートン(Halliburton)というテキサスの石油関連会社の子会社だが、ハリバートンはチェイニー副大統領が、現在の公職に就く前にCEO(最高経営責任者)をやっていた会社である。 開戦までに、KBRはクウェートの砂漠の中に世界最大級のトラックヤードを作り、そこからイラク各地に物資をトラック輸送する準備を進めた。このトラックヤードを使い、前戦と米本土を往復する郵便物の搬送もKBRが請け負った。戦争後に米軍がイラクに駐留することを見越して、800万ドル(約10億円)をかけてイラク各地に米軍用の宿舎を建設していく計画も進められた。(関連記事) ところが、開戦日が近づくにつれ、いくつもの問題が出てきた。一つは戦地となるイラク国内にトラックを運転して行ったり、戦場の近くで宿舎を建設する作業をする要員にかける保険料が通常の3−4倍にはね上がり、KBRなどの受託業者は、予定通り事業を開始すると赤字になってしまうことが分かった。また、作業員になる人を探すのも難しくなった。 クウェートで準備された宿舎の建材、調理設備、食材などをイラク国内に運ぶことができなくなり、米軍兵士たちは劣悪な環境のまま、何カ月もイラクにとどまることを強いられることになった。家族が前戦の兵士にあてた郵便の配達もできず、軍司令部がKBRに苦情を言ったので、ようやく郵便配達のトラックが仕立てられたが、イラク国内を走行中にイラク人による襲撃を受け、運転手が殺害されてしまった。KBRが請け負うはずだった物資を前戦に届ける機能は、完全に麻痺している。(関連記事) 陸軍司令官の中には、箱に入ったクギやネジを前戦の兵士のもとに届けてくれるよう、戦地に向かうジャーナリストに頼んだ人もいたという。本来はKBRなど受託業者が行うはずだった宿舎の建設、修繕、建材の運搬などがまったく行われず、ジャーナリストがネジやクギを運び、大工作業をこなせる兵士自らが修繕にあたっている。 ▼責任を問われないチェイニー 米軍が後方支援を民間企業に委託するようになったのは、今回が初めてではない。1985年、「LOGCAP」という名で民間企業への委託プロジェクトが始まり、1991年の湾岸戦争で、それが大規模な実戦に適用された。そして、湾岸戦争のときの国防長官がチェイニーだった。 パパブッシュ政権が終わると、チェイニーは1995年にハリバートンのCEOとなったが、それと前後してハリバートンの子会社のKBRがLOGCAPの枠組みを使い、国防総省の全体的な後方支援プロジェクトを請け負い、ソマリア(1992年)やコソボ(1999年)などの戦争で後方支援を行った。2001年にブッシュ政権が誕生し、チェイニーはハリバートンを辞めて副大統領に就任した。KBRに対する国防総省の肩入れは拡大し、今回のイラク戦争に際しては、発注の際の入札さえおこなわれず、KBRが民間受託企業の元締めとなる役割を受注した。 国防総省は、イラクにおける戦争と復興に必要な広範囲な技術を持っているのはアメリカ企業でKBRしかないため、入札をしなかったと釈明している。ところが実際には、KBRは仕事をこなせなかったばかりか、そのことに関して大した非難も受けていない。入札もせずにKBRがイラク戦の後方支援と復興事業を受託したのは、チェイニーが副大統領だったためであり、これは汚職ではないかという主張もあるが、今のところ大した声になっていない。 イラク戦争が近づくにつれ、ラムズフェルド国防長官(1960年代からチェイニーの上司で、2人は長く親しい間柄)、戦争計画を立案したウォルフォウィッツ国防副長官らネオコンの人々は「米軍は、より敏捷で少数精鋭の軍隊になる必要がある」と言い続けていたが、これは裏を返せば、軍の業務のより多くの部分を民間受託企業に発注すべきだという主張で、結果的にKBRを儲けさす方向に事態を動かした。 今後、米軍がKBRやその他イラク復興を満足に進めなかった民間受託企業に対して裁判を起こす可能性もゼロではない。ただその場合でも、命令に従わなかったら軍事裁判にかけられる兵士や国防総省の職員と異なり、受託企業は「戦場で死ぬ可能性があったので従業員を派遣できなかった」と言えば、軍部の命令を拒否しても裁判で負けることはない。このため、政治的な悪臭が漂うKBRのケースだけでなく、戦時の軍隊業務を民間企業に発注すること自体に問題があるとする意見も出ている。 アメリカが今後、国連査察団によって大量破壊兵器が除去されていたイラクに比べてずっと多くの兵器を持っていると思われる北朝鮮に軍事侵攻し、金正日政権を倒して民主化と復興を行おうとした場合、米軍はKBRのような会社に後方支援を頼っていて大丈夫なのか、という懸念も出ている。(関連記事) バグダッドなどの都市部では、一般の商店でペットボトルに入った水を売っている。水不足を商売にしようと、周辺諸国からボトル入りの水を輸入するイラク人の商人がたくさんいるからだ。だが、十分な現地調達も行われていない。国防総省はその理由として、財政難をあげているが、実は財政難などではない。末端の兵士がイラクで苦境を強いられている一方で、国防総省の上層部では、年に1兆ドルもの巨額の金が使途不明になる状況が起きている。これについては次回に書く。 田中宇の国際ニュース解説・メインページへ |