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イラク戦争を乗っ取ったパウエル

2002年12月26日   田中 宇

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 11月中旬ごろ「12月8日開戦」という大きな見出しの夕刊紙を見た。12月8日は、第二次大戦の日米戦争が始まった真珠湾攻撃の日であるが、この日にアメリカがイラクに宣戦布告するのではないか、という記事だった。

 11月上旬、国連はイラクが化学兵器や生物兵器といった大量破壊兵器を持っている可能性があるとして、イラクに対する兵器査察を行うと決議した。査察の手始めに、まずイラク政府が大量破壊兵器に関する自己申告を行うことになったが、その申告の提出期限が12月7日だった。この日程が決まった後、ブッシュ大統領は「イラクの申告に大きなウソがあり、国連決議に対する重大な違反が行われたと判明した段階で、イラクに侵攻することも辞さない」と発表した。

 この表明を受けて「イラクが自己申告書を国連に提出した翌日に、アメリカがイラク侵攻を開始するに違いない」という予測が広がり「真珠湾攻撃で始まった日米戦争で日本軍を叩きのめしたように、アメリカはサダム・フセインの軍隊を叩きのめす、という象徴的な開戦日として12月8日が選ばれるに違いない」という解説が流布した。(関連記事

 だが、問題の12月8日から一週間が過ぎても、アメリカは何も目立った動きを示さなかった。イラクが提出した申告書は12000ページという膨大なもので、国連の査察団からは「申告書を吟味するのに2週間ぐらいはかかる」「査察そのものも、今後8カ月ぐらいかかるかもしれない」などと悠長なコメントを発表した。(関連記事

 申告内容に多くの漏れがあることは数日のうちに分かった。分量こそ膨大だが、内容の大部分はイラク政府がこれまでの約10年間の査察で提出した無数の申告書をつなげただけで、対イラク査察の専門家たちには見覚えのある文面だった。

 1998年に前回の国連査察団がイラク側にスパイ容疑で追い出されて査察を終えた際、イラクは大量の生物兵器として使えるボツリヌス菌を持っていることを認めていたが、報告書にはそのことがまったく書いていなかった。また報告書には炭疽菌を持っていることが書かれていたものの、申告された量は、98年の時点で国連側が把握していた量の3分の1だった。

▼背景に政権内の対立

 ところが、こうしたイラクの申告漏れはすぐに指摘されたにもかかわらず、アメリカが実際に申告書に対する評価を発表したのは、申告書が提出されてから12日後の12月19日だった。アメリカが申告書に対する態度をなかなか明らかにしなかった背景には、ブッシュ政権内で常態化している「タカ派」と「中道派」の対立があるため、政府の意思を一つにまとめられない、という事情があった。

 イラクの申告書に対してブッシュ政権が態度を決めねばならない事実上の期限だった12月18日には、ホワイトハウスで大統領を囲んで「国家安全保障会議」が開かれ、激しい議論が展開された。この日、国連査察団のブリックス団長が申告書に対する評価を発表することになっており、その前にアメリカの評価を決め、査察団の発表内容をアメリカの意向に従わせる必要があった。

 ラムズフェルド国防長官や「ネオコン」(新保守主義派)の出世頭とされるウォルフォウィッツ国防副長官に代表されるタカ派は、イラクを皮切りにイラン、サウジアラビア、シリアなど「イスラム原理主義」の傾向がある中東の国々を次々と攻撃することで、イスラム世界を「民主化」するのだと主張している。

(そんなことをしたら、民主化どころか逆にイスラム主義が強まるばかりであるため、タカ派の真の目的は民主化ではなく、欧米とイスラム世界との「文明の衝突」を起こし、ネオコンが支持するイスラエルの立場を強化し、新しい冷戦状態を作って軍需産業を潤すとともに、イラクの石油を独占したいのではないか、と考えられる)

 これに対し、パウエル国務長官やベーカー元国務長官ら中道派は、中東には中ぐらいの大きさで強大になれない親米的な国がいくつも別々に存在していた方がいいという「均衡戦略」(バランス・オブ・パワー戦略)を採っている。湾岸戦争直前のようにイラク一国が強大になると潰さねばならないが、中東全体を混乱に陥れようとするタカ派の戦略は中東諸国を反米イスラム主義の方向で団結させてしまうため、中道派はタカ派主導のイラク侵攻計画に反対してきた。

▼パウエルは転向した?

 このような経緯から考えると、イラクの申告書への対応をめぐってブッシュ政権内部で対立があるのなら、タカ派が「申告書には重大な違反があると発表し、すぐにイラクに侵攻すべきだ」と主張し、中道派は「いやいや、もう少し慎重にやろう」と言って対立するのが当然と思える。

 ところが実際には、12月18日の国家安全保障会議では、その逆の事態が起きた。中道派のパウエルが「申告書には重大な違反がある。イラクに対して強い態度に出るべきだ」と強硬に主張したのに対し、タカ派のラムズフェルドは「『重大な違反』(material breach)という言葉はきつすぎる。評価を和らげて『重大な漏洩』(material omission)とした方がいい」と穏健派に回った。(関連記事

 激論の末、パウエルの側に軍配が上がった。パウエルは翌12月19日に「イラクの申告書には重大な違反があった」と発表し、国連査察団のブリックスも同様の発表を行った。こうした新事態に対し、イギリスのガーディアン紙は「ついにパウエルがタカ派に転向した」という解説記事を載せた。(関連記事

 だが私には、パウエルは転向したのではなく、タカ派をしのぐ強硬派のような態度をとることで、タカ派主導のイラク侵攻作戦を乗っ取ったのではないか、と思われる。

 パウエルは記者から「イラクの申告書に『重大な違反』があったのにイラク侵攻をしないのか(大統領が『重大な違反があればイラク侵攻をする』と言っていたことはどうなったのか)」と尋ねられ、「『重大な違反』という言葉は単なる法律用語でしかない」と答えている。パウエルは、タカ派が『重大な違反』という言葉に仕掛けた起爆装置を抜いてしまったわけで、これが「転向」ではなく「乗っ取り」であるということを象徴している。(関連記事

▼乗っ取りを援護射撃する提案書

 安全保障会議でパウエルが強硬論を展開したのと同じ12月18日、中道派のシンクタンク「外交評議会」「ベーカー研究所」が、パウエルの主張を援護するかのように、連名でフセイン政権後のイラク運営についての提案書を発表した。(関連記事

 提案書は「フセイン政権打倒」を前提としていたものの、長期的にはイラクと中東全域の安定を重視し、従来からの中道派の主張に沿ったものだった。「アメリカは新生イラクの建国に介入せず、援助することに徹するべき」「イラクの油田はイラク人が管理する。アメリカが管理すべきではない」「イラク国外の反体制勢力に新政権を支配させるべきではない」といった、前向きな主張が盛り込まれていた。

 これらの主張はいずれも、それまでウォルフォウィッツらネオコンが主張してきたことを真っ向から反対するものだった。提案書を発表した2機関のうち、ベーカー研究所は、パウエルの主張をずっと支持してきたジェームス・ベーカー元国務長官が仕切っており、外交評議会も以前からパウエルの味方だった。提案書は「フセイン政権は倒すが、中東を不安定にさせるブッシュ政権のタカ派の目論見も同時に倒す」と読みとれる内容になっていた。(提案書はこちら

 この提案書に基づくイラク占領がそのまま実現した場合、米軍のGHQによる日本占領と似たものになる可能性がある。提案書は冒頭に「イラク国民を敗戦国民として扱うのではなく、解放された人々として扱うべきだ」と書いている。

 「イラクの油田はイラク人のもの」など、提案書の中にちりばめられた前向きで美しい表現を読んでいると、中道派は「思いやりに満ちた正義の味方」のように見えるが、背景を考えていくと、そうとは限らない。

 パウエルと並んで中道派の急先鋒であるベーカー元国務長官は、ブッシュ(父)政権の国務長官で、1990年にフセイン大統領を挑発して湾岸戦争を起こした人である。湾岸戦争は「中東に強い国を作らない」という「均衡戦略」の一環として、イラン・イラク戦争後のイラクの強大化を防ぐために行われた感が強いが、アラブ諸国の統一を阻止するその均衡戦略を今後も続けるために、今回の提案書を出してきたと思えるからである。

 米政権中枢でイスラエルを支持するタカ派ネオコン勢力が拡大した結果、イラクの崩壊を機に中東諸国が混乱し、その反動でイスラエルが強大になる可能性が増しているが、その動きを封じ込めるために、中道派が戦略の乗っ取りに動いたのだろう。

 ベーカーらの提案書と歩調を合わせるように、パウエルが率いる国務省は「フセイン後」のイラク建設について検討する小委員会「Future of Iraq, Oil and Energy Working Group」を作り、イラクの反体制派もそこに呼ぶようにした。(関連記事

 これまでウォルフォウィッツらタカ派は、12月中旬にロンドンで会議を開いた「イラク国民会議」などのイラク反体制派を「フセイン後」のイラク政権として据えようとしてきたが、このイラク反体制派を巻き込む戦略に対しても、国務省は乗っ取りを図っている。中道派の提案書は「(イラク国民会議など)イラクの外にいる反体制派がフセイン後の政権の中枢になるべきではない」と明言している。

▼「中東を混乱させない戦争」という難題

 パウエルらの「乗っ取り」により、米軍によるイラク侵攻のやり方も変質することになった。

 アメリカの国防総省内では、イラク侵攻の戦術として、それまで2つの案が対立していた。軍人の最高位である統合参謀本部議長をつとめるリチャード・マイヤーズや、中東方面軍の司令官であるトミー・フランクスら「制服組」は、中道派を支持して性急な戦争開始に反対し「侵攻するときは25万人規模の大軍が砂漠の中を進軍するかたちで行うべきだ」と主張していた。

 これに対してウォルフォウィッツ国防副長官らタカ派の文官たちは「1万人程度の少数精鋭部隊が速攻を行い、地元のシーア派やクルド人の軍事力も借りながら、1−2週間で勝負をつける」という「アフガニスタン方式」(タリバンを壊滅させたときと同じやり方)を主張し、2002年春以来、鋭く対立し続けていた。

 12月18日の国家安全保障会議で、ラムズフェルド国防長官は「『重大な違反』という言葉を使うときは、イラク侵攻を開始するときにすべきだが、今はまだペルシャ湾岸地域に対する米軍の配備が終わっていないので、今はその言葉を使わない方がいい」という考え方を述べたと報じられている。(関連記事

 ラムズフェルドが「軍の配備が間に合わない」と言ったということは、中道派を支持する制服組の戦略の方をブッシュ大統領が採用したということを意味していると思われる。

 また、米軍のイラク侵攻そのものの可能性も低くなっているとも思える。中道派は、中東の現体制を維持安定させることを目指しているが、アメリカのイラク侵攻は、どんなやり方をしたにせよ、中東の人々の反米意識をかき立て、イスラエルの好戦性も煽ってしまい、タカ派を有利にしてしまう。

 中道派がタカ派の再台頭を防ごうと思っているはずだから、今にもイラク侵攻をしそうな雰囲気を漂わせつつ、実際の侵攻は少しずつ先延ばししていく可能性もある。

 とはいえ、フセイン政権を温存させてしまうと、フセインはいずれまた反米色を強め、拡大主義をとることで自分の政権を維持しようとする可能性が高い。そうなると、その反動でアメリカ側では再びタカ派が力を盛り返しかねない。となると中道派は、中東情勢の安定を守りながら、フセイン政権を倒す戦争をしなければならないということになる。非常に難しい条件である。

 イスラエルの新聞「ハーレツ」(中道・左派系)は、アメリカがイラクに侵攻した後、2−3週間フセインが持ちこたえたら、アラブ諸国では反米親サダムのデモなどが激化し、耐えられなくなったアラブ諸国がアメリカに戦争を止めてくれと言い出して「フセインの勝ち」になってしまう、という解説記事を載せている。(関連記事

 それらのすべての条件を満たして戦争が成功するとは、どうも思えない。米政権の中道派がどのような方法でこの難問を解こうとしているのか、まだ私には見えないが、驚くべきウルトラC作戦が準備されている可能性もある。そのあたりのことが分かってきたら、また解説を書くつもりだ。



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