パレスチナの検問所に並ぶ2002年8月12日 田中 宇【この記事は「パレスチナ・西岸を歩く(1)」の続きです】 7月28日の昼ごろ、私はエルサレムのダマスカス門前からラマラ方面行きの乗り合いタクシーに乗った。 ラマラはエルサレムから北に15キロ離れた隣町で、パレスチナ自治政府のアラファト議長(大統領)の官邸があり、ヨルダン川西岸地域のパレスチナ人社会の事実上の首都として機能している。アラファトは今年1月以来、ラマラの大統領官邸をイスラエル軍に包囲され、ほとんど外に出られない状態が続いている。 ラマラへは、2001年1月にも行った。前回はエルサレムから30分ほどでラマラに着いた。大半は快適な広い道路だが、途中で一カ所だけ、イスラエル軍が道路を封鎖している場所があり、そこだけ脇の泥道を抜けねばならず、たくさんの車が狭い泥道をのろのろ進み、大渋滞していた。イスラエル軍が道路封鎖を行うのは、西岸の経済発展を阻害し、パレスチナ人が嫌になってヨルダンや欧米などに移民していくよう仕向けているのではないかと思われた。 迂回路が一カ所だけだった昨年1月に比べ、今回は交通規制がさらにひどくなっていた。ラマラに行くまでに2つの検問所を徒歩で越えねばならず、2回乗り換えねばならないのだと、他の乗客が教えてくれた。そんな状態でも、ラマラに行く人はけっこういるようで、私が乗った乗り合いタクシーは、15分ほどで満員となり、出発した。 だが、発車したと思ったら、15分ほどで「終点」についてしまった。大通りの端にイスラエル軍の検問所が作られていた。ここは、エルサレム郊外のアーラム(E-Ram)という場所で、エルサレム市内から西岸地域に出ていく境界線にあたる地域だった。ここでは、エルサレム市内に入る自動車や人に対してだけ、検問が行われていた。エルサレム市内から出ていく方向はノーチェックだった。 私はエルサレムから出ていく方向なので、検問を受けず、検問所の反対側まで歩いていき、向こう側で待っていた乗り合いタクシーに乗った。 乗り場では、外国人と見るや声をかけてくる運転手がいる。乗り合いタクシーだと思って誘いに乗ってしまうと、自分一人だけを乗せてスタートし、タクシーを一台貸し切った「スペシャル」だとして、5人分とか10人分の運賃をとられてしまう。乗客を集める時間がもったいないので、こういう騙しのようなことをやる運転手がよくいる。すでに乗客が何人か乗っているタクシーを選んで乗ることが必要だ。 ▼わざと検問をゆっくりやる兵士 2回目に乗った乗り合いタクシーもまた、10分ほどで次の「終点」についてしまった。また検問所である。ここはカランディア(Qalandiya)という場所で、ラマラ市内に入る地点だった。幹線道路は、ラマラ市内をバイパスで迂回して西岸を北に抜けているが、その幹線道路からラマラ市内に入る道が分岐する場所に、この検問所が設けられていた。 去年来たとき、このあたりは高速で走れる大通りだったが、今は、歩行者は通しても自動車はほとんど通さない検問所になっていた。
検問所では、ラマラ市内に入ろうとする人々が200−300人ほど行列を作っていた。乗り合いタクシーを降りた人々は、道ばたにある仮設の細長い行列場所の列の後ろについた。行列場所の両側は、防波堤のテトラポットのようなコンクリートの塊の列と、渦巻き状の有刺鉄線で仕切られていた。頭の上には簡素な天幕が張られ、夏の真昼の強烈な直射日光を何とか防いでいた。 行列の先頭の先には、奥行き30メートルほどの無人地帯が設けられ、その先に屋台のような仮設のカウンターが置かれ、イスラエル兵が通行人を一人ずつ歩かせ、身分証明書をチェックしていた。その向こう側に、ラマラ市内に続く歩行者用の通路が続いていた。これらの一連の検問施設の両側は、コンクリートや金網の壁と、有刺鉄線で外部と区切られていた。 30メートルの無人地帯が設けられているのは、パレスチナ人がイスラエル兵に対して自爆攻撃(自爆テロ)を仕掛けるのを防ぐためだと、後でイスラエル人に聞いた。 (パレスチナ人や他のアラブ人の多くは、同胞による自爆攻撃を、イスラエルによる抑圧に対するゲリラ的抵抗と考えており「テロ」と呼ばれることを嫌う。そのため、ここでは中立的な意味合いを持つ「自爆攻撃」を使う) 無人地帯の存在は、イスラエル側にとって、攻撃を避けること以外の「効果」も生んでいた。兵士は、行列中のパレスチナ人たちが急いでいるのを見ながら、身分証明書の確認を、恣意的に早くやったり遅くやったりしているように見えた。それを30メートル手前から眺めている人々の中の一人が、苛立ちのあまり声をあげ、早くやってくれと促すと、兵士はもっと時間をかけて検問し始めた。 ▼国旗の屈辱 パレスチナ人たちの中にブーイングが広がると、兵士の一人が銃口をこちらに向けて行列に近づき、何か語気荒く言い、行列が静かになるまで威嚇し続けた。近くの男性が英語で「彼は、とても失礼なことを言った」と、うんざりした様子で私に説明してくれた。兵士はおそらく「お前たちはきちんと待つこともできない無能な奴らだ」などと言ったのだと思われた。兵士が話しているのは、カタコトのアラビア語だった(イスラエル人の母語はヘブライ語)。 無人地帯の真ん中には、イスラエルの国旗がひるがえり、何十分か行列に並んでいる間、ずっとこの国旗を見て過ごさねばならない。国旗の存在は、イスラエルが嫌いなパレスチナ人にみじめな思いをさせようとする、イスラエル軍の心理作戦に見えた。 イスラエル兵は、若者2人と中年1人の3人組で、若い兵士が手荒な言動をすると、上官とおぼしき中年兵がそれをなだめ、列の先頭で立ち往生しているパレスチナ人を次々と通してやっていた。 イスラエル兵の中にはパレスチナ人の境遇に同情している人もいると報じられており、中年兵はそういう同情者のひとりなのかもしれない。だが、パレスチナ人の行列の中に立つ私には、イスラエル軍は検問所の兵士の中に強硬派と穏健派を混ぜることで、パレスチナ人が検問所の通過にかかる時間を予測できないようにし、無力感を与える心理作戦を行っているように思えた。 この検問所を通過するのに、私のときは1時間近くかかったが、日によっては2時間以上かかるときもある。イギリス・ガーディアン紙の記事によると、ある冬の雨の日、行列内のパレスチナ人がイスラエル兵を急かしたところ、兵士はわざと検問作業を停止してしまったという。 ▼急がざるを得ない人々 行列は男女別に分かれており、子供は女性と一緒に並んでいた。イスラエル兵は、女性と子供の方を先に通しており、女性の列の方が進みが早かった。男たちの中には急いでいる人も多いようで、列の先頭近くまで来ると、横から先に進んでしまう人がいる。 その結果、行列の先頭部分では、3−4人が横一線に並び、次に誰が無人地帯に踏み出すか、微妙な駆け引きが行われる。前の人に対する検問が終わるのを見計らって次の人が無人地帯に歩み出すが、紳士ばかりの場合は問題なく順番が決まる。 ところが、せっかちな人は順番を無視し、次の人が歩き出す一瞬前に、先に歩き出してしまう。周りから「順番を守れ」とか罵声が飛び、列が乱れていっぺんに2人か3人が歩き出してしまったりする。 先に行きたがる人が多いので、列の先頭が無人地帯に入り込み、少しずつ前の方に移動する。すると、兵士たちが拡声器で「全員下がれ」などとがなり立てたり、銃口をこちらに向けて近づいてきたりして、列が整頓されるまで検問が止まる。 また、行列所の先頭近くにある有刺鉄線とコンクリートの壁の隙間から、行列に横入りを試みた女性がいた。兵士がそれを見つけ、拡声器で後ろに並び直すように怒鳴ったが、女性は下がらなかった。すると、兵士は行列に向かって「あいつが下がらないので検問を止める」といった感じのことを語気荒く言い、検問が2−3分止まってしまった。 周囲のパレスチナ人たちが、口々にその女性に対して強い口調で諭し、女性はようやく後ろの方に戻った。「あなたが横入りしようとすると、みんなが困らされるのだ」などと諭したようだった。 自爆攻撃があると、イスラエル軍は自爆したパレスチナ人の出身地の町に侵攻し、多数の市民を逮捕したり、手荒く尋問したりして「集団制裁」を行うが、ひとりが横入りすると全員の検問が止まるのは、集団制裁の小型版だった。 パレスチナ人たちが急いでいるのは、ラマラでは毎日、夕方6時から翌朝6時まで外出禁止令が敷かれ、夕方6時までに検問所に戻れないと、ラマラ市内で一泊しなければならなくなるからだった。ラマラでは週に2−3日、外出禁止令が昼間まで延長され、ラマラ市内で宿泊した場合、下手をすると1泊ではなく2泊になってしまう可能性がある(私自身、それを体験した)。 私が検問所で並んでいたのは午後1時ごろで、ラマラでひと仕事終えて6時までに戻る予定の人々が、何とか早く検問を通り抜けようとしていた。 私は列の先頭近くまで来たが、アグレッシブな男たちに押され、女性と子供が先に通されたりして、なかなか先頭まで出られなかった。その間に2回ほど、兵士が銃口をこちらに向けて怒鳴る場面があり、緊張感の中、行列が全体に下がらされた。 やがて私は列の先頭に到達した。後ろから「日本人、次はお前だ」と誰かが声をかけてくれて、ようやく私の番が来た。無人地帯を抜けてイスラエル兵の前まで行き、パスポートを出すと、兵士は簡単に目を通しただけで、私を通らせた。 ▼抑圧はアメリカの敵づくりの一環? 検問所から、ラマラ市内に行く乗り合いタクシーが待っている場所まで、200メートルほどの歩道を歩きながら、ずっと炎天下に立っていたので頭がくらくらすることに気づいた。検問所を抜けるまで、まったくそのことに気づかず、兵士に威嚇され、自分が非常に緊張していたのだと分かった。パレスチナ人にとっては日常なのだろうが、この地に来たばかりの日本人にとっては、十分に異常な体験だった。 カランディア検問所は、欧米マスコミではけっこう知られた存在で、この検問所をテーマにした記事も書かれている。AP通信の記事では、ここを守る兵士が「検問では自爆ゲリラと一般市民を見分けられないため、何のために検問をしているのか分からない」という趣旨のことを述べている。 検問所では、兵士がパスレチナ人の身分証明書を確認しても、それをブラックリストなどと照らし合わせる作業はしていない。この検問によって「テロリスト」を摘発したり、移動を規制したりすることはできないと思われる。 それなら、何のために検問をしているのか。前出のガーディアンの記事は、パレスチナ人を従順にするための作戦だろうと分析している。無意味な検問で毎日何時間も待たされると、最初は猛烈な怒りがたまるが、それはやがて疲れやあきらめに変わり、従順な住民ができあがるのだと指摘している。 とはいえ、私は別のことを感じた。911以降のアメリカの「テロ戦争」との関係である。ラムズフェルドとかチェイニーとか「産軍複合体」系の人々に乗っ取られたアメリカの政権は、テロ戦争によって、イスラム教徒を中心に世界中にアメリカの敵を作り、ソ連との冷戦時のように、数十年間にわたって「巨大な敵」に事欠かない状態を作りつつある、と私には思える。イスラエルのシャロン政権は、それに協力し、パレスチナ人の反米・反イスラエル感情を強めようとしているのではないか。 イスラエル軍は昨年以来、検問を厳重にして人や物資の移動を規制し、今年6月からは西岸のほとんどの町で夜間外出禁止令を敷いている。これによって、パレスチナ人はますます困窮している。中東イスラム世界では、貧しい人ほどモスクからの食糧や医療の救済を受け、過激なイスラム主義(原理主義)に賛同する傾向を強める。イスラエルが西岸・ガザを封鎖するほど、アメリカにとって「テロリスト」の勢力が強大になるという寸法だ。 しかしパレスチナ人は、挑発には乗らないようにしていた。人々は反イスラエル・反米意識を持ちつつも、イスラエル軍と対峙するときは、それを表に出さず、慎重に行動しているように見えた。イスラム過激派の戦闘組織「ハマス」への支持者も、パレスチナ人の15−30%といわれ、それほど多くない。 カランディアの検問所を抜けると、ラマラの中心街に向かう乗り合いタクシー乗り場があった。検問所を越えて入ってくる外国人は少ないので、歩いていると周りの人が次々に英語やアラビア語で「ようこそラマラへ」と声をかけてきた。 【続く】
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