オクラホマ爆破事件と911(1)2002年2月18日 田中 宇1995年4月19日朝、アメリカ南西部のオクラホマ市で、連邦政府の役所が入っているアルフレッド・ミューラービルが爆破され、168人が死亡するテロ事件が起きた。 FBIはその日の夜、隣の州にあるダラス市で、この事件との関係で一軒のアパートを家宅捜索した。アパートの住人は中東系の男で、爆破直前に現場から走り去るのをビルの警備員に目撃されているピックアップトラックのナンバープレートから男の存在が浮かび上がった。 捜査の結果、ピックアップトラック自体は爆破テロの前にダラス空港で借りられたレンタカーで、ナンバープレートだけが男の車のものと交換されていたことが分かった。ピックアップトラックを借りたのはパキスタンから来た別の人物だった。(関連記事) 同時に、オクラホマ市内でも中東系の男たちがFBIの事情聴取を受けた。また爆破から2時間後にオクラホマ市の空港から飛び立ち、シカゴ経由でヨルダンに出国しようとしたイラク人の男性が、シカゴの空港でFBIによって拘束された。(関連記事) 事件は、中東系テロ組織の犯行として捜査が急展開するかのように見えた。ところがその後、中東系の容疑者に対する捜査はこれ以上行われず、いったん逮捕された人々は釈放され、中東系の人々はFBIの指名手配書からも消えた。代わりに犯人とされたのはネオナチ系の極右グループを組織している、ティモシー・マクベイとテリー・ニコラスという男たちだった。 たしかに、爆破直後に走り去ったピックアップトラックには、マクベイらしき男が乗っていたことが目撃されている。だが、トラックに乗っていたのは一人ではなかった。もう一人、中東系の男性が乗っていたのである。マスコミは口々に「中東系はどうなったのか」とFBIに尋ねたが、明確な答えは返ってこなかった。 代わりにマスコミに対して発せられたメッセージは「中東系ばかり疑って追いかけるのは人種差別であり人権侵害だ」というものだった。連邦ビル爆破には中東系のテロ組織がかかわっていたとする報道特集番組を数回放送した地元のテレビ局KFORと、同局で取材を担当した記者は、容疑者とされたイラク系の男から損害賠償請求の裁判を起こされた。もう一人、シカゴの空港で逮捕尋問された男は、不当逮捕されたとして連邦政府を相手に裁判を起こした。(関連記事) この提訴を機にアメリカのマスコミでは、連邦ビル爆破テロといえば、米当局が中東系の人々を犯罪者扱いしがちだという差別問題の象徴としてとらえられるようになった。私も以前の記事で、そのようなトーンでこの事件に言及している。 ▼隠されたイラク亡命者集団の関与 ところが、地元テレビ局KFORの記者としてこの事件を発生からずっと取材し、容疑者扱いされたイラク人から訴えられたジャイナ・デービスは、このテロ事件の本質はそんなものではないと考え続けていた。 彼女は取材を重ねるうちに、事件現場の近くのビルに設置されていた防犯カメラの映像を入手した。そこには爆破直前、マクベイと中東系の男が走って逃げるところが映し出されていた。30人近くの証言から、事件がマクベイの単独犯行ではなく、中東系の男たちも関わっていたことは間違いないとの結論が得られた。 FBIの現場の捜査官たちが「犯人はマクベイら極右だけではない。中東系の組織が爆破テロを計画し、マクベイはその下請け仕事の一部をやっただけだ」という結論を出していたことも分かった。このような現場の結論はFBIの上部によって却下され、代わりに「マクベイ単独犯説」が採用された。 デービスと同僚記者の取材により、連邦ビルに入居していた政府のATF(アルコールタバコ火器局)では事件当日、全職員に対して出勤してこないよう連絡が入っていたため誰も被害にあわなかったことや、オクラホマ市の消防局が、事件の前に「今後数日間に大事件があるかもしれない」と連絡を受けていたことも分かった。(関連記事) さらに分かったことは、オクラホマ市の近郊には、1991年の湾岸戦争直後にイラクから亡命してきた4000人ほどの人々が住んでおり、事件に関わっている中東系の男たちは、その集団のメンバーであるということだった。(関連記事) 彼らはもともとサダム・フセイン政権下で軍隊や情報機関に勤めていた人々とその家族で、湾岸戦争の最中にアメリカ側に寝返り、当時のブッシュ大統領(現大統領の父親、元CIA長官)の決定で、アメリカに移住が認められた人々だった。 亡命者の多くは戦争のプロであり、イラク側がアメリカに送り込んできた二重スパイや、アメリカに移住してからテロ行為を行いそうな人々が含まれていることは、当初から予想されていたと思われる。この亡命受け入れは公式に発表されることなく、秘密裏に実施された。(関連記事) (アメリカが関与した戦争で、アメリカ軍やCIAによる情報収集や戦闘を手伝った戦場の地元の人々に対し、終戦後にアメリカへの移住を受け入れる政策は、以前から行われていた。ベトナム戦争では、ラオスの山岳地帯に住んでいたモン族の人々がCIAの秘密作戦に協力し、その後25万人がアメリカに移住している)(関連記事) ▼報道潰しに加担したニューヨークタイムス デービス記者は、取材の果実としてKFORで報道特集番組を作って放映したが、そこで報じられた内容が全国版の大手マスコミで話題にされることはなかった。FBI内部と同様、マスコミ業界でも、上部からの何らかの政治的な意図により、現場での調査結果が公式なものとして扱われることが見送られたのだった。 そして、デービスは無視されたばかりでなく、マスコミ業界内で圧力をかけられることになった。事件が発生した当時、KFORはNBC系列のテレビ局だったが、翌1996年にニューヨークタイムスがKFORを買収した。 ニューヨークタイムスが送り込んできた新しい会社幹部は、デービス記者に対し、連邦ビル爆破事件についての取材を止め、これまでに取材した記録をすべて提出するよう命じた。デービスはこれを拒み、KFORを追い出されることになった。 正義感を捨てきれないデービス記者は、シカゴの弁護士であるデビッド・シッパーズに相談した。シッパーズは連邦議会下院の弾劾司法委員会で首席顧問をつとめ、議会内に幅広い人脈を持っていた。(彼は議会下院の共和党に頼まれ、クリントン大統領の不倫もみ消し疑惑を調査して有名になった) シッパーズは当初、デービスを根拠の薄い陰謀論者ではないかと考えたが、デービスと会い、彼女が持参したインタビューの記録など膨大な資料に目を通してみると、これは重大な事件であると分かった、とラジオのインタビューで答えている。(関連記事) シッパーズは知り合いの議員たちに、連邦ビル爆破事件で真実が語られていないことを伝えた。ところが、議員たちの反応は鈍かった。 ▼6年前に予測されていた911 その一方でシッパーズが把握したことは、米国内で何らかの大規模な爆破テロが起きることを警告する報告書が、連邦ビル爆破事件が起きる2カ月前に、すでに議会で作られていたが、その警告は無視されていたということだった。 議会下院では、共和党がヨセフ・ボダンスキーという専門家を招いて「テロと非通常戦闘に関する調査検討チーム」という会合を作り、イスラム過激派系テロ組織の動向を探っていた。ボダンスキーは連邦ビル爆破事件の2カ月前に報告書を完成させ、米国内のどこかの連邦政府関係のビルが爆破される可能性がある、と警告していた。 ボダンスキーの報告書では、ワシントンのホワイトハウスもしくは議会のビルに対して飛行機をビルに突っ込ませる形のテロも計画されている、と書かれていた。この警告は6年後の9月11日、攻撃対象をホワイトハウスから国防総省に変えただけで現実のものとなった。(関連記事) (ボダンスキーは共和党系シンクタンクの研究員だが、イスラエル系の人なので、情報源はモサドなどイスラエルの諜報機関ではないかと思われる。「ビンラディン:アメリカに宣戦布告した男」の著者)(関連記事) オクラホマ連邦ビル爆破事件は、FBIの捜査が不十分なまま打ち切られたり、事前の警告が無視されたりしたという点で、911テロ事件と良く似た側面を持っていたことが分かる。 連邦ビル爆破事件の真相究明に首を突っ込んだデービス記者とシッパーズ弁護士にとって、2つの事件は単に似ているだけではなかった。2人は、連邦ビル爆破から6年後、911テロ事件が近づくにつれ、再び事件の奇怪な裏側を見ることになった。その詳細は、来週お伝えする。
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