他の記事を読む

テロリストの肖像

2002年1月7日   田中 宇

 記事の無料メール配信

 昨年9月11日、ニューヨークの世界貿易センタービルに突っ込んだテロ事件の主犯格と目されるモハマド・アッタは、1968年1月生まれ(当時33歳)のエジプト人で、首都カイロ郊外の住宅地で育った。弁護士だった父親は教育熱心で、アッタの高校時代の友人は「彼は技術者になることを目指していたが、ほとんど遊ばずに勉強ばかりしていた」と証言している。アッタには二人の姉がいたが、いずれも勉強熱心で、一人は医者、もう一人は大学の教官になった。

 末っ子だったアッタはシャイな甘えん坊で、母親もアッタをかわいがった。彼は、大学に入るまで母親の膝に乗ることを止めず、父親にはそれが不満だった、と父親自身がニューヨークタイムスの取材に対して答えている。(私が見るところ、中東の家族の典型は、父親が厳しい半面、母親は子供たちを溺愛する。その結果、中東の男たちはマザコンになり、結婚相手を決めるときも母親と気が合う人を選ぼうとする)

 アッタの家は暮らしに余裕があり、家族旅行にも行ったらしい。エジプト国内のリゾート海岸と思われる砂浜で、アッタと姉が並んで立っている写真がある。姉がアッタの腕をつかみ、自分の肩に回して引き寄せた状態で写っている。アッタのシャイな様子が表れているツーショットだ。彼が高校生か大学生のころの写真と思われる。二人の服装は洋服で、姉はベールなどをしていない。政教分離を原則とするエジプトの、ふつうの中産階級の家族という感じがする。

▼敬虔だが原理主義者ではなかった

 アッタは名門カイロ大学で建築を学び、卒業後の1992年に、父親の勧めもあってドイツのハンブルグ工科大学の建築学の大学院に留学した。ハンブルグ工科大は全学生の2割が留学生で、特に中東からの学生が多い。

 アッタは2000年6月に渡米するまで、ハンブルグで8年間を過ごしたが、勉強熱心な礼儀正しい青年として知られていた。イスラム教の敬虔な信者で、学内にイスラム教徒学生のための礼拝所を作ってほしいと大学当局に要求する運動を展開したこともある。大学での研究テーマは、シリアの古い町アレッポの都市計画についてだった。アラブ人としてのアイデンティティを強く持っていたことがうかがえる。

 アッタは、敬虔なイスラム教徒だったものの、ドイツ国内のイスラム主義団体との交流はなかった。ドイツではマイノリティに対する攻撃が行われたナチス時代の反省から、当局が宗教組織を禁止することができないよう法律で定められていた。米大規模テロ事件以来、この法律が改訂され、いくつかのイスラム主義団体が解散させられ、検挙されが、それらの組織はいずれも米テロ事件には関与していないと、ドイツ当局が認めている。

 とはいえ、アッタが大規模テロ事件の主犯格だったことは、事実と思われるいくつかのことから、ほぼ間違いないと私はみている。

 その理由の一つは、ハンブルグでアッタと同じアパートに住んでいた2人のアラブ人青年もテロ事件に参加し、彼らは、ハイジャックされた4機のうち3機に、一人ずつ乗っていた。アッタら3人はいずれも、事前に飛行機の操縦を学んでいる。アッタ(享年33歳)と、マルワン・アルシェヒ(享年23歳)は、2000年6月から渡米してフロリダで同じ飛行訓練学校に通っていた。そして3人目のジアド・ジャラヒ(レバノン人、享年26歳)はハンブルグ工科大学で航空機設計を研究していた。

▼ハンブルグの学生たちが主犯格

 テロ事件後、アメリカの新聞は大政翼賛になり「○○はテロ組織とつながっているとされる」などと書かれていても、その記事の内容を鵜呑みにすることはできなくなっている。また新聞に情報を流すFBIやCIAといった米当局は「テロ事件の真相を究明する」ことよりも「テロリストとの戦争に勝つこと」が優先しており、少しでも怪しいアラブ人はすべて「アルカイダのメンバー」だと新聞に情報を流すので、これまた信用できない。

 だが、アッタら3人がハンブルグで親しい関係にあったことは、ドイツ当局も認めている。またアメリカの新聞記事でも、漠然とした表記ではなく、納得できる根拠を挙げて「○○と△△はつながっている」と書いてある場合は、信憑性が高いと思われる。

 9月11日の朝、世界貿易センター北棟に衝突したアメリカン航空11便がボストンの空港を離陸する直前、南棟に衝突したユナイテッド航空175便も同じ空港で滑走路に向かう飛行機の列の中にいたのだが、そのとき11便に乗っていたアッタが、携帯電話を使って、175便に乗っていたアルシェヒに1分ほどの電話をかけたことが、電話局に残された記録から分かっている。(関連記事

 こうした情報は信憑性が高いと思われるが、それぞれの旅客機には、これから犯行に及ぼうというハイジャック犯が5人ずつ乗っていた中で、アッタがアルシェヒに電話したということは、二人がグループのリーダー格で、電話の内容は、互いの飛行機が予定通り離陸することを確認するものだったと推測できる。

 また中東では「4機の旅客機はアラブ人によるハイジャックのように見せかけて、実は米当局が飛行機を遠隔制御して標的のビルに衝突させたのだ」という考え方がある。犯人とされるアラブ人たちは、実はふつうの乗客だったという説である。しかし、だとしたらハンブルグで親しい関係だったアッタら3人が、偶然にも、犯行に巻き込まれた3機に別々に乗っていたということになる。そんなことは、偶然として起こり得るはずがない。

▼怪しげな財政支援者

 アッタらハンブルグの実行犯グループはイスラム過激派組織「アルカイダ」のメンバーで、オサマ・ビンラディンの指令でテロ事件を実行したと報じられている。しかしこのテロ事件に関する報道や、当局が出した起訴状を見ても、アッタらとアルカイダとの関連を明確に裏づける証拠が何も出ていない。

 両者の関係を表す「証拠」としてよく掲げられるのが「実行犯グループはアラブ首長国連邦(UAE)にいるアルカイダの財政担当者とされるムスタファ・アーマド・アルハウサウィから送金を受けていた」ということである。アッタや他の実行犯の若者たちがUAEから送金を受け取り、その後911の犯行数日前に残ったお金を同じ口座に送り返した送金記録を米当局がおさえているという。

 しかし、このアルハウサウィという人物が、アルカイダの財政担当者であるという根拠は、全く示されていない。アルカイダの活動は数年前からCIAなどにマークされていたはずなのに、アルハウサウィという名前が出てきたのはこの送金をめぐる部分だけで、それより前には一度も出ていない。

 極端な話、米軍やCIAは911より前から「テロとの戦争」を始めたがっていたことから考えれば、逆にアルハウサウィがCIAのエージェントで、そう気づかれないままテロ実行犯に金を送っていた可能性すら否定し切れない。

 UAE政府はタリバン政権を承認していたため、アルカイダ幹部の出入りに寛容だったと思われるが、その一方でUAEは親米国でもあり、アルカイダと米当局との不透明な接点となっている。昨年7月、ビンラディンがUAEの町ドバイのアメリカン病院に入院し、CIAのエージェントがお見舞いに訪れたという話が、この事件の中でUAEが持つ意味を象徴している。(関連記事

 また、アッタが1990年代後半にアフガニスタンを訪れたという報道もあるが、その訪問がいつだったのかということさえ、特定されていない。私から見ると、ビンラディンが命じた自爆テロをアッタらが実行したのではなく、アッタを中心とするハンブルグのアラブ系の若者たちが自爆テロを計画し、実行に必要な人員や資金を集めていくうちに、アルカイダからも支援やアドバイスを受けた可能性の方が大きいと思われる。

▼サウジアラビア反体制組織の協力

 アルカイダのような国際的な地下組織の協力なしに911の犯行が不可能だと思われるのは、テロに参加する人員集めに関してである。アッタと友人の計3人のハンブルグ組だけでは、人数が少なくて同時多発テロを起こすことができない。911テロ事件の容疑者は全部で19人なので、ハンブルグ組は16人の同志を得てテロを決行したことになる。

 アッタはテロ決行前の3年ほどの間に、何回かに分けてヨーロッパ各地や中東を旅行している。2000年6月に渡米した後も、2回ヨーロッパに戻り、スペインとチェコを訪れている。あちこち回って支援者を探したのではないか、と思われるが、個人でいくら色々な組織に接触しても、自爆テロに参加して自分と一緒に死んでくれる人を16人も探し出すのは簡単ではないと思われる。

(米当局は、アッタはチェコでイラクのスパイ機関の幹部と接触したという情報をマスコミにリークしていたが、これは後でチェコ政府に「その可能性は低い」と否定されてしまった。米共和党右派は911後の軍事的な勢いに乗ってイラクを攻撃したいと考えているが、うまい根拠を作ることに失敗している)

 ハンブルグでアッタと同じアパートに住んでいたアラブ系の若者の中でさえ、全員が自爆テロに参加したわけではなく、ハンブルグに残り、9月11日の直前に姿をくらました若者が3人いる。

 ハンブルグ組以外の16人のうち15人はサウジアラビア人だったと米当局は発表している。サウジアラビアには、反政府系のイスラム過激派組織の地下ネットワークがあり、世界各地の「聖戦」への参加を希望する若者を、モスクなどでひそかに募集している。サウジアラビアのテレビでは、チェチェンやボスニアなどで敬虔なイスラム教徒たちが異教徒に攻撃されていることを問題視するドキュメンタリー番組が流れることがあり、それを見て義侠心や正義感に突き動かされた若者たちが、聖戦士に応募するケースが多い。

 このような若者の中から、自爆テロに参加する意思がある若者を探すことは可能だろう。この手の組織の協力なしには、サウジアラビアで自爆テロ参加者を集めることはできないのではないかと思われる。組織の関係者の多くはオサマ・ビンラディンを支持しているだろうが、そのネットワークはイスラム教徒という同志意識によってゆるやかにつながっているだけのもので「ビンラディンを頂点とした組織」ではない。米当局は彼ら全員を「アルカイダのメンバー」と呼ぶのだろうが、本人たちは「アルカイダ」を自称してはいない。

▼不十分なまま打ち切られる捜査

 ビンラディンを支持するサウジアラビアのイスラム過激派組織が、テロ参加者を募集した可能性は十分にあるが、この問題はこれ以上詳細に調べることができない。というのは、911実行犯の中のサウジ出身者に対する捜査を、FBIが途中で打ち切ってしまったからである。

 FBIは事件から半月後の9月27日に、実行犯19人の氏名と写真、年齢などを発表した。しかしその中の何人かは、盗んだ旅券を使って他人になりすましたまま自爆テロに参加したらしく、その名前の本人が人違いであることを相次いで主張し、米当局が謝罪するという事態になった。(関連記事

 ところが、FBIはその後も最初に発表したままの氏名一覧を使い続けている。ハンブルグ組の3人のうち2人については、どういう育ちのどういう人物だったか、マスコミもかなり報じているが、その他の実行犯メンバーについては何も報じられていない。

 事件から3ヵ月後の12月11日、大規模テロ事件に関する最初の起訴が行われたが、その起訴状の中でも3ヵ月前と同じ氏名一覧が使われており、盗んで偽装した旅券で入国した実行犯については、米当局は本当の氏名すら把握していないことが分かる。イギリスのBBCの記事は、12月11日の起訴によって実行犯に対する捜査は事実上終結したとの見方を示しており、その見方が正しいとすれば、911のテロを起こした犯人が誰なのか全容も分からないまま、捜査が終わることになる。

(続く)



●関連記事など



田中宇の国際ニュース解説・メインページへ