アメリカ自由主義は終わるのか2001年10月29日 田中 宇この記事は「テロの証拠を示せないアメリカ」の続きです。 アメリカの当局がテロの犯人に結びつく証拠を提示できない状況は、9月11日以降も変わっていない。米当局は、ビンラディンが大規模テロ事件の黒幕である証拠を、イギリスのブレア首相やパキスタンの最高指導者ムシャラフ将軍には示したものの、犯人側に捜査状況を知られないよう、証拠の一般公開はしないと発表している。 しかし、米当局が証拠を一般公開しないことが、事件後のアラブ諸国における反米意識の高まりに結びついていることを思うと、米当局が人々が納得するような証拠を持っていながら公開しないという選択をしたと考えるのは無理がある。CIA長官は事件発生の1週間後、事件を未然に防げなかったことを受けた省内の幹部向けの訓告で、派閥争いをやめるよう求めている。CIAは米議会からも厳しく批判されていることも合わせて考えると、一般公開して人々を納得させられるような証拠を集められていない可能性が大きい。 ▼炭疽菌では一転して慎重になった米当局 米当局は、炭疽菌による攻撃が始まったときには、すぐに「これもビンラディン一派の仕業だ」と断定することを避けたが、これは大規模テロ事件の発生直後、ビンラディンを黒幕と断定したものの、証拠を見せることもできないためにアラブ諸国の人々の反米意識を強める結果となってしまったという教訓に基づく作戦変更と思われる。 米当局が確たる証拠を集められない理由としては、アルカイダなどテロ組織が人間関係をたどりやすい上意下達型ではなく、数人で構成される細胞組織が互いに緩やかな横の連絡を取り合っているだけのゲリラ型組織だから、ということが考えられる。ビンラディンのような指導者は直接指示を出さず、闘争のイデオロギー的な方向性や、犯行時に使える一般的なノウハウは各細胞に伝授するが、個別の犯行を指揮しないため、実行犯を特定できても、そこから上位の黒幕へのつながりを証明することが難しい。 また犯人側が世界各国に分散し、その中にはアフガニスタンやパキスタン、中東諸国など、住民管理の水準が先進国よりずっと低い国々が多いため、捜査が難しい。たとえばエジプトでは、国内で完結するテロ事件でさえ、銃撃戦で死んだテロリストの遺体を当局が調べても身元をたどれず、それが誰なのか結局分からないということが良くある。これらの国々では国民の反米感情が強く、捜査に対する協力も得にくい。 さらにビンラディンの場合、彼を支持してきた勢力の中にサウジアラビアの王室が含まれていることも捜査を難しくしている。豊富な石油を埋蔵するサウジはアラブ諸国で最も重要なアメリカの同盟国だが、湾岸戦争以来サウジ国民の間で反米感情が高まっているため、アメリカが王室にビンラディンとの関係を問い詰めたりしたら政変を誘発しかねない。 ビンラディンはサウジ最大手の建設会社の富豪一族に生まれたため、青年時代に同世代の王族との交流を深めている。彼がソ連侵攻直後のアフガニスタンに向かったのも、メッカを擁するイスラム世界の盟主として「無神論」のソ連と戦うアフガニスタンに影響力を広げようとする王室の意を受けていた可能性が大きい。 その後ビンラディンはサウジで英雄視されるが、湾岸戦争以降サウジ王室を厳しく攻撃し、王室とは仇敵になった。だがその後もサウジの王族や財界人の中には、ビンラディンの頑固で純粋なイスラムのイデオロギーを支持する勢力がいる。ビンラディンが最初の亡命先スーダンで設立したアル・シャマル銀行は、アルカイダの下部組織に資金を行き渡らせるために使われたと米当局はみているが、この銀行はサウジの王子の一人が経営する銀行とビンラディン系企業との合弁で設立されている。 ▼自由主義の終わり? もう一つの見方として、米当局が大規模テロ事件を防げなかった理由は「自由主義」にある、ということもできる。冷戦後のアメリカは、政府の機能をなるべく縮小して市場原理にゆだねることで経済成長を持続させる政策がとられていた。経済的、政治的な自由を制限する政策は良くないものとされ、アメリカは自国だけでなく世界中にこのルールを拡大することを目指し、人権を守らない中国やユーゴスラビアなどの政権を攻撃した。 その一方で、テロ事件を起こそうとする人々は、この自由主義体制の中で当局の取り締まりの網の目を抜けて活動を続けることができた。もしCIAなどが証拠を明示しつつ大規模テロ事件を予防しようとしたとしても、通信の検閲や空港のセキュリティ強化などの対策は、いずれも自由主義経済の効率を悪化させるものとして、政権中枢からブレーキをかけられていただろう。前政権では、クリントン大統領自身が自由主義の推進による経済拡大を信奉していたからである。 9月11日の大規模テロ事件は、こうしたアメリカの自由主義体制を破壊した。テロ防止は自由の尊重よりも重視されるようになり、経営危機に陥った航空産業に公的資金を投入することがすんなり決まった。規制緩和が進んでいないと日本などを批判していたアメリカは、一日にして変質してしまった。人々に「前のクリントン政権の方が良かった」などと言わせないためのブッシュ政権の策略なのか、クリントン自身も最高裁判所における弁護士資格を剥奪され、無力化されつつある。 今後、いずれアメリカは「戦争」を一段落させ、平時の状態に戻っていくと思われるが、もはやクリントン政権時代のような自由主義の絶対視は行われず、自由経済が戻ったとしても、それはセキュリティを重視したものになるに違いない。 こうした状況は、インターネット上に次々とコンピューターウイルスがばらまかれる状況下で使うパソコンのソフトウェアは、ウイルスが登場する前のソフトウェアよりもセキュリティが強化されているのと似ている。セキュリティが甘いプログラムを使い続けている人は、それ自体がネットワークを破壊する行為に荷担していると非難されかねない。 同様に、アメリカではFBIがアラブ系国民など千人近い人々の身柄を拘束し、大規模テロ事件の関連で調べているが、その名簿すら発表されず、弁護士もついているか分からない状態だ。だがそれを批判すると「テロに荷担している」と非難されかねないので、アメリカのマスコミは沈黙している。 コンピューターウイルスも国際テロネットワークも、アメリカの自由主義を世界に拡大するための政策戦略だったグローバリゼーションの「負の申し子」として拡大し、自由主義や自由なネットワークを破壊・妨害する存在になったという点で同類だ。国際テロ組織にどう対応すべきかを考える際、コンピューターウイルス対策の理念が応用できるかもしれない。 ▼事実の見極めが難しい中で また、9月11日のテロ事件は「何が事実なのか」が確定しないと善悪の判断をつけられない既存のジャーナリズムの思考を無力化させる事態も招いている。 米当局が「ビンラディンがテロの黒幕だ」と断定してアフガニスタンへの軍事攻撃を開始したが、良心的なメディアが「その断定は危険ではないか」と考えて事実を検証しようと考えているうちに、当のビンラディンは10月14日、中東のテレビ局アル・ジャジーラを通じてイスラム世界の人々に「アメリカに対する聖戦」を呼びかけた。 そしてその翌日には、イギリスのブレア首相が、発言が下手なアメリカのブッシュ大統領に代わってアル・ジャジーラに急きょ出演し、ビンラディンが描いた「キリスト教徒とイスラム教徒の衝突」という図式を否定するのに躍起となった。 もはやビンラディンは、テロ事件の黒幕でなかったとしても、テレビ演説が中東の聴衆を動かし、英米の指導者を震え上がらせるほどの存在になっている。また米軍はアフガニスタンを空爆したものの、それがタリバン政権にどの程度の被害を与えたのか、米軍自身が測れずに困っているという記事もアメリカの新聞で見かけた。マスコミだけでなく米当局も「事実」と「事実ではないこと」の境目が見極められず、当惑している。 9月11日以降、日本やアメリカなどの新聞やテレビは、当局の意図に沿わない記事を載せない大政翼賛の傾向を急速に強めたが、このような情勢の中で最後に頼りになるのは、読者自身が「行間」を読んで判断するという行為であろう。 これは、自由主義ではない中国やロシアに住む人々は何十年も前からやっていることなのだが、それを冷戦終結から10年もたった今になって、社会主義に完勝したはずのアメリカや、そのアメリカにつき従うことだけを唯一絶対の外交政策としてきた日本の人々がしなければならないとは、歴史の皮肉としか言いようがない。
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