フィリピン民衆革命の裏側2001年7月9日 田中 宇フィリピンのグロリア・マカパガル・アロヨ大統領は、1960年代に大統領だったディオスダード・マカパガルの娘である。現在53歳の彼女は10代のころ、大統領だった父親と一緒に「マラカニアン宮殿」と呼ばれる大統領官邸に住んだことがある。 それから40年、彼女自身が大統領になり、再びマラカニアン宮殿に住むようになったのだが、さる5月1日の早朝、石や棍棒を持った数千人の群衆が官邸に突入しようとした際、この宮殿に以前も住んだことがあるという経験が役立つことになった。群衆が宮殿内に乱入した場合に備え、防弾チョッキを着た大統領は安全を求めて宮殿内の部屋から部屋へと渡り歩いたのだが、その際、彼女自身が宮殿内部の構造を熟知し、隠し通路などの存在を知っていたことが役立ったのである。 この話は、大統領の娘がまた大統領になるという「歴史の繰り返し」を感じさせるが、この事件は、実はもっと大きな「繰り返し」を意味していた。群衆がマラカニアン宮殿に突入し、大統領が失脚するというシナリオは、1986年にマルコス大統領が失脚した劇的な「フィリピン民衆革命」(アキノ革命)のストーリーと似ていたからである。しかもこれは、単なる偶然の類似ではなく、意図されたものであった。 ▼民衆革命を使って復活した旧支配層 フィリピンは、非常に豊かな数十の家族が、国土の半分以上の土地を所有しているという、支配構造のきつい国である。この構造は19世紀、フィリピンを植民地として支配していたスペインに利益をもたらすため、サトウキビ、タバコなどの商品作物を栽培する大農場が作られた時からのもので、大農場を所有する人々が、フィリピンの支配者となった。 この構造は20世紀に入ってアメリカの植民地になってからも変わらず、24議席からなる上院議員や、歴代大統領の多くは、この特権支配層と何らかのつながりを持った人々である。 1946年の独立後、この支配構造を壊そうとしたのが、1965年に大統領となったマルコスだった。彼は69年に再選を果たした後、自己の権力を絶対化しようとしたが、そのときに特権支配層から強い反発があった。反対勢力を潰すため、マルコスは1972年に戒厳令を敷いて独裁体制を作り、支配層の介入を許さなかった。 ところが1980年代に入って経済の停滞や政治腐敗が目立つようになり、1986年の大統領選挙で、国民は当選を宣言するマルコスを信用せず、対立候補だったアキノ夫人を支持する運動が巻き起こり、マルコスは亡命に追い込まれた。 この事件は、表向きは「民衆革命」と呼ばれているが、実のところ、かつての特権支配層が再び権力を取り戻す政変でもあった。軍の中には「民衆革命」の美名のもとに旧支配層が復活したことを嫌う軍人もおり、アキノ政権時代にはクーデターが絶えなかった。 アキノのあとを継いだ元軍人ラモスの政権が1992年から98年まで続いた後、元俳優のエストラーダが大統領に当選した。エストラーダは俳優時代、腐敗した金持ちの金を奪って貧乏人に配る「鼠小僧」や「ロビン・フッド」のようなヒーローの役をしていた。大統領に当選できたのは、貧しい人々がエストラーダに映画の中のような貧乏人のための活躍をしてもらえると夢見て投票したからだった。 彼は中産階級の出身で、特権層との関係が薄く、かつてマルコス政権の高官だった人々を登用するなど、アキノ政権以後、権力を握っていた特権層の支配とは一線を画す政治を行った。しかしその一方で、経済や外交の政策で失敗したうえ、公金横領や賄賂要求、愛人を豪華な家に住ませるなど、腐敗が目立つようになった。(反対派によると、複数の愛人との間の子供が合計10人もおり、60億円以上の秘密預金を持っているという) ▼腐敗反対運動の顔をした階級対立 エストラーダ政権の行き詰まりを見て、反エストラーダ派の人々は、昨年12月、大統領側近の1人が寝返って悪事を暴露する記者会見を行ったことをきっかけに、議会で大統領弾劾の裁判を起こすことに成功した。 エストラーダ政権の腐敗は、エストラーダ支持者でさえも認めるところで、今年1月中旬、大統領の秘密の銀行預金口座についての証拠資料が議会上院に提出された。しかし大統領側の政治工作により、上院では、証拠資料を入れた封筒を開封してはならないとする決議を僅差で可決し、証拠は葬られることになった。 ところが、これで大統領の首がつながったと思われた次の日から、エストラーダ政権の腐敗に反対する人々がマニラの街頭に繰り出し、大統領に辞任を迫るデモ行進を始めた。群衆は、1986年の民衆革命の中心地となったエドゥサ大通りに集まり「第2の民衆革命」を自称した。マニラに育っていた中産階級が、汚職を嫌って運動に参加した。 エストラーダを批判していた政治家やカトリック司教は、すばやく運動の流れに乗り、エドゥサ通りの近くのホテルに作戦室を置き「第2の民衆革命」というイメージを国民に持たせるための戦略を練った。何日かたつうちに、軍の一部がエストラーダを支持しないと表明し、やがて閣僚が集団で辞任し、最高裁判所が「エストラーダは腐敗しているので大統領を辞任せよ」と命じる事態となった。(フィリピンでは最高裁も政治闘争の道具だということを意味する) 反エストラーダ派は、副大統領だったアロヨを新大統領として担ぎ出し、軍や全閣僚がエストラーダに最後通牒を突きつける中、今年1月20日、アロヨが大統領に就任する宣言を行い、エストラーダは不承不承マラカニアン宮殿を立ち去った。反エストラーダ派は議会内の戦いでは勝てなかったが、街頭で「第2民衆革命」を演出することで、政変に成功したのだった。 この政変は、エストラーダの腐敗に注目するなら、腐敗を嫌う民衆が勝った物語として読めるが、フィリピン社会の階級対立として注目するなら、貧困層に支持されていた大統領が、特権支配層に中産階級が加わった反対派によって追い出された物語になる。 アロヨの大統領就任は、元大統領であるアキノとラモスも積極的に支持したが、エストラーダとマルコスが「反特権層」を掲げる勢力である半面、アキノ、ラモス、アロヨは「反腐敗」を旗印とした「特権層政治」の推進勢力であると見るならは、自然なことである。(特権層の方がスマートな政治をするので腐敗が表面化しないということか) ▼イメージ戦略に何度も使われる「民衆革命」 アロヨの弱みは、選挙を経て大統領になったのではないという点にある。彼女を大統領に押し上げた動きは、街頭では「第2民衆革命」だったが、政界内部の実態は、軍も参加したクーデターに近い事件である。逆に、エストラーダは歴代大統領の中で最も高い得票率で当選した人物だ。それなのに、民主的とはいいがたいやり方で辞任させられた。そのため、貧困層を中心とするエストラーダを支持する人々は、アロヨ新政権に反感を持っていた。 それが爆発したのが、4月下旬にエストラーダが逮捕された後の暴動だった。一度は選挙に勝たねば大統領としての正統性が主張できないと考えたアロヨは、5月中旬の総選挙で勝利すれば、国民から信任されたことになると主張して選挙戦に臨んだが、対抗するエストラーダ支持勢力もなかなか強力で、力は拮抗していた。 そのためアロヨは、エストラーダ派の力をくじこうとして、選挙まで2週間に迫った段階でエストラーダの逮捕に踏み切った。逮捕の光景をテレビで中継させた上、逮捕後は一般犯罪者と同様に扱った。この手荒なやり方に対して支持者が怒り、数十万人のエストラーダ支持者が、マニラの街頭に繰り出した。 群衆が集まった場所は、またも「エドゥサ大通り」であった。今度はエストラーダ派が、アロヨの不正義に反発して「真の第2民衆革命」を起こそうと動いた。5月1日の早朝、この記事の冒頭で紹介した、マラカニアン宮殿への突入が試みられ、軍隊と衝突して死者が出た。アロヨ大統領は非常事態宣言(反乱状態宣言)を出した。 この宣言には、裁判所の逮捕令状なしに、大統領の命令で誰でも逮捕することができ、最長3日間まで拘留できる権限がついている。アロヨはこの権限を使ってエストラーダ派の有力者を何人か「クーデターを企てた」として逮捕した。これらの策が功を奏し、5月14日の選挙では、アロヨの勢力が何とか勝つことができた。この選挙では、両陣営が敵陣の活動家を殺したり誘拐したりする事件が頻発し、双方で100人以上が死ぬという激しさだった。 ▼誘拐事件に軍も加担? このようにフィリピンでは半年以上にわたって政治不安が続いたため、混乱に乗じて犯罪が急増している。5月下旬には、イスラム教徒の反政府勢力が、西部のパラワン島のリゾート地から、アメリカ人を含む観光客20人を誘拐する事件が起きた。犯人グループ「アブ・サヤフ」はこの誘拐を、キリスト教徒中心のフィリピンからの分離独立を目指した「闘争」であると言っているが、政治闘争より、身代金を目的としている側面が大きい。 この事件では、犯人グループが誘拐した20人を乗せてボートで長距離を移動しているのに、その間、海軍や空軍が犯人を検挙できず、その後も犯人が人質を連れて軍隊の駐留地の近くまでやってきて教会に立てこもり、銃撃戦になったものの、軍はジャングルに逃げ込む犯人グループをきちんと追尾せず、見失っている。 犯人たちの挑発と、それに対する軍の無力さからみて、この誘拐事件には軍も犯人側に絡んでいるのではないか、とする地元雑誌の記事も出た。アブ・サヤフは昨年、隣国マレーシアのリゾートまで遠征して誘拐する事件を起こし、巨額の身代金を獲得したが、この際、身代金が犯人側に渡るまでの間に、軍や地元の政治関係者が身代金の一部を着服した可能性も、地元紙などで指摘されている。 首都マニラの政治が、謀略と腐敗に満ちた暗闘が続いている状態では、地方の軍や警察の士気が上がらず、腐敗したとしても不思議はない。
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