フィリピンは400年間の宗教戦争を解消できるか1996年8月2日 | |
フィリピン南部で400年間にわたり続いてきたイスラム教徒とキリスト教徒の戦争が、経済発展という共通の目標を前に、解消に向け正念場にさしかかっている。
フィリピン政府とイスラム教徒のゲリラ組織「モロ民族解放戦線」(MNLF)は6月23日、ミンダナオ島南部にイスラム教徒の自治区政府を作ることで合意し、暫定的な組織「南部フィリピン和平・開発委員会」(SPCPD)を設置することを決めた。 開発委員会の議長には、MNLFのミスアリ議長が就任することや、ミスアリ議長がラモス大統領の与党「ラカス」から自治区政府の知事選挙に立候補することも、双方で合意しており、いわばラモス政権が仇敵だったMNLFを政府の中に取り込み、ミンダナオ島の和平と経済開発を進めようとする計画となっている。 この和平合意の背景には、ミンダナオ島と、その南にあってマレーシアとインドネシア、ブルネイの領土であるボルネオ島、インドネシア領のスラウェシ島など、今はジャングルにおおわれ人口も少ないこの地域に、工業、観光、漁業などで成り立つ「東アセアン開発地域」を作ろうとの計画がある。昨年フィリピン、マレーシア、インドネシアが合意したこの計画を進めるには、MNLFとの和平合意が前提だった。 だが、最近の約30年間でミンダナオ島に入植したカトリック教徒たちは、すでに島内23州の大半で人口の半数以上を占めるまでに増えており、イスラム教徒に有利となる和平合意内容に激しく反発し、ラモス大統領が7月上旬、説明のために島内を回った際は、各地で抗議デモが行われた。 MNLFに対抗するため、カトリック教徒側も以前から武装しており、政府がイスラム教徒に有利な和平をこのまま実行すれば、今度はカトリック側から戦いが仕掛けられ、再び内戦の泥沼に戻ってしまうと予測する人々もいる。ラモス大統領は、カトリック教会の主要な神父や、ミンダナオ選出で和平に反対している国会議員などと頻繁に接触し、島内カトリック勢力の怒りを鎮めるのに余念がない。 フィリピン独立後、カトリック側が正当で、イスラム側は反体制という状態が長く続いたため、ミンダナオ島の各州、市政府のトップはほとんどがカトリック教徒で占められている。彼らが、今回の和平合意で権力を失ってしまうのではないかとの不安を持つのも、もっともな話だ。ラモス政権は「SPCPDは既存の自治体の権限を削ぐものではない」と説得している。既存の行政権限は従来の州や市の役所に残し、今後の広域経済発展政策に関してのみ、ゲリラ出身者が権限を持つSPCPDに任せようという二重権力構造を描いているのだが、住民の疑問は解けない。 フィリピン南部のミンダナオ島では、14世紀ごろからマレー系のイスラム教徒が住んでいた。16世紀に探検家マゼランの来訪をきっかけにフィリピンを植民地とし、フィリピン北部の人々をカトリック教徒に改宗させたスペインは、ミンダナオ島も支配しようとしてイスラム教徒と激しい戦いを続けたが、結局、ミンダナオを支配することはできなかった。19世紀末、米西戦争でスペインに勝ったアメリカがフィリピンの主となってもミンダナオを完全に支配することはできず、独立後、マルコス政権下でも戦いは続いた。 1972年にマルコス氏がフィリピン全土に戒厳令を敷き、ミンダナオのイスラム教徒に対する弾圧も強くなったため、同年にはリビアなどイスラム諸国の支援を受けて、ゲリラ組織MNLFが結成され、その後24年間に双方で約5万人が殺されるという、長く悲惨な戦いが続いていた。 76年に、マルコス政権のフィリピン政府とMNLFは、リビアの首都トリポリで、内戦集結に向けたトリポリ合意を締結した。その内容は、ミンダナオ島内の14州でイスラム教徒の自治区政府を作る機会を作るというもので、各州で住民投票を実施し、自治政府に参加するかどうかを決め、範囲を決定して自治区を作るというものだった。しかし、その後再び内戦が激しくなって住民投票は実施されないまま20年がすぎた。 トリポリ合意が実施されずに再び内戦に陥った後、マルコス政権はフィリピン中、北部からミンダナオ島への移民を増やす政策をとった。中、北部の人々のほとんどはカトリック教徒である。移民政策の理由は、北部のルソン島に比べ、ミンダナオは人口密度が低く、ジャングルなど開墾の対象地が多かったこともある。だが政治的な理由としては、ミンダナオにカトリックが増えれば、トリポリ合意でうたわれていた、各州での住民投票でマルコス政権側が勝つことができるということがあった。 今回の和平合意は、トリポリ合意を基に作られている。まず今年9月に、MNLFの本拠地となっている島の西部4州で自治区政府の知事を選ぶ選挙を実施し、4州で自治区「イスラム・ミンダナオ自治区」(ARMM)をスタートさせる。この選挙には、MNLFのミスアリ議長が、ラモス大統領の与党、ラカスの公認候補として立候補することを表明している。 さらに、自治区の設立と前後して、平和維持と経済開発の監督を目的とするSPCPD(和平開発委員会)を作り、この議長にもミスアリ氏が就任することになっている。 和平合意は、インドネシアなどイスラム諸国で構成される「イスラム会議」(OIC)の承認もとりながら行われ、カトリック勢力の同意を得た後に、最終合意がジャカルタで締結されることになっている。ラモス大統領と、MNLFの後見人であるリビアのカダフィ大統領は、92年に秘密裡にトリポリで会合しており、カダフィ氏の意向として、フィリピン政府がOICの承認をとりながら和平合意を進めることを条件として出したものとみられている。 この時期に和平が進められている背景には、ラモス政権の任期が98年6月に切れることがある。フィリピンでは大統領の再選が憲法で認められていないため、改憲しない限り、任期はそこで終わる。自らの任期のうちに、この問題を解決したいという希望が、ラモス氏にはある。 ラモス氏は当選前の92年、選挙運動期間中に、すでにリビアの最高指導者カダフィ大佐に会いに行き、当選後のミンダナオ問題について話し合っている。ラモス政権は最初から、MNLFや共産主義ゲリラとの和平を進め、外国資本が進出できる秩序を作って経済発展を実現するという戦略を持っていた。 また、今年11月にはASEAN外相会談をマニラ近くの米軍基地跡で開催する予定になっており、国際社会の注目を浴びるその時までに、自治区での最初の選挙を実施し、ミンダナオ問題の解決を実現しておきたいということもある。和平路線がうまくいけば、外相会談の期間中にマレーシアやインドネシアなどとの間で、東アセアン開発地域の具体的な青写真について協議するはずだ。そしてその時は、MNLFのミスアリ議長も、SPCPD議長として、初めて国際政治の表舞台に立つというシナリオとなっている。 こうしたシナリオが実現するかどうかの鍵を握っているのが、ミンダナオ島のカトリック教徒の和平反対である。まだ、事態は流動的だ。
関連記事ミンダナオ和平の希望と不安イスラム教徒ゲリラの指導者を自治区のトップに据え、ミンダナオ島の内戦を終わらせて、フィリピンで最も貧しい地域を経済発展に導こうというラモス大統領の計画は、実行されつつあるが、不安材料も多い。その一つが、カトリック教徒の反発である。(97年1月19日) クーデターや政治腐敗、経済の停滞が長く続いていたフィリピンで、昨年あたりから経済成長が始まっている。経済全体の活況ぶりを示すGDP(国内総生産)の伸びは、1995年の一年間で5.7%から、96年は1−6月分だけで7.1%の成長となった。この成長率はアジアで最も高いものとなった。これまでマイナス成長に近い状態が続いていたことと比べると、大きな変化だ。 (97年1月18日)
|