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人道主義覇権の興亡 <1>

2026年8月6日   田中 宇

人権など「人としての尊厳」を重視し、抑圧や差別を敵視する「人道主義」は、欧州で16世紀から存在するが、人道主義を米英が覇権の道具として使うようになったのは第二次大戦後だ。
戦後、最初に人道主義が覇権の道具として使われたのは、敗戦した日独を裁くときだった。

英米(当時まだ米国は、英国から覇権を譲渡されたばかりの初心者)は、戦時中の誇張された英米側のプロパガンダを「事実」とみなす手法で、日独が極度に非人道的な戦争犯罪(人道犯罪)を犯したと断罪し、戦争に負けたドイツと日本に永久に極悪のレッテルを貼った。誇張を指摘することはタブー(大間違いとされる言動)になった。
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当時まだ英米の仲間だったソ連と中国は、日独の残虐な人道犯罪の被害にあいつつ勝った側、「正義」(連合国)の側であり、日独から戦後補償を受けられる立場にいた。
建国直前のイスラエルも、英米(とくに英国)にとって覇権運営を担当する諜報界の「元祖」として配慮(警戒と宥和)されていたので、ドイツはユダヤ人を弾圧した賠償として永久にイスラエルに土下座し続け、言いなりの資金供給をせねばならない立場に置かれた。
(米諜報界は英国が作った。英諜報界は古来のユダヤ人の諜報ネットワークを借用コピーして作った)
覇権の起源 : ユダヤ・ネットワーク

ドイツは英国にとって欧州支配の仇敵だった。英国は連合国を主導してドイツを東西分割した後で冷戦を起こし、分割を長期化させた。
加えて英国は、イスラエルがドイツを永久に非難し賠償請求し虐め続けられるようにした。英国は、諜報面でイスラエル(ユダヤ人)に借りがあるので、それを帳消しにしてもらうべく、イスラエルがドイツを永久に食い物にし続けられるようにしてやった。
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終戦直後は、英国から譲渡された覇権を多極型にしたかった米国(ロックフェラーなど多極派)の意志により、米英とソ中が仲間だった。
英国は、多極型を破壊して英国が米国を動かす単独覇権体制に変えるため、共産主義の脅威を強調・扇動し、価値観歪曲の諜報戦略を駆使して米欧の人々がソ連敵視になるよう仕向け、米英とソ中が恒久対立する冷戦体制に転換した。
冷戦初期は世界的に、共産主義に期待する左翼、容共的な人も多く、社会主義国が増える傾向だったので、共産主義の脅威(または魅力)は、ある程度本当だった。

だが1960年代になるとソ連も中国も計画経済が失敗して経済難になり、1953年にスターリンが死ぬと、後継のフルシチョフは米国との緊張緩和・平和共存を求めた。
米大統領のケネディも呼応し、ソ連との和解を模索した。英国系(冷戦派)の米諜報界が画策してキューバ危機を誘発したが、ケネディに乗り越えられてしまった。諜報界は、冷戦継続のためケネディを殺さざるを得なくなった。
その後もソ連の弱体化が進み、東欧の人々が反逆し始め、平和共存派のフルシチョフが失脚し、人々の自由化要求を許さないブレジネフが強硬路線を再強化し、1968年のプラハの春などを弾圧した。
中国も1960年代に毛沢東が文化大革命を起こし、ソ連も中国も内政が大変になって共産主義の拡大どころでなくなった。英国系(冷戦派)は、ソ中などの共産主義の脅威を強調するかたちの冷戦構造の維持が困難になった。

代わりに冷戦派が思いついたのが、人道主義の覇権戦略だった。ソ連も中国も、政府が人々の自由や尊厳を弾圧する非人道的な策を続けていた。
米英は、人道を踏みにじる政権が続く限りソ連や中国(やその他の東側諸国)を許さず、経済制裁を続け、政権転覆を試みる市民運動などを支援する姿勢をとり始めた。
日独を永久土下座させていた人道主義は、ソ中を許さず冷戦構造を維持する策に変身した(日独はその後も永久土下座している)。

その後ソ連はさらに衰退し、1985年からのゴルバチョフは、ソ連を改革して米英が求める人道重視の体制にするから米国側と和解したいと言い出して改革(ペレストロイカ)を進めた。
弾圧や抑圧を解いたので統制が崩壊し、人道主義の体制が定着する前にソ連と東欧が国家ごと瓦解して冷戦体制が終わった。

冷戦構造を終わらせて世界を多極型に戻すことは、米国の多極派にとってヤルタ会談以来の「夢」だった。冷戦構造は、英国が諜報界を通じて米国を支配する構図でもあった。冷戦終結で、米国が英国系のくびきから離脱できるかに見えた。
しかし、英国系は先回りしていた。米英覇権を維持するための基盤は、米ソが敵視し合う冷戦から、米国がソ中などを非人道的な策を理由に永久に敵視制裁し続ける人道主義に転換してあった。
多極化の目的は世界の安定化と経済成長

英国系による人道主義は、米国の多極派をも縛っていた。ロックフェラーなど多極派は現実主義者とも呼ばれていた。
人道主義は非現実的な理想主義であり、現実的な立場に立つなら、中共やソ連が人権抑圧する共産主義者であっても米国の仲間として支援し、米英単独でなく、ソ中など他の諸大国にも協力してもらって世界を運営した方が米国の負担も減るし安定する、という考え方だ。
多極派(ロックフェラー系)のニクソンやキッシンジャーは、現実主義の立場を取り、1972年の米中和解、1978年の米中国交正常化を引き起こした。
その後、トウ小平の中国は「改革開放」で経済を市場化して高度成長を始めた。現実主義者(国際資本家?)の目的は中国の高度成長の誘発だった。

しかしここでも英国系の米諜報界は、中国の民主化運動を誘導してこじらせて1989年の天安門事件につなげ、人々を弾圧した中共を、人道主義に基づいて米国が経済制裁した。
米英はその後、チベットやウイグルに対する中共の弾圧を理由に、中国を経済制裁し続けた。多極派は、人道主義覇権を振り回す英国系に縛られ続けていた。
多極派は、人道主義を無視していると言われたくないので、多極化への努力を、別の理由をつけつつこっそりやるようになった。多極派は「隠れ多極主義者」になった。
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冷戦後、ロシアでは英国系の勢力である新興財閥群(オリガルヒ)が民営化を使って国家経済を食い物にして混乱と経済低迷を長期化させた。混乱する弱いロシアは脅威でないので米英に無視されていた。
2000年に露諜報界出身のプーチンが大統領になり、オリガルヒたちを退治してロシアを再建し始めた。オリガルヒの多くがロンドン(やイスラエル)に亡命した。
すると米英(英国系)はロシア敵視を再開し、グルジア(ジョージア)やウクライナをけしかけてロシアと対立させ、ロシアが反撃したり対策を打つと人道主義に基づいてロシアを敵視制裁した。
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2008年の南オセチア紛争や2014年のクリミア併合が、この例だ。いずれもソ連崩壊による事態の複雑化を米英が悪用し、歪曲的にロシアを悪者にしている。
ウクライナはかつてソ連の一部であり、クリミアのセバストポリにはソ連最大の海軍基地があった。クリミア住民の大半はロシア人だったが、フルシチョフがクリミアをロシア領からウクライナ領に編入した。
ソ連崩壊後、セバストポリ基地はロシアのものになった。ウクライナがロシアと良い関係であることを前提に、クリミアはウクライナ領のままだった。
米に乗せられたグルジアの惨敗

2014年に米英がウクライナをけしかけてロシア敵視を強めさせ、ロシア本土とセバストポリ軍港との交通をウクライナが遮断しそうな流れになった。
ロシアは、前提が崩れたと判断し、クリミアで住民投票を行ってウクライナからの分離独立とロシア併合を可決させ、クリミアを併合した。
米英はロシアをG8から追い出して経済制裁した。この流れの先に2022年のウクライナ開戦がある。ロシアがウクライナに侵攻したのは、ウクライナ軍に弾圧されたウクライナ東部のロシア系住民(ロシア人)を守る「邦人保護」のためであり、正当防衛だった。
ウクライナ戦争で最も悪いのは米英

英国系による人道主義の覇権戦略は、ほとんど常に、各地の政治状況を意図的に無視・歪曲した策略に基づいて行われている。
人道主義自体は悪くない。人道主義を歪曲的に使って覇権運営しているのに、それを人々が無誤謬で良いことだと軽信させられているのが問題だ。歪曲とか軽信に気づく必要がある。
気づいた上で、まあそんなもんだろうと思うぐらいが良い。歪曲や軽信に延々と気づかない人々のことを、リベラル派とか左翼という。

人道主義の覇権戦略は、2001年の911事件後に崩れ始める。911事件や「文明の衝突」は、イスラエル(リクード系)が英国系を追い出して米諜報界を乗っ取る流れの始まりだった。
リクード系は、米国の多極派に招かれて911を起こして米諜報界に入り込んで乗っ取ったと考えられる。ここからが「人道主義覇権の興亡」の「亡」の始まりだ。

イスラエルと諜報界の関係を説明するには、中世の宮廷ユダヤ人や古来の貿易ネットワーク、大英帝国とロスチャイルドまで戻らねばならない。
せっかく日独敗戦からクリミア併合まで(もしくはヤルタからセバストポリ。地理的にはバスで2時間だけど)延々とたどってきたのに、また宮廷ユダヤ人やコロンブスまで戻らねばならないとか。溜息。
これを書くにあたり、すでに2本分の記事をボツにしている(それらも仕立て直していずれ配信したいが)。頭を切り替えるために、いったんここで配信する。



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