印度に来た
2024年2月2日
田中 宇
印度に来ている。取材でなく、趣味の一人旅だ。「世界一安い」と自称するベトナムの格安航空会社ベトジェットエアで、東京から片道3万5千円でタミルナード州のティルチラパリに飛び、印度国鉄のアプリで列車を予約したりして、マイスール、コーチン(コチ)、コラム、バルカラ、カニャクマリ(最南端)、マドライ、タンジャブール、トランケバル(タランガンバディ)、チダンバラム、ポンディシェリ(プドチェリ)と、海沿いを回ってきた。印度の列車は、300km乗って空調寝台1500円・自由席300円と超安値だ。
今日は旧仏領のポンディにいる。田舎は酒が存在しないが、ここでは酒屋の瓶ビールが250円から。有名パン屋のクロワッサンは日本に近い額なのでやめた。明日チェナイから帰国便に乗る。
(ベトジェット)
(印度国鉄の予約サイト)
もともと私は貧乏旅行が好きで、旅行しながらできる仕事はないかと思って記者になった(実際は、記者クラブや毎年変わる自分の担当に縛られ、無意味な特ダネ競争を強制される、事前の印象と正反対の仕事だったが)。
「ジャーナリズム」は「現場主義」を標榜するが、記者(フリー含む)が取材する「現場」の多くは、あらかじめ善悪が定められた軽信誘発構造が多く設置され、そこを巡礼して軽信記事を書くだけだったりする。現場周辺で違う方向の話を見つけて書いても、編集者にボツにされる。
「現場」は無数にある。そのうち「売れる現場」はわずかで、記者は皆そこに行きたがる。それ以外の「無価値な現場」で見聞した話を面白い文章にできるのが、真の執筆職人のはず。しかし「何が面白いか」自体が管理されている。
現場主義と、ジャーナリズム全体が以前から茶番だったが、近年ますますひどくなっている。コロナ、温暖化、ウクライナ、差別糾弾・覚醒運動。放射能やウイルスの危険さの啓蒙、逆にワクチンの危険さの啓蒙も??・・・。茶番に気づかない人がジャーナリストを名乗る。
(1999年のホットワイヤードの記事)
そもそも、戦争の真の現場は戦場でなく、ワシントンDCとかクレムリンや中南海などの政治中枢である。政治中枢の動きを分析するには、ゼロヘッジやRTからNYT・WSJまでの記事をネットで読み漁るのが良い。その結果、要するにこういうことでないかと感じたこと(洞察)を書く。そっちの面白さは25年ぐらい満喫してきた。
イラク戦争の失敗確定後、国際政治は中枢での暗闘が激化し、隠れ多極主義的な動きや、マスコミの情報歪曲も大きくなった。暗闘の状況は見えにくく、明確な根拠をつけた記事にできない。現場取材では本質がわからなく(書けなく)なった。対照的に、洞察手法なら多極化を予測できた。ずっと陰謀論扱いされ、現場に行かないからダメなんだと頓珍漢な批判を受けているが、浅薄な批判者ほど私の記事の熟読がうかがわれたりして笑える。読まなくていいのに。
それは良いのだが、私がもともと国際情勢に興味を持ったのは貧乏旅行が発端だ。国際情勢解説は、貧乏旅行から発祥した余興だ。そのため最近、国際情勢解説と切り離すかたちで再び貧乏旅行に行くようになった。
今の貧乏旅行が昔と違うのは、スマホがあることだ。飛行機の予約、eビザの取得、鉄道やホテルの予約、飲食店メニューの表示、二輪・三輪・四輪タクシーの料金確認と予約、歩いている現在地の確認と地図、バスの接近情報、案内板や行き先板の翻訳、翻訳アプリ利用の会話など、昔は苦労したいろんなことが簡単にできる(コツや限界を把握する必要があるが)。
スマホは、貧乏旅行を手軽なものにした。常に現在地を把握でき、道に迷わなくなった。通り抜け可能な細い路地もわかる。現地の人みたいに歩ける。これは画期的だ。ロシアのヤンデックス地図や、国によってはグーグル地図でも、今いるバス停からの全路線を表示できる。
行き先表示がタミル語だけのローカルバスも、スマホのグーグルレンズの翻訳で行き先を確認できる。近くの人に尋ねるのが早いが、自分の地名の発音が悪くて通じなかったりした。
スマホは、難行苦行だった貧乏旅行を楽しい旅にした。素晴らしい。行かない手はない。
(貧乏旅行と言っても、最近はインフレと円安で、印度ですら、日本の貧乏人が楽に旅行できると言えなくなった。三輪タクシーは、少し乗るだけで200-300円かかる。安宿も、水シャワーでエアコンなしでも2000円はする。いまだに安いのは公共交通と、庶民用の食堂だけだ)
印度のプリペイドのSimカードも、Simと書いてある店で簡単に買えた(前は大変だったらしい)。現地Simが手に入らない場合はネットでローミングのeSimを買ってダウンロードできる。アハモもコスパが良い。ただし、印度の携帯会社へのローミングが切れて使えなくなることが頻発し、現地Simを買った。
スマホと最小限の衣類、日ごろの執筆用具だけあれば、世界を放浪しつつ、今いる場所と無関係な(または関係ある)国際情勢解説を書いて配信できる。前回のトランプ主義の記事は、コチ(コーチン)の潰れそうな安宿で書いた。
2階の廃業した食堂のホールが良い感じで、道行く人々を眺めながら一気に書いた。夕方になり、早く外をうろうろしたいので、適当に記事を切り上げてしまった。執筆後、観光地になっているコチのユダヤ人街に行ってみた。印度、トランプ、イスラエル。無関係なようで、微妙につながっていたりする。
(トランプ主義を機関化しリベラルエリート支配と戦う米共和党)
昨年はロシアに3回行った。ベトナムやラオス、インドネシアも行った。そして今回は印度に来た。BRICSだから表敬訪問しておこうと。学生以来40年ぶりに来た。学生時代は北印度だけ。南印度は初めてだ。世界最安値を誇るベトジェットがベトナム乗り換えで印度各地に飛ばしており、最も安かったのがティルチラパリ(トリッチー)だったのでそれにした(がらがらだった)。ホーチミンの乗り継ぎで6時間待ったが、その間に仕事したので有効利用した。
一応事前にロンリープラネット(英文ガイドブック)の印度版をダウンロード購入して目を通した。印度は犯罪が多く、タクシーに乗ると見知らぬ場所に連れて行かれて強盗されるかもと書いてあった。私がトリッチーで入国したのは23時で、鉄道駅に着く前に強盗されるかと恐れたが、全くそんなことはなかった(空港のタクシーカウンターは400ルピー=800円で高かったが)。
その後の旅程でも、怖い思いは一度もしていない。強引な客引きもいない。喜捨を求めてくる人はいるが、お断りするとしつこくない。印度は安全だ。人々の生活に余裕が出てきて、昔より温和になった感じだ。
(Lonely Planet)
夜中の駅前は、村から出てきて翌日の列車を待つ人などがたくさん寝ていた。しかし、物騒ではない。どこの駅もそうだ。印度国鉄アプリで予約した駅の宿泊所で仮眠し、未明の列車で旅行を開始した。トリッチーは巨大なヒンドゥー寺院で有名で、岩山の寺もある。南印度を一回りした後、戻ってきて巡礼した。石畳を裸足で歩き続けねばならないので拝観は大変だ。途中から、他の外人客を見習って靴下を履いた。ヒンドゥー教はたぶん本質的に、明治以前の日本の信仰に近い。
列車やバスが超安値なので、寝台車は2週間前ぐらいに完売しがちだ。二等席(2S、UR)は6時間(300km)乗って300円(150ルピー)(簡易寝台SLは450円、空調寝台3Aは1200円)。ニューデリーまで2500kmが簡易寝台(SL)で1500円(3Aは4000円)。質素な定食が60-100円、炊き込み鶏飯(ビリヤニ)200円という物価の中で、列車は貧しい人でもわりと気軽に乗れる額なので、超満員なことが多い。
二等席は予約不要の自由席(UR=UnReserved)もあるが、20-23両編成の急行でURは2-3両しかついておらず、超満員になるので長距離は厳しい(他の車両は簡易SLと空調3Aの寝台など)。ローカルバスも1km1ルピーぐらいで安く、みんな気軽に村から街に出るので、本数が多いのにバスも超満員だ(少なくとも南インドでは)。
印度国鉄の予約用ウェブ( https://www.irctc.co.in/ )もしくはアプリ(IRCTC Rail Connect)なら、印度に行く前に予約しておける。駅の窓口は大行列なことが多いので、印度人もアプリで予約し、スマホ画面を車掌に見せている。印度は指定席の切符が記名式なので、多くの場合、乗車後にやってくる車掌に名前を告げれば良いだけだ。
印度国鉄アプリは、登録時に携帯電話番号が必要で、以前は印度国内の携帯番号でしかSNS認証が通らなかったが、近年は外国の番号でもできる(印度はいろんなアプリの登録に国内携帯番号での認証が必要で、外国人にやさしくない)。国鉄アプリは、日本の携帯番号にSNSが届くまで、毎日再送し続けて1週間かかった。国際SNSは費用がかかるので自動でなく、1週間に一度の手動バッチ式とかで処理しているのだろうか。
前に行ったロシアも同様だったが、鉄道予約アプリが使えることで、旅行が格段にやりやすくなる。事前に列車運行の時刻がわかり、旅程が立てやすい。ロシアでは、何番の寝台にするかまで自分で決められる。印度国鉄アプリでも、寝台の上中下段のどれにしたいか希望を出せる。希望どおりになるかどうかは決済後にわかる。
(ロシアは印度ほどでないが鉄道が安い。ロシア国鉄は印度国鉄より整備され清潔で、運行も正確。速度は印露とも時速100キロまでしか出さない。北印度には高速列車があるかも)。
私が好きなのは、線路と並行についているサイド寝台の下段だ。窓からの眺めを独り占めできる。空調寝台2Aや3Aは、窓が開けられないすすけたガラスだが、簡易寝台SLは鉄格子があるだけで外がよく見える。乗り鉄お宅には至福だ。日本は狭軌なので列車幅が狭く、サイド寝台がない。
印度国鉄はローマ字2-3文字の迷宮だ。列車の等級は1A 2A 3A SL CE CC 2S URなどにわかれている。等級と別に、車体につけられた何号車みたいな番号もあり、2A寝台はA1 A2 A3、3A寝台はB1からB6まで、SL寝台がS1-S4、2S席がD1からD4までの号車番号だと、編成表に書いてあったりする。20-23両編成で長いので、事前に乗る場所を把握していないと自分の席にたどり着けない。5桁の列車番号を入力して事前に編成表を見て、駅のホームにある前から何両目という番号表示と照らし合わせ、自分の待つべき場所を把握する。これをやらず、適当な場所で待っていると乗り遅れる。東海道新幹線は16両編成だ。23両編成はすごい。これを一台の電気機関車で引っ張っている。
(Coach Positiion)
印度の列車はよく遅れる。7時間遅れとか。1時間遅れは普通だ。だから、列車が今どこを走っているか調べるサイトやアプリがいくつも存在する。自分が車内にいる時はその旨を登録する。乗客のスマホのGPS情報をアプリが集め、各列車の現在位置の精度を高めているらしい(印度国鉄が列車の現在位置を公開しているのかどうか不明)。
列車の遅れについては落とし穴がある。1時間近く遅れると表示されていたので駅前食堂でご飯を食べつつ、15分後にふと見ると、5分後の到着に変わっている。よく見ると、手前の駅との間が3キロしかないのに、そこを50分かけて走ることになっている。3キロは5分で走れる。残りの45分は「追いつくための余裕」として用意されているのだろう。
この手の余裕時間は、都市の手前に作ってある。早く着きすぎるとゆっくり止まっている。早く着いたのに、予定より遅れて出発とか。そして、次の都市の手前でまた追いつく。印度国鉄は趣きが深い。
(Train Status)
(Live Train Status)
印度のすべての駅には2-4文字の短縮表記がついている。私が回った駅を列挙すると TPJ KJM SBC MSY ERS ALLP QLN VAK TVC CAPE MDU SRGM TJ CDM PDY MS になる。短縮表記は、英領印度の遺産を思わせる。
印度の小都市より大きな駅には、荷物預かり所(1日30円)と、切符保有者用の宿泊所(Retiring Room)がついている。深夜に着いても、そのまま駅の宿泊所で寝られる(12時間3000円とか、ドミトリー3時間600円とか)。2-3日走り続ける長距離列車が多いので、街によっては深夜や未明に多くの列車が通り、未明の便しか席がなかったりするので、宿泊所が便利。切符と連動してネット予約できる。預かり所に荷物を預け、次の列車まで街をうろうろする、三輪タクシーで近くの寺まで行く、みたいな旅ができる。寺の門前も、荷物(と靴)を預かってくれる。
(IRCTC Retiring Room)
通常の切符の他に、前日の朝10-11時に販売開始される3割増しのタトカル(Tatkal、即時券)や、もっと高価なプレミアムタトカル、キャンセル待ちの券もある。何人キャンセル待ちしていて、何%の確率で買えるか、ネットで表示される。
列車がダメな場合、エアコンの特急バスや寝台バスもあるが、列車の2A寝台よりも高いので馬鹿馬鹿しい。ローカルバス(村人用)とエアコンバス(都会人用?)で値段が5倍以上違う。夜行寝台バスも乗ったが、高速道路でないので揺れがひどい。列車の方がはるかに快適だ。
(Redbus)
自由席しかないローカル列車もあり、それらは予約用の国鉄アプリに載っていない。全列車を検索できるウェブがある。予約用アプリだけ見て、何時間も列車がないじゃんと思っていたら、その間にローカル列車があったりする。ローカルといえども11両編成だ。急行で、翌朝まで走るのもある。私が乗った(MDJ-TJ)のはわりと空いていて快適だった。
(全列車検索サイト)
実際の旅行記に入る前に、印度国鉄だけで1本になってしまった。つまらないと思った方、ごめんなさい。国鉄以外の話で、まだまだ書きたいことがあるが、面白くないか・・・?。
ヒンドゥー教と、神仏混合時代の日本の信仰が似ていたのでないかと、寺院を巡礼して思ったこととか。17世紀のデンマークが作った港の要塞の街トランケバールに、ローカルバスを乗り継いで行ってみたこととか。
ロシアについても書ける。12月のロシアの帰りに行ったアルメニア訪問記とか。10月の綏芬河や黒河の中露越境とか。
印度は「正式国名」をバラート Bharat にした。バラートは独立以来、印度の正式名称だったが、最近まで、英語名のインド India をそのまま使っていた。印度政府は最近、国際会議での国名をバラートに変えた。私はてっきり、印度政府が世界の人々に「バラート」を強要したのかと思ったが、そうではないようだ。
バラート、と書いても日本人のほとんどは理解できない。そのため私は漢字の「印度」を使うことで、これは日本語としての表記だから印度人が自国をなんと呼ぶかに関係ない、と言えるようにしている。
私は印度の呼び方について配慮したのに、私がダウンロードした印度のeビザの申請書には、どこにもバラートと書いてなかった。すべてインド(India)と書いてある。入国時に押されたスタンプにも INDIA としか書いていない。印度に来てからバラート Bahrat とローマ字で書いてあるのを見たことがない。
印度のいろんな都市の名前も、ここ数年で変わったが、地元の人々は前の名前をそのまま使っていたりする。もともと英語を使う時の呼び名と、タミール語など現地語を使う時の呼び名が違っており、英語で話す時は英語の呼び名を使うということか、とも感じた。
(eVisa申請サイトのURL自体がindian visa online)
これらの名称問題は要するに、英国(が傀儡化してきた米国側の覇権勢力)に対する、印度からの突き返しなのだ。国や都市の名前を勝手に英語っぽく名づけた大英帝国とその後継者たちを困らせるために、あえて現地語の名前を正式化し、国際会議などで米国側にバラートと呼ばせている。国際会議用の国家名なので、ビザの判子はインドのままで良いのだろう。
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