中国から迷い込んだ気球で茶番劇2023年2月12日 田中 宇中国が、米国の軍事施設を偵察するために太平洋を越えて軍事用のスパイ気球を飛ばしてきたと米政府が発表し、新たな米中対立になっている。中国政府は、軍事用でなく民間企業の気象観測用の気球が統制不能になって米国まで流されたのであり、意図的でもないしスパイ目的でもないと反論し、米国側が気球をスパイ用だと無根拠に決めつけて撃ち落としたことを怒っている。米国側の政府やマスコミは、中国の釈明をウソだと一蹴している。ブリンケン国務長官は予定されていた訪中を無期延期し、5年ぶりに米中が高官会談して仲直りする好機が消えた。米政府は、中国がロシアと結託していくのを食い止めたかったが、それはできなくなった。 (China Rejects "Shoot First, Talk Later" Attitude) 今回の気球は、中国まで飛ばせる大陸間弾道弾(ICBM)が格納してあるモンタナ州のマルムストローム空軍基地の近くを通っており、米軍基地をスパイするのが目的だったのでないか、などと言われている。だが実際には、米国のある地点を目的地として定めて、何千キロも離れた中国から気球を飛ばしてうまく到達させることは不可能だ。気球の移動は風まかせの部分が大きく、プロペラがついていて推進力があるといっても、強い風が吹いていると逆らって進めない。気球は高度を変えられるので、強い風が吹いてきたら風の弱い高度に移動すれば良いという考えもありうるが、他の高度でどういう風が吹いているかは、その高度に移動しないと正確なことがわからない。気球を遠隔操作するには電波による通信が必要だが、米軍は通信を妨害する機能を持っており、怪しい気球が米国に近づいてきたら妨害電波を出して統制不能に陥らせることができる。これらのことから、気球は風に流されているうちにたまたま米軍基地の近くを通っただけだと言える。 (US Surrounds China With War Machinery While Freaking Out About Balloons) 米軍は1月28日に気球がアラスカの米国領空内に入った時点で気球の飛来に気づいたが、軍事的な脅威でないとみなして放置した。中国方面から統制不能になった気球が風に流されて飛来することは珍しくないからだ。気球はそのままカナダから北極海に抜けて米本土に近づかないと、その時点で予測されていた。だが当時カナダ上空には、北米大陸に大寒波をもたらした「極渦」と言われる強い低気圧が存在しており、気球は低気圧の反時計周りの渦に巻き込まれる形で南に放り出され、米本土のアイダホ州やモンタナ州まで南下して米国を横断するルートに入った。アラスカの米軍当局は、気球が極渦に巻き込まれて米本土まで南下することを予測していなかった。 (From China to Big Sky: The Balloon That Unnerved the White House) 地元の米軍が気球のコースを予測できなかったのに、遠くの中国当局が何日も前から気球のコースを正しく予想して飛ばした、などということはありえない。低気圧の状況と、それが気球にもたらす影響を正確に予測するのは不可能だ。気球を何千キロも飛ばして目標の場所に行かせることなどできないことが、この例からもわかる。第二次大戦で日本が米国に向かって飛ばした風船爆弾も、ほとんどうまくいかなかった。米国の爆撃機が日本各地の諸施設を正確に破壊し続けて日本を降伏させたのと対照的だった。 (The Biden Administration is Lying About the Chinese Balloon) 米軍にとって脅威でなかった気球が「中国が米軍基地をスパイするために送り込んだ軍事用気球」に変わったのは、気球が米本土の上空を何日も移動し、各地で目撃されて存在が報じられ、一体何の気球なのか米政府が発表せねばならなくなってからのことだ。最初のアラスカ飛来時に米軍が気球を脅威でないとみなして放置した判断が間違いだったかのような話になった。しかし、すでに書いたように、中国の気球がモンタナ州に飛来したのは低気圧に巻き込まれたことによる偶然の結果であり、中国のスパイ気球の意図的な飛来ではない。 (An Overblown Balloon Headline Inflates False Narrative on China) 敵国スパイ用として気球は軍事衛星より安上がりだろうが、気球の効率は衛星よりはるかに悪い。しかも気球は、今回のようにすぐに見つかってしまう。中国が米軍をスパイするために気球を使うことはない。「スパイ気球」の喧伝は、米国側マスコミが「上」から命じられてやっている(下手くそな)中国敵視策としての意図的な誤報である。 (China balloon: Could it have been blown off course as Beijing claims?) 気球には監視カメラが取り付けられ、カメラや送信機の電源として大きな太陽光パネルもついていた。通信傍受機能もあったという。やっぱりスパイ気球じゃないか、という話になる。しかし、これも違う。気球のカメラや送信機がうまく機能して撮影した映像データを電波に乗せて中国に送信しても、米軍に妨害電波を出されて阻止されてしまう。中国もそれはわかっているはずだから、そもそも気球を米国に送り込むという馬鹿なことをしないはずだ。 気球が中国のものであることは、中国政府も認めている。だが中国政府は「気象観測用の気球」だと言っている。気象観測用なら、気温や風速などの測定器だけで良いので装置や電源が軽量化でき、気球自体が今回のものよりも小さい。今回の気球は多分、気象観測用でない。中国政府はその点でウソを言っており、だから中国政府は気球の詳細も発表せず、国内用の気象観測気球が風に流されて米国まで行ってしまったという中国側の弁明を立証できず歯切れが悪い。 (US to ‘Explore’ Retaliation for Balloon Flyover as White House Alleges Vast Chinese Spy Operation) 気象観測用でないなら、何の気球だったのか。私の見立ては、今回の気球が、中国国内で警察など治安当局が、上空からの交通の監視や電波通信傍受用に飛ばしていた国内監視・治安維持用の気球だったのでないかというものだ。中国国内のどこかの上空で住民監視用に運航されていた気球が、気候の急変や装置の故障によって流されて統制不能になり、気流に乗って米国方面に飛んで行ったのでないか。軍事と並び、国内治安維持や国民監視の分野も、システムを国家秘密にしておかねばならない。だから中国政府は、気球の正体を正確に発表できず、民間の気象観測気球だとウソを発表せざるを得なかった、とか。考察していくと他の見立てもありそうだが、全体として、カメラや通信傍受機能がついていたからといって「中国が軍事スパイ気球を意図的にモンタナ州の米軍基地上空まで飛ばしてきた」という米国側の主張が立証されるわけではない。無人の気球を遠くの目的地に正確に飛ばすことが不可能な以上、米国側の主張はインチキくさい。 (FBI Says Possible 'Criminal Charges' Over Chinese Balloon Components) 米国の上層部(諜報界)は今回、傘下のマスコミも動員して、迷い込んできた中国の気球を軍事スパイ用だと誇張して騒動をでっち上げ、気球を撃墜して中国との対立を扇動した。こうした一連の動きが米国の国益に貢献するなら納得できるが、実際は正反対だ。米国が中国を脅威と思うなら、中国が米国にとってもう一つの脅威であるロシアと結託していかないよう、表向き中国と友好な関係を醸成して中国を米国の味方につけておく必要があった。だが米国は、今回の件に象徴される浅薄な中国敵視の騒動を繰り返し、中国とロシアが米国を共通の敵として結束することをむしろ誘発し続けている。ブリンケン訪中が中止され、米中関係は友好から遠ざかる一方だ。気球事件は中露結束を誘発する隠れ多極主義的な動きになっている。 (China Refused US Request For Phone Call After Spy Balloon Shot Down) (Overreaction to Balloon ‘Snafu’ Shows US Incapable of Dialogue With China, Ex-Diplomat Says) 数年前までなら、米国側(米欧日)のマスコミでも、気球の軍事利用には無理がある(だから今回のはスパイ気球でない)という適切な分析が出てきて歪曲報道を修正し、中国敵視を希釈・抑止していただろう。だがコロナ危機開始以降、米国側のマスコミは諜報界の言いなりで、歪曲報道のプロパガンダだらけになった。今回の気球事件でも、スパイ気球でなさそうだと正しく指摘する報道はほとんど(もしくは全く)なかった。日本を含む米国側のマスコミは完全に麻痺して機能不全に陥っている。この状態は今後ずっと続く。 (NYT Plants False Claims Over China's Balloon Communication) 各種用途の気球は、一定の割合で風に流されて統制不能になる。中国だけでなく、世界各地で毎年たくさんの気球が流され、迷走している。それらが他国の領空に入り込むことも多いが、各国とも、他国から迷走してきた気球を見つけると、注視しつつ(もしくは注視すらせずに)迷走の継続を黙認している。中国など他の諸国の気球が米国や日本に迷い込むことはこれまで何度もあったが、黙認・無視されてきた。それで問題なかった。それが今回の歪曲されたインチキな気球騒動の渦中で「これまで黙認・無視してきた政府はけしからん」とか「次に中国の気球が入ってきたらどう撃墜するのか」みたいな非常識・頓珍漢な主張が乱発されている。けしからんのは米日の政府でなく、(意図的に)頓珍漢で間抜けなマスコミや「専門家」(とその軽信者)たちの方である。 (After Ordering Shootdown, Biden Casually Says China Spy Balloon "Not A Major Breach")
田中宇の国際ニュース解説・メインページへ |