他の記事を読む

中国に非米化を加速させ米覇権衰退を早めたペロシ訪台

2022年8月11日  田中 宇 

8月2-3日に米議会のペロシ下院議長が台湾を訪問し、蔡英文大統領(総統)らと会った。だが、ペロシ訪台は米国にとって利得がなく害悪だったと、帰国後に米国などで批判されている。一見するとペロシ訪台は、台湾を応援しに行き、中国(中共)が台湾を併合することに反対を表明したように見える。だがペロシは訪台後、自分の訪台が「一つの中国」を否定するものでなく、米国は今後も引き続き「一つの中国」の原則を堅持すると表明している。「一つの中国」は「北京の中共だけが中国の政府であり、台湾(中華民国)は政府・国家として認めない」とする姿勢だ。米国や欧英日豪など、すべての先進諸国が「一つの中国」を認めている(日本が一つの中国を認めていないという言説は事実でなく、間違った「妄想」だ)。「一つの中国」を認めると、台湾は中国の一部であり、台湾政府は正統な中国政府(中共)に反逆する不正な分離独立派だと認めたことになる。正統な中共が、不正な分離独立派である台湾政府を潰して併合するのは正しいことになる。 (Pelosi ‘was China’s dream’ – Trump

訪台したペロシは、民主的な台湾政府が独裁的な中共をはねのけて分離独立することを応援しに行ったように見えるが、ペロシ自身が「台湾応援・独立支援」を否定し、中共が台湾を併合する「一つの中国」の原則を支持し続けていると宣言している。米国政府は、1970年代に中共と国交を樹立して台湾を見捨てて以来、一貫して一つの中国を支持し、今回もバイデン政権がペロシ訪台の前後に一つの中国を堅持すると宣言し、ペロシに訪台するなと圧力をかけたと報じられている(ペロシは、バイデン政権からの圧力などなかったと言っているが)。ペロシは米国で3番目に強い権力を持つ下院議長だ(大統領、副大統領の次)。ペロシの言動は、米国を代表するとみなされる。ペロシの訪台は、米国が国家として台湾を支持して中共を否定したように見える。だがペロシ自身がそうでないと言っている。バイデンは反対したのにペロシの訪台を止めなかった。今回の件は、米国の外交的な信用を低めている。 (US still pursues ‘one-China’ policy, US Speaker Pelosi says

中共が「一つの中国」にこだわるのは、アヘン戦争から第2次大戦までの間に、英国が主導し、日本など他の列強も便乗して、中国を分割して永久に弱体化しようとした過去があるからだ。衰退しつつあった前覇権国の英国は、英国覇権が衰退していずれ中国など新興諸国が台頭して覇権が移転することを恐れ、先制的に中国を、相互に対立するいくつもの国に分割して弱体化・植民地化しておこうとした。英国は、中東やインド、アフリカ、中南米などを分割して弱体化したが、中国も同様に分割しようとした。新興大国だった米国は、戦前の諸大国の中で唯一、中国の分割に反対し、中国が単一の国家として発展して大市場になっていく(資本の論理的な)道を開いた。米国は、国共内戦を仲裁しようともした。だが、戦後に単独覇権国になった米国は英国勢に入り込まれ、冷戦を起こして中ソと対決する勢力へと変質した。米国は、内戦に負けて台湾に逃げ込んだ国民党政府を支持し、中共を敵視した。 (Real Taiwan crisis is only starting – WaPo

米国の中国戦略が再び転換したのがニクソンの時で、米中国交を正常化し、中国の発展を米国が支援する形に戻した。米国を信用し切れない中共は、米国(やその傘下の欧日など先進諸国)と和解するに際し、米国などが中共だけを支持し、台湾の国民党政府を見捨てることを求めた。中共は、国交を結ぶ諸国に対し、台湾だけでなくチベットや新疆ウイグルなどの分離独立運動も支援しないよう求め、中共の中国だけを支持するよう求めた。中国側には「米欧はいずれ再び中国を分割して弱体化しようとするのでないか」という懸念がある。それをしないと米欧に宣言させるのが「一つの中国」の趣旨だ。

1972年のニクソン訪中後、1979年に米中が国交を正常化するまで7年かかったが、これは米政界で、冷戦体制を維持したい冷戦派(英国系。帝国の論理)と、冷戦を終わらせて中国など東側を経済発展させたい勢力(隠れ多極派。資本の論理)が相克しており、冷戦派がウォーターゲート事件を起こしてニクソンを追放するなど政争が続いたからだ。最終的に資本の論理が勝ち、米中国交正常化と同時にトウ小平が中国を市場経済化(改革開放)して欧米の下請けとして機能させ始め、米欧日はその後40年以上、中国経済の成長で儲け続けた。米欧日は、中国の経済成長で儲けさせてもらう見返りに、一つの中国を支持した。

1980年代から最近まで中国は高度成長を続け、世界最大の製造業の拠点であるだけでなく、世界最大の消費市場になりつつあり、米欧日の企業は中国で儲け続けた。米欧日の政府は、この儲けがあるので、一つの中国に対する支持を捨てずに堅持し続けてきた。米国企業が中国で儲けているので、米政府は一つの中国を支持し続ける。ペロシ訪台によって、米国は「一つの中国を支持する見返りに得られる中国での儲け」よりも「一党独裁の中共を敵視し、民主主義の台湾を支持する」という姿勢を重視して一つの中国を放棄したのかと思いきや、そうでなく、米国は依然として一つの中国を堅持すると言っている。米国の「民主主義支援、独裁反対」の姿勢は、建前だけのカッコつけ、中国敵視の脅しにすぎないことが露呈した。 (Buchanan: Who Won The Taiwan War Games?

欧米日が「一つの中国」を認めない態度をとることは、中国から見ると、欧米日が再び中国を分割して弱体化しようとした戦前の策略に戻るようにみえる。欧米が「人権擁護」を口実に、チベットや新疆ウイグルの分離独立を支援することも、同様の中国分割の策略として中国には見える。中国は、共産党の強硬な独裁政治がないと国家としての統一を維持できない、政治的に弱い体質の国だ。中国人たちは経済大国になって強がっていても、自分たちの政治体質の弱さを知っている。だから欧米側が、一つの中国の否定を示唆する言動をするたびに、ヒステリックに反応する。それをわかった上で、欧米の強硬派は、中国側を怒らせる意図を持って、一つの中国を否定してみせる。ペロシの台湾訪問がその一つだ。共和党系のネオコンは以前、中国を9つの民主国家に分割した状態の地図を発表している。 (The Mess That Pelosi Made

▼民主化した台湾を使って中国を潰せたのにやらなかった1990年代の米国

台湾(中華民国)は1979年に米国に見捨てられたが、当時の台湾の独裁者だった蒋経国は、米国の親台湾勢力と相談し、民主主義体制の導入へと方向転換した。自分の後継者に台湾土着系(本省人)の李登輝を据え、李登輝が国民党の独裁に反対する野党への弾圧を弱め、1990年代に台湾を複数政党制に民主化した。この時期、ソ連が崩壊して東欧などが民主化され、中国は(米諜報界の冷戦派が入り込んで誘発した?)1989年の天安門事件で米欧から経済制裁されて困窮し、中共の権力者だったトウ小平は、米欧の批判を緩和するために集団指導体制など党内民主主義を導入したり、共青団など党内のリベラルっぽい勢力を重用したりした。これは中共が、台湾の民主化に対抗し、米欧からの敵視を回避するための演技でもあった。 (Pelosi’s Taiwan Visit Similar to the 1995-6 Crisis, But China’s Spent 25 Years Preparing for It

民主化した台湾は、国民党独裁時代の「大陸反抗」を捨て、むしろ中国から台湾が分離独立する「台独」を目指すようになった。1997年、民主化した台湾に、米国からギングリッチ下院議長が訪問した。米下院議長の訪台はこのときが初めてで、ペロシは2人目だ。今回のペロシ訪台に対して中共は激怒し大騒ぎしているが、25年前のギングリッチ訪台の時、中共はむしろ米国に、事態を緊張させないでほしいと懇願している。当時の中国は、経済を自由化して米欧との関係を強化して発展していた最中で、中共は自国の発展のために不可欠な米国との良い関係を失いたくなかった。 (Pelosi’s Taiwan visit and the limits of American strategy

ギングリッチが訪台した1997年の米国は、それから4年後の911テロ事件で顕在化した「世界強制民主化策」への道をすでに歩み始めていた。当時の米国では、イスラム世界を皮切りに米国が世界中を強制民主化していき、最後は中国も共産党政権を倒して(分割して)民主化するという「文明の衝突」のシナリオも出ていた。ギングリッチの訪台を皮切りに、米政府が台湾を支持して国家承認するところまで進んでいたら、中共傘下の大陸の人々に大きな影響を与えていたはずだ。天安門事件のような反政府運動が再燃し、中共の統治力が低下し、中国が内乱になって共産党政権が崩壊して中国が民主化されていた可能性がある。民主化された中国は、中華民国初期のように政治的なまとまりが悪く、分裂状態が続いて弱体化していたはずだ。混乱に乗じてチベットやウイグルも分離独立できた。それこそ、文明の衝突的な中国の民主化(という名の弱体化)の実現であり、戦前の列強や、戦後の米覇権維持派が望む中国分割が実現できていた。 (If Pelosi Now Chickens Out And Doesn't Go To Taiwan, China Will Have Proven It Controls Access To It

だが、そうなっていたら中国経済は崩壊し、中国の高度成長に米欧企業が投資して大儲けする構図も失われていた。また、追い詰められた中共が台湾で米国と戦争していたかもしれない。当時の米国は、中国を経済成長させて儲けることを優先し、台湾が民主化しても国家承認せず、下院議長の訪台だけでとどまった。米国はむしろ、台湾が経済面で中国との結びつきを強め、台湾と中共が和解交渉するように誘導した。中国に対する強制民主化・「文明の衝突」作戦の適用は、後回しにされた。

米国の中枢(諜報界)では、米覇権を維持するため中国を弱体化させておきたい「経済より覇権」の覇権重視派と、世界の実体経済(米欧経済は金融バブル膨張であり別物)の発展を重視して中国など非米的な諸大国を台頭させたい「覇権より経済」の経済重視派(隠れ多極派)がずっと暗闘している。覇権重視派が台湾を民主化に誘導しても米政府は台湾を国家承認せず、覇権重視派が「文明の衝突」を考えついて進めてもそれは中国に適用されず、文明の衝突は米軍がイスラム諸国で強制民主化の名のもとに不効率・人道犯罪な戦争や占領をやって自滅して米国覇権を衰退させることに使われ、リーマン危機で米欧バブルの崩壊も始まり、その間に中国が経済発展して台頭し、経済重視派のシナリオが進んでいる。 (Pelosi’s Taiwan visit has shown China diplomacy doesn’t work – now all bets are off

ギングリッチ訪台から25年後たって、中国が十分に発展して米欧から学ぶ必要がなくなり、米国の方が衰退して米中の強さの逆転が明らかになった今になって、再び下院議長(ペロシ)が訪台し、台湾の民主体制を礼賛した。米政府は、自国企業を中国で儲けさせ続けたいので、まだ「一つの中国」を支持すると言っている。だが、中国の方は、一つの中国に象徴される米欧との協調関係を必要としない傾向が増している。これまでの時代は、米欧が強く、中国が弱かった。「一つの中国」は、強い米欧が、弱い中国を潰しにかかりませんという宣言として、中国にとって重要だった。だが今後の時代は、米欧が弱く、中国は強くなる。今年2月のウクライナ開戦後、中露など非米側が結束して資源を握って強くなり、米国側は自滅して弱くなる流れが確定した。中国にとって、米国との協調体制や、その象徴である「一つの中国」の大切さが低下し始めた。 (Apple Demands Taiwan Suppliers Use 'Made In China' Labels

そうなったとたんに、米国からペロシが台湾を訪問する話が出てきた。米政府は「一つの中国」を堅持すると言っているが、ペロシの訪台は、米国が一つの中国を軽視していることを示すものだ。ペロシ訪台は、中共が「もう米国は一つの中国を堅持しなくなっている」と言って米国との関係を切っていくことに道を開くものになっている。中国は従来、米覇権システムの傘下で経済発展してきたが、中共で独裁を強める習近平は、中国を米覇権システムから離脱させ、米中を対等な関係に持っていきたい。習近平は、米欧との関係を疎遠にすると同時に、ロシアインドイランアフリカ中南米など非米諸国との結束を強め、米覇権無視の非米的な経済システムを作って中国がそれを主導する新世界秩序を作りたい。今年2月のウクライナ開戦後、ロシアが以前よりはるかに強くそれを推進し始め、習近平の中国非米化をプーチンが強力に後押ししている。だが、中共の上層部では、いまだにリベラルを好む親米派も強く、習近平による中国非米化を阻止しようとしている。 (China reveals why it thinks US sent Pelosi to Taiwan) (資源の非米側が金融の米国側に勝つ

そんな中で挙行されたペロシの台湾訪問は、米国による中国敵視の象徴であり、習近平が、中共上層部で自分に楯突いて中国の非米化を阻止したい親米派に対して「米国が中国を敵視している以上、中国は米国を見限って非米化を進めていくしかない」と論破できるようにした。米中枢の隠れ多極派が、中国の非米化を加速する意図をもって、ペロシを訪台させたのだろう。ペロシは、自分の仇敵である習近平とプーチンが結束して米国潰しを進めることを応援する策略のために訪台させられた。 (Ron Paul: Pelosi's Taiwan Trip Exposes US Policy As Dangerous, Deadly, & Dumb

当初ペロシは4月に訪台する予定だったが、その直前にペロシが新型コロナに感染したという話になり、訪台が延期された。当時はまだ、ウクライナ戦争の行方が確定しておらず、習近平は中共上層部で、米国を見限って中国の非米化を進めていく戦略をあまり強く押せなかった。米中枢の隠れ多極派は、いったん4月にペロシ訪台を推進しかけたものの、時期尚早だと考え直し、ペロシがコロナになったことにして延期したのだろう。そして、軍事と経済の両面でロシアが勝つことが確実になった7月にペロシ訪台の話が再び出され、8月初めに実現した。 (After China Threatens 'Forceful Measures' Over Taiwan Visit, Pelosi Suddenly Tests Positive For COVID, Postponing Trip

米議会では、ペロシ訪台と並行して、台湾に「同盟国」の地位を与える新法案も検討されている。これも中国に対し、ロシアやイランなど非米諸国と協力して米覇権を潰したいと思わせるための策だろう。 (Biden Wants China Hawks To 'Put The Brakes' On Bill Gutting 40 Years Of Taiwan Policy) (Sen. Menendez Pushes Bill To Designate Taiwan 'Major Non-NATO Ally'

中国は今後、米国覇権を無視して(もしくは潰す方向で)経済活動を進める姿勢を強める。それがどのような形で現れるか、まだ見えてきていないが、プーチンが進めている「金資源本位制」を強化する方向になるのはほぼ間違いない。これは、ギングリッチが訪台した25年前にあった「文明の衝突」と逆方向の「新たな文明の衝突」でもある。今年2月のウクライナ開戦後は、ロシアと中国、インドなど非米的な諸大国が「非米文明」的な感じで結束し、民主主義を標榜する米国側の「欧米文明」の諸国の偽善的でインチキな「民主化要求」を拒否する、新たな「文明の衝突」が始まっている。この新衝突は、米国側がまつろわぬ非米側を成敗するシナリオだった25年前の元祖衝突と正反対に、この25年間の人道犯罪をやりまくった横暴な米国側を、非米側が資源類輸出停止などの制裁対抗策によって成敗するシナリオになっている。 (ドルを否定し、金・資源本位制になるロシア) (‘Downward Spiral’: China Ends Cooperation With US on Climate Change, Crime, Military Dialogue



田中宇の国際ニュース解説・メインページへ