カザフスタン暴動の深層2022年1月13日 田中 宇中央アジアのカザフスタンで1月2日から11日ごろにかけて起きた暴動には、明らかに「裏」がある。巧妙な暴徒たちがカザフの大都市アルマトイの中心街を1月5-7日の3日間にわたって占領し、カザフ政府の治安部隊も鎮圧に手こずった。そういう表向きの話の裏で、この3日間の大混乱が始まったばかりの1月5日に、カザフのトカエフ大統領が、自分を大統領に据えた独裁者のナザルバエフ前大統領(安全保障会議議長)を、権力の源泉である安保議長の座から引きずり下ろし、自分が安保議長を兼務する「クーデター」に成功していた。ナザルバエフの傀儡に過ぎなかったはずのトカエフは同時に、カザフ諜報機関(KNB)のナザルバエフ派を一掃し、トカエフ自身の忠臣たちを後がまに据えて諜報機関への支配を開始した。暴動のどさくさの中で30年に一度の下克上が行われていた。 (Kazakh leader removes veteran ex-president from key security post) (Escobar: Maidan In Almaty? Oh Yeah, But It's Complicated) トカエフは1月5日、ナザルバエフの30年間の独裁体制がカザフの大金持ちの支配層を作り出し、貧富格差を悪化させ、今回の暴動を引き起こしたという趣旨の演説を展開し、だからナザルバエフとその側近たちには辞めてもらう、という趣旨の宣言を発した。この宣言の内容自体は全く正しい。ナザルバエフは自分が作った貧富格差による国民の不満の高まりを受け、2019年3月に大統領を辞任したが、自らの権力を守るために終身の安保議長として居残り、自分の傀儡だったトカエフを大統領に据えた。その後もナザルバエフやその忠臣たちに石油ガス輸出代金など巨額の儲けが流入する構図は続き、国民の不満は残った。 (Kazakhstan explainer: Who’s in, who’s out as Tokayev tries to take back control?) トカエフが下克上を起こして人気を集め、ナザルバエフの忠臣たちの儲けの構造を解体して貧富格差を減らすなら、カザフの状況の改善や中央アジアの安定になる。トカエフは1月5日の演説で、ナザルバエフの末娘(Aliya Nazarbayeva)の企業がカザフで販売される多くの商品からリサイクル手数料を徴収し、それで私腹を肥やしているという、以前から報じられていたことを事実として指摘するなど、ナザルバエフとその一派を批判することで自らの人気取りにしている。 (Kazakhstan’s Tokayev taking ax to Nazarbayev legacy) (A billion for Aliya Nazarbayeva, or How a private company earned from recycling fees) それは良いのだが、なぜこの下克上が可能になったのか、市民運動でなく組織的な謀略・プロの仕業の感じがするカザフの今回の暴動の黒幕が誰なのかが気になる。今回の暴動は、最初のきっかけだけは市民運動だった。カザフ南西部のカスピ海岸の油田の街ジャナオゼンで、元旦からのLNGの小売価格の自由市場化による値上げに反対する1月2日のデモが、今回の暴動の発端とされる(この地域の自動車のほとんどは地元で採れるLNGが燃料)。ジャナオゼンは2011年に油田会社の社員たちが安月給に怒って労働紛争を起こし、治安部隊が非武装の市民に発砲して虐殺を起こした歴史的な場所だ。昨年7月にも労働争議があった。今回は2011年の虐殺からの流れをくむ反対運動だ。石油ガス輸出の儲けはナザルバエフら政府上層部の人々の懐に入り、庶民は安月給のまま高いLNGを買わされる。冗談じゃない、という怒りだ。 (Strikes In Kazakhstan's Restive Zhanaozen Widen Amid Wage, Conditions Complaints) (Kazakhstan: What Happened in Zhanaozen?) 反政府運動はすぐに大都市アルマトイに飛び火し、暴動となった。アルマトイの暴徒は、ジャナオゼンの賃上げ要求の人々と全く異なる「政権転覆のプロたち」だった。ずっと独裁のカザフには、政府に対する人々の不満を集約する野党もほとんどない。世界的に従来、草の根から自然発生的に組織された反政府運動には、運動を組織する主導者たちが見えやすいかたちで存在していることが多いが、今回のカザフの暴動は、主導者の姿が見えない。主導者たちは黒幕として隠れている。全く市民運動っぽくない。どこかの諜報筋が事前に計画した政権転覆の試みだった感じが強い。 (Kazakhstan explainer: Why did fuel prices spike, bringing protesters out onto the streets?) (State Of Emergency Declared In Kazakhstan's Largest City After Fuel Price Riots, Internet Cut) 暴動が起きてすぐカザフ全土のインターネットや携帯電話網が停止したが、暴徒たちはあらかじめ用意した無線機で連絡をとり合い、連携して暴動を激化した。暴徒は、まず銃器店を襲って武器を確保し、その武器を使って警察署や軍の詰所を襲撃してさらに武器を確保した。暴徒は、警察から奪った制服を着て、盗んだ当局の車両に乗り込んで街を走り、破壊や強奪を重ね、役所を占領したり放火したりした。消防署の消防車を焼き討ちし、街頭の監視カメラを壊してから暴動を起こす周到さだった。2万人の暴徒が治安部隊と交戦し、人数で劣勢な治安部隊が退却させられた。野党や市民運動のネットワークがほとんどないカザフで、これだけの強い反政府組織がすぐに作られたのは全く不可解だ。1月5日夜にはアルマトイの国際空港も暴徒に占拠された。 (Kazakhstan’s Minister of Internal Affairs Details High Level of Organisation Among Rioters) アルマトイの暴動はプロ組織の犯行であり、どうみても隠れた黒幕がいる。トカエフ大統領は「外国勢力が黒幕だ。アフガニスタンにいたテロ組織が米軍撤兵とタリバン勝利でアフガンにいられなくなって中央アジア各地や中東に逃げたが、それが今回カザフに集まり、暴動を扇動した」と言っている。アルカイダなどアフガンのテロ組織は米英諜報界が育成支援してきた。トカエフ説だと、米英諜報界がカザフの政権を転覆して、中露の影響下に入ったカザフなど中央アジアを混乱に陥れようとしている、という話になる。 (China Offers Kazakhstan Assistance As President Says Afghan Militants Infiltrated Country) (Man Detained in Almaty Admits 'Unknown People' Paid Him $200 to Partake in Kazakh Protests) トカエフが1月5日に暴動を止められなかった責任をとらせて更迭したマシモフ諜報長官(ナザルバエフ忠臣)は、米バイデン大統領の息子のハンター・バイデンと親しかった。この話を加味すると「米国が、配下のアルカイダをカザフに結集させ、1月2日の反政府運動の開始にかぶせる形でアルマトイ暴動を発生させ、バイデン家と親しいマシモフがこの陰謀に協力して暴動激化を容認し、カザフを混乱に陥れようとした。それをトカエフ察知して1月5日にマシモフを更迭し、治安を改善して事なきを得た」といった筋書きになる。2014年のウクライナの政権転覆では、米諜報界がウクライナの反露的な右派をテコ入れして親ロシアなヤヌコビッチ政権を潰す政権転覆に成功し、今に続くウクライナ内戦を引き起こしている。米国の軍産複合体が、ウクライナのような内戦をカザフで起こしたいと思っても不思議はない。 (The Hunter Connection? Kazakh Security Chief Arrested For Treason Was "Close Friends" With Bidens) (危うい米国のウクライナ地政学火遊び) (ウクライナ民主主義の戦いのウソ) 米バイデン政権は、人気低下に歯止めをかけるため、ウクライナ問題でロシアとの和解を演出したがっている。1月10日には米露がジュネーブで対話した。米上層部の軍産複合体は、こうしたバイデンの対露和解戦略を阻止するために、バイデンに知らせず勝手にカザフの政権転覆を画策することをやってプーチンを怒らせようとした、という見方もできる。 (Kazakhstan Unrest & Europe’s Anti-Lockdown Protests: A Contrast in Reactions) (Kazakh Chaos on Cue Ahead of Crunch Russia-U.S. Security Negotiations) 1月5日夜にアルマトイ国際空港に暴徒が乱入する1時間前、カザフ政府の諜報界の上の方からの匿名の命令で、空港を警備していた治安部隊が撤退を命じられ、その後に暴徒が入ってきて空港を占拠した、という話がある。トカエフ大統領の話を信じるなら、空港の警備隊を事前に撤退させたのはマシモフ諜報長官だったことになる。なるほど、と思いかけるが、この説には無理がある。マシモフはこの日、すでにトカエフ大統領によって解任されていた。空港の警備隊を撤退させる権限は、マシモフでなくトカエフとその側近たちの手に移っていた。警備隊を撤退させ、空港を暴徒に占拠させたのは、マシモフでなくトカエフ大統領自身だった可能性が高い。マシモフは本当にバイデン家と親しかったのだろうが、それが暴露されたのはマシモフを陥れるためであり、本筋の話でないことになる。 (What’s Really Behind the Unrest in Kazakhstan?) (The Hunter Connection? Kazakh Security Chief Arrested For Treason Was "Close Friends" With Bidens) トカエフが、マシモフやその上の独裁者ナザルバエフとその一派を全部辞めさせてトカエフ自身が権力を持つために、カザフ諜報界の自分の傘下の勢力を動かして暴徒を組織し、アルマトイでひどい暴動を起こした可能性はある。しかし、カザフの諜報界はこれまでマシモフらナザルバエフ一派が握っていた。傀儡の一人でしかないトカエフ大統領が事前に諜報界を動かして暴徒を組織することなどできるのか??。むしろマシモフ側が暴動をひどくしてトカエフに責任をなすりつけて辞任に追い込もうとしたのをトカエフが途中で察知して下克上を起こしたのかもしれない。とにかく、従来の権力構造を維持しようとするナザルバエフ側と、それを壊そうとする下克上のトカエフの側が暗闘し、トカエフが勝ったことは間違いない。この暗闘に、米英の軍産・諜報界が横から参戦し、カザフを内戦に陥らせてウクライナ化しようとした可能性も否定しきれない。 (Do Kazakhstan’s protests signal an end to the Nazarbayev era?) (Blinken Warns Kazakhstan Against Inviting Russian Troops) 米国がカザフを混乱させようとしていたのと対照的に、ロシアはカザフの安定を維持しようとしてきた。ここ数年、ナザルバエフが権力に固執していたためカザフは不安定が増していた。カザフと8000キロも国境を接しているプーチンのロシアは、ナザルバエフに早く辞めてもらいたかった。ナザルバエフは、プーチンが自分を辞めさせたがっていることに報復し、カザフ人のロシア敵視のナショナリズムを扇動し、カザフの人口の2割を占めるロシア系住民が、多数派のカザフ系住民からいじめられるようになった。カザフ語の表記をキリル文字からローマ字に切り替え、ロシア語の教育や看板も制限された。ナザルバエフは、自分の独裁への国民からの批判が強まるほど、ロシア敵視のナショナリズムを扇動して延命をはかった。ロシアは昨夏、カザフ政府に対し、ロシア系住民への弾圧をやめてくれと要請している。スターリンのソ連は1930年代、カザフ人を大量餓死させて人口を減らしてカザフをロシア化(民族浄化)する策略をやっており、カザフ人は今もそれを恨んでロシアを敵視している。 (America must stay away from Kazakhstan’s troubles) (Moscow Declares Kazakhstan Unrest "Foreign-Inspired Attempt" Of "Armed & Trained Groups" To Overthrow State) こうした流れと今回の暴動、カザフ上層部でのナザルバエフとトカエフの暗闘をつなげて考えると、もう一つのシナリオが見えてくる。プーチンはトカエフを応援し、トカエフがロシアにこっそり支援されつつナザルバエフを倒す流れを作ろうとしたのでないかということだ。今回の暴徒を裏で組織したのが誰であれ、暴動と並行して激化したトカエフとナザルバエフの権力闘争で、プーチンのロシアはトカエフを支援し、トカエフがナザルバエフを潰す下克上を成功に導いた。プーチンの支持がなかったら、トカエフは権力闘争に勝てなかった。 (Kazakh leader declares ‘coup d’etat’ over as Putin claims victory) (Kazakh Leader Says Order Restored: "Coup" Thwarted & 164 Killed - 8,000 Arrests) トカエフは1月5日にナザルバエフを安保議長から解任するとともに、ロシアが主導する旧ソ連諸国の安保体制であるCSTO(集団安全保障条約)に軍事支援を要請し、1月6日にロシア軍がカザフに到着している。ナザルバエフの側が、カザフを内戦化することをいとわずにトカエフの側と軍事的に戦うことにしていたら、カザフに進駐した露軍が止めに入ったはずだ。露軍の真の任務はそれだったのかもしれない。プーチンは1月5日にナザルバエフに電話して「私はトカエフを支持する。あなたは黙って辞めるしかない」と伝えたのでないか。露軍はカザフにずっといるとカザフ人のロシア敵視を扇動してしまうので、間もなく引き揚げると発表した。プーチンのおかげで傀儡から権力者になれたトカエフは、今後もプーチンの言うことを聞くだろう。カザフの暴動劇は、プーチンの勝ち、米英側の負けで終わった。 (Kazakhstan Declares Calm Restored; Russian Troops to Leave in Two Days) (Why The Kazakhstan Crisis Is A Much Bigger Deal Than Western Media Is Letting On) カザフスタンは1991年のソ連崩壊によって独立国になった。その後のカザフはナザルバエフの独裁下で、ロシアの影響圏から離脱する試みを続けてきた(ソ連崩壊から15年間ぐらいロシアは混乱してとても弱かった)。米国企業に投資してもらって米国の傘下に入れてもらおうとししたり、カザフ人がトルコ系の民族なのでトルコとの関係を強化したり、中国との経済関係を強化したりした。米国は、カザフの石油ガスをアフガニスタン経由でインド洋に運び出す構想を作り、アフガンを安定させるためにパキスタン軍にタリバンを作らせた。 (Turkey caught off guard in Kazakhstan as Russia emerges on top) (ロシアの石油利権をめぐる戦い) それから4半世紀、今回の暴動劇の下克上によって、カザフにおける米国とトルコの影響力は低下し、ロシアと、その親分である中国の影響力だけが残ることになる。トルコは今回の暴動劇が寝耳に水で、対応が完全に遅れた。もし米英がアルカイダをカザフに送り込んで暴動を激化させたのなら、北シリアなどでISアルカイダやムスリム同胞団の世話をしているトルコにも事前に連絡が行きそうだが、そのような流れはなかったことになる。プーチンのロシアは、中露の影響圏であるカザフなど中央アジアからトルコや米国の影響力を消し去ることを目標としてきた。その目標は、今回の暴動劇で達成に近づいた。今回の暴動の発端となった天然ガス市場の自由化も、米国流の市場原理主義の流れに沿ったものであり、マイナス面が大きいことが今回の暴動劇で示された。
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