イランを健闘させたトランプ2020年1月9日 田中 宇1月8日の未明、イランの国軍より強い革命防衛隊が、イラクの2箇所の米軍基地に数発ずつ弾道ミサイルを打ち込んで攻撃した。この攻撃は、米軍が1月3日に防衛隊のスレイマニ長官を殺したことへの自衛的な報復だった。攻撃対象の2つの基地のうちの一つは、米軍がスレイマニを殺害した無人戦闘機を発射させた基地で、イランは国連憲章51条で許された自衛権に基づいて合法的に攻撃を挙行した。イラン政府は、事前にイラク政府に攻撃を通告し、イラク政府が米政府にそれを伝達した。米軍は、標的にされた基地から要員などを避難させ、死者が出なかった。イランのミサイルは、基地の中の人がいるかもしれない宿舎でなく、無人の可能性が高い飛行機の格納庫などを標的にしていた。しかもミサイルの何割かは爆弾を搭載しない空砲だった。ミサイルは標的に比較的正確に命中しており、イランは米軍基地を大きく破壊するのなく、イランのミサイルが高性能であることを示す目的があった感じだ。 (Satellite Images Reveal Damage Of Iranian Strike On Iraqi Air Base) (Iran Gave Advance Notice of Missile Attacks on US) イランは従来、イラクなどに駐留する米軍を攻撃する場合、地元のシーア派の民兵団に代理的に攻撃をやらせ、イラン自身の軍隊(革命防衛隊)が直接やらないようにしてきた。イランは、自国よりはるかに強い米国との直接の戦闘を避けてきた。しかし今回は、イランの軍隊が、イラン国内から弾道ミサイルを発射してイラクの米軍基地を攻撃した。これは初めてのことだった。スレイマニ司令官は生前からイランとイラクで英雄視されており、彼を殺害した米国に対する怒りがイランとイラクの社会に渦巻いていた(2014年に米軍が育てたISISがイラクで台頭して大量殺戮を開始した時、真っ先に駆けつけてイラクを守った外国軍はスレイマニが率いる革命防衛隊だった)。 (The surprise was not Soleimani's death, but the unity it fostered) (All That Matters Now Is How Trump Will React) スレイマニは、イラクの仲裁によるサウジアラビアと和解交渉という公務の執行のためイラクに到着した直後に米軍に殺されている。米国のスレイマニ殺害は、国際法違反の戦争行為だ(米政府はスレイマニをテロリスト扱いしてきたが、米国が革命防衛隊に「アルカイダ支援」というトンデモな濡れ衣を着せてテロ組織に指定していたこと自体が不当だった)。イランやイラクでは、英雄スレイマニを不当に殺害した米国に報復せよという世論が強く、それに応える形で史上初のイランから米軍への直接攻撃が挙行された。法的な正当性はイランにあるが、米国は超法規的な覇権国だ。大統領のトランプは何をするかわからない人物だ。常識的(マスコミ的)に考えると、米軍攻撃はイランにとって大きな賭けだった(非常識な裏読みとしては、こっそりイランを強化したいトランプの思惑をイランが見抜いていた可能性がある)。イランによる攻撃後、トランプがイランに反撃を命じ、米国とイランが戦争になるいう見方が流布した。 (Trump’s Iran speech seemed like a victory lap. It actually made things worse) (Pompeo’s Falsehood-Laden Briefing Echoed Uncritically by Media Outlets) しかし、イランの攻撃に対するトランプの反応は、マスコミや常識人たちの予測を裏切るものだった。トランプはまず、米軍基地の被害が少なかったので大丈夫だとツイートした後、数時間後の翌朝の記者発表で、イランに対しては軍事攻撃で再報復するのでなく経済制裁でやると表明した。イランは昔から米国にずっと経済制裁されており、いまさら追加制裁しても新たな影響はない。トランプは、イランの核武装を許さないとか、米国が離脱したイランとの核協定にまだ参加している国々はすぐ離脱せよとか、米軍は世界最強だとか発言したが、結局のところ、イランに対する再報復は事実上何もなしだった。それだけでなくトランプは「イランは、テロリスト(ISアルカイダ)との戦いの重要な伴侶だ」「(イランが)和解を申し出てくるなら、相手が誰であれ交渉する」と発言し、イランの敵でなく味方であるかのような姿勢まで見せた。 (Trump backs away from conflict after Iran strike kills no Americans) (Trump floats Iran as anti-terror partner after strikes) 結局のところ、イラン上層部が勇気を出してやってみた米軍への報復攻撃は、トランプに黙認され、大成功に終わった。イラン政府は事前にイラク政府経由で、米政府にどこを攻撃するか伝えてきていたので、米軍はイランから飛んでくるミサイルを迎撃できたはずだ。しかし迎撃も行われていない。トランプが迎撃を命じなかったため、イランのミサイルは米軍基地の格納庫などの標的にうまく命中し、イランの強さを中東全域に知らしめることになった。「力こそ正義」と思われる傾向がある中東において、このイランの成功は非常に重要だ。トランプがイランの健闘を引き起こし、イランに力をもたせた。 (IRGC: No missiles intercepted in attack on US bases, casualties reported) (Tweets Suggest US-Iran Conflict Deescalating After Tuesday’s Attacks) イラン政府は、スレイマニ殺害の報復攻撃はこれで終わったと宣言し、トランプもイランへの軍事攻撃をやらない(いまさらな経済制裁でやる)と宣言したので、米イラン戦争の可能性はとりあえず大幅に減った。だが実のところ、大事なのはこれからだ。米国に対等な関係での報復をやり遂げたイランは、トランプのおかげで、中東における政治正統性を大幅に強めた。イラクではおそらく今後、昨秋からのイラン敵視のデモが行われなくなり、イラン系のシーア派民兵団の政治力が強まる。イラクのサダム・フセイン(スンニ派)は米国に侵攻され殺されたが、イランは今回イラクにおいて米国と戦って負けなかった。この差は天地ほど大きい。 (The Middle East Is More Stable When the United States Stays Away) (Iraq's Outgoing Prime Minister Says U.S. Troops Must Leave) (To The Idiots That Think This Is Over, It Ain't!) イラクの議会はすでに、米軍に撤退を求める決議を可決し、イラク政府が正式に駐在米国大使を呼んで撤兵を要請した。トランプは「イラク人のほとんどは米軍駐留の継続を望んでいる」と大ウソを言い「イラク政府が米軍基地の建設にかかった費用を弁償しないと撤兵しない」と言い続けているが、すでにイラクでは法的に米軍駐留が違法なものになっている。シーア派の民兵団は、米軍基地や米大使館の敷地を日課のように砲撃し始めたが、民兵団は「砲撃は、違法な駐留を続ける米軍を出て行かせるために必要な行為だ」と言っており、イラク国内では正当な行為とみなされている。米軍はおそらく11月の米大統領選挙より前にイラクを撤退する。トランプは今回「いずれイラクとシリアの両方から撤兵したい」と言っており、イラクと同時にシリアからも撤兵する。同時にバーレーンやカタール、トルコの米軍基地も閉めて、中東から総撤退する可能性がある。 (Trump says US troops will 'eventually' leave Iraq, but not now) (Rabobank On The Iranian Attack: This Is Either Theater... Or Theater Of War) スレイマニ殺害後、イラク人(国民の6割を占めるシーア派)の米軍に対する怒りが急増し、米国だけでなく英国やカナダ、ドイツなどNATO諸国のイラク駐留軍も巻き添えで憎まれている(イラク人の中でもクルド人はほとんど傍観)。NATO諸国軍の多くが、クウェートなどに避難・撤兵している。スレイマニ殺害のひどい逆効果を見て、英政府は「同盟国だからといって常に米国を支持するわけではない」と言い訳している。トランプは今回「NATO軍はもっと中東に出てこい」と言ったが、トランプ自身が米軍を撤退させようとしている時にこの発言はトンデモであり、NATOを自滅させたいトランプらしいやり方だ。 (UK is not unquestioning in support of U.S., defence minister says) (US Coalition Partners Are Withdrawing From Iraq Over Security Concerns) トランプによるスレイマニ殺害は、米国の覇権戦略として全く逆効果で稚拙なものであり、民主党から猛批判され、トランプはもう今秋の大統領選挙で民主党に勝てないといった見方もマスコミが流布している。だが、トランプに「イランと戦争するな」と懇願したのは民主党だ。スレイマニ殺害などイランと戦争寸前の事態を醸成した今回のトランプの策は、民主党の反戦左派を強化し、民主党では左派の政治力がエリート系の中道派をしのぐ勢いになっている。サンダースやウォーレンなど左派が民主党の大統領候補になると、党内の結束が崩れ、トランプに勝ちにくくなる。トランプを批判する議員たちも、スレイマニ殺害自体は支持する。議員の多くは軍産イスラエルの言いなりで、軍産イスラエルが敵視していたイランを彼らも敵視していた。トランプ批判の議員の論調は、スレイマン殺害は賛成だがトランプのやり方が下手だったことを批判するという、パンチがない批判になっている。トランプは負けにくい。 (Nancy Pelosi warns 'America & world cannot afford war') (US Doesn't Want to Start a War With Iran But is 'Prepared to Finish One') 米共和党政権には、軍産側の自滅を招く「隠れ親イラン」の系譜がある。ブッシュ政権のチェイニー副大統領は、06年にイスラエルのオルメルト首相を「あとから米軍が参戦するから」と言って騙してレバノンのイラン傘下のシーア派武装組織ヒズボラと戦争させ、米軍を参戦させずイスラエルはヒズボラと停戦せざるを得なくなり、イスラエルに負けなかったヒズボラの政治力が一気に強まった。今ではヒズボラはレバノンの与党で、国軍より強い軍事力を持っている(日本政府はイラン経由でヒズボラに頼むとゴーンを日本に強制送還できるかも。ゴーンの逃亡を助けたレバノンのマロン派のアウン大統領もイランの言うことなら聞く)。トランプは今回、チェイニーの系譜を受け継いでイランを強化してやった。 (ヒズボラの勝利) (Lebanese President Aoun calls for 'non-sectarian' system) ロシアが米軍撤退を見越してイラクとイランにS400迎撃ミサイルを売り込んできたことや、イスラエルが米軍撤退を予測してビビっていること、イランが米軍を攻撃した日に金融相場が全く頓珍漢な動きをしたことなど、まだまだ書きたいことがあるが、改めて書くことにして、とりあえずここで送信する。 (Russia suggests selling S-400 missile system to Iraq amid row over US troops) (US withdrawal from Iraq; Israel’s worse-case scenario) (Trader Mocks Markets "Behaving As If Middle East Tensions Are Yesterday's News")
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