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トランプを強化する弾劾騒ぎ

2019年9月29日   田中 宇

米国でトランプ大統領が、来年の大統領選の対立候補になるかもしれない民主党のバイデン前副大統領を排除するため、ウクライナ政府に対し「バイデンに関する汚職疑惑を捜査しろ、さもないと軍事支援しないぞ」と不当に圧力をかけたとされる「ウクライナ疑惑」が持ち上がり、議会民主党がこの件でトランプを弾劾する手続きに入っている。弾劾手続きは、民主党が過半数を握る議会下院で可決されそうだが、共和党が過半数を握る上院では否決されそうだ。上院でも、トランプを敵視する勢力が多数寝返って民主党のトランプ弾劾に賛成すると話が違ってくる。 (The REAL 'Abuse of Power' Scandal Democrats Refuse to Investigate) (Pelosi’s surrender to the lunatic impeachment fringe of the Democrat party may push America to civil war

だが全体としてこの弾劾騒ぎは、トランプの違法疑惑(ウクライナ政府に不当な圧力をかけたこと)よりも、バイデンの汚職疑惑の方が確定的かつ悪質だ。バイデンの汚職疑惑とは、バイデンがオバマ政権の副大統領だった2014年に、米政府からウクライナ政府への経済援助への見返りとして息子のハンター・バイデン(弁護士)をウクライナのガス会社の役員に就任させて報酬を出させた件だ。いずれバイデンの疑惑が注目されると、この件はトランプよりもライバルの民主党を不利にする。すでに民主党諸候補の中でバイデンの人気が下落している。トランプの疑惑が弾劾に相当するほど悪質とは考えられないので、トランプが辞めさせられる可能性は低い。弾劾に至らない場合、民主党への信頼が崩れ、来年の大統領選でのトランプの再選が決定的になる。弾劾騒ぎはトランプを強化している。この騒動は、米諜報界の隠れ親トランプ派(隠れ多極派)が画策したと考えられる。 (Another Day, Another Scandal. What the ‘Trump-Ukraine Collusion’ Is Really About) ("It's All Going To Help Him": Normal Democrats See Little Upside To Impeaching Trump, Worry It Will Backfire

この件の発端は2014年春に米諜報界(軍産複合体)がウクライナの反政府運動を扇動して親露政権(ヤヌコビッチ大統領)を倒し、ロシア敵視の極右政権を作らせた直後、当時オバマ政権の副大統領だったバイデンがウクライナを訪問したことに始まる。バイデンはウクライナ新政権(ヤツニュク首相)に対し、ロシアからのエネルギー輸入への依存をやめることが必要で、そのためには米国の技術を使ってウクライナ国内でシェールガス田の開発を進めるのが良いと勧めた。ウクライナ新政権は、バイデンの勧めに沿って国内のシェールガス開発を開始し、この流れの中で、バイデンの息子のハンターがウクライナ最大(唯一)のガス開発会社であるブリスマの取締役(月額報酬5万ドル)に就任した。ウクライナ新政権が、バイデンを買収しようと、息子をガス会社の取締役にした可能性が高い。これはバイデンの贈収賄疑惑である。 (Trump–Ukraine controversy From Wikipedia

ブリスマの最大株主である財界人のズロチエフスキは、脱税や汚職の容疑で12年からウクライナ検察から捜査されていた。15年にウクライナの検事総長が交代して捜査が進み、16年3月にはハンター・バイデンにも捜査の手が及びそうになった。それに対してバイデン父は、ブリスマやハンターへの捜査に積極的なショキン検事総長を辞めさせない限り、米国政府としてウクライナ政府への10億ドルの債務保証をしてやらないと公式に表明した。ショキンはすぐに辞めさせられた。ウクライナ検察はその後、ブリスマやハンターへの捜査を棚上げした。バイデンは、自分の息子を守るため、米国の副大統領としての職権を乱用し、ウクライナに不正に圧力をかけて検事総長を辞めさせる違法行為を行った疑いが強い。その後、バイデンと言えば息子がらみのウクライナの不正疑惑だというのが、米政界の事情通の常識になっている。 (Mykola Zlochevsky - Wikipedia) (New Docs Contradict Biden Claim That Fired Ukrainian Prosecutor Was Corrupt

17年に米国の政権がトランプに代わり、19年春にはウクライナの政権もロシア敵視の親米軍産系(ポロシェンコ大統領)から、対ロシア融和派のゼレンスキー大統領に代わった。ウクライナの政権交代が一段落し、ゼレンスキーがロシアとの和解に着手した今年7月、トランプがゼレンスキーと電話で会談し、16年にバイデンの圧力で検事総長が交代してから棚上げされていたバイデン親子に対する不正疑惑をもう一度捜査した方が良い、と勧めた(圧力をかけた)。トランプは、来年の選挙でライバルになりそうなバイデンを潰したかった。それは確かだが、一般論として、自分の息子をウクライナ企業の取締役に送り込み、毎月5万ドルの報酬を事実上の政治献金としてウクライナ側に払わせていた(しかも、それを捜査していた検事総長を辞めさせた)バイデンの汚職疑惑に対する捜査を再開した方が良いとウクライナ政府に勧めることが、米国の法律や倫理観に照らして「良くない行為」と考えられるべきなのかどうか。答えは明白だ。 (Biden is Finished. Get Ready for Trump Electoral Landslide) (Impeachment Odds Plummet As Trump Releases Ukraine Transcript

トランプが今年7月にウクライナ政府に(バイデンへの捜査を再開しろと)圧力をかけたことは、バイデンが16年3月にウクライナ政府に(息子を捜査する検事総長を辞めさせろと)圧力をかけたことよりも、はるかに「良性」で「正義に近い」行為だ。トランプとゼレンスキーの7月25日の電話の速記録が発表されたが、その中でトランプは、バイデン親子を捜査すべきだと言っているだけで、捜査しないなら支援しないと言っていない。この電話でトランプが違法行為をしたとはいえない。 (Read the transcript of Trump's conversation with Volodymyr Zelensky

今回の事件は、諜報界の匿名の「内部告発者」が、米国で法的に定められている内部告発の手続きにのっとって「7月25日の電話で、トランプがゼレンスキーに対し、バイデンを捜査しろと不当なかけた疑いがある」と告発したのが始まりだが、この内部告発者の告発状は、電話内容を直接聞いたり詳細速記録を見て書いたものでなく、間接的な伝聞をつなげて書いたもので、具体的に電話の際のトランプのどの発言が不正・違法に当たるのか明確にしていない。「大統領府がこの電話の速記録を出したがらないと聞いた(だから怪しい)」など、電文に対する推量を重ねているだけだ。伝聞と噂を束ねた推量でトランプを辞めさせようとしている点で、ロシアゲートの「スティール報告書」に似ている。ワシポスやNYタイムズあたりの、針小棒大・歪曲的なトランプ叩きの記事みたいでもある。 (Read: Whistleblower complaint regarding President Trump and Ukraine) (10 Reasons Democrats' Impeachment Argument Is Falling Apart) (大統領の冤罪

トランプ(や側近弁護士のジュリアーニ)は、ウクライナ側に「バイデン親子を捜査すべきだ」と繰り返し求めたようだが、それはバイデン親子が違法行為をした疑いが強いからだ。トランプの言動は、バイデンを大統領選から追い出したいという気持ちからだろうが、その言動自体は違法でない。バイデンの行為の方が、トランプの行為より、はるかに「悪い」「違法な」ことだ。だが、マスコミや「世の中」的にはそうなっていない。バイデンの「巨悪」は無視され、トランプの「ちょい悪(それすら濡れ衣?)」だけが「極悪」として喧伝されている。この善悪の歪曲は、軍産が織り成す意図的な戦略である。今やトランプに対する「濡れ衣」だった(クリントン陣営が英MI6と結託してトランプへの濡れ衣を捏造した)ことが確定している(しかしマスコミがそのように報じない)ロシアゲートと同じ構図の善悪歪曲だ。 (ロシアゲートで軍産に反撃するトランプ共和党) (スパイゲートで軍産を潰すトランプ

今回の件は、米政府の内部告発制度を使って起こされているが、米諜報界(軍産)が、内部告発制度を悪用して政敵であるトランプを攻撃している観が強い。今回の内部告発者は、米マスコミによるとCIAの高官で、大統領府や諜報界に多くの人脈を持ち、そこからの伝聞でトランプの「疑惑」を指摘している。このやり方は、従来の内部告発者のものと大きく異なっている。米国の従来の内部告発者の多くは、いわゆる「下っ端」の人で、米政府内の驚くべき違法行為に偶然気づき、正義感からそれを告発・通報している。だが今回の内部告発者は、諜報界の高官であり、告発した内容も驚くべきものでなく、諜報界と米政界の既存の権力闘争(トランプvs軍産)において自分たちの側を有利にしようとする内容だ。これは、諜報界による自作自演的な内部告発制度を悪用である。 (MSM Defends CIA's "Whistleblower", Ignores Actual Whistleblowers) ('He Had Help': Former CIA, NSC Official Questions 'Too Convenient' And 'Too Perfect' Whistleblower Report

今回の内部告発が行われる直前に内部告発制度が改定され、それまで告発者が直接に体験・読み聞きした情報に基づく告発しか認められなかったのが、又聞きの伝聞に基づく告発でも認められるようになった。この改定が行われた直後に、又聞きばかりで直接の情報がない今回の内部告発が劇的に出てきた。これは、諜報界の自作自演である疑いがますます濃い。 (Intel Community Quietly Scrapped Requirement For "First-Hand Knowledge" Before CIA 'Rumorblower' Relied On Hearsay) (NYTimes 'Outs' Ukraine-Call "Whistleblower" As CIA Officer

これで、7月25日のウクライナ大統領との電話会談でトランプが「バイデンを捜査しないなら軍事支援を出さない」と違法な発言していたら、自作自演であっても、諜報界はトランプに打撃を与えられた。共和党内からも新たな別の内部告発やトランプ批判が出てきて、議会両院でトランプへの弾劾決議が可決されるすごい展開があり得た。だが、問題の電話でトランプは違法な発言をしていなかった。それは、発表された電話の速記録ですでに確定している。民主党の議員や支持者たちは、表向き「これでトランプを弾劾するぞ」と息巻きながら、私的な会話で「何でこんな証拠不十分な内容で弾劾手続きに入るんだ?。うまくいかないぞ」と言っている。自作自演をやれるなら、もっと濃厚な容疑を集めてからにすれば良かったのに、この稚拙さは何なのか? (Republican “insider”: Dam may start to break among GOP on impeachment if there’s evidence of a Trump quid pro quo with Ukraine Featured) (State of Delusion: Democrats Privately Panic Following Transcript, Impeachment Fallout Featured

ここで、今回のウクライナ疑惑の、もう一段深い層に入る。本件は、米諜報界、マスコミ、米2大政党のエスタブ派といった軍産複合体が内部告発制度を悪用してトランプを弾劾して潰そうとする策略に見えて、実はそうでない。この件を深読みしていくと、米諜報界でトランプに味方する勢力(もともとトランプを大統領に引っ張り上げた、米中枢に昔からいる隠れ多極派)が、ペロシら2大政党のエスタブ派やマスコミを騙して失敗する稚拙なトランプ弾劾策をやらせ、バイデンやエスタブ派を自滅的に弱体化させ、来年の大統領選でのトランプの再選を実現する策略に見えてくる。 (Did Nancy Pelosi Just Make One Of The Biggest Political Mistakes In History?) (The Ukraine Transcript Fizzle

民主党が多数派を握る米議会下院のペロシ議長が9月24日にトランプを弾劾する手続きの開始を宣言したことが、今回のウクライナ疑惑の本格化の始まりとなったが、ペロシはこれまでトランプ弾劾に消極的だった。その理由は、これまでのトランプ弾劾はロシアゲートを理由とするものであり、ロシアゲートは根拠が薄く、弾劾を成功させトランプを辞任に追い込むのが不可能だったからだ。しかしペロシは今、ロシアゲートよりさらに根拠が薄いウクライナ疑惑で、トランプを弾劾しようとする手続きに踏み切ってしまった。 ("I Was Not A Witness To Any Of It" - 'Whistleblower' Complaint Released To Public) (Acting Intelligence Chief Maguire Testifies on Whistleblower Complaint

民主党のエスタブ派では、シフ下院諜報委員長も、監察官が内部告発の内容を米議会に伝える前に中身を把握し、トランプ弾劾だと言い出しており、早い段階から諜報界と結託していた観がある。諜報界の隠れ親トランプ派がペロシやシフにうまいことウソを言い、トランプを弾劾できると思わせ、失敗する弾劾手続きに踏み切らせたのでないか。ペロシが弾劾手続きの開始を発表したのは、今回の「疑惑」の最大の証拠となるはずだった7月25日のトランプとウクライナ大統領との電話の速記録が議会に渡される前日だった。民主党エスタブ派を騙した諜報界の側は、速記録に決定的な文言が載っている(はずだ)とウソを言って騙したのかもしれない。 (Joe Biden: Impeachment's First Casualty) (Watch Live: Pelosi To Launch "Impeachment Inquiry" Against Trump

下院の議事を決める民主党は、トランプ弾劾の審議を全速力で進めようとしている。全速力で進め、共和党側に「バイデンの汚職も議論すべきだ」と言わせないようにする魂胆だろう。それがうまくいくかどうか。下院の議論が終われば、共和党が多数派の上院での議論になり、そこでバイデンの汚職が問題になる。バイデンの汚職が問題になると、民主党内でのエスタブ派と左派との内紛が再燃しうる。エスタブ派であるバイデンの人気が落ちれば、ウォーレンやサンダースといった左派の大統領候補が選ばれる可能性が高まるからだ。民主党の内紛が再燃すると、それもトランプの優勢につながる。ウクライナ疑惑は始まったばかりだ。今後の展開が見ものだ。 (Democrats Set Rapid Timetable for Trump Impeachment Probe) (The Battle Over Trump's Ukraine Transcript

今回のような、稚拙にやってわざと失敗させる策は、米諜報界において珍しいことでない。諜報界の過激な「ネオコン」が「イラクの大量破壊兵器保有」など稚拙な開戦事由を並べて挙行して米国の国際信用失墜に導いた03年のイラク侵攻が好例だ。古くはトンキン湾事件からのベトナム戦争、最近では根拠の薄い「シリア政府の化学兵器使用」や「イランの核兵器開発」など。いずれも国際政治の話だが。米国内政治の話では、トランプと軍産の政争の第一弾であるロシアゲートの「根拠の大黒柱」だったスティール報告書の内容がひどく稚拙だったことが、意図的な失敗(トランプの優勢)を誘発するためだった可能性がある。



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