他の記事を読む

イランの自信増大と変化

2019年4月12日   田中 宇

4月8日、トランプの米国が、イランの軍組織である「イスラム革命防衛隊」を「テロ支援組織」に指定することを決めた。革命防衛隊はイランの権力機構(聖職者集団)と直結した軍部で、自国の防衛だけでなく、イラク、シリア、レバノンといった「シーア派の三日月地帯」の諸国のシーア派の民兵団を傘下に入れ、イランが三日月地帯に覇権を行使する際の軍事外交の実行部隊になっている。防衛隊はイラン国内と三日月地帯で、石油ガスや通信などさまざまな企業を表と裏の両面から運営し、巨額資金を持つ経済集団でもある。マスコミもいくつか持ち、保守派のプロパガンダ機能もつかさどっている。イランのロウハニ大統領ら改革派は、これまで何度かスキャンダルを作って防衛隊の利権を解体剥奪しようとしてきたが失敗している。 (Trump names Iran’s IRGC terror organization, downplaying risks to US troops, Iraq stability) (Iran to Blacklist US Military If US Designates Revolutionary Guards as Terrorists

これまで革命防衛隊の正念場はシリア内戦だった。防衛隊は、イランの世論を引っ張り、国力をつぎ込んでシリアのアサド大統領を全面支援してきた。シリア内戦でアサドが負けていたら、防衛隊はイラン国内で責任を追求され、改革派との政争に負けて縮小解体されていただろう。だが、シリア内戦はアサドの勝利で終わった。ロシアも空軍を展開し、アサドや防衛隊の側に立って支援してくれた。防衛隊の在外部門は旧日本軍の関東軍に似ている。関東軍は惨敗したが、防衛隊は勝った。シリア内戦の終結とともに、シリアの隣のレバノンでは、防衛隊の傘下でシリア内戦に参戦して勝利したシーア派民兵団ヒズボラの政治力が増大し、ヒズボラはレバノンを支配する存在になった。 (Hizballah’s takeover of Lebanese government bolsters Iran in Syria against US and Israel

イランからイラクを経て、シリア、レバノンに至るシーア派の三日月諸国を貫く高速道路や鉄道の建設が計画されている。インフラ整備が得意な中国の技術や資本が入っている。イランの防衛隊の拡大は、中国の「一帯一路」の拡大でもある。イランは、三日月諸国を影響下に入れたことで地中海とインド洋をまたぐ影響圏を持つことになった。イランは、きたるべき多極型の新世界秩序における「極」の一つになることを目指している。国力と影響圏の規模から見て、イランは国際的に、日本に匹敵するぐらいの国際パワーになりつつある(イランは台頭、日本は凋落している)。イランと日本は遠いので今後も敵対しない。 (Iran Is Preparing To Link Tehran To The Mediterranean Via A New Highway

トランプは、革命防衛隊がこれまでのシリアでの苦難をようやく乗り越えてイランと中東の北半分で大きな力を持つようになったまさにその時を狙って、防衛隊への敵視を強めるテロ支援組織への指定を行った。米国が防衛隊をテロ指定するなら、昨年や一昨年までの、防衛隊がシリアで苦戦し、イラン国内での防衛隊批判も強かった時期にやるべきだった。その時期にやっていたら、イランの改革派が防衛隊・保守派への攻撃を強めることに加担でき、イランの民主化や人権重視、改革派の台頭といった、米欧好みの展開が期待できた。しかしトランプは、今のように防衛隊がイランの中東支配の尖兵として成功し、イラン政界で改革派を押しのけて強い力を持つ傾向がこれまでになく強まった時期をわざわざ狙って、防衛隊をテロ指定して敵視を強めた。 (New Middle East Alliance Shakes World Powers

米国に敵視された防衛隊は、イラン国内において、米国の中東支配に対抗できる反米ナショナリズムの英雄とみなされる傾向を強め、イラン政界での保守派と改革派の政争は、防衛隊が擁立する保守派がますます強くなり、米欧と和解し得た改革派の政治力が相対的に低下することになる。シリア内戦を通じて防衛隊はロシアと結託しており、米国に敵視された防衛隊がイランで台頭するほど、イランは米国と縁を切る傾向を強め、ロシアや、その仲間である中国との結束を強める。トランプは、防衛隊やイランを打ち破るどころか、逆に防衛隊がイランと中東北部を支配する力を強めさせ、米国の中東覇権が自滅的に低下することを招いている。以前からの私の読者は、こうした展開を読み飽きているはずだ。トランプが相変わらず覇権放棄をやっている、と思うだけだろう。 (Iran To Establish First Ever Mediterranean Port On Syrian Coast

防衛隊やイラン政府は、米国が防衛隊をテロ支援組織に指定するなら、その報復として、イラン政府が中東駐留米軍をテロ支援組織に指定する、と言っている。中東のテロ組織といえばISとアルカイダだが、いずれも米軍特殊部隊など米諜報界が「イスラムテロとの恒久的な第2冷戦による世界支配体制」の敵として育成してきた組織だ。米軍は、世界最大の「テロ支援組織」である。対照的に、イランの防衛隊が支援してきたレバノンのヒズボラやパレスチナのハマス(ムスリム同胞団パレスチナ支部)は、米イスラエルからテロ支援組織とみなされているが、実のところ「テロ」でなく侵略者(米イスラエル)に対する「民族自決を目指す抵抗運動」を展開する、国際的に合法なナショナリズムの武装政党である。イランの「核兵器開発」も、米イスラエルが捏造した情報に基づく濡れ衣だった。正しい善悪の構図は、米イスラエル(やその傘下のマスコミ)の方が「テロを支援する極悪な組織」であり、イランや防衛隊は「テロと戦う正義の組織」である。そもそも善悪話(とそれにこだわる大半の人々の頭の中)はくだらないものだが。 (Iran puts US forces in West Asia region on its terror blacklist

トランプが防衛隊を敵視するほど、防衛隊は、影響圏であるイラクやシリア、レバノン、ペルシャ湾岸から米国の影響力を排除する試みを強める。イラクでは、政界をあげて駐留米軍に対する追い出し要求が強まっている。こちらも、昨年末にトランプがイラクを電撃訪問してイラク政界を激怒させる失礼な(覇権放棄的な)言動を展開したのが最初だ。レバノンも、先日ポンペオ国務長官が訪問して「米国と一緒にイランを敵視しよう」と扇動したが、レバノン側はヒズボラ主導で対米自立・親イラン化を強めるばかりで全く逆効果だった。 (Lebanese president tells Pompeo Hezbollah has popular support

イラン前面のペルシャ湾入り口の細いホルムズ海峡では最近、米軍艦が通るたびに防衛隊からの挑発を受けている。米海軍は、ホルムズ海峡を通れないと、その奥の第5艦隊の母港であるバーレーンに行けない。トランプが防衛隊への敵視を強めていくと、いずれ米海軍はペルシャ湾から出ていかざるを得なくなる。防衛隊による挑発は以前なら、米軍がイランを攻撃・破壊・政権転覆する格好の口実となり得たが、今はそうでない。隠れ多極主義が席巻するトランプ政権は、もう誰とも戦争せず覇権放棄を邁進する。米軍の中東軍がいるカタールもすでにイラン寄りだ。ペルシャ湾岸には親米国のサウジアラビアもあるが、サウジはイラン敵視の米国から隠然と離れ、イランの傘下に入っているイラクでサウジ大使館を再開するなど、米国の中東撤退を見据えた動きをしている。 (Saudi Arabia reopens consulate in Iraq, vies for more influence

▼米国が第2冷戦の敵を作るためにイランにイスラム革命をやらせた?

イランの革命防衛隊は、国家の軍隊(国軍)でない。1979年のイスラム革命(イラン革命)によって作られたイランの「イスラム共和体制」を守るための軍隊だ。国境警備などを担当する国軍は別に存在している。イランの防衛隊が国軍でなく革命軍であることは、中国の人民解放軍が国軍でなく中国共産党の「党軍」であり革命軍であることと似ている。イランには国軍が引き続き存在しているが、中国は共産革命後、国軍が存在していない(中国の革命前の国軍は国民党が作ったものであり、今の台湾軍=中華民国軍になっている)。中国の共産革命が共産党の一党独裁体制を作るものだったように、イランのイスラム革命は、ホメイニらイスラム聖職者集団がイスラム法に基づいて独裁(限定的な民主主義)を行うイスラム共和体制を作るものだった。

革命後、中国で毛沢東が経済で大失敗し、最終的にトウ小平の経済自由化につながったように、イランでもホメイニらが経済で大失敗し、経済や政治の自由化(親欧米化)をめざす改革派が台頭した(だが、イランの欧米への接近は軍産主導の米国側が拒否した)。中国で経済開放が一段落した後、習近平が出てきて保守的(非米的)な独裁体制に引き戻しているように、イランでも、米国による敵視や制裁によって経済改革が行き詰まった後、革命防衛隊が最台頭して改革派を押しのけ、保守への回帰を強めている。中国とイランは「共産」と「イスラム」の違いがあるものの、いろいろ似ている。

イランについて考える際「1979年のイスラム革命(イラン革命)とは何だったのか」という問いに、何らかの見立て・仮説的な答えを出すことが必要だ。イラン革命はいくつかの点で不可解だ。歴史的な不可解を「歴史ってそういうものさ」といったしたり顔で通りすごす態度は間抜けである。1つ目の不可解は、正統派のスンニでなく異端なシーアのイランが、なぜイスラム革命をおこしたか、である。2つ目の不可解は、革命前のイランではイスラム主義より、マルクス主義など左翼の方がはるかに強かったのに、シャーの帝政を倒して作られたのは親ソ連な左翼政権でなく、ホメイニのイスラム主義政権だった。しかも米欧は、ホメイニが亡命先のパリからイランに戻って政権を奪取することを積極的に容認した。

これらの不可解さに対する私なりの仮説的な答えは、以下のようなものだ。イランのイスラム革命は、ソ連など社会主義陣営との冷戦体制が終わりそうだったので、それに代わる第2冷戦構造の創設のため、米イスラエルの軍事諜報勢力(軍産)が、イスラム諸国のイスラム革命勢力を作って連帯させようとしたものでないか。米イスラエル諜報界は、革命前の親米・対米従属的なイランの国体にかなり食い込んでおり、政治的な誘導策や意図的な政権破壊と転覆をやれた。彼らは、イランに反米的なイスラム主義体制の政体が作られるように、イラン革命を誘導した。テヘラン米大使館の占拠事件も誘発して意図的にこじらせ、米イランの敵対を扇動した。冷戦的な米国vs強敵の世界体制は、軍産が米国と世界を支配するために必須だった。

70年代末の当時すでにソ連は衰退への道をたどっており、ソ連傘下の左翼勢力を米国の世界的な強敵として機能させる冷戦構造は維持が困難になっていた。左翼でなくイスラム主義勢力に、米国の敵を演じさせる必要があった。サウジやエジプトといったスンニ派諸国は当時、米イスラエルの傀儡になる姿勢にしがみついており、とてもでないが米イスラエルの敵になってくれそうもなかった。スンニ派のイスラム主義勢力として最有力であるムスリム同胞団は、各国で弾圧され弱かった。イランは、米諜報界がイスラム革命の発生を扇動しやすかった。 (Iran and the Muslim Brotherhood: Frenemies?

こうして作られたイランのイスラム革命政体は、周辺のアラブ諸国にイスラム革命を積極的に輸出しようとした。当時は、イスラム世界におけるシーア派とスンニ派の対立(スンニ派がシーア派を異端とみなして攻撃すること)が今よりずっと少なかった。米イスラエルの諜報界は、スンニ派のイスラム主義を扇動してのちのアルカイダを作っていったが、それはイラン革命に影響される形で強まった。 (What Iran’s 1979 revolution meant for the Muslim Brotherhood

イスラム革命がイランからスンニ諸国に輸出され強大になることは「米欧vsイスラム世界」の第2冷戦体制を作りたい米国の軍産からすると好都合だったが、軍産の中には「親イスラエルのふりをした反イスラエルのユダヤ勢力」(ネオコンなど)が当時からいて、彼らはイスラム革命勢力を強くしてイスラエルを破壊するところまでやりたがった。本物の親イスラエル勢力の方は、それを容認するわけにいかないので、アルカイダなどスンニ派のイスラム主義がシーア派の異端性を嫌悪・攻撃する方向に扇動し、それまで少なかったスンニとシーアの対立を強いものにした。この対立は、イスラム革命が中東を席巻してイスラエルを破壊していく流れを阻止した。親イスラエル勢力は、イラクのサダムフセインをけしかけてイランと戦争させ、イランとイラクの両方を弱体化させてイスラエルを守る策もやった。ユダヤ人はどこまでも賢く、イスラム側はどこまでも操作されっぱなしの間抜けだ。 (An Iranian Revolution of National Dignity

イライラ戦争が終わった90年代以降、イランはイスラム革命の輸出に消極的になり、代わりに欧米との経済協調をめざす経済自由化路線に転換した(それでも米国は結局、イラン敵視をやめなかった)。軍産は、シーア派のイランを米国の仇敵に仕立てることよりも、スンニ派のサウジのイスラム主義テロリスト(=アルカイダ)を仇敵に仕立てることを重視し、その流れで自作自演的な911テロ事件が起きた。911によって米国と世界はいったん軍産支配が強まったものの、その後、第2冷戦体制を強化するふりをして弱体化する米中枢のネオコンが開戦事由でっち上げのイラク侵攻を起こし、米国の覇権を自滅させた。トランプの登場で、米国覇権の自滅・放棄が加速した。 (As Islamism Fades, Iran Goes Nationalist

今のイランの防衛隊の台頭は、ネオコンやトランプが画策する米国覇権の自滅や放棄と連動して起きている。イスラム革命後のイランは、スンニ・シーア両方のイスラム革命勢力であり続けようとして、シーア派やイラン独自の信仰や文化の形態を抑圧して成り立ってきた。ペルシャ暦の旧正月を祝う「ノールーズ」の行事は、イスラム聖職者たちから迷信と批判されてきたし、ペルシャ文明の偉大さを誇示する行為もタブーとして抑圧されてきた。だが近年、米イスラエルの側の自滅的な衰退が進み、イスラム対米国の第2冷戦構造も剥げ落ちていく中で、イランでは以前に比べて「イスラム」より「ペルシャ」的なものを重視し、イスラム主義よりもナショナリズムを軸とした国家体制づくりに転換していく方向性を示している。 (Iran’s Islamic authorities slowly embrace ancient Festival of Fire

近年、その方向性に沿ってイランを動かそうとしているのがアハマディネジャド元大統領だ。彼はイランのトランプとも呼ぶべき存在だ。今回の記事はもともと彼の政治のダイナミズムを説明するために書き始めたのだが、そこに行く前の説明だけ書いて膨大になってしまった。昨年から、イランについて書くたびに、同じパターンの未達を繰り返している。アハマディネジャドの面白さについては、いずれ書く。 (Ahmadinejad squawks louder as Tehran cracks down on loyalists) (Ahmadinejad Says There Was More Freedom During Monarchy) (Ahmadinejad Critiques The Islamic Republic System In Pro-Reform Daily



田中宇の国際ニュース解説・メインページへ