他の記事を読む

英国のEU離脱という国家自滅

2019年1月28日   田中 宇

2016年夏の住民投票での劇的な決定以来、英国のEU離脱は、英国にとって自国を自滅させる策だ。離脱推進の議員や言論人は「英国は、加盟国から国権を剥奪していく超国家組織であるEUの束縛から外れた方がもっと繁栄できる」と主張してきたが、これは現実を見ると間違った主張だ。もし、米国の単独覇権体制が今も世界的に隆々とし続けているのなら、英国は米国の世界戦略立案の黒幕として世界支配を続けられ、加盟国を併呑しつつあるEUに束縛されない離脱が得策になる。だが、16年夏の離脱投票後の2年半に、トランプが米大統領になって覇権を放棄し、米国の世界支配力が急速に低下している。米中枢における英国の代理勢力は軍産複合体であるが、軍産はトランプに敵視され、米中枢で負け組になっている。米国は衰退しているうえ、英国は米国を牛耳れなくなっている。こうした現状のもとでEUを離脱すると、英国は世界での影響力がほとんどない欧州沖の孤立した小島になってしまう。 (Britain's Economic Future Depends On Brexit

英国がEU内に残留する決断をしていたら、少なくとも英国は、EUの政策立案に影響を与え続けることができた。英国は戦後、EUに入ることで、内側からEU統合を邪魔し、EUが国家統合によってちからを拡大して対米自立していく道に入らないよう誘導してきた。EUは、英国が邪魔しているので強くなれず、対米従属を続けざるを得ない状態だった。だが16年に英国がEU離脱を決め、17年に同盟嫌いのトランプが米大統領になった後、EUは軍事統合を加速してNATOを不要な存在に押しやり、対米自立の傾向を増している。英国がEUに加盟し続けていたら、EUの対米自立や軍事統合をもっと邪魔できたはずだ。このまま英国が3月末にEUを離脱すると、EUは対米自立や軍事統合をさらに加速する。

EU離脱は、明らかに英国にとって自滅的な戦略だ。なぜ英国は、こんな自滅的な戦略を延々と続けているのか。 (Brexit, mother of all messes

「国民投票の結果(民意)なのだから仕方がない」という見方は成り立たない。英国は、民主主義制度を創造した国であり、英国の支配層は、近代初期に民主主義体制を創設した際、選挙結果を上から隠然と操作できるような裏の構造を作ったはずだ(そうでなければ民主主義を導入しない)。マスコミを制御して世論を操作するとか、落選させたい議員をスキャンダルで潰すとか、そういったことだ。英国の民主主義の裏の仕組みは、世界で最も洗練されているはずだ。新興諸国は、この分野を洗練させられず、独裁や権威主義をとらざるを得ないので、英国は米国を牛耳って「民主主義を抑圧する国々」を経済制裁し、隠然とした世界支配を続けてきた。

英国は、民主主義の裏の仕組みを利用して、16年夏の国民投票で「EU残留」を決定することができたはずだし、事後に投票に対する解釈をうまく歪曲して投票の効力を低下させることもできたはずだ。しかし現実には、離脱の可決後、英国の上層部は、根回しは下手だが粘り強さで知られていたメイを首相に据え、EU離脱を最重要策として頑固に掲げ続けるメイ政権が、不人気だけど粘り強いので潰れず続く政治構造が作られた。英国の上層部は、へたくそなかたちで自国をEUから離脱させる道を確実に進ませるために、メイを首相にしたとしか思えない。 (Mayday: The Prime Minister's Brexit Plan Has Crashed

1月17日には、英議会がメイのEU離脱案を大差で否決した。メイ政権が英国の代表としてEUと交渉し、EUと合意した離脱策が、英議会で否決されてしまった。国家の重要な長期戦略に関して政府が出した法案を、英議会が大差で否決したのは19世紀以来のことだ。このことから洞察できることは2つある。ひとつは、英国の民主主義システムが番狂わせの少ない、戦略立案する支配層が上から隠然と操作できるものになっていること。もう一つは、その隠然システムが、EU離脱に関しては全く機能せず、わざと番狂わせが繰り返されるように仕掛けられていることだ。 (After Brexit Defeat, May Offers Little New on Leaving EU

メイのEU離脱案が大差で否決された直後、英2大政党制のもう片方(野党)である労働党が、メイ政権に対する内閣不信任案を議会に提出した。だが、こちらも否決された。不信任案が可決されれば、解散総選挙を経て労働党政権になり(もしくはメイ内閣が総辞職して保守党の別の政権になり)、新政権が別のEU離脱案もしくは国民投票のやり直し策を成立させ、それで行き詰まりを打開する道がとれたが、その道は閉ざされた。メイ政権を続投させたまま、労働党が別の離脱案を出し、否決されたメイの離脱案とすり合わせを行って与野党が合意できる新たな離脱案を可決するという次善の策もあり得たが、労働党は代案を出さなかった。 (Theresa May Stays but Only in Name) (Britain is left without a Brexit plan. It’s headed toward disaster.

メイの離脱策を否決した英国は、国としてEUから離脱した後の枠組みを作れないまま、3月29日の離脱予定日を迎えることになった。離脱日は、EUの憲法(リスポン条約)の50条に基づいて決まっている日であり、EU加盟国の全会一致の承認がないと離脱日を延期できない。今のところ独仏などEU側は離脱日の延期に言及していない。 (May To Skip Davos, No-Deal Brexit Odds Greater Than Many Think

3月29日に、英国がEUと何の新協定も結べないままEUから離脱する可能性が増している。新協定がないまま英国がEUを離脱する「無協定離脱」が現実になると、3月29日以降、英国とEUとの間の人やモノの越境(貿易や旅行)に際して、高い関税や厳しい出入国審査が行われ、英国は経済的、社会的に大打撃を受ける。欧州から英国への物資の供給がとどこおり、英国で食品を含む各種物資の突然の払底があり得る事態になる。暴動など社会不安も起こり得る。このため英当局は、無協定離脱になった場合の非常事態体制の準備を始めている。 (Theresa May Lives to Fight Another Day. But for What?

英国で工場などを運営している英内外の企業は、無協定離脱になると英国での活動が困難になるので、急いで英国から出て行こうとしている。英国は、今回の失敗しているEU離脱策によって、すでに経済的に打撃を受けている。無協定離脱が現実になると、さらに大変な事態になる。英国は、大きな国家危機に直面している。 (Panic Time For Remainers Over Brexit

国家危機なのだから、ふつうに考えると、挙国一致の政治体制が採られるのが自然だ。だが、野党である労働党は、メイ政権との対立姿勢を崩さないまま、有効な代案すら出したがらない。保守党内も、離脱派と残留派が対立したままだ。保守党内で、メイの代わりに首相をやろうとする議員もいない。労働党首のコービンは、代案を出さずメイとの交渉も断ったまま、高みの見物の姿勢をとっている。 (Jeremy Corbyn is failing the Brexit test) (Brexit deal now so damaged, “I don’t think it’s going to happen”

コービンはEUが嫌いで、このまま3月29日に英国をEUから離脱させたいので、あえて代案を出さない姿勢だと報じられている。しかし、コービンの姿勢は英国を破壊する。彼は「極左」なので、上層部(エスタブリッシュメント)による英国の支配体制を壊したいのかもしれない。エリザベス女王が先日、英政界に対し、EU離脱をめぐる対立を解消しなさいと示唆したが、効果があるかどうか・・・。 (Queen Elizabeth Breaks Brexit Silence: 'Stop Squabbling And Get On With It'

すでに見たように、稚拙なEU離脱を演出して英国を自滅に導いているのは、英国の反体制の極左でなく、英国の体制自身だ。コービンら極左が潰したがっている英国の支配層・エスタブ自身が、16年春に国民投票の実施が決まって以来、稚拙なEU離脱を推進し、英国を自滅させている。なぜ英国は、こんな自滅的な戦略を延々と続けているのか。あらためて、この問いに戻る。 (Don’t rely on Germany to solve Brexit, it doesn’t need to help Britain

英国の支配層とは誰か。王室と貴族と、ロスチャイルドを頂点としてきた財界が、談合して意志決定している勢力。常識的には、そんなところだ(この認識すら、マスゴミ的には十分に非常識だが)。彼らが自国を自滅させたがっている、とは考えにくい。自滅と正反対の、「政界でうまく談合して上手にEU離脱してほしい」という英女王の示唆が支配層自身の要望であると考えるのが自然だ。英国の支配層自身でなく、支配層(諜報界)の一部として振る舞っている米国系の「外部勢力」が、EU離脱問題を使い、主導権を詐取して英国を自滅への道に追い込んでいる、というのが以前からの私の見立てだ。 (覇権の起源:ユダヤ・ネットワーク

英国(や米国、豪州カナダ)には、支配層が立てた方針の実行役として「諜報界」が存在している。米CIA、DOD(国防総省)、英MI6、ファイブアイズといった勢力だ。彼らは、英米豪加そしてイスラエルの諜報界(諜報網)が相互乗り入れして一体化した勢力となっている。「アングロユダヤ諜報界」と呼ぶべき存在だ。英国にとっての「外部勢力」は、この中に潜んでいる。 (Inside The Temple Of Covert Propaganda: The Integrity Initiative & UK's Scandalous Information War

この諜報界の歴史は、米国に入り込んで牛耳る暗闘劇の繰り返しだ。もともと日独を倒すためのアングロサクソン5カ国の諜報網として戦時中に創設されたが、戦後は英国の諜報界が冷戦を起こし、米国を牛耳って英国好みの冷戦構造を維持するために使われた。国連のP5体制(常任理事国)に象徴される多極型の戦後覇権構造を構想していた米国の支配層(ロックフェラーなど)は、英国系(ロスチャイルドなど)の諜報界に入り込まれ、多極型は冷戦型に上書きされた。1960年代に、米国(ケネディら)が英国を振り切って自立しようとしたのを防ぐためイスラエルが招き入れられ、イスラエルロビーが米政界を牛耳る新体制に移行した。80年代にレーガンが、英国が債券金融バブル膨張の恩恵を受けるようにしてやりつつ冷戦を終わらせ、諜報界の支配力がいったん低下した。イスラエルは「オスロ合意」を食わされたが飲み込まず、30年以上、咀嚼するふりを続けつつ拒否している。 (トランプ台頭と軍産イスラエル瓦解

これで世界が多極型に転換すると思いきや、そうでもなく、01年に自作自演のクーデター的な911の「テロ」事件が起きるとともに、再びイスラエル系が米国を牛耳り、第2冷戦的な「永遠のテロ戦争」を始めた。だがその後、親イスラエルのふりをした米諜報界の「ネオコン」が、米国の戦略立案を牛耳った上でイラク戦争などを起こしてわざと失敗させ、米国が中東から撤退し、残されるイスラエルが弱くなる流れになった。中露BRICSの台頭など、多極化が見えてきた。この間、英国は中東情勢においておおむね傍観者だったが、ロシア敵視策ではウクライナ戦争の誘発など、米英の諜報界(軍産)が協力して米国の冷戦型の世界戦略を維持した。 (Nigel Farage To Back Another "Vote Leave" Campaign If UK Holds Second Brexit Referendum

16年以降の、英国のEU離脱と米国のトランプ登場は、911後に世界が冷戦型に戻る動きを再び逆流させ、多極型の方に引き戻すことにつながっている。トランプは、諜報界の元祖米国支配層(ロックフェラー、多極主義)のエージェントで、ネオコン系のボルトンらを重用しつつ、ネオコンをバージョンアップした隠れ多極主義的な策略を続け、諜報界の英イスラエル側(軍産)をへこませている。トランプは、ナイジェル・ファラージなど英政界のEU離脱派と仲が良く、この点も、米国の多極主義者が英国の自滅を引き起こしていることを思わせる。トランプ陣営の別働隊であるスティーブ・バノンは最近、トランプが政府閉鎖で米政府(国務省など)を麻痺させていることと、EU離脱をめぐる混乱で英国が麻痺していることは同根の動きで、世界の主導役だった米英の両方が麻痺することで覇権の多極化に拍車をかける意味があることを示唆している。 (Brexit and the U.S. Shutdown: Two Governments in Paralysis

1950-80年代の冷戦は、英国の諜報界が米国に入り込んで米国の世界戦略をねじ曲げ続けた。2001年からのテロ戦争は、イスラエルの諜報界が米国に入り込んで米国の世界戦略をねじ曲げ、これに対抗して米国の諜報界の一部(ネオコンやトランプ)が親イスラエルのふりをしてテロ戦争を失敗させ、主導権を米国側に奪還した。これらと同様、英国がEU離脱で自滅しているのは、米国の諜報界が英国に入り込んで英国の戦略をねじ曲げている策略だと理解できる。英国を自滅させ、トランプによる世界多極化の動きを英国が邪魔できないようにしていると考えられる。

米国が英国を自滅させる策は衰えが感じられず、今後も続きそうだ。英国は今後も離脱案をまとめられず、このまま無協定で3月末にEUを離脱して大混乱に陥るか、そこまでいかずEUから離脱期限を延期してもらっても、離脱案をまとめられない状況が続きそうだ。世界における英国の政治力は低下したまま、トランプによる米覇権放棄や多極化の動きが続き、EUの国家統合と対米自立の傾向が続くだろう。

最近の英国は、東南アジア(シンガポールまたはブルネイ)と南米(ガイアナ)に新たな軍事拠点を設置し、米国の軍事・諜報網に頼らずに世界的な諜報網を維持しようとする「グローバル英国」の策を宣言している。英国が日豪主導のTPP11に加盟を希望していることも、グローバル英国の一環だ。この戦略は、米国が日本など東アジアを含む世界から撤退する傾向を今後も続け、これまでのように英国が米国の世界的な軍事諜報網に頼ることができなくなっていることを示している。 (“Global Britain” has become a government slogan—but there’s little strategy to back it up) (Russia Blasts UK Foreign Base Plans, Vows "Appropriate Retaliatory Measures"

米国に頼れない以上、英国が自前の世界網を構築しようとするのは自然な動きだ。英国は戦前、自前の世界網を持っていたが、戦後に覇権が英国から米国に移った後、1967年に英国は世界網を縮小し、スエズ運河以東のインド洋、太平洋から撤退し、米国の世界網に依存するようになった。英国は今後、スエズ以東撤退の逆回しをやる。 (Brexit: Japan 'would welcome' UK to TPP says Abe) (After Brexit: Global Britain Plots Course to Return to the Far East

英国エスタブ系メディアであるFT紙は、グローバル英国の策に反対し「英国だけで世界網を再構築するのは莫大な運営費用がかかるので、今後も米国の世界網に依存する方が良い」と忠告する社説を載せている。米国の覇権が今後も強いのならそれで良いが、実際はそうでない。英国の覇権は衰退する。英国は、世界的な諜報網を、米国に頼らず自前で維持していく必要がある。EU離脱は英国のちからを劇的に落とすが、グローバル英国は逆に、英国の力を維持しようとする動きに見える。 (The military aims of ‘Global Britain’ should be realistic



田中宇の国際ニュース解説・メインページへ